土方美雄
初めてのヤスクニ・レポート その5
またまた、前号よりの続きです。実は、現在、大鳥居というところの病院に、入院中なので、原稿は、かなり前に書いて、投稿済みなのです。ということで、もし、死んでいなければ、次号でまた、お目にかかります。—————————————————————————
また、政府主催の「全国戦没者追悼式」には初めて天皇が欠席した。これはさまざまな波紋を呼び、右翼ジャーナリズムの旗手、『週刊新潮』などは8月26日付で、「全国戦没者追悼式に欠席された『天皇』」なる特集を組み、「天皇陛下のためにと死んでいった兵士のことを思えば、陛下は多少の風邪でも追悼式を休むなんてことはおできになれなかったはず」「陛下には戦争犠牲者の霊を慰めることが最も重要な仕事ではないですか。それをいくら熱が亜るからといって、風邪を引いた程度で欠席なさるなんて、納得がいなない。陛下はこれまで、毎年、この戦没者追悼式で、『さきの大戦において、戦陣に散り、戦禍に倒れた数多くの人々やその遺族を思い、今なお胸がいたみます』という決まり切ったお言葉を述べられるが、それにウソがないなら、注射で熱をさましながらでも出席して頂きたかった。いったい側近たちも何を考えているのか」と、天皇に対する批判まで展開する始末。
さらに、われわれの8・15市民行動に対しても当初の「集団示威行動と見なし、全員検挙もあり得る」という強圧的な姿勢から一転、当日はソフトな警備となった。しかも首相の車は通常のコースを変更してまで、境内での混乱を避けるという徹底ぶり。
対日批判と自主的闘争の必要性
これらの一連の「レベルダウン」はいったい、何を意味するのか--結論的にいえば、教科書検定問題に端を発する中国や韓国など海外からの、徹底した対日批判の反映であると私は考える。
中国を例にあげれば、8月15日付の中国共産党機関紙『人民日報』は「最近、日本には中日友好に反対する勢力が出てきた。これは突然出てきたものではない」とし、①歴史教科書改ざん、②映画『大日本帝国』の製作・上映、③改憲の動き、④台湾との公式関係樹立の動き–と共に、「軍国主義分子の位はいのある靖国神社に公式参拝する動きがある。これは注目しなければならない」と指摘している。
さらに、同紙は「東京の靖国神社観察記」と題する81年4月の春季例大祭のルポを掲載、「靖国神社の中で行われているさまざまな活動をみると、日本の統治階級に中にいる少数の人々は、第二次大戦の教訓を思想的にどう受け止めたのか、という疑問を提起せざるを得ない」と結んでいる。
教科書からの日本の中国、朝鮮、そしてアジア・太平洋諸国への侵略の事実を一切がっさい消し去ろうとするたくらみは、当然のことながら、それらの当事国からの激しい抗議に直面した。それは政府の予想をはるかに超えたものだった。靖国推進勢力の激しい突き上げに、「戦没者追悼の日」を制定し、「公私の区別をいわない」というかたちで事実上の公式参拝へ大きく踏み出した政府だったが、海外からの正鵠を射た批判の前にはさすがに一歩後退せざるを得なかった——というのがおそらく、ことの真相であろう。
「戦没者追悼の日」の制定や、8月15日の首相・閣僚の集団参拝にどれだけの民衆が抗議の声をあげただろうか。キリスト者や真宗大谷派非武装・平和を願う会など、一部の宗教者のたたかい以外に、たたかいらしいたたかいもなかった——というのが、いつわらざる現実である。
そういった中で今回、極めて少数ながら、日韓問題やアイヌ問題、沖縄問題をたたかう人々、そして、組織労働者が八・一五市民運動に立ち上がった意義は大きいと思う。
8月31日に沖縄研究会の呼びかけで開かれた「沖縄住民虐殺の事実を教科書から消すな8・31緊急集会」では、靖国問題が語られ、そして集会決議の中にも靖国公式参拝への動きが明記された。これは集会関係者によれば、「はじめてのこと」であるという。
最後に、自民党憲法調査会(瀬戸山三男会長)は81年10月以降、四つの分科会で進めてきた改憲草案作りをこの11月にまとめるが、その内、「国民の権利義務・司法」を担当した第三分科会(鳩山邦夫主査)の中間報告の中には、「靖国神社の国家護持については、これらが違憲の疑いなく実現できるように、その方途を探るべきであるという意見が半数をしめた」と、靖国国営化の方向が明示されている。
明文改憲への諸同行については本稿のテーマではなく、別の機会にゆずりたいが、ヤスクニ攻撃は一連の改憲攻撃とまさに表裏一体の関係にあるといえる。靖国神社の公的復活は「政教分離」を明記した現憲法下では絶対に不可能であるという点において、それは改憲攻撃そのものといっていい。
改憲にむけた草の根運動を担う「自主憲法期成議員同盟」「自主憲法制定国民会議」(共に岸信介会長)や「日本を守る国民会議」(加瀬俊一議長)といった組織は、「英霊にこたえる会」構成メンバーの大半がダブるといった具合に、緊密な連携プレーが行われているのである。改憲勢力は83年に予定されている統一地方選挙、および衆・参両院選挙を「防衛選挙」と想定、防衛問題・愛国心教育推進を基軸に、「改憲に必要な全議席の3分の2以上を獲得する」ことを当面の運動目標に据えている。そういった大情勢の中に、靖国問題をキチッと位置づけ、たたかっていく必要があろう。(『現代の眼』1982年11月号)
以降、私は、その時々の状況に合わせて、ヤスクニレポートを、『軍事民論』『新地平』『天皇代替わりに関する情報センター通信』等や、反天連(反天皇制運動連絡会)のニュースなどに、書き続けていくことになります。この『現代の眼』に掲載したレポートが、その出発点になりました。
以下、続きます。