「恩恵による支配」から天皇制を問い直す――植民地主義・排外主義・「女帝論」を超えて

金澤伶(東京大学学生)

はじめに——天皇制を「現在」の問題として考える

そもそも、民主主義の社会に、世襲によって国家を象徴する人間が必要なのか。私は、この問いを「皇室のあり方」「皇室に関心があるかどうか」という話で終わらせたくない。天皇制は、一つの家族が特別な地位を占める制度であり、近代日本においては、家父長制、性差別、植民地主義、民族差別などと結びつきながら、「国民」とは誰なのか、誰が国家に帰属するのか、誰が国家から排除されるのかという境界を形成してきた。

敗戦と日本国憲法の制定を経て、戦前の天皇制は戦後の「象徴天皇制」へと大きく転換したが、問題が解消されたわけではない。もちろん、戦前と戦後の天皇制は同じものではない。主権在民の日本国憲法のもとで、天皇は「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」とされ、国政に関する権能を持たない存在となった。

だからこそ問いたい。戦後民主主義とは何だったのか。そして、その民主主義のもとで、なぜ天皇制は存続したのか。

戦後の天皇皇族は国民に寄り添う姿勢や被災地への訪問戦争や災害の記憶に向き合う姿などを通じて平和慈愛思いやりといったイメージと結びついてきた.11当時は小学生2年生だったが、被災地で避難民に「寄り添う」天皇の動画が拡散され、何度も見たことで深く記憶に刻まれている。現代の象徴天皇制はさらに、男女共同参画や機会平等といった現代社会の価値観に照らして議論されるようになった。

戦前の天皇制において、天皇は国家を統合する役割を担い、明治維新の過程で薩摩・長州などの倒幕勢力は天皇の権威を政治的に利用し、王政復古や新政府の正統性を構築していった。その後も、天皇を中心とした国家統合のために、教育や儀礼など様々な装置がつくられた。敗戦後、憲法が変わり、天皇の位置づけが大きく変わったにもかかわらず、国家を一つにまとめ、「国民」を統合する象徴として天皇制が位置づけられているという点には、なお考えるべき連続性がある。

ここで重要なのは、「国民統合」という言葉を無条件に肯定しないことだと思う。そもそも、誰を「国民」として統合するのか。誰がその共同体の内側にいるのか。そして、誰がそこからこぼれ落ち、あるいは「国民ではない存在」として位置づけられるのか。戦前の天皇制が、植民地支配のもとで朝鮮人などを「臣民」として組み込みながら、同時に日本人との間に序列をつくっていたことを考えれば、統合は対等な関係を意味しない。誰かを統合する側と、統合される側との間に、権力関係が厳然と存在する。戦後の天皇制が民主主義・平和・慈愛・思いやりといった柔らかなイメージをまとってきたことを考えるとき、国家による統合や支配が、強制や暴力だけによって行われるわけではないことにも目を向けたい。

この問題は、決して過去の話ではない。現在の自民党の新しいビジョンは、「2600年以上続く日本の皇統」を日本の「国柄」を体する存在と位置づけ、その歴史と伝統を受け継ぐことを保守政党としての「基本的使命」としている。戦後の象徴天皇制が、戦前とは異なる制度のもとで「国民統合の象徴」として再構成されてきた一方で、いまなお「皇統」が日本の歴史や文化の根幹として語られている。この現在の語られ方を前にするとき、戦後民主主義のもとで天皇制が果たしてきた役割を、改めて問い直す必要があるのではないか。

「統合」は、どのような関係を通じて成り立ってきたのか。本稿では、この天皇制を考えるために、「恩恵による支配」という視点を導入する。

 天皇制と「恩恵による支配」

国家による支配は、軍隊や警察、法律などによる直接的な強制だけによって成立するわけではない。「守ってあげる」「与えてあげる」「思いやってあげる」という形で恩恵を与え、その恩恵を受ける者を国家への従属関係に置くこともまた、支配の一形態となり得る。近代天皇制において、天皇は臣民に恩恵を与える主体として位置づけられてきた。「一視同仁」という理念も、すべての臣民を等しく慈しむという形で、天皇の恩恵による統合を正当化するものであった。

その「恩恵」に服さず、植民地支配に抵抗する朝鮮人は、「天皇陛下の恩恵を省みない不逞の輩」として排除・弾圧された。ここには、「恩恵を受けている以上、支配に抵抗してはならない」という構造が存在する。この構造を踏まえるならば、慈愛・思いやり・保護といった言葉を、無条件に肯定することはできない。それが誰と誰との関係において語られているのか、その背後にある権力関係を問う必要がある。

 植民地主義と「多文化共生」の論理

この「与える側/与えられる側」という関係は、文化をめぐる関係にも入り込んでいる。植民地支配における「多文化共生」のあり方——帝国日本において、朝鮮人の文化を認めることは、必ずしも対等な異文化理解を意味しなかった。「朝鮮人が劣った要素を棄て、日本人の文化を身につけることで幸福を得る」という認識枠組みのもとで、異文化を認めることさえ「日本人の寛容」として語られた。

そこでは、「認める側」と「認められる側」、「受け入れる側」と「受け入れられる側」という非対称な関係が維持される。この構造は、満洲国や「大東亜共栄圏」における他民族支配とも無関係ではない。したがって、今日「共生」や「人権」を語る際によくありがちな、単に「外国人に優しくする」という発想では不十分である。誰が「受け入れる側」に立ち、誰が「受け入れられる側」に置かれているのか。この問いを欠いた「共生」は、植民地主義的な上下関係を温存する危険性を持つ。

 沖縄愛楽園——「慈愛」と国家暴力

この「恩恵による支配」という問題を具体的に考えさせるのが、沖縄愛楽園である。沖縄戦時、愛楽園には日本軍による強制収容によって、定員の2倍を超える913名が隔離されていた。そして米軍の地図に「兵舎」と記載されていたことから激しい艦砲射撃を受け、園は壊滅状態となった。さらに、園長が「一発でも日本軍に当たらないよう甘んじて受けろ」として赤十字を掲げないよう指示したという。ここには、ハンセン病患者を「守る」という名目で行われた隔離政策が、戦争という国家暴力のなかで、隔離された当事者自身の生命を危険にさらすという矛盾が現れている。

さらに重要なのが、貞明皇后の歌碑である。貞明皇后はハンセン病療養所への慰問や歌を通じて、「慈愛深い皇后」として記憶されてきた。その「慈愛」は、強制隔離政策を正当化し、患者自身にそれを受容させる役割を果たしたとも指摘されている。愛楽園において歌碑をめぐる入所者の受け止めが一様ではなかったという事実も重要である。国家によって隔離され、戦争によって生命を脅かされた人々にとって、国家の側から差し出される「慰め」や「慈愛」を、それぞれどう受け止めたのか、想像すらできない。

回復者である平良仁雄さんの手記に、らい予防法の存在すら知らず、むしろ自分が周囲に迷惑をかけていると考えてきたという経験が記されていることは象徴的である。権利を奪われた側が、自らを「迷惑をかける存在」だと思わされる。ここに、「恩恵による支配」の最も深い部分がある。

IV 「思いやり」は差別を超えられるのか

同じ問題は、朝鮮人虐殺の後にも見ることができる。世田谷の烏山村では、1923年の朝鮮人虐殺に関与した者に対して、郷土愛やあたたかい援助の手が差し伸べられ、微罪で釈放された。そして烏山神社には、虐殺に加担し起訴された12名の「苦労をねぎらい」郷土への帰還を記念するため、椎の木が植樹された。ここでは、「思いやり」は差別を克服する力としてではなく、むしろ共同体内部の人間を守るために機能している。ここで、誰に対する「思いやり」なのか、という問いが生まれる。「人権=思いやり」という誤解が広まっている現在、差別される側がなぜ差別されているのか、誰が差別する側に立っているのかという構造を問うことができない。権力関係を問わない思いやりは、ときに支配を「優しさ」に変えてしまう。

金子文子(1903~1926年)が国家から与えられた恩赦状を破り捨てたことは大きな意味を持つと思う。金子文子は、関東大震災における朝鮮人暴動デマに信憑性を持たせるために、朴烈とともに「皇太子暗殺を計画した」として大逆罪に問われ、1926年に死刑判決を受け、その後獄中で自死した思想家・社会運動家である。「あなたを許してあげる」という国家の側からの恩恵に対して、それを受け取ることで国家への精神的な屈服を強いられることを拒否する。「あなたに許してもらう必要などない」という、恩恵によって成立する支配関係そのものへの拒絶である。この意味で金子文子は、「恩恵による支配」に対する極めてラディカルな抵抗者だったと考えることができる。

 現代の入管政策と「受け入れてあげる」という構造

この問題意識は、現在私が取り組んでいる入管・外国人政策の問題とも直結している。近年、日本では外国人をめぐる排外的な政策が強化されている。難民や日本で生まれ育った子どもたちまでが強制送還の対象となり、永住者、外国人労働者、経営者、留学生、非正規滞在者など、すでに日本社会の一員として生活している人々の権利や生活を脅かす政策が相次いでいる。

そこでは、外国人が「日本社会に受け入れてもらう存在」として描かれる。外国人労働者は日本社会の労働力を担い、外国人住民も地域社会や社会保障を支えている。にもかかわらず、「外国人が日本人から恩恵を受けている」という一方向の物語が流され、排外主義的な政策の根拠として利用されている。私は、ここに「恩恵による支配」の現代的な姿を見る。「受け入れてあげる」のではなく、最初から対等な権利主体としてともに生きることが必要だ。だから、私にとって入管の活動は単なる「外国人支援」ではない。「日本人」と「外国人」、「国民」と「非国民」、「合法」と「非正規」という境界線そのものを問い直す活動なのである。

VI 「女帝論」は何を「平等」とするのか

この観点から、私は「女性天皇・女帝論」にも批判的である。「女性も天皇になれるようにすること」が、直ちに女性差別の克服を意味するわけではない。むしろ、「国家の頂点に立つことが女性の解放である」と考えてしまえば、国家に認められること、国家に参加すること、国家に貢献することそのものを「平等」としてしまう危険がある。

戦前の主流的なフェミニズムが、「男並み」に国家へ参画することを「平等」や「解放」と捉え、その結果として天皇制国家の戦争や暴力に組み込まれていった歴史を忘れてはならない。問うべきなのは、「女性も天皇になれるか」ではなく、「なぜ天皇という存在が必要なのか」である。女性が天皇になれる社会と、天皇にならなくても女性が尊厳を持って生きられる社会は同じではない。私は後者を目指したい。こうした問題をフェミニズムの視点から問い直そうと、私や20代の仲間と2月に「女帝論を超えて——フェミニズムから問う天皇制/差別・排外主義の天皇制に抗う『非国民』の集い」という集会を準備しているところだ。

天皇制の背後には、そもそもどのような歴史を「私たちの歴史」として記憶するのかという問題もある。いま、「明治」をめぐる記憶そのものが政治の対象になっている。政府・与党には、「明治の日」の制定を進めようとする動きがある。しかし、私たちが「明治」と呼ぶ時代は、近代天皇制国家の形成とともに、対外侵略と植民地支配、国家神道、家父長制、女性差別、民族差別などが制度として組み込まれていった時代である。1923年の関東大震災朝鮮人大虐殺は明治以来の日本帝国の帰結である。「明治」を祝うことは、単に一つの祝日を増やすという話ではない。何を歴史として記憶し、何を忘れるのかという問題でもある。

「2600年以上の皇統」と「明治」という過去の称揚が、いま同時に政治の言葉として語られていることを、私は偶然とは考えられない。戦前の天皇制を「昔の話」にしてしまうのではなく、その歴史をどのように記憶し、現在の国家像のなかにどのように位置づけようとしているのかを見なければならない。

おわりに——天皇制を必要としない社会へ

以上のように考えると、天皇制の問題は、皇室のあり方だけをめぐる問題ではない。それは、誰が国家を代表するのか。誰が「国民」とされるのか。誰が誰に恩恵を与えるのか。誰が「受け入れる側」で、誰が「受け入れられる側」なのか。という、社会における権力関係の問題である。

なぜ「女性が天皇になれること」が女性の解放や平等の証明になるのかという、平等概念そのものを問い直し、誰かから与えられる平等ではなく、そもそも誰かが人間の価値や尊厳を認定する必要のない社会をどうつくるのか、まで考えを進めるべきだ。天皇制は、暴力によってのみ人を支配するのではない。慈愛・恩恵・慰め・統合という、一見すると優しい言葉によっても人を国家に結びつけてきた。私は、天皇制を単純に「昔の軍国主義の残滓」として捉えるのではなく、現在の排外主義や、外国人を「受け入れてあげる」社会のあり方、そして「思いやり」によって構造的な差別を見えなくしてしまう社会のあり方とつなげて考えたい。天皇制をなくすことだけが目的なのではない。目指すべきなのは、天皇制を必要としない社会である。誰かに統合してもらわなくてもいい。国家から恩恵を与えてもらわなくてもいい。「日本人に受け入れてもらう」必要もない。生まれた場所、国籍、性別、家族、障害、経済的状況などによって人間の価値が序列化されることなく、誰もが自らの人生の主体として生きられる社会。

そしてこれは、「日本人の良識派」も心に留め置かねばならない。マイノリティによる批判を「鏡」としてありがたがり、絶対視し、判断を停止し、さらにそれを欲する——差別されることのないマジョリティがアイデンティティを立ち上がらせるための道具として、日本社会をより良くする「批判勢力」としての役割を「在日朝鮮人・中国人」などに負わせてきた。そんな関係性は対等ではない。37歳で亡くなった芥川賞作家・李良枝(1955〜1992年)は、「日本と日本人に対する反射的思考でしか自分の存在を確認できない」自分を見出し、アイデンティティの確立に対する葛藤を生じさせている。

「思いやり」ではなく権利を。「恩恵」ではなく対等性を。「統合」ではなく共生を。私は、そこから天皇制を問い直したい。

今、私が取り組んでいる入管の現場で外国人や難民、在留資格のない子どもたちの権利を守る活動も、「誰が国民で、誰がその外側に置かれるのか」という境界線をなくしていくことにつながる。その実践の先にこそ、天皇制を必要としない社会があるのだと思う。

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