侵略神社ヤスクニに閉じ込められた父を解放せよ ー無断合祀撤廃を求める遺族、韓国の法廷で最後の闘いに立ち上がるー

金英丸(キム・ヨンファン、民族問題研究所/植民地歴史博物館 対外協力室長)

記者会見で発言される李熙子(イ・ヒジャ)さん

いつまで私の父は、創氏改名された日本名のまま靖国に『神』として合祀されていなければならないのですか。日本は今も靖国に合祀された犠牲者と遺族を、植民地の人々だと思っています。私は到底許すことができません。私たちはこのまま死ななければならないのですか。

— 李熙子(イ・ヒジャ、太平洋戦争被害者補償推進協議会代表)
靖国韓国人合祀撤廃訴訟 提訴記者会見(2025.12.23)の発言より

2025年12月23日、解放80周年の節目が暮れようとしていた慌ただしい師走。

靖国に無断で合祀された父の名前を取り消してほしいと求める韓国の遺族たちが、靖国合祀撤廃訴訟を初めて韓国の法廷で開始しました。訴訟の原告は、日本帝国主義の侵略戦争に強制動員され、異国の地で命を落とした朝鮮人犠牲者約2万1千人のうち、10人の遺族です。2001年から25年もの間、日本の法廷で人権と尊厳の回復のために闘ってきた原告たちは、今度は韓国の司法に対し、遅延された正義の実現を求めて立ち上がったのです。彼らは解放から80年が経った今もなお、植民地の枷に囚われたまま、遺族の同意もなく創氏改名された日本名で靖国神社に合祀されている父のために、再び立ち上がりました。いずれも80歳を超えた高齢の遺族にとって、これは人生最後になるかもしれない闘いです。

2018年、韓国の大法院は、植民地時代に朝鮮から日本製鉄や三菱重工業に労務者として連行された強制動員被害者に対し、日本の戦犯企業が賠償するよう命じる判決を下しました。この判決により、労務者として動員された被害者が権利を実現する道がようやく開かれました。しかし、軍人・軍属の被害者たちは、「一国を他国の法廷に立たせることはできない」という国際法上の法理である「国家免除(主権免除)」の壁に阻まれ、これまで韓国で日本政府を相手に訴訟を起こすことすらできませんでした。

しかし、日本軍性奴隷制の被害生存者や遺族が、この国家免除の壁を乗り越える歴史的な判決を勝ち取りました。2021年と2023年、日本軍性奴隷制の被害生存者や遺族が提起した損害賠償請求訴訟において、韓国の裁判所は「日本軍性奴隷制のような反人道的な不法行為に対しては国家免除を認めることはできず、その不法行為が法廷地国である大韓民国の領土内で発生した場合、国家免除は排除されるべきである」という判決を確定させました。この判決により、韓国の軍人・軍属犠牲者の遺族たちも、韓国の法廷で日本政府を相手に訴訟を提起する道が、ついに開かれたのです。

太平洋戦争被害者補償推進協議会の李熙子代表をはじめとする犠牲者遺族は、2001年から軍人・軍属裁判、靖国無断合祀撤廃訴訟(第1次、第2次「ノー!ハプサ(合祀)」訴訟)の原告として、日本の法廷で犠牲者の遺骨返還と無断合祀の撤廃を求め、25年という長い年月、孤独な闘いを続けてきました。遺族たちは、日本政府から韓国政府へと渡された「留守名簿」などを通じて、自分の父親がヤスクニに合祀されている事実を1990年代後半になって初めて知りました。

しかし、日本の司法はこれまでの訴訟において、「20年の除斥期間が経過している」「受忍限度を超えていない」「人格権の侵害には当たらない」「宗教が互いに異なっていても、相互に寛容であるべきだ」といった非常識な理由を挙げ、遺族たちのすべての請求を棄却し、法的責任を回避してきました。日本政府と靖国神社は一切の責任を認めず、日本の司法も被害者の訴えを無視してきたのです。

しかし、粘り強いたたかいの貴重な成果もありました。2025年1月17日、第2次訴訟の最高裁判決において、最高裁は違法性に関する審理も行わず、除斥期間を理由に原告の請求を退けてしまいましたが、三浦守裁判官は初めて被害者の訴えを受け入れる反対意見を述べました。そして2025年9月19日、犠牲者の孫たちが日本政府と靖国神社を相手取り、第3次「ノー!ハプサ」訴訟を提訴し、現在も続いています。これは、韓国の原告が日本で提訴した戦後補償関連訴訟の中で、いまも唯一続いているものです。

靖国韓国人合祀撤廃訴訟原告、代理人団、事務局

韓国で初めて提訴された今回の訴訟の被告は、日本政府と靖国神社です。原告側は、被告日本政府に対しては、強制動員および死亡に至らしめた責任、そして犠牲者の死後に日本政府が靖国神社と共謀して「戦没者名簿」などを靖国神社に送付し、無断合祀に関与した不法行為に対する損害賠償を請求しました。被告靖国神社に対しては、無断合祀による損害賠償とともに、霊璽簿、祭神簿、祭神名票から犠牲者の名前を削除(合祀撤廃)することを要求しました。

代理人団には、「民主社会のための弁護士会(民弁)」の張完翼(チャン・ワンイク)団長、李相姫(イ・サンヒ)副団長をはじめ、計14名の弁護士が参加しており、訴訟事務局は民族問題研究所と太平洋戦争被害者補償推進協議会が引き受けています。

私は、日本で闘われている「ノー!ハプサ」訴訟の韓国事務局の一員として、原告の法廷陳述書を作成する際、お一人おひとりから遺族として生きてきた物語を詳しく伺いました。侵略戦争に駆り出され、父が犠牲になっただけでも無念極まりないのに、ヤスクニから名前を取り消してくれと裁判までしなければならないという事実が、遺族にとっては到底理解しがたいことでした。

陳述書を準備する過程で、遺族たちは父親の記録を探し、その記録を通じて初めて父の死の詳細を知ることになりました。父がいつ、どこへ連行され、どこでどのように戦死したのかが詳細に記された名簿を通じて、遺族は初めて自分の父親の命日を知ったのです。そして、名簿の片隅に記された「合祀済」という三文字。神道が存在しない韓国では、ほとんどの人が「合祀」という概念すら知りませんでした。遺族たちは、父の名簿に書かれた「合祀済」の三文字が、すなわち自分の父親が靖国に祀られていることを意味すると、その時初めて知ったのです。父が靖国に合祀されている事実に気づいたとき、遺族たちは一様に「血が逆流するような思いだった」とその無念さを吐露されました。

父親が戦死した遙か遠い異国の地の見慣れない地名も、初めて聞きました。中国の広西省、マーシャル諸島のブラウン島(エニウェトク環礁)、千島列島の知林古丹島、南洋群島のトラック島、パプアニューギニア・ギルワ、フィリピン・ミンダナオ島のバターン、パプアニューギニア・セピック河、中国の安徽省。これらは、この訴訟の原告らの父親が亡くなった場所の地名です。海外旅行に自由に行けるいまでさえ、一人の力では到底行くことが難しいそんな場所にまで連行された父親を想い、遺族たちはただため息をつくばかりでした。ある原告は、訴訟を準備する過程で、父親が最後に乗った船の名前や亡くなった位置を初めて確認しました。その船が沈没して戦死したと記録されていたからです。

これらの記録は、遺族が自ら探しに動かなければ、誰も教えてくれなかったものです。遺族たちは、どのような記録があるのかさえ知る由もなく、たとえ記録を見つけたとしても、日本語で書かれた内容が何を意味するのか分かりませんでした。このように、訴訟を準備しながら家族の記録を一つひとつ手繰り寄せる過程は、犠牲者個人の歴史を復元する過程でもあります。今も靖国に合祀されている2万1千余人の朝鮮人犠牲者の遺族の多くが、記録の存在自体を知らないため、自分の家族がヤスクニに勝手に合祀されている事実さえ知らないのが、あまりにも切ない現実です。

翻って、侵略神社であるヤスクニをめぐる日本社会の動きはどうだろうか。あの戦争が終わって80年になる節目の日にあたる2025年8月15日、靖国を参拝した有力政治家らの発言を見てみましょう。

当時の石破内閣の発足後、閣僚として初めて靖国を参拝した小泉進次郎当時農水相は、次のように述べました。

不戦の誓いと、これはあらためて思いますが、どの国であっても、国家のために命をささげた方に対する礼を忘れないことは重要なことだと考えております

一方、参議院選挙の運動期間中の演説で、意図的に侵略戦争を「大東亜戦争」と言い、植民地時代に朝鮮人を差別的に表現した呼称をためらいなく口にした参政党の神谷宗幣代表。彼は次のように述べました。

国のためにみんなを守るために戦い、尊い命を失った方々に感謝と追悼の気持ちを伝えた。二度と日本が戦争に巻き込まれないよう、戦争参加はさせないよう、平和を守る政治をやりたいという思いを伝えてきた

毎年欠かさず靖国神社を参拝してきた極右政治家の高市早苗は、首相になる前の去年、靖国神社を参拝した後に次のように述べました。

80年前に敗戦し、本当に多くの方が深い悲しみと虚脱感、戦闘が終わったことへの安堵もあったかと思うが、たくさんの方が国策に殉じられた。尊崇の念を持って哀悼の誠を捧げてきた

また、「本来、それぞれの国のために殉じた方の慰霊は、それぞれの国民が自らの心に従って行うものだ」と強調し、次のように付け加えました。

それぞれの祖国のために命を捧げられた方に、敬意を持って哀悼の誠を捧げあえる世界になればいい

世界の誰もが平和が大事だと言い、二度と戦争をしてはならないと言っています。しかし、靖国神社を参拝する政治家らが口を揃えて言う「平和」は、被害者や遺族が言う「平和」とは決して同じものではありません。侵略戦争への反省も責任の表明もない、彼らの「不戦の決意」もあまりに空虚なものにすぎません。彼らが言う平和の実体とは何なのか、なぜ靖国神社を「侵略神社」と呼ぶのだろうか。それを知りたいなら、靖国神社内にある「遊就館」をじっくりと見てほしいのです。「ヤスクニ」と「平和」は、決して共存できるものではありません。

靖国無断合祀撤廃訴訟は、強制動員被害者と遺族たちの「真の解放」のために、靖国から犠牲者の名前を取り消し、80年前に止まってしまった「解放の時計」の針を再び動かし、遺族が犠牲者を心から追悼できる権利を取り戻すための闘いです。また、日本帝国主義の植民地支配と侵略戦争によって踏みにじられた個人の尊厳を取り戻す「普遍的な人権運動」であり、植民地支配と侵略戦争を「聖戦」として美化する「ヤスクニ史観」に対抗して、歴史の正義を実現するための運動でもあります。

さらには、靖国参拝を繰り返し、平和憲法を改正して日本を「戦争ができる国」へと逆戻りさせようとする極右高市勢力の暴走を止め、東アジアの平和な未来を切り拓いていくための実践です。戦争に反対し、平和を実現するための東アジア市民の連帯によって、侵略神社ヤスクニの闇、ヤスクニのタブーを必ずや払い除けなければなりません。

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