佐野通夫
地域共同体と町内会
「革新的」(?)と思っていた仲間と話していて、何人かが町内会の神社費徴収が当然と考えていることが気になって仕方ない。やはり日本の中で、僕(ら?)はマイノリティだと深く感じる。日本の中では
反天皇制論者(人口の0.1%以下?)<耶蘇(0.8%)<外国人(3%)だろうか。
外国人数が増えているのに対して、前2者は確実に減少している。1989年の代替わりの時の即位大嘗祭違憲訴訟原告は3000人、2019年の代替わりのそれは10分の1の300人である。耶蘇教会員も若い人は全然おらず、高齢化・減少している。
これは中沢啓治『はだしのゲン』第1巻、9ページ、僕は町内会というと、このように戦時下強制的に組織された人々を思い出してしまう。
Seoul特別市冠岳区新林9洞230-4 1/5
これ
は83年に僕が下宿していたソウルの住所で、最後の1/5は「1統5班」の意味で当時の町内会(班常会)組織を現している。軍事政権下の韓国では、大日本帝国が利用していた制度がそのまま利用されていた。(現在では、住居表示はアメリカ式の街路名表示になって、例えばSeoul市中区南大門路92(写真)などのように表示される。日本のどこにあるか分からない(ほとんどない)住居表示と違って、各建物に大きく表示されているので便利である)。
話していた仲間が考えていたことは地域共同体をどう再生させていくかという問題意識だった。その時、僕が考えていたのは、権力による公共(施設、サービス)の奪い上げによって共同体がつぶされたということである。
例えば、1956年の立川基地拡張反対闘争を描いた映画「流血の記録 砂川」(1957年製作)では、全国から応援に集ってきた数千の労働組合員や全学連の学生たちが砂川中学に寝泊まりしている。1872年の「学制」によって全国に作らされた学校は村落の寄り合いの場でもあった。2003年の全国的町村合併の中で生まれた東かがわ市を2004年に大水害が襲った(香川県は降雨の少ない瀬戸内海式気候に属し、山間部もそれほど深くないため特に大きな河川も無く、全国的にも被害の少ない県であると言われていた)。その直後に教育実習訪問で訪れたある校長の言葉が忘れられない。「合併前の町役場なら、学校が被害に遭ったと言えばすぐやって来てくれた。しかし、合併後の市役所は遠くなってしまった。」そして、合併の効果として、それまでは小さな町でも1校はあった学校が統廃合されている。
解放(日本の敗戦)直後、大阪の中華学校、神戸の朝鮮学校などは、日本の公立小学校の教室を使っていた。学校がその地域の人々のものであるならば、そこに中国人、朝鮮人住民がいれば当然のことである。しかし、1948年、この形態はつぶされた。IKUNO・多文化ふらっとのアドバイザーを務めている朴基浩監督が撮ったドキュメンタリー映画「In Between -In Search of Native Language Spaces- はざま-母語のための場をさがして」では、子どもたちの母語保障教室を開いている人たちが、「困っているのは会場がないことです。学校の空き教室を貸してもらえると良いのだが」と語っている。実際に日本の学校は少子化で教室が空いている。そして他文化の子どもたちも住民なのである。
韓国では、マウル[むら]センターが、田舎でも小さな里(行政単位)、都会でも洞(行政単位)ごとにあり、老人会館があり、人々が集まる。
日本ではゴミ収集の管理が町内会の責任とされている。ゴミ収集所に「○○と○○と・・・○○以外は使用禁止(○○は人名)」と張り紙してあり、他者に使わせないこともある。ゴミ収集は市の業務ではないのか。あるテレビ番組で、「ゴミ管理まで自治体にやらせると増税になる」というような事を言っていたのがいたが、我々はまさにこのような公共の仕事をするために、税金を払っているのではないか。別にアメリカの兵器産業に貢ぐために税金を納めているのではない。そのつながりでいうと、日本は公共の場のゴミ箱が極端に少ない。
NHKラジオの「まいにちロシア語」応用編は「幸せな夫の日記」という題で日本に遊びに来たロシア人夫婦が感じた日本の生活を描いている。26年1月15日のテキストは「どこにごみを捨てたらいいの?」という題で「僕たちはアイスクリームと飲み物を買って、通りで食べ、飲んだのだけれど、包み紙と空き缶をどこに片付けたらいいのか分からなかった。夜までこのごみを持ち歩き、自分のホテルで捨てることになった。なぜなら、この日1日、結局ごみ箱を1つも見かけなかったから」というものであり、実際に韓国の友人を井の頭公園(正式には「井の頭恩賜公園」というらしい)に連れて行き、同じ状況になった。3月2日に搭乗したJAL92便(ソウル-羽田)の中では、ゴミを持ち帰るのが東京方式という東京都の宣伝ビデオが流れ、唖然とした。このような公共の場で皆が過ごしやすくするために我々は税金を納めている。それを町内会でやれというのは、公租公課として労働しろというのと同じだと感じる。
天皇制と時間支配
原武史『日本政治思想史』(新潮選書、2025年)に次の記述がある。
人々は新聞のほか、地域住民組織である隣組や町内会が発行する回報や回覧板で具体的な日付や時間を知ることになりました。回覧板には、例えば「紀元2600年元旦の興亜奉公日には、特に左のことを実行致しましょう。(イ)早朝必ず最寄の神社に参拝すること、(ロ)午前9時の『国民奉祝の時間』には、宮城遙拝並びに万歳奉唱を行うこと」と書かれていました。読んだ証拠としてハンコを押し、隣家に回すわけです。(230ページ)
『連続無窮』という同人誌(第34号)にある人が、マレーシアで1月半ばまでクリスマスツリーがあったことで次のように記していた。
ひるがえって日本では12月26日以降にクリスマスのデコレーションが撤去されていないとなぜか場違いで気まずい雰囲気になります。ダメな家や施設という烙印が無言で押されるような気になります。しかしマレーシアではそうではありません。日本ではクリスマスを過ぎたら正月準備に入ることが暗に共同体の一員として強要されているのですよね。そう思うと日本の正月はやはり1年が切り替わるだけのイベントではなく、「宗教行事」だということが分かる気がします。
僕自身が1991年に『四国学院大学論集』第76号に「[報告]あれこれ서울(ソウル)便り -番外・地方編」として次のようなことを書いている。
〈新年は人を新しくはしない〉
たまたま신정(新正-新暦の元旦)を麗水で迎え、忠武で過ごし、釜山に到着しました。もともと、韓国では正月は旧暦でやってきます。1991年から新正連休は1日と2日の2日間になり、설날연휴(元日連休-旧暦)は大晦日と1月2日の3日間になりました。91年は2月17日の日曜日も含め、14日からの4連休です。新正には、麗水の市場も、忠武の市場も、普段と変わりなくやっています。釜山まで来たら、少し休みのお店があるようです。84年、新正にソウルにいたときには、デパート等がお休みだったなと、思い出します。新正は国が決めたものですから、公務員や大企業は休みますが、そのような分野の少ない地方、特に市場などは、関係無いということです。
もっとも新年の捉え方自体が、日本とは違うような気がします。例えば、新年の挨拶、새해 복 많이 받으세요、は、直訳すれば、新しい年に福をいっぱいお受け下さい、となります。ですから、年末の「よいお年を」にも使えるし、「あけましておめでとう」にもなります。新年を迎えるポスターなども年末から年始にかけて、同じものが使われています。日本のように郵便局で年賀葉書や年賀カードを売り出していますが、年内からどんどん配達してしまいます。なお、年賀状は新正に出すようです。旧正は、日本のお盆のように(お盆に当たる주석(秋夕)もあります)、帰省の機会ということであるようです。
日本もずいぶん正月らしさが失せてきましたが、それでも一夜明ければ、新しくなるという思想、飾りなども12月31日と1月1日で変えなければならないという思想は、「みそぎ」の思想の様な気がします。それが戦争責任などについての日本人の無責任さとして現れているのではないでしょうか。日本人は「終戦」で私たちは変わりました、新しくなりましたといって、自分でもそれを信じてしまいますが、他の国々の人々はそれでは納得しないでしょう。歴史観が正月の迎え方に現れている気がします。
注:原文は漢数使用、横書きのため英数に変更しました(編集部)
実際に、1929年の勅令第25号(休日ニ関スル件)が廃止され、「国民の祝日に関する法律」となっても、天皇祭日が休まされ、人々は「日祭日休業」等と称している。日本の時間は天皇に縛られているのである。
「日本人」と「外国人」「高校無償化」からの外国人排除
昨年の参議院選挙から続く排外主義。これも「万世一系」天皇主義と無関係ではないであろう。
「日本人」と「外国人」の区別は何か。この町で生まれ育っても、血統主義国籍法を持つ日本では日本国籍は得られない。現在、「出入国管理及び難民認定法及び出入国管理及び難民認定法第二条第五号ロの旅券を所持する外国人の上陸申請の特例に関する法律の一部を改正する法律案」が衆議院で可決され、参議院で審議中である。「外国人」とされる者は入管の定める在留資格と在留期間の中で滞在しなければならない。例えば大学に入学して「留学」の資格を得ても、必ずしも在学年限の4年の在留期間を得られるわけではない。結婚で「日本人の配偶者等」の資格を得ても6月から始まる短い期間が与えられる(「偽装結婚」と考えているか?)。「外国人」は、この期間の切れる前に「更新」をしなければならない。その手数料を1万円から一挙に10万円、永住許可の場合は1万円から30万円に変更しようというのが、この法案である。
高校「無償化拡充」の名の下(実はそれも公立高潰し、私学資本援助、もしくは私学統制に他ならないのだが)、2026年度から「高等学校等就学支援金の支給に関する法律の一部を改正する法律」が施行された。
この法は、2010年、「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び高等学校等就学支援金の支給に関する法律」として成立した。
その目的は国際人権規約社会権規約13条2(b)の「中等教育は,すべての適当な方法により,特に,無償教育の漸進的な導入により,一般的に利用可能であり,かつ,すべての者に対して機会が与えられるものとすること」に日本が付した留保を解除し、無償教育をめざすものであった。しかし、2013年、安倍政権は「公立高等学校に係る授業料の不徴収及び」を削除し、有償原則を復活させた。しかもこの間、朝鮮学校を排除するなど、その運用において大きな問題を含むものであった。
今回の改悪法は、旧法第1条の「教育に係る経済的負担の軽減を図り、もって教育の機会均等に寄与することを目的とする」という「無償化」の趣旨(機会均等)を廃し、「我が国社会を担う豊かな人間性を備えた人材を育成するため、高等学校等における教育に係る経済的負担の一部を社会全体で負担」することが目的であると変更している。
さらに許しがたいことは、第3条(受給資格)の「高等学校等に在学する生徒又は学生」の下に「(日本国籍を有する者、・・・特別永住者又は・・・永住者の在留資格をもって在留する者その他これに準ずる者として文部科学省令で定める者に限る。)」を加え、この結果、全国の300万高校生は、3ページにわたる記入欄と2ページの「記入上の注意」と「留意事項」のある「高等学校等就学支援金 受給資格認定申請書」を提出しなければならない。申請書の最初にはこうある。
(次の事項を必ず確認の上、両方の□にレ印を付けてください。)
□ この申請書の記載内容は、事実に相違ありません。
□ この申請書に虚偽の記載をして提出し、就学支援金の支給をさせた場合は、不正利得の徴収や3年以下の拘禁刑又は100万円以下の罰金等に処されることがあることを承知しています。
このような脅しから始まる申請書があるだろうか。1ページ目の名前や住所、在学している学校の記入はともかく、2ページ、3ページは「生徒の国籍・在留資格・在留期間について」ということになり、日本人の場合、「(1) 生徒本人の国籍を以下のとおり申請します。」で、①「 日本国」にレ印を付けた場合、そこで終わる
②「 日本国以外」の場合、次のように分かれ、詳細を記入していかなければならない
③ 特別永住者
④ 永住者
⑤ 日本人の配偶者等 在留期間(満了日) (西暦) 年 月 日
⑥ 永住者の配偶者等 在留期間(満了日) (西暦) 年 月 日
⑦ 定住者 在留期間(満了日) (西暦) 年 月 日 日本国に永住する意思の有無 □はい(あり) □いいえ (なし)
⑧ 家族滞在 在留期間(満了日) (西暦) 年 月 日
日本国の小学校の卒業の有無等 □卒業した □卒業していない 小学校名 所在地(都道府県)
日本国の中学校の卒業の有無等 □卒業した □卒業していない 中学校名 所在地(都道府県)
日本国で就労する意思の有無 □はい(あり) □いいえ (なし)
そして、
①「個人番号カードの写し(コピー)」
②「住民票の写し(市町村の発行したもの。原本、コピー不可」(国籍が「日本国以外」の生徒:国籍・在留資格・在留期間等が記載されたもの)
③「特別永住者証明書の写し(コピー)」
④「在留カードの写し(コピー)」を添付、家族滞在の場合は、さらに「日本国の小学校の卒業証書の写し又は卒業証明書」「日本国の中学校の卒業証書の写し又は卒業証明書」を添付しなければならない。
正に「外国人あぶり出しである」である。日本国籍の生徒については「高等学校等就学支援金オンライン申請システム e-Shien」というものを準備し、「オンラインによる申請が可能です」というが、このシステムは破綻している。
2025年度学校基本調査によれば「高等学校 全日制・定時制」の「外国人生徒数」は2万0864人である。高等学校在学者数287万3619人の0.7%にも満たない。しかも、この「外国人生徒」の大多数は支給の対象となる特別永住者又は永住者である。明確に支給対象外とされた「留学」の在留資格で在留する15歳から17歳の外国人数は4334人である(2025年6月末現在)。「留学」の在留資格で在留する者にかかる予算を私立の支給上限額45万7200円で計算しても約15億円にも満たず、「無償化」全体の予算額6174億円の0.2%に過ぎない。
かたや日本人が海外に出ていかないとして71.7億円もかけて「トビタテ!留学JAPAN」という事業を行なっている。日本の高校に留学生が来てくれることは、はるかに多くの生徒が国を超えた友情を育むことになるではないか。海外に友人を持つことはその国と戦争できなくなるので不都合だと言うのだろうか。支給の認められる「家族滞在」の生徒が、親が退去強制させられて1人で日本で暮らすようになったり、就職等に備えて働く事のできる在留資格への切り替えがスムースな「留学」に切り替えると支給の対象から外されることにもなる。
わずかな「外国人」をいじめるために、ここまで大がかりな制度を作らなければならないのか!就学支援などと名乗るのもおこがましい。中学卒業後、日本人生徒の半分にしかならない外国人生徒の進学率を向上させることこそ、なすべきことであろう。
この悪法は直ちに廃止にしなければならない。
天皇制・国家神道の下での権力により強制された擬似共同体でなく真の民衆の共同体を取り戻さなければならない。
*本稿の一部は「即位・大嘗祭違憲訴訟の会NEWS 第28号に掲載しました
