高市政権が大日本帝国回帰をめざす「昭和100年」に反対する

乗松聡子

カナダに移住して30年になる私は今、日本に滞在中である。老人ホームにいる母と少しでも頻繁に会いたいので、なるべく日本にいられる時間を長く持とうとしている。それもあって、日本にいる時間を有効に使おうと思い、先日あるスポーツジムに入会した。無料体験して、相手のセールストークに進んで乗せられて、短期解約してもそんなに損にならないと判断して入会したのだが、ひとつびっくりしたことがあった。手書きで記入する入会フォームの生年月欄には西暦で記入していたのだが、いざ会員登録となると相手はタブレットに入力しなければいけないようで、「昭和、とかですと、何年になりますか……」と聞いてきた。なんで西暦ではダメなんですかと聞いたら、どうやら入力の設定が「元号」しかないらしい。西暦入力ができないのだ!!

スポーツジムだから生年月日を入力させるのは、その人の年齢に合った運動を勧めるためという目的もあるだろう。しかしこの会社のシステムは、年齢計算が一番単純なはずの西暦ではなく、わざわざ換算しなければいけない「元号」のみを使っているのかと思い、唖然とした。ここまで来たら宗教だ。いや、実際宗教か。日本はまだ国家神道が根強く残っているのか。しかし申し訳なさそうに「昭和とか……」と聞いてきたスタッフも気の毒だ。21世紀生まれにしか見えないこの子にとって「昭和」とは単に「年配者の記号」でしかないのだろう。自分にもなんだかわからない記号をこうやって入会者に強要させられているのだ。

私の住むバンクーバーでは、日本総領事館で何かの手続きをしなければいけない人のために、記入コーナーに「いま(元号)何年です」という大きな表示がある。ちょうど、記入しながら「あれ、わからない」と思って顔を上げたその瞬間で目に入る位置にあるところが、妙に気が利いている。カナダで暮らしている日本人は元号を見かけることは滅多にないから、領事館という日本空間に来ていきなり遭遇するのだ。それでも、行政の手続きで元号使用の拒否は法的に可能だ。しかしそれが日本に来ると雰囲気が一変する。生活の中で、元号でいま何年なのかが言えないと「おかしな人」みたいな目つきで見られる。記入用紙に「大正・昭和・平成」といった選択肢が出てくると「そんなの知るか!」という思いで、横線を引いて西暦に書き直す。しかしそれさえ許さない私企業が存在するとは!!! 日本に来る中国人は日本を、「いまだに元号やハンコを使うレトロな国」と、面白がると聞いたことがある。このような習慣のおおもとである中国が帝政を排して一世紀以上経った今、日本だけが天皇時計にしがみついているという滑稽さがある。

スポーツジムの体験から、日本人の天皇頭てんのうあたまは健在どころか悪化しているのではないか?と思った。それを証拠に、いま、「昭和100年」なる概念があると聞いた。概念どころではなく、内閣官房のサイトに「昭和100年ポータル」というページがあった!今年4月29日に、日本武道館で「昭和 100 年記念式典」をやるのだそうだ。「令和8年に昭和元年から起算して満 100 年を迎えることを記念し、 激動と復興の昭和の時代を顧み、将来に思いを致す機会となるよう、下記により、昭和 100 年記念式典を挙行する」とあり、「衆・参両院議長、衆・参国会議員、国務大臣、最高裁判所長官・判事、地方団体代表、各府省、民間各界代表」が参列し、「全額国庫が負担する」ことが、25年11月28日に閣議決定されている。私はちょうど中国旅行から帰国した日で、高市首相が中国を挑発した「台湾有事“存立危機事態”」発言に対する危機感の高まりの中にいて、「昭和100年」の報道は全く見えていなかった。

これはとんでもないことである。4月29日はヒロヒトが生まれた日で、ヒロヒトの天皇在任時は「天皇誕生日」として祝日であった。ヒロヒトが死んだ後もなぜか「みどりの日」という意味不明な祝日として残り、2005年の祝日法改正で「昭和の日」となったという。ここからして時代逆行だったのである。ヒロヒトは、大日本帝国憲法下で大元帥として軍を統率する存在であった。近隣諸国、アジア太平洋全域において何千万もの人々を殺し、傷つけ、奪い、焼き尽くした侵略戦争と植民地支配に対する最高責任者であったのだ。そのヒロヒトが戦犯裁判も処罰も受けず、「天皇」であり続けたのは米国の反共戦略に基づいた占領政策のせいであった。そのヒロヒトの誕生日を祝うのは、アドルフ・ヒットラーの誕生日をいまだに祝っているネオナチと同じである。それを、戦争を反省した新憲法で生まれかわった(はずの)日本政府として行うとは信じがたいことだ。現在の天皇のナルヒト夫妻を出席させるであろうことは目に見えている。

これは2013年4月28日、当時の安倍晋三首相が行った「主権回復の日」式典を想起させる。サンフランシスコ条約によって沖縄が切り捨てられ米軍の支配下に残されたことから、沖縄では「屈辱の日」と言われている日を祝うとは何ごとかと、当時は、沖縄を含む全国から大きな批判が出ていた。それでも政府は税金を使って決行したのである。三権の長と多くの国会議員、都道府県の長などが参加し、アキヒト夫妻を呼んで行った。この式典で事件が起きた。終盤で、アキヒト夫妻が退席するとき、何者かが「天皇陛下万歳!」と叫び、壇上の安倍首相をはじめ参列者の多くが万歳三唱をしたのである。これは式次第にはなかったようだが、主催者の安倍首相が、待っていましたといわんばかりでブルンブルンと手を振り、万歳三唱をやっていたところを見ると、あらかじめ計画されていた可能性もある。実は、この式典は、国会議員の半数近くが欠席していた、「国論を二分する」式典だったのである。これに懲りたのか、その後日本政府は二度とこの「主権回復の日」式典を行うことはなかった。

天皇誕生日は、戦前は「天長節」と呼ばれていた。明治天皇の誕生日は11月3日だったが、死んだときやはり「明治節」として残り、戦後「文化の日」として祝日として維持され、現在にいたる。1946年11月3日は「憲法公布の日」であったが、明治天皇の誕生日を敢えて憲法公布の日としたことは国家神道と決別できない日本を象徴していた。この日も結局ヒロヒト中心に回った日となる。この日ヒロヒトは、国会で「本日、日本国憲法を公布せしめた。朕は国民と共に、全力をあげ、相携えて、この憲法を正しく運用し、節度と責任とを重んじ、自由と平和とを愛する文化国家を建設するように努めたいと思う」と宣言し、吉田茂首相は「私どもは全力をあげ、相携えて聖意に沿い奉る覚悟でございます。ここに謹んで奉答申し上げます」と応答した。「聖意に沿い奉る覚悟」という言い方は、「現人神」とされた存在から人間に戻り、新憲法においては「国民統合の象徴」となったヒロヒトに、国民の代表である内閣総理大臣が言う言葉としては甚だ不適切であった。法の下に平等な人間同士の会話ではなかった。

おまけに同日東京都主催の祝賀式典が宮城前で開かれ、吉田の音頭で「天皇陛下万歳三唱」をやったのである。新憲法公布初日から日本は違憲状態の下にあったとは言えないか。そのうえ11月3日をふたたび「明治の日」併記とするよう祝日法の改正を、自民、維新、立憲、国民、参政などの超党派で、「明治160年」にあたる2028年の施行を目指しているという。この「明治の日」は「国旗損壊罪」と並び、高市首相の悲願であるようだ。いったいどこまで時計の針を戻すつもりか。政府は「昭和100年」だけでなく「明治160年」まで祝おうとしているらしい。完全なる「天長節」の復活を目指しているように見える。高市政権は大日本帝国再建を目指しているのだ。

「昭和100年」の記念行事は、昨年の「敗戦80年」など、敗戦から何年経ったかという数え方を塗り替える作用も果たしてしまうと思う。昨年、敗戦80年にあたり、当時の石破首相は、不十分ではあったが最低限、戦争への「反省」を語った。これを、侵略戦争を否定し靖国神社を肯定する高市首相が「昭和100年」でホワイトウォッシュ(洗浄)しようとしているのではないか。ヒロヒトが天皇になったときから100年たったということには本来何の意味もなく、天皇時計に支配された日本人の天皇頭の中にある節目に過ぎない。しかし海外から見たら、戦争責任者ヒロヒトと、その戦争の時代を賛美する行為にしか見えないであろう。ナチス・ドイツ成立100年にあたりドイツ政府が記念行事をしたらと思えば、容易に想像がつくだろう。そんなことが許されるはずはない。

政府は「激動と復興の昭和の時代を顧み、将来に思いを致す」と言っているが、「激動」とは戦争を指すことに他ならない。日本が自ら始めて、破滅をもたらした戦争を「激動」などといって、地震か何かの天災のような扱いをしている。日本による被害国からみたら、冗談じゃないと思うだろう。大日本帝国による大虐殺、強姦、強制連行、略奪、破壊行為はすべて天皇の名の下に行われたのだ。「復興」とやらについても、日本が植民地支配した朝鮮が分断され戦場となった朝鮮戦争を踏み台にして経済大国になったことを忘れてはいけない。

このような歴史観に通底するのは、よく言われる「先人たちの苦労があったから今の繁栄がある」という考え方だ。毎年8月15日に開催される「全国戦没者追悼式」でも首相が「今日の我が国の平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたもの」と、判で押したように語る。「平和と繁栄」を自ら壊したのは日本の戦争である。「戦没者」は死なないほうが良かったに決まっているし、日本の侵略戦争の中で奪われた命が何かの役に立ったわけではない。九段にある国立の博物館「昭和館」も「薄れゆく戦争の記憶や戦中・戦後の国民生活上のご労苦を次世代に語り継ぐ」と言っている。日本人の苦労話だけを記憶し、侵略戦争も植民地支配も語らない、歴史改ざん博物館だ。「昭和」と名の付くものにロクなものはない。

いまのところ「昭和100年」に対する反対の声はあまり聞こえてこない。いま、「天長節」を復活させる動きに抗うときこそ、「上海天長節爆弾事件」を思いだすときではないか。日本の満州侵攻後、「第一次上海事変」といわれる1932年1月28日以降の侵略戦争に「勝利」した祝いとして、同年4月29日に「天長節」祝賀会が上海の虹口公園で開かれた。この催しで「君が代」を歌い始めたタイミングで、同地の大韓民国臨時政府の命を受けた尹奉吉(ユンボンギル)義士が爆弾を投げ、日本の軍官民要人7人が死傷した事件である。尹奉吉は、たった一人で、祖国を奪った天皇制に闘いを挑んだのだ。朝鮮人なら知らぬ人はいない独立の英雄である。事件現場は現在、上海の魯迅公園の一角に、尹奉吉記念館としてその歴史を継承している。日本でも、尹が銃殺刑に処され埋められた金沢市の墓地内に「尹奉吉義士暗葬地跡」として保存され、日本人からも尊敬を受ける存在だ。

絶望的な植民地支配下でも朝鮮は闘い続けていたのである。いま、戦後の民主憲法を手にしている日本市民は、非暴力の方法で軍国主義の復活にいくらでも抵抗ができる。言論、集会、表現の自由を使って戦前回帰に歯止めをかけなければいけない。選挙で極右政権を追い落とさないといけない。

大日本帝国への逆行に抗い、「昭和100年」に反対しよう!

2026年4月1日

 

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