松葉祥一

駒込武、高木博志編『国家神道の現代史 天皇・神社・日本人』(東京大学出版会、2025年)
「小学校の修学旅行は、どこに行った」と聞くと、筆者と同世代(70歳前後)の関西出身者の多くが「お伊勢さん」と答えるだろう。距離的に近いからだろうと思っていたが、本書によればかつては東京でも同じだったようだ。国家神道を定着させるために「参宮旅行」がなかば義務づけられたのだ。本書の出版記念シンポジウム(2025年11月1日大阪)でも、当時の参宮旅行の実態や、行き先を伊勢から広島に変更させた教員たちの闘いなどについての発言が会場から相次いだ。それにしてもなぜ伊勢への修学旅行は戦後も続いたのだろう。国家主義イデオロギーの教育を禁じたGHQの「神道指令」(1945年)は、伊勢旅行を禁止しなかったのだろうか。本書は、こうした国家神道のシステムがどのようにして形成され、戦後どのように生き延び、現在復活しつつあるのかを、史料の裏づけによって明らかにしてくれる。
第1部「国家神道と皇室祭祀と神社」では、皇室祭祀と神社を結びつけることによって、どのようにして国家が伊勢神宮を頂点とする国家神道のシステムを作り上げていったのかが明らかにされる。第2部「国家神道と学校教育」では、この国家神道を有効に機能させるために、学校教育のなかで修学旅行、唱歌、教育勅語、御真影などの装置が機能してきたかが明らかにされる。第3部「国家神道と象徴天皇制」では、国家神道が現代においてどのように存続しているのかが、大嘗祭を軸にして明かされる。以下では編集部の求めに応じて、各章の内容を少し詳しく見ていきたい。
国家神道とは何か

図1
歴史学のなかでは、国家神道という概念を使うことに批判があるという(「総説」)。なぜなのだろう。戦前の神道学者が定義した、神道の一形態としての狭義の国家神道に対して、ここで使われている国家神道は、「皇室祭祀」と「神社神道」が結合し、市民社会や学校教育を巻き込んだシステム全体を意味する広い概念であり(図1 「 国家神道体制」参照)、したがって狭義の国家神道と比べて曖昧だというわけである。広義の国家神道は、神道の一形態というよりも、宗教的要素と非宗教的要素、さらにどちらとも判別しがたい要素を縒り合わせることで、「人間の繊細な領域にまで入り込む侵襲性と、帝国ニッポン支配下すべての住民を標的とする一般性を同時に備えるものであった」(p.9)。
しかし、われわれが現代まで続く天皇制の本質を批判的に解明しようとするとき、むしろこのような広義の国家神道概念こそ、重要な手がかりになるだろう。なぜなら、それは分析的視点というよりも綜合的視点を提供してくれるからだ。私が、国体概念の分析を行った際も、国体概念の宗教的側面、倫理的側面、政治的側面の重層性を指摘した 。丸山真男が言うように、この国体-天皇制の「とらえどころのなさ」こそが、日本型ファシズムや超国家主義のイデオロギー的な基盤である。「国体」は、明確な法規範や政治的原理ではなく、むしろ「権威と規範、主体的決断と非人格的『伝統』の拘束が未分化に結合」 したものであり、この曖昧さによってこそ、「天皇=国家」が絶対的な精神的権威として機能し、論理的な批判や二者択一的な選択を許さない「包容性」と「無限定性」を持ちえたのである。国体がその政治的な面の強調であるとすれば、国家神道体制はその宗教的な面の強調であり、両者は表裏一体である。こうした天皇制の本質と効果を明らかにするためには、その全体を綜合的、布置的にとらえる視点が不可欠である。その意味で私は、本書のテーマ設定に賛同したい。
皇室祭祀と神社
最初に必要だったのが宮中祭祀と神社神道の接合である(第1章)。その第一の画期となったのが、1869(明治2)年に行われた明治天皇の伊勢参拝である。この国家儀礼によって天皇が天照大神の末裔であるという神話が確立した。これによって2年後の「神宮改革」が、天照大神を祭神とする伊勢神宮の内宮を、全国の神社の頂点に位置づけることができたのである。そして式年遷宮と神宮大麻(おふだ)によってこのシステムが浸透していった。たとえば神宮大麻は、第二次大戦終戦の時点で96%以上の世帯が毎年購入していたという。第二の画期が1929(昭和4)年である。満州事変の2年前のこの年、濱口雄幸首相が、内閣総理大臣として初めて遷宮儀礼に参列したのだ。それとともに、遷御当日を「大祭日」と定めて、メディアに大々的に報じさせ、全国の神社に遙拝式を行わせ、全国の青年団、小学校、中学校、幼稚園、図書館に奉拝式を行わせた。これが国の全体主義化を促進し、戦時体制を準備したのである。第三の画期が2013(平成25)年である。この年の遷御儀礼に、内閣総理大臣安倍晋三が戦後初めて参列し、伊勢神話に再び国家的な意義を与えることになったのである。この時の安部の行為に対してメディアによる批判はほとんどなく、以後、首相の新年参拝は慣例化することになった。
ただ、こうした国家神道化には抵抗もあった。一方は、憲政原理としての政教分離原則からの抵抗である。これを回避するための論拠として用いられたのが、神社は宗教ではないという「公の宗教論」である。その起源は、明治政府の公式見解にあるとされることが多いが、むしろ神社界からの下からの動きにあった(第2章)。もう一方が、「理念としての天皇」を根拠とする抵抗である。それは、たとえば北一輝や青年将校、大本教にみられる天皇を革命原理とする立場である。これは国家神道体制にとっては脅威であり、弾圧の対象となったが、現代では、この理念としての天皇が「あこがれの中心」としての天皇という形で復活し、国体存続を目指す「過剰同調的な精神システム」の基層となっている(第3章)。
学校教育のなかの国家神道
こうして形成された宮中祭祀と神社神道の連接を下支えしたのが、マスコミや、地域社会、学校教育といった「イデオロギー装置」(アルチュセール)であった。しかし、政府も当初は政教分離原則に配慮して「敬神」を教育の前面に押し出すことは避けていた。小学校向けの修身の教科書の変遷をみると、当初は「敬神」と「崇祖」が切り離されていたが、徐々に教育勅語に内包されていた敬神の要素が前面に押し出されるようになっていった(第4章)。その契機となったのが文部省編纂の『国体の本義』(1937年)であり、そこでは神社や神を崇敬することを「国民的信仰」と位置づけ、敬神が国民道徳の絶対的な基軸となっていた。
こうして日常的な学校生活や祝祭日(1月1日、紀元節、天長節)などの儀式において、「御真影」や「教育勅語」や唱歌が、天皇・皇室崇敬のための「厳粛」な空間を形づくるようになっていった(第5章)。またこうした尊崇と厳粛さは、帝国日本の「辺境にして最前線」である北海道、宮古・八重山、台湾、朝鮮でも強制された。しかも、そこには御真影を下賜しないなど、制度上からの「あらかじめの排除」があった。
この国家神道への学校教育の組み込みを示す典型的な例が、伊勢への修学旅行だった(第6章)。1910年代にはすでに伊勢への小学校修学旅行が定着していたが、その後行政による公的補助などによって1939年のピーク時には、東京府の児童の約8割が内宮を参拝したという。戦後、GHQの「神道指令」にもとづいて、学習指導要領(1949年)で、学校が主催して宗教的施設を訪問することは禁じられたが、その直後に「文化財を研究したり、その他の文化上の目的をもって訪問すること」は許可されたのである。
国家神道体制を解体するために
第三部の著者三人は「京都主基田(すきでん)抜穂(ぬきほ)の儀の違憲訴訟」の学者証人である。この訴訟は、2020年、京都府民12名が、2019年の大嘗祭に関わる儀式(主基田(すきでん)抜穂(ぬきほ)の儀や大嘗宮の儀)に、京都府の西脇隆俊知事らが、公金により公務として参加したのは、憲法が定める政教分離原則に違反するとして、公金の返還を求めて京都地裁に提起した住民訴訟である。現在上告中のこの裁判で問われているのが、まさに政教分離の原則である。
皇室祭祀の中でも大嘗祭は、記紀神話にもとづいて新天皇が天照大神の孫であるニニギノミコトとして再生するとされる核心的な宗教的行為であり、そのことは踏襲されている儀式次第から明らかである。それにもかかわらず政府は、大嘗祭はたんなる「農耕儀礼」だと強弁し、「神かくし」を行っている(第7章)。
では、政教分離原則は何のためにあるのか。1930年代に帝国日本の全域で、つまり植民地支配下にあった韓国や台湾においても、学校教育を通じて愛国心と忠誠心をうながす神社参拝が強要された。これは、個人を孤立させ、画一的なイデオロギーで動員しようとする全体主義の論理にほかならない。政教分離原則とは、こうした全体主義から個人を解放し、宗教的・民族的マイノリティへの政治的迫害を排除するための規定である。それにもかかわらず「社会的儀礼」という曖昧な概念によって政教分離原則を破壊することは許されない(第8章)。
現行憲法の政教分離原則を理解するためには、その出発点となった「神道指令」と関連文書を逐条的に読んでおく必要がある。その結果わかるのは、国家神道の危険性は神道そのものではなく、国家と神道との結合に由来すること、したがって国家は皇室祭祀を含む神道と最大限距離をとることが要請されるということである(第9章)。
本書は、学術論文集の形式をとっているので、手にとることを躊躇する方があるかもしれない。しかし、記述は明快であり、また確かな史料にもとづいているので国家神道体制を解体するための確かな論拠となるだろう。本書の方向性は、はっきりしている。「神道儀礼を媒介とした政治的規律化の仕組み、すなわち国家神道体制を解体する作業は、現代を生きる私たちの権利であると同時に、責務でもある」(p.265、傍点松葉)。そして、この責務は、神道政治連盟所属の議員を多数起用し、戦時体制づくりに向けて国家の全体主義的再編を目指す高市政権の下で、ますます重要性を増している。
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駒込武・高木博志 編『国家神道の現代史──天皇・神社・日本人』、東京大学出版局、2025年8月、ISBN:978-4-13-023085-8、5,720円(本体5,200円+税)
松葉祥一「国体の亡霊を追い払うために」、『季刊ピープルズ・プラン』、88号、2020年6月10日、pp. 39-53。
丸山真男『日本の思想』岩波新書、改版2018年、p. 39。参照、丸山真男『現代政治の思想と行動』、未來社、新装版2006年。
