愛子は11月17日から22日まで、東南アジアの「社会主義国」ラオスを訪れた。訪問は、今年が日本とラオスの国交樹立70年にあたるからと、5月に発表されていた。ラオス側から招待を受けたとのことだった。ラオスには徳仁も皇太子時代の2012年に訪れている。
愛子にとって、初めての「海外公式訪問」だと、メディアはいつも以上にボルテージを上げて大報道を展開した。
「『1号隊員』感慨 今や全土に実り/愛子さま ラオスに/海外協力隊活動 皇室連綿と見守り/初の海外公式訪問」(『毎日新聞』朝刊 11/18/2025)、「『不発弾なくなること期待』/被害紹介施設を視察/愛子さまラオス訪問」(『読売新聞』11/20/2025朝刊)等々等々……
新聞各紙は連日、愛子の同行を写真付きで報じた。異常な力の入れようは、帰国後の報道ぶりにも表れた。
『読売』、『産経』や『毎日』は、グラフ特集の特別紙面まで作っている。
23日付の『読売』は「悠久の絆 広がる笑顔/愛子さま ラオス訪問」と題し、一つの紙面全面を使った。『産経』は翌24日に、現地語を使って「サバイディー愛子さま」と見出しに掲げ、「こんにちは」とふりがなを振った。『毎日』は帰国から1週間近くも経った(!)28日に、「友好の笑顔 ラオスに咲く」だ。
一皇族の動向にしては異例の扱い。なぜ、これほど力が入っているのか。
『毎日』は18日夕刊に、「良好関係のメッセージ/愛子さま初の海外公務 ラオスの理由/歴史研究者が語る背景」と掲げる記事を載せた。リードにはこうある——、
国際親善訪問のデビューがどの国になるのかメディアの注目が集まる中、宮内庁は5月にラオスと発表した。記者の頭に最初に浮かんだのは『なぜラオス?』という疑問。どんな国かもよく知らない。
同社記者の山田奈緒が、ラオス近現代史を専門に研究する東京外国語大教授の菊池陽子に取材した内容をまとめたものだ。
菊池は10月31日、愛子にラオスの歴史を「進講」したという。徳仁と雅子も同席したようだ。
記事によると、今年は外交関係樹立70周年の「節目」だが、50周年や60周年のころと比べてラオスで日本の存在感が高まってきたかというと、そうとも言えないという。記事は「日本の援助は、1990年代から00年代初めにかけての方が今よりもっとラオスにおける存在感が高かったように思います。他国の影響力の高まりに押され、相対的に日本の存在感は薄まっています」と菊地の見方をまとめている。菊地自身、「現状だけを見れば、『なぜ今、ラオス?』とも思う」と疑問を抱いたようだ。
この間、ハヤリの「慰霊の旅」ではない。
日本軍は第二次大戦下の1945年、「仏印処理」の過程でラオスを数カ月間、支配した。菊地の論稿「ラオス・日本関係の一考察 —第2次世界大戦期を中心に—」(『アジア太平洋討究』no. 20)などによると、日本とラオスの関係は「日本の戦争遂行上の必要性から始まった」もので、「対等の関係とは言えず、そこには支配—被支配の関係が横たわっていた」。「日本軍の蛮行はラオス人の耳にも届いて」いて、殺戮、暴行などを恐れたラオス民衆は、道路建設のための労働力の提供や食料の徴発など、日本軍の要求に応じざるを得なかった。ただ、ラオス民衆の被害実態の詳細な解明はいまだに研究途上のようだ(「ラオス史の中の『日本』」(『アジア太平洋討究』no. 31=https://www.jstage.jst.go.jp/article/wiapstokyu/31/0/31_31/_pdf)、「日本軍のラオス南部進駐 —仏印武装処理後のパクセを中心に—」(『東京外大 東南アジア学 Southeast Asian Studies TUFS 』no. 25)等)。
先の『毎日』記事も「第二次世界大戦末期には日本軍の占領、戦後はフランスの再植民地化があり、53年にラオス王国が独立しました」と、戦時中の日本との関係はあっさりと触れるだけ。
代わりにメディアは、ベトナム戦争中の不発弾の被害に“関心”をもつ愛子の動向に注目した。滞在中、愛子は、米軍のクラスター爆弾の残骸や、不発弾で手足を失った被害者の写真などを展示した「コープ・ビジターセンター」を訪れた。
自らのやったことを棚に上げて、他者の加害をあげつらうことほど簡単なことはない。米軍の行為であるという既知の大枠に触れるだけで、新たな事実を明らかにするわけではないので、社会に大きな波紋を呼ぶことはない。米政府に加害者としての責任を追及するのではなく、被害感情を慰撫するためだけの“関心”であるなら、ご主人様の機嫌を損ねることはない。もちろん、加担した日本国家の責任を問うことなど、端から頭にないだろう。
不発弾と言えば、放置された地雷の被害を訴え、その廃絶に取り組んだともてはやされた英国王チャールズの前妻ダイアナを思い出す。案の定、メディアは飛びついた。
「『地雷から子供たちを守る』/ラオス訪問 お手本はダイアナ妃」(『女性自身』12/02-09/2025)などと。
またサル真似か! スキャンダルも含め、様々な面で英国王室を参考にし、その作風の後追いを続ける日本の天皇制だ。政治的な言動を繰り返し、政治関与を強めることにも、これまで以上にためらいがなくなってきている。
日本社会は、高市政権を登場させるまでに右傾化が進んでいる。その下で、より加速する日本国家の軍事化。いずれ日本の天皇制も、王子らが軍人として軍の演習に参加する英国のように、“ノブレス・オブリージュ”などと自己満足に浸って自衛隊=軍との結びつきを見せつけるようになるのだろうか。
▽「中国寄りの大陸国家」
『フォーリン・アフェアーズ・レポート』は11月号で、スザンナ・パットンによる「二つの東南アジア——大洋国家と海洋国家の分裂」と題した論稿を載せ、政治的、経済的な米中間の競合が強まる中での東南アジア政策をトランプ政権に提言している。筆者のパットンの肩書はオーストラリアのローウィー研究所の東南アジアプログラム・ディレクターとある。
論稿では、東南アジアを、「カンボジア、ラオス、ミャンマー、タイ、ベトナムなどの中国寄りの大陸国家」と、「米中間のバランスをとるインドネシア、マレーシア、シンガポールなどの海洋国家」の二つの国家集団に分け、今後、「大陸部東南アジアは中国の事実上の勢力圏に」なり、「この地域での米中バランスは、今後、ベトナムとタイとの関係に左右される」と分析。「国際的な関与を縮小しようとしているアメリカにとって、この地域(東南アジア大陸部)での中国との競争をやめるという決断は理にかなっているかもしれない。/しかしワシントンは、こうした取り決めが招き入れる帰結に注意しなければならない。東南アジアにおける自らの立場を損ないたくないのなら、北京の勢力圏の周辺に位置するベトナムやタイとの関係を強化すべきだ」(()内は筆者)とトランプに注文を付けた上で、「ベトナムとタイとの関係を強化することで、アメリカは東南アジアの海洋国家の開放性を維持し、中国のアジア支配を阻む自然の障壁作り出すとともに、インド太平洋地域におけるアメリカの利益を広く守れるようになる」と強調している。
論稿にラオスに関する言及は少なく、パットンの見方の中では、アメリカの東南アジア戦略の中でラオスの位置づけは高くないのかもしれない。ただ、中国は「一帯一路」構想を通じて東南アジア地域全体で「新たなインフラ巨大プロジェクト、特に鉄道建設への融資を提供してきた」と指摘。2021年には、中国南部とラオスの首都ビエンチャンを結ぶ鉄道ルートが完成し、「この路線をタイやマレーシアのプロジェクトとつなぎ、シンガポールと中国の昆明を結ぶ鉄道網を確立すること」が中国の最終的構想だと見通すなど、ラオスと中国の関係の深まりにも注意を促している。
トランプ下であろうがなかろうが、アメリカの東南アジア戦略が、台頭する中国との間の緊張、競合関係を抜きにして構築されることはなかろう。
アメリカの世界戦略を補完し、対中包囲の一環の任には率先して馳せ参じるのが下僕日本の行動様式の基本だ。虎の威を借るナンチャラのごとく、ご主人様のご機嫌を取ろうと居丈高に殴りかかったところ、執拗に続く挑発に耐えかねた相手が突然、牙を剥き、それに脅えて「キャンキャン」と泣き喚く。「台湾情勢」に関する高市発言をめぐって起きている日本国家、社会の反応は、こんなふうに描けるが、こうした状況を生み出す構造は、高市政権下で今後、強まることはあっても弱まることはなさそうだ。
トランプ政権による「大陸国家」への関与は少々、手薄になっている。ならば、下僕の我こそが、「大陸国家」の「中国寄り」の姿勢をけん制するべく「良好関係のメッセージ」を発して橋渡し役を務め、ご主人様の負担を和らげよう。ただ、天皇陛下にお出ましいただくまでの相手ではない。そんなところが、愛子のラオス訪問の背景ではないか。
あらためて一連の報道を見返すと、メディアは総体として「なぜラオス?」か最後まで分からない(分かろうとしない)まま、ゴマすり記事をまき散らしたのでは、とも感じる。否、分からなくていいのだ。そもそも真の背景、「意図」から民衆の目をそらすのが、天皇・皇室報道の役割なのだから。
先の18日付の『毎日』夕刊は、「切迫した政治課題や外交問題の解決のためではない外国との関りにおいては、皇室の方だからこそより広く双方の国民に友好や親善のメッセージを伝えることができる」との菊地の見方を伝えている。
何が何でも「皇室外交」を非政治的なモノと思い込みたい、読者、視聴者に思い込ませたい。そんなメディアの論調には、何度異議を差し挟んでもしすぎることはない。
