中嶋啓明
8月26日の『産経新聞』にこんな記事が載っていた。
第二社会面に、横組みで5段ほどの大きなスペースをとった記事のタイトルは「昭和天皇侮辱動画 氾濫/中国SNSの反日投稿 悪質化極まる」。リードはこうだ。
中国で9月3日の抗日戦争勝利80年記念行事を前に反日キャンペーンが続く中、昭和天皇を侮辱するショート動画が交流サイト(SNS)に氾濫していることが25日、分かった。中国の反日投稿の中でも極めて悪質で、同種の動画の作成・投稿が増える恐れもあるため、外務省が中国側に対応を要請すべき状況となっている。
右翼メディアによるいつもの露骨な「反中キャンペーン」かと辟易した気分で斜め読みした。
記事によると、「昭和天皇の青年期の写真とみられる画像を用いて人工知能(A I)が作成したA I生成動画」が、中国の動画投稿アプリに上がっているらしい。「A Iで生成した人物が四つんばいになって犬のようにほえたり、動いたりする動画」があり、その中には「昭和天皇が連合国軍最高司令官、マッカーサー元帥と初めて会見された日付と『マッカーサー将軍が犬をしつける貴重な映像』との文字がはいったものも」あるという。
記事は、「中国では人を侮辱する際に犬に例えることが多い」として「昭和天皇を侮辱する投稿に対しては、中国問題の研究者や外交関係者の間から『中国も行きつくところまで行ってしまった感がある』と声が出ている」と、怒り心頭な様子で書き進めている。
投稿が削除されないのは、「中国共産党政権」が黙認しているからだと決めつけ、「中国問題の専門家」として「日本維新の会」の参院議員石平を引っ張り出して「日本政府は中国政府に厳重な対処を求めるべきだ」と語らせる。
リードで「対応を要請すべき状況」と煽り立てるように、『産経』がここぞとばかりに火をつけたがっているのはミエミエだ。
これを受けて当日、官房長官の林芳正が定例の記者会見で、「中国側に適切な措置をとるよう外交ルートを通じて申し入れた」ことを明かしたらしい。
会見で産経記者がつついたのだ。中国側も、外務省報道官が同日の会見で「関連状況を調査中」と答えることを強いられた。
『産経』は、社説(「主張」)にまで取り上げた。29日の「主張」「昭和天皇侮辱に抗議する」は言う。
「こともあろうに昭和天皇を侮辱するショート動画が氾濫している」「文字にするのもはばかられるほど俗悪な内容だ」「中国の政府と国民の品性をも疑わせる」云々…。
「われこそ股肱之臣!」と言わんばかり。あまりのトランスぶりには嘲笑しかない。
『産経』報道を追いかけて、共同通信は26日、「中国、昭和天皇侮辱の動画/SNS、日本が対応要求」と題して報じた。林と中国側の会見を受け、翌日朝刊用に配信している。
『産経』が言う「快手(クアイショウ)」や共同記事にある「抖音(ドウイン)」と称する投稿アプリを見ると、裕仁がはいつくばってほえるものや、マッカーサーと並んで踊るものなどが確認できた。
共同の記事によると、裕仁を犬に模したもののほか、女子高生の制服を着て踊る動画もあるという。女性差別的な作品もあるのかもしれない。犬を愛する人にはおもしろくないかもしれないが、そこは「投稿」アプリ。玉石混交、種々雑多な動画が集まっているのだろう。
それでも、イヌのようにはいつくばり、マッカーサーにしつけられる様子とは、これ以上に裕仁の真の姿を描くものはないのではないかと感心させられる。
『産経』は石平に「中国政府にも遠慮があって、直接矛先を天皇に向けることはなく、東条英機元首相までにとどめていた。民間とはいえ、天皇を標的にするのは一線を越えたといえる」と語らせている。
1988年から89年の裕仁死去に至る過程で、海外での報道などにみられた裕仁に対する厳しい視線の数々思い出す。英大衆紙の「サン」は「地獄が極悪天皇を待っている」などと評し、「直接矛先を天皇に向け」て戦争責任を追及した。
今回の動画はそれだけでなく、アメリカの走狗と化した戦後天皇制国家をも「標的に」し、その成り立ちの原点をも的確に表現、揶揄しているように思う。
日ごろ、中国での言論統制を、先頭に立ってあげつらうのが『産経』だ。だが、そんなことはお構いなし。『産経』が自らを省みることなく調子に乗って喚き立てられるほど、政治、社会の腐敗は進んでいるのだ。
いまのところ見落としていなければ、29日現在、『産経』に追随している新聞メディアはない。
『読売』が27日紙面に、林官房長官の会見記事で触れた程度だ。
ただ、大なり小なり差別排外主義にまみれ、中国敵視の包囲網構築の一端を担っている点で、どのメディアも大差ない。いずれ他紙も後を追うことになるかもしれない。
パブロフの犬ごとく、「中国憎し」で条件反射する『産経』と異なり、『朝日』や『毎日』には、一瞬でも躊躇する“思慮深さ”を、まだ残しているのかもしれない。
だが、そんな『朝日』『毎日』からでは、こうした海外からの厳しい視線を知ることはできない。自らを棚に上げ、相手に表現規制を強要する自国政府の恥知らずな態度を認識することもできない。
メディアは、天皇(制)の戦争責任を不問にした戦後日本国家に対する、海外からの冷ややかな視線を冷静に伝えるべきだ。民衆の口をふさげと逆ギレする日本の傲慢な対応をこそ、厳しく批判、追及しなければならない。