桜井大子
今年(2025年)年5月25日の埼玉県秩父で行われた「全国植樹祭」に反対する行動参加者への弾圧が続いている。本サイトでも抗議の共同声明を転載しているが、事態はさらに動いている。デモへの暴力と妨害をやりたい放題やった右翼の申し立てででっち上げられた「傷害事件」。あきらかにその右翼の暴力的妨害の被害者であるデモ参加者がその「被疑者」とされ、秩父警察から「事情聴取」のための出頭要請が執拗に続いているのだ。詳細については当日の行動を呼びかけた実行委員会のウェブサイト「埼玉『植樹祭』反対デモにおけるでっち上げ弾圧を許さない」を参照していただきたい。
まずは植樹祭の問題について、簡単すぎるが以下で少し触れておきたい(関心のある方は本サイト「基礎情報:天皇4大行事とその他の行為」にある「全国植樹祭開催一覧」もご参照を)。
「全国植樹祭」は、「国民スポーツ大会」(2023年までは「国民体育大会」)、「全国豊かな海づくり大会」、「国民文化祭」と並ぶ天皇の「4大行事」の一つで、毎年各都道府県持ち回りで開催され、天皇が全国をくまなく回るための「巡行行事」ともいわれている。それは全国津々浦々で天皇の権威を人々に体感させる行事として機能している。なにしろ、天皇が来るとというだけで、道路や天皇が訪れる施設が整備され、厳戒態勢がとられる。天皇・皇后が「お手植え」という植樹のポーズをとるイベントでは歓迎行事が行われ、学童も動員されてきた。分単位でスケジュールが組まれ、多くのエネルギーが費やされる。「植樹祭」会場や駐車場整備のために近隣の雑木林や灌木などが伐採される問題なども指摘されてきた。開催地では、どんなに山積する課題があろうと期日までに準備を整えなくてはならない。もちろん、費用はすべて税金で、当地の財政を圧迫してきた。実際のところ、開催地では「迷惑千万」という声は少なくないのだ(本サイトの「天皇儀礼の政治--国体・植樹祭・海つくり大会」も参照ください)。
そういうわけで、「国土緑化」を名目とする、しかしそれとは無縁の天皇イベントに反対する行動は、これまでにも開催地から呼びかけられ、それに呼応する人々が集まって抗議集会やデモが行われたりもしてきた。今年5月の植樹祭反対のデモも、こうやって実現された。その結果の今回のでっち上げ弾圧である。その詳細については、冒頭で紹介した実行委員会のウェブサイトを参考にしていただき、ここでは、今回のでっち上げ弾圧について少し考えてみたい。
この弾圧に繋がる部分を少し整理すると
1 デモ出発前に、すでにデモを妨害するために集まっていた右翼と警察に参加者が取り囲まれた混乱状態のなか、右翼の「あいつに蹴られた」という一方的でデタラメな訴えを「真に受けた」警察が、右翼に指定されたその参加者に「事情を聞きたい」と参加者の中に分け入って強引かつ執拗に迫った(追いかけ回した)。もはやこの時点で異常事態であった。
2 右翼の包囲によって出発地点まで容易に進めず、30分も遅れて出発したデモでも異常な事態は続いた。デモ参加者へ襲いかかる右翼に対して、警察は一応は立ちはだかって右翼のデモ隊への侵入を阻止はするが、その行為をやめさせることも、デモから遠ざけることもしなかった。その結果繰り返された「襲撃」によって、デモの参加者は、右翼にデモの外に引き摺り出されたり、道路に転がされたり、服を破られたり、怪我を負わされた人が出た。デモ参加者が手にしていたプラカードは残らず奪われ、トラメガも壊された。警察は眼前で繰り返される明白な犯罪行為を黙認するばかりであった。
3 デモの途中では、警察によって30分以上も進行が止められた事態があった。その間、なぜテモ行進が止められているのかの説明は一切なされなかった。後で分かったことだが、突っ込んできた右翼と警察が交錯した際にその右翼が怪我を負ったらしく、それに抗議する右翼への対応に警察が苦慮していたという(しばらく停滞していた後に救急車もやってきた)。しかしそうした事態は、警察と右翼との間の問題、あるいは警察の失態であって、デモの進行を止める理由には全くならない。停滞させられている間もデモ参加者は右翼による暴言・罵詈雑言や「攻撃」に晒され続けていた。結果としてデモは予定の3倍の時間がかかった。右翼が混乱を作り出し、警察はその右翼の違法な行為を基本的にやらせ放題にして、かつ右翼の「苦情」にはデモの進行を無視して対応する、そうした状態であった。警察は、デモ参加者の正当な権利の行使を保障する責任など微塵も感じていなかったに違いない。
4 デモ解散後にも警察は、右翼の「あいつに殴られた」という勝手な言い分を受け入れ、一人のデモ参加者(デモ前に言いがかりをつけられた人とは別)に「事情を聞きたいから署に来てほしい」と出頭を執拗に求めてきた。*事情聴取・出頭要請に応じるのは任意であることはその場で警察にも確認している。しかもその「殴られたという被害者」とは、デモの隊列の中に飛び込んできてデモを妨害(攻撃)しようとした「加害者」に他ならない。またそれは何十人もの警察官が取り囲む眼前で行われた行為でもある。「事情を聞きたい」と言ってくる警察官の姿勢には呆れ返るしかない。そのような事情聴取に応じる必要などないという判断が当たり前だろう。
5 デモ当日から1ヶ月ちょっと過ぎた7月3日、埼玉県警秩父署の警察官二人が、上記4の同じ人物に、同じ理由で出頭要請の文書を自宅までもってきた。右翼の暴力にさらされ、明らかに被害者の側にいたこのデモ参加者は、ここで立場が逆転させられ「被疑者」に仕立て上げられた。
6 二度目の「出頭要請」に指定された日に秩父警察署まで出向いた当該は、「弁護士の同伴」「録音」等の「事情聴取」にあたっての条件を提示したが、秩父署はそれを認めなかった。それ故に事情聴取を断って帰ると、その翌日に再度自宅まで秩父署警察官が来て出頭要請の文書を(当該が不在だったため)ポストに置いていった(3回目)。現在4回目の出頭要請がきている。
7 出頭要請は任意のはずだが、3回以上それを拒否すると逮捕の危険性が出てくるし、5回の拒否で逮捕要件を満たすといった判例が過去にあるという。「脅し」のような話である。
警察の対応の酷さがよく見えてくるではないか。たとえば、一貫した右翼野放し状態は、警察には予想外の展開で手に負えなかったのか、それともある程度容認する方針の結果だったのか、詮索のしようもない。だが、右翼のデモ参加者への暴力行為・犯罪行為をやめさせられず、そのことへの責任を感じるどころか、あの混乱・騒乱状態の中でも、「事情聴取」を執拗に迫り続けてきたことだけはハッキリしている。
また、弁護士を同席を認めず密室の事情聴取にこだわり続ける警察には、本当にヤバイものを感じる。密室における取り調べが冤罪の温床となっていることは今では常識だ。
しかし、それにしても、明らかな違法行為を繰り返していた暴力集団のいいなりに「傷害事件」がでっち上げられ、その暴力集団の被害者が「被疑者」にさせられるとは、こんなひどい話は身近に聞いたことがない。ただ、右翼の暴力行為が作り出した街頭での混乱と、右翼のデタラメな申し立てに乗じることで成立したでっち上げ弾圧であることだけはよくわかった。右翼という暴力因子が加わることで、警察権力の対応が変わったり警察の規制の対象・目的が見えやすくなったりもするということだろう。それがわかったところで、ちっともいい話ではないが。
「天皇制に反対すると、右翼の暴力と警察の弾圧にあう」というのが、日本社会の一種の「常識」のようになっている。実際、程度の差はあるものの、今回の例のように、危険な事態に直面することも少なくない。しかしそれは、これまた「天皇制に反対する人たちだから仕方ない」という「常識」によって、その「危ない」状況は黙認・容認され、繰り返されてきたこということでもある。
無法状態を感じさせるこの天皇制・警察国家は、法治国家としては末期的で、基本的人権などおかまいなしだ。天皇制・警察国家だからそうだとも言えるだろう。ただ、この件については、今後の動きに多くの人が関心を持ち、この状況に「おかしい」の一言を発していく人が増えれば、わずかでもこの状況を変えていくことができるはずだ。そうでなければならない。
デモ実行委のウェブサイトでは共同声明の賛同も募っている。また、ウェブには新しい動きがあれば随時報告が掲載されている。ぜひ、ご注目を。