志水博子
いま、「学校」が揺らいでいる。おそらく少なからぬ人がそのように感じているのではないだろうか。日本の近代に「立ちあがった」学校は、戦時を経て「戦後の学校」となり80年が経った。学校はこの先はどうなっていくのだろうか。経済産業省が2018年に立ち上げた「未来の教室」—その事業にかかわった某官僚は、学校はこの先どうなるのだろうかとの問いに、おそらくなくなるのではと答えた。と、すると2016年内閣府が発表した「未来社会 Society5.0」にそった「未来の教室」の究極の目的は「学校」そのものをなくすことにあるのだろうか。

木村元著『学校の戦後史 新版』(岩波新書、2025年)
本書を手に取ったのは、近代の学校から戦時の学校、そして戦後の学校へ。学校は変わったのか、変わっていないのか、いやそもそも学校とは何だろう?そこから問い直したいと思ったからだ。本書には、コロナ禍の2023年度「不登校者」数は小学生は130,370人、中学生は216,113人にのぼったとある。当然のことのように学校があるという日常は崩れ、「学校にいくとはどういうことか」と日本のみならず世界の人びとが同時期に考えることになったと。
「戦後の学校」はどのような政策のもとにどのような葛藤があったのか、客観的な流れと出来事が網羅されている本書から見えてくるものは多い。それをいくつか記しておきたい。
戦後教育の最大の特徴は、教育を権利として位置づけ、教育を機会均等の原理で組織したことにある。そもそも「戦後の学校」は誰でもが行くことを前提とする近代の学校であると著者はいう。そして、それは、国内外にわたって膨大な犠牲を伴ったアジア・太平洋戦争の体験とその戦争を積極的に支えた教育への反省と同時に、民主化と平等の希求とを背景として作り上げられたとある。とりわけ義務制の新制中学校の導入は戦後学制を象徴するもっとも重要な内容の一つであったと。当時、世界でも中学校が義務制であるのは米国ぐらいであったという指摘には驚いたが、日本における政策も生活から離れた空間である学校の「長欠」をいかになくすかにあり、学校は子どもを包摂していく。ところが、その定着したはずの学校において、1970年代中頃より学校に行かない、あるいは行けない子どもの数は増加に転じ、いま、学校に来ない子どもが珍しくなくなったというのはなんとも皮肉な現象である。誰もが行くことを前提とした学校で何があったか、何が行われたか、そこが問われるべき問題ではないだろうか。
戦後の学校は、戦前、戦中の学校の反省の上に成立したとされているが、戦前に形成されていた日本の学校の土台とも言える基礎構造は、戦後社会にも連続して貫かれている。その意味で、学校の戦後史は、戦前の「日本の学校」の形式が出発点となっていると著者はいう。そこに問題があるのではないか。つまり、戦前・戦中の学校から表面的には変わっているように見えて、その本質は変わらず戦後の学校にも残り続けたことが問題なのではないか。
例えば、こんな話が出てくる。明治初年には万国史が教材に選ばれていたが、1881年にはすでに小学校の歴史の内容を日本史に限定していた。さらに1926年には名称が「国史」に改められたと。これは戦前・戦中の話。それがいま、中学の歴史教科書として「国史」という標題の教科書が文部科学省の検定に合格している。つまりここにも戦前・戦中の教育の総括が不完全であったことが表れてはいないだろうか。
また、戦前・戦時、教育の義務は、超憲法的な義務であり、天皇の「恩恵」として位置づけられていたと。教育勅語はそれを体現するものであり、天皇制のこうした枠組みに基づいて戦前の日本の義務教育は確立すると。その枠組みは形を変えただけで、いまも残っているのではないか。
著者はこう綴る、戦後、理想を掲げて新しい日本をつくっていくことの社会的な意味が人びとに共有されていた時代であったとはいえ、現実の学校は、貧困と、戦前から地続きの同質的な共同体社会の制約のなかにおかれていた、と。そして、学校をめぐる理念・制度と人びとの生活との葛藤を、障害児の学校、朝鮮学校をめぐって、開拓地の学校、沖縄の経験等をテーマとして綴る。
朝鮮学校をめぐっては、戦後唯一の非常事態宣言が発せられた「阪神教育闘争」や、1965年、当時の文部省事務次官通達として出された「朝鮮人学校は、・・各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」のおかしさが浮かび上がってくる。さらに国籍保持者に対象を限定する学校制度の問題は、そもそも「the people」を「国民」としたため引き起こされたものとの指摘を通して、結果、教育基本法下において、教育の自主性や民族教育がもつ「価値」が教育の「公共性」と相容れないものとして排されることが起きることになったと指摘する。これは現在においても重要な指摘ではないか。
学習指導要領についても1947年の「試案」からの変遷、他にはかつて女子のみが履修した家庭科への国際社会からの批判、内申書や相対評価の問題。ピザショックをめぐる学力の話。一つひとつのテーマで語られることはすべて重要であるのだが。
概観するとおかしさも見えてくる。1989年の学習指導要領において、「知識偏重の学力観を改め、自ら学ぶ意欲と思考力、判断力、表現力を重視する教育が打ち出され、「新学力観」と呼ばれる学力観の提示がありながら、この時の学習指導要領で、「日の丸」「君が代」の指導の徹底、つまり押し付けが図られた。
夜間中学の問題、オルタナティブ学校の制度化、外国にルーツを持つ子どもと学校、キャリア教育と公共性の教育、教師の専門職性についての議論も、一つひとつが意味があるとしても、では、それらが学校の改革につながっているかというと疑問である。
さて、いま最も新しい問題であり、かつ今後の公教育、学校の行方につながる問題と言えば、IT産業と教育産業が結びついた教育のDX(デジタルトランスフォーメーション)問題であろうが、そのことについては、著者は「教える」ことと「学ぶ」ことについて、次のような問題を提起する。
学校は、子どもを主体化し、主体化された成員によって社会を維持、発展させることで、個(子ども)と社会をつなげている。社会の要請が強い場合、子どもが主体化するための働きかけが抑制され、社会への従属にも繫がりかねず、この点が問題となると著者はいう。社会とは異質な人びとの共同の場であるが、AIテクノロジーによって徹底した個別最適化が可能となったとき、個人が快適に生活できるとするなら、社会を前提とする公教育による子どもの主体化は必要かという問いが生じうる。ひいては、皆がデータ駆動型社会の構築を担う能力をもつ必要はなく、多くの人はデータを使いこなせるスキルをもつ、よりよい客体である方がよい、という思考を生み出しかねないと。なるほど難しいが、たしかにこれは非常に危険なことのように思える。
それに対して、著者は教育学者G・ビースタの警鐘を紹介する。これは「教育の学習化」であると。子どもが持っている世界像を広げたり深めたりすることなく、現実の社会をうまく生きるための力を養うだけでは、社会への自発的な従属を促すことになると。だとすれば、教育の場である学校を私たちはなくすわけにはいかないだろう。