6.3 天皇の「戦後80年慰霊の旅」沖縄訪問抗議行動スピーチ4

・6月4〜5日(2025)、天皇徳仁は皇后雅子、娘の愛子とともに、「戦後80年慰霊の旅」の一環として沖縄を訪問した。訪問が決まったその日から、天皇および天皇制国家と沖縄に関する歴史や天皇たちの沖縄への「思い」について、報道ラッシュが続いた。それらは、天皇制と国にとって都合のよい情報ばかりで、都合の悪いことにはダンマリを決め込んでいた。
・首都圏の反天皇制運動の実行委員会は天皇たちが出発する前日の6月3日、東京駅から皇居に向かう「行幸通り」と呼ばれる大きな通りで、抗議の情宣行動を行った。雨が降りしきるなか、メディアが語らない天皇の沖縄慰霊の旅の問題について訴えられた4人の発言を紹介します。
・以下は、発言者のお一人である本山央子さんに、スピーチをもとに加筆し文章にまとめていただいたものです。



「理想の家族」という支配——天皇一家による沖縄「慰霊の旅」から考える

本山央子(アジア女性資料センター/お茶の水女子大学ジェンダー研究所)

「戦後80年」にあたる今年、天皇は各地の戦跡訪問に忙しいようだ。6月3日からの2日間には、沖縄への「慰霊の旅」が行われた。訪問先には国立沖縄戦没者墓苑のほか、平和の礎、平和祈念資料館、対馬丸記念館などが含まれていた。

今回の旅で注目されたのは、徳仁・雅子夫妻に娘の愛子も交えた一家3人による訪問だったことだ。特に、初めて沖縄を訪ねる愛子が両親とともに慰霊碑に手を合わせ、戦争体験者に真摯に耳を傾ける姿は、「記憶の継承」*1「次世代への平和の架け橋」*2 を象徴するものとして、多くのメディアで称賛された。

その沖縄では、「戦後80年目の慰霊」が奇妙に聞こえるほど、新しい戦争に向けた軍事要塞化が急ピッチで進行中だ。新たな基地建設反対運動に対する警察による強制力の行使や、「避難」という名の住民の強制移動計画は、「本土防衛」のために沖縄が「捨て石」とされた記憶をいやおうにも想起させている。現地における批判と抵抗の一方で、日本本土の側では、ひめゆりの塔の記述をめぐる西田昌司議員の発言に見られるように、日本軍による現地住民に対する加害の記憶をも沈黙させ書き換えさせようとする帝国主義的言動も目立つようになっている。

こうした中での天皇一家訪問には、かつて沖縄が払った犠牲を承認し継承する姿勢を示すことによって、高まる緊張や批判を緩和しようとする狙いがうかがえる。だが、犠牲を強いたのは誰かを不問にしたままの「慰霊の旅」は、いっそう不穏な色を帯びて見えかねない。靖国神社の宮司に昨年、元防衛省海将が就任したという事実や、現実味のない住民避難計画が示唆しているのは、軍人と住民に新たな犠牲が出ることが、「南西シフト」と呼ばれる戦争準備の一部には当然の前提として含まれているということだ *3。周縁化される人びとに死を強制しておきながら、それを国民共同体のために捧げられた尊い犠牲として慰霊する帝国のやりかたは、少しも変わっていないのではないか。

わきあがる暗い疑念にもかかわらず、一家による訪沖、とりわけ愛子の存在が、あたかも「戦争の記憶」そして「戦後平和」の未来への継承を保証するものかのように語られていることには、(本土メディアの無責任さはもちろんのこと)家/家族というものがもつ象徴の力を、あらためて考えさせられる。

非皇族(「臣民」)の「家」から入った「嫁」のように見られてきた雅子の一挙手一投足が批判の対象とされてきたのと異なり、天皇の娘である「愛子さま」は、最初から正統な存在とみられている。両親と完璧なユニゾンをなす歩調、長幼とジェンダーの序をわきまえた服装やふるまい、母親/皇后を見やる視線など、愛子の立ち居振る舞いのひとつひとつを絶賛するメディア記事にはうんざりさせられるが、一方でそれらは、わずか20歳そこそこにすぎない彼女を含めたこの一家が、いかに入念に統御されたパフォーマンスによって、国民の理想としての家族像をつくりだし続けて(させられて)いるのかを露わにしてもいる。

彼らの体現する家族像は、今も癒えない戦争の痛みを抱える沖縄を、日本という大きな家族の懐にあたたかく包摂することを約束するものでもある。その姿がうつくしい理想として受け入れられるほどに、その内にある暴力と支配を告発する声は、分をわきまえずに平和な秩序を乱す、「背筋が凍る」ほど恐ろしげなものとして聞こえてくることになるのだろう*4

しかしこの理想化された家族像は、他民族を力で支配する帝国の基盤として作り出されてきたものだ。明治政府は、西洋帝国のモデルを取り入れつつ「万世一系」という神話によって帝国日本の統治者としての天皇を作り出し、それとともに、天皇に従属する国民を創設した。遠藤正敬が論じるように、天皇と国民をつなぐものが擬制的血統集団としての家であり、子が親に、妻が夫に、年少者が年長者に従う家父長制もこの過程で制度化された *5 それは、「家族国家」と論じられるように、日本国民をひとつの大きな家族としてイメージさせることによって、雑多な人びとの間にある差異や対立、不平等を不可視化しながら「日本人」と呼ばれる均一な国民共同体へと統合するものであり、また同時に、天皇=「親」に対する従属を自然化し正当化する装置であった。私的な愛着と公的義務とを結合するこの家族という装置なしに、天皇の名による帝国主義戦争は不可能だったろう。琉球やアイヌの人びとや植民地の人びともこの家族国家に取り込まれたが、そこには「純粋な血統」という虚構にもとづく厳然とした階層化が行われていた。

家族とは、こうして作り出された「日本人」を、生物学的・文化的に再生産していくための装置でもある。富国強兵という国家目的に資する知的身体的な質、適切なアイデンティティと規範化された身体をそなえた次世代の国民を家庭において産み育てる役割をあたえられたのが、法的には「無能力者」とされた女性たちであった。皇后は近代的家族をつくりだす女性たちのモデルとして重要な位置づけをあたえられていた。

もっとも、家を統御する家長とこれを支える良妻賢母から成る理想の家族像は、帝国の支配下に置かれた人びとの身体・性・生殖が管理されるありかたの一側面でしかない。政府は、文明国家にふさわしいと考えられた一夫一婦の家族制度を創設するかたわらで、帝国の海外拡張を促進していくために公娼制度を、のちには軍「慰安婦」制度を整備していく。優美な良妻賢母像は、そのための物理的文化的資源を欠いた人びとにとっては差別を正当化するものでしかなかった。適切な「日本人」を再生産していくための家族は、そのコインの裏面に、民族と階級によって他者化される人びとに対する、軍事的支配と一体となった、より暴力的な性的支配を、つねにともなっていたのである。

敗戦・占領を経て、家長が支配する垂直的な家族のイメージは、互いに親密で民主的な家族という水平的イメージによって塗り換えられ、天皇制もこの新しい服をまとって「国民の象徴」と位置づけなおされた。この欺瞞を受け入れることによって、日本の国民もまた、一夜にして平和で民主的な人びとに生まれ変わったという自己欺瞞を可能にしてきたといえるだろう。

しかしもちろん、家族という「自然な結合」は、自然に再生産などされてはいない。男子後継者の不足と女系天皇の可能性をめぐって繰り広げられている皇室典範改正論議は、「純粋な血統」の永続性という虚構を維持するために個人の身体と人生を生殖の道具として扱ってはばからない感性が、日本の支配層にいかに強固に染みついているかをよく示している。その抑圧を被るのはもちろん、天皇家の人間だけにとどまらない。ジェンダー・セクシュアリティ・生殖の唯一の正しいあり方を規定する家族の規範は、今日においてもなお個人の選択を束縛し続けており、その底には、家父長制と婚外子差別、外国人排除が刻み込まれた戸籍制度が、硬い岩盤として存在している。

家族制度の抑圧と同様、それを作り出してきた帝国主義の暴力もまた過去のことではない。沖縄のフェミニストたちがひとつひとつ調査をしてまとめてきた米軍による性暴力の長いリストは、非戦非武装を掲げる日本の軍事基地とされてきた沖縄において、性暴力がつねに軍事的支配の一部として存在し続けてきたことを明らかにしている。その多くは起訴も処罰もされてこなかった。米軍基地にともなう性暴力が不可視化される方法のひとつは「正しい」性的規範に照らして被害者の「落ち度」を追及することであり、その「正しさ」の基準とは、天皇家が体現するような「日本人」を再生産する家族に置かれてきたのである。

平和と調和のうちに人びとを包摂しようとする聖なる家族像は、国家による暴力と抑圧を沈黙させ、その責任を不可視化させるように機能している。しかしその理想像は、たんに国家によって押しつけられてきたものというより、人びと自身が欲望し天皇家に演じさせてきたものであるともいえるのではないか。その理想を解体することなしに、わたしたちが自らを縛る「戦後平和」という自己欺瞞を捨てて帝国主義の解体という課題に向かうことはできないだろう。

*1「愛子さま“5000人が大歓迎”の中、初の沖縄へ “背筋が凍る事態”に遭遇するも、両陛下から受け継ぐ「慰霊の思い」」(Yahooニュース2025/6/11/ 8:02)
*2 太田裕子「愛子さま 沖縄訪問で見せた「心」のこもった立ち振る舞いと天皇家の一員としての「自覚」」(AERA Digital 2025/06/07/ 09:00)
*3 西本秀「靖国神社の新たな宮司に元海将の大塚海夫氏 自衛隊の将官経験者で初」(朝日新聞デジタル版 2024/3/15/14:45):この点は2025年6月14日平和構想研究会による石井暁氏の講演会で示唆を得た。
*4「愛子さま“5000人が大歓迎”の中、初の沖縄へ “背筋が凍る事態”に遭遇するも、両陛下から受け継ぐ「慰霊の思い」」(Yahooニュース2025/6/11/ 8:02)
*5 遠藤正敬『新版 戸籍と国籍の近現代史:民族・血統・日本人』明石書店

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