やじうま日誌 2025年6月

【6月1日】
徳仁◆東京都千代田区のホールを訪れ、国内外のビオラ奏者によるコンサート「ヴィオラスペース2025」を鑑賞。
裕仁◆太平洋戦争末期、広島に原爆が投下された2日後の1945年8月8日、昭和天皇が「原子爆弾があれば水際での戦争も不可能となり、300年もたてば再起可能になるような条件でも仕方がない」と述べ、講和を急ぐよう求めていたことが分かったと報道。「開戦時と終戦時の外相東郷茂徳が、在任中の出来事をまとめた手帳に記されていた。/手帳を分析した東京大の加藤陽子教授(日本近現代史)によると、上陸する米軍を海岸線(水際)で迎え撃つ『本土決戦』に望みを託していた軍部に対し、天皇は米軍が原爆を持った以上、戦争継続は見通しが立たず、厳しい条件での講和を覚悟するしかないと判断していたことが分かる。」
侍従◆警察庁犯罪被害者等施策推進課長の藤田有祐を侍従に起用する宮内庁人事が公表される。
白浜温泉◆「温泉神社」として知られる和歌山県白浜町の山神社で、温泉の恵みに感謝する「献湯祭」が営まれたと報道。「白浜温泉は松山市の道後温泉、神戸市の有馬温泉とともに『日本三古湯』に挙げられ、日本書紀には有間皇子から白浜温泉の素晴らしさを聞いた斉明天皇が658年に訪れたと記されている。」
「洋上慰霊」◆戦後80年で終了となる日本遺族会主催の「洋上慰霊」のため、遺族らを乗せたクルーズ船が神戸港を出港し、11日間の船旅が始まったと報道。洋上慰霊は厚生労働省が補助する「慰霊友好親善事業」の一環で、遺族会は遺児の高齢化を理由に25年度で事業の終了を決めたという。/共同通信が「30年以上にわたり海外の激戦地で慰霊を重ねてきた日本遺族会の関連事業は、戦後80年となる2025年度で幕を閉じる」と報道。「遺児の高齢化や、新型コロナウイルス禍も痛手となった。担い手不足が課題となる中で、活動の重点は『慰霊』から『伝承』へ。1日出港した最後の『洋上慰霊』には、孫、ひ孫世代も参加し、語り部研修も行われる。」
【6月2日】
徳仁◆気象業務開始から150周年を記念し、気象庁が東京都内で開いた式典に出席。あいさつで「積み重ねてきた知識と経験を生かし、今後とも、国民から寄せられる期待と信頼に応え、社会の安全と人々の安心を確実なものとしていくことを願う」。
「天皇外交」◆政府が、グアテマラのアレバロ大統領が8~11日の日程で、フィンランドのストゥブ大統領が8~12日の日程でそれぞれ訪日すると発表。いずれも徳仁との会見や石破茂首相との会談を予定していると報道。
宮内庁インスタ◆天皇、皇后の活動の様子を中心に投稿する公式インスタグラムについて、宮内庁が、前年4月の運用開始から1年間の状況を分析し公表。フォロワー数は191万人で、若年層(13~34歳)は30万人を超えたが、前年9月末から横ばいで、全体に占める割合も17%から16%に微減しており、担当する広報室は「若年層への訴求力に限界が見えてきた。発信内容について工夫していく余地がある」としていると報道。
イタリア王制◆1946年の当日、イタリアで反ファシズム運動の高まりなどを受け、共和制への移行の是非を問う国民投票が実施され、王制廃止と共和制への移行が決まる。当日は共和国記念日として祝日になっており、共和国憲法は48年1月に施行されたと報道。
【6月3日】
皇族確保策◆皇族数確保策の与野党協議を巡り、衆参正副議長が目標とした当国会中の取りまとめが見送られる見通しとなったと、複数の関係者が明らかにしたと報道。当日予定されていた自民党の麻生太郎・最高顧問と立憲民主党生の野田佳彦代表の協議は中止に。
「天覧試合」◆共同通信が、特集記事「追想 長嶋茂雄さん」で「天覧試合でサヨナラアーチ/『職業野球』をプロ野球に」と題して配信。「その日、長嶋は早朝に目が覚めた。下宿先から都心の知人宅を訪ね『きょうは天皇、皇后両陛下の前で試合でね』。前夜、バットを枕元に置いて寝たが、普段と違う興奮からか浅い眠りだった。/1959年6月25日、伝統の巨人阪神。(略)天皇陛下は9時15分に帰られる予定だった。劇的な一発は、その直前に飛び出した。大舞台での強さを示し『興奮していましたよ、はい。打てて良かった。スピードが乗った素晴らしい一球でしたよ。いい打撃をお見せすることができました。一生の思い出になるでしょう』と会心の笑みを見せた。」
「百武三郎日記」◆戦時中に昭和天皇の侍従長を務めた百武三郎(1872~1963年)の日記と関係資料をまとめた「百武三郎日記」全3巻の刊行を岩波書店が7月から始めると報道。戦後80年企画の一環という。
西田妄言◆公明党の西田実仁・幹事長が、東京都内で自民党の森山裕・幹事長と会談し、自民の西田昌司・参院議員が月刊誌で沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を巡る自身の発言の正当性を主張したことに苦言を呈したと報道。「沖縄県民に寄り添うべきではないか」。森山幹事長「重く受け止める」。同席した公明の佐藤英道・国対委員長が記者団に明らかに。森山幹事長が記者会見で、沖縄県議会が自民党本部に西田昌司議員への厳格な処分を求めていることに関し「本人は反省している。処分を考えているわけではない」。
【6月4日】
徳仁、雅子、愛子◆戦後80年に際して沖縄県を訪れる。特別機で沖縄入りし、糸満市の国立沖縄戦没者墓苑で供花して太平洋戦争末期の沖縄戦の犠牲者を「慰霊」。戦争体験者や語り部の若者と「懇談」。愛子の沖縄訪問は初めてで、宮内庁によると、徳仁、雅子の強い意向で同行が決まったと報道。徳仁、雅子が夜、宮内庁を通じて「戦後80年を迎える節目の年に、沖縄県を訪れ、沖縄戦で亡くなられた方々や、戦争によって苦難の道を歩まざるを得なかった方々に思いを寄せつつ、平和の尊さを心に刻み、平和の尊さを心に刻み、平和への願いを新たにしていきたい」との感想を公表。
天皇一家沖縄訪問◆共同通信が「継承する平和の願い/愛子さま同行に強い意向」と題し、「天皇、皇后両陛下は戦後80年に際した沖縄への慰霊に長女愛子さま(23)を連れて行かれた。初めてとなる愛子さまの訪問は、両陛下の強い意向で実現した。戦争経験者が減り、記憶の継承が課題となる中で「沖縄の声をじかに聞き、平和への思いを育んでほしいと考えられた」と側近は明かす。世代を超えて語り継ぐ意思は沖縄も同じだ」と報道。/共同通信が「複雑な思い、市民に今も/『平和考えるきっかけに』」と題し、「太平洋戦争末期の激しい地上戦で多くの住民が巻き込まれ犠牲となった沖縄県では4日、天皇ご一家の訪問に、戦争体験者を中心に複雑な思いを口にする市民もいた。激戦地となった訪問先の糸満市で出迎えた人々からは『平和を考えるきっかけに』といった期待の声が上がった」と報道。/共同通信が「非戦の思い、確かめ合う/体験者、語り部と」と題し、「沖縄戦で旧日本軍の組織的戦闘が終わったとされる日から間もなく80年。23日の『慰霊の日』を前に、最後の激戦地となった糸満市摩文仁は祈りに包まれた。天皇、皇后両陛下は4日、長女愛子さまを伴い国立沖縄戦没者墓苑で拝礼された。体験者らとの懇談の場には歴史を語り継ぐ20~30代の姿も。戦後世代の天皇ご一家と沖縄の人々は、交流を通じて非戦の思いを確かめ合った」と報道。
佳子◆ブラジルを「公式訪問」するため、民間機で成田空港から出発。当年は日本とブラジルの外交関係樹立130周年に当たり「日本ブラジル友好交流年」ともなっており、ルラ大統領を表敬訪問するほか、記念式典などに出席すると報道。
ウィンザー城◆英大衆紙サンが、ロンドン郊外にあるウィンザー城で1日、薬物中毒とみられる男が城壁をよじ登って敷地内に侵入したと報じる。城の近くにはウィリアム皇太子一家の自宅があるが、侵入時に在宅だったかどうかは不明としており、城内にある聖ジョージ礼拝堂には故エリザベス女王らが埋葬されていると報道。
【6月5日】
徳仁、雅子、愛子◆那覇市で、太平洋戦争中に学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、1500人近くが死亡した事件の慰霊碑「小桜の塔」に供花し、拝礼。隣接する対馬丸記念館を始めて訪れ、生存者や遺族の話を聞く。19年に焼失した首里城の復元状況を視察。夜、帰京。
佳子◆ブラジルのサンパウロに到着。日本との外交関係樹立130周年に際した「公式訪問」で、約2週間の日程で、首都ブラジリアやリオデジャネイロなど8都市を巡ると報道。
天皇一家沖縄訪問◆共同通信が「沖縄にどう向き合うか/戦後生まれの天皇として」と題し、共同通信専任編集委員・山田昌邦の「編集委員評論」を配信。「天皇陛下は4~5日、ご一家で沖縄を訪ねられた。4月の硫黄島に続く戦後80年の戦没者慰霊の一環で、上皇ご夫妻が国内外で重ねた『慰霊の旅』を引き継いだ形だ。戦争経験者や遺族、若い世代の語り部の話に耳を傾けながら、戦後生まれの天皇として沖縄にどう向き合うのか、考えを深める訪問となっただろう。(略)今回、訪問先や移動の沿道でご一家を温かく迎える人々の姿があった。わだかまりを解いていったのは、上皇さまが示し続けた沖縄への真摯な姿勢によるところが大きい。(略)愛子さまを伴ったのも『沖縄を知ってほしい』との強い希望があったからだ。戦争の記憶を若い世代に伝承する橋渡し役を務めようという意思が感じられる。/一方で陛下自身は戦争を知らぬ世代の一人として、父から何を受け継ぎ、どのような思いを、どんな言葉や行動で示していくのだろうか。沖縄の人たちもそれを見ているはずだ。」
天皇訪沖弾圧◆沖縄県警が、那覇市の「対馬丸記念館」近くで天皇一家の訪問に伴う警備中の警察官を殴ったとして、公務執行妨害の疑いで男性を現行犯逮捕。県警によると、道路の使用許可を得ずに、訪問への抗議活動を始めようとしていたと報道。県警は県外からの特別派遣部隊も含め、最大規模の警備態勢を敷き、沿道で出迎える市民に手荷物検査や金属探知機での検査を実施したほか、県南部一帯では4日から交通規制も行っていたという。
皇族数確保策◆自民党の麻生太郎・最高顧問が麻生派会合で、皇族数確保策の主要2案のうち「女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案」のみでの先行合意は拒否する意向を表明。もう一つの「皇統に属する男系男子の養子縁組を認める案」を挙げ「多くの党が支持する養子案を棚に上げ、取りまとめるのは不自然でまかりならない」。出席者が記者団に明らかに。/自民党保守系議員らでつくる超党派議員連盟「日本会議国会議員懇談会」(会長・古屋圭司・元国家公安委員長)が、皇室制度に関する勉強会を開き、皇族数確保策を巡る与野党協議について、政府の有識者会議報告書に基づき進める重要性を確認。男系男子の「伝統」を維持し、母方に血筋のある女系天皇は認められないとの認識を共有したと報道。古屋会長が、与野党協議を巡り「報告書は極めて良識的な内容だ。合意に至っておらず、心配している」。日本維新の会の藤田文武・前幹事長らも参加。
「日本武尊・弟橘媛」◆共同通信が「子ども歴史企画」で「日本武尊・弟橘媛」を取り上げ「戦う夫のため海へ飛びこむ/伝説も生んだ悲劇の2人」と題し「日本武尊は、奈良時代の歴史書『古事記』『日本書紀』に登場する伝説的なヒーローです」と報道。「よりドラマチックに記された『古事記』によると、父の景行天皇にきらわれ、九州南部の敵をたおすよう命じられます。相手をやっつけて帰ると、すぐに東国を平定するよう命令されます。(略)海の神によりあら波で船は進まず、同行していた妻の弟橘媛が自ら海に飛びこんで神に身をささげると、海は静かに。船は無事に房総半島に着きました。(略)この物語は各地に伝説を生み、関係する神社も多く造られました。房総半島の千葉県木更津市では、日本武尊が、妻の死をなげいて上陸地からなかなか動かなかったため『君去らず』と言われ、転じて『木更津』の地名が生まれたと伝わります。」
「洋上慰霊」◆戦後80年で終了する日本遺族会主催の「洋上慰霊」の船が、台湾沖からフィリピン近海まで南に航行。ルソン島北西沖で船上慰霊祭があり、ルソン島西方沖でも慰霊祭が開かれる。
国会図書館◆1948年の当日、国立国会図書館が東京の旧赤坂離宮(現・迎賓館)に開館。貴族院・衆議院の図書館と帝国図書館の蔵書の大半を引き継ぎ、永田町の現庁舎は68年に本館、86年に新館が開館。京都に関西館、上野に国際子ども図書館があると報道。
【6月6日】
秋篠宮、紀子◆東京・元赤坂の赤坂御用地にある宮邸で、ベルギーのフィリップ国王の妹アストリッド王女と、夫のロレンツ王子と面会。大阪・関西万博の視察などのため訪日したと報道。
佳子◆ブラジル・サンパウロにある公園で、日本人移民の苦労をしのび、無縁仏を慰めるために建立された「開拓先没者慰霊碑」に供花し、拝礼。近くの「日本館」で池のニシキゴイに餌をやり、桜の木を植樹。ジャパン・ハウスを訪れ、日本企業のリサイクル技術に関する展示や、大阪・関西万博で日本の食文化を伝えるパビリオンの内容を紹介する企画展などを視察。
衆院解散◆林芳正・官房長官が記者会見で、天皇が地方訪問中の不在時に衆院を解散したことはあるかどうかを問われ「解散を決定した事例はある」。当国会の最終盤となる19、20両日に、徳仁、雅子が戦没者慰霊の一環で広島を訪問する日程が念頭にあり、政府関係者によると、天皇の地方訪問時に衆院解散が決まったケースは、1952年8月の吉田茂首相による「抜き打ち解散」と、60年10月、池田勇人首相時の「安保解散」の2例があると報道。天皇不在時に国事行為である衆院解散を臨時で秋篠宮が代行できるか見解を尋ねられ、林官房長官「仮定の質問に答えることは差し控える」。
コソボ大統領◆政府が、コソボのオスマニサドリウ大統領が10~15日の日程で訪日すると発表。徳仁との会見や石破茂首相との会談のほか、大阪・関西万博を視察すると報道。
「梅の日」◆「梅の日」に当たるとして、梅の名産地として知られる和歌山県田辺市の世界遺産・熊野本宮大社で、産地の発展を祈る「梅漬けの儀」が行われる。「梅の日」は、室町時代の1545年6月6日に京都の賀茂神社に後奈良天皇が梅を奉納し、五穀豊穣を祈ったところ雨がもたらされたとの故事にちなみ、「紀州梅の会」が独自に制定したと報道。
「顕忠日」◆韓国の李在明・大統領が、ソウルで開かれた朝鮮戦争の戦死者ら国のために犠牲となった人々を追悼する政府式典「顕忠日」で演説し「戦争の心配がない平和な国、日常が揺れ動かされない安全な国をつくる」。独立運動家や朝鮮戦争の戦死者、民主化運動に参加した人たちをたたえ「堅固な平和の上に民主主義と繁栄の花が咲く国、誇りがあふれる国」を目指すと語る。
西田妄言◆自民党の西田昌司・参院議員(京都選挙区)が沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」(沖縄県糸満市)の展示説明について「歴史の書き換え」と発言したことを受け、京都市議会が「強い遺憾の意を表明する」との決議を賛成多数で可決。
【6月7日】
秋篠宮、紀子◆千葉県松戸市にある「森のホール21」で第36回全国「みどりの愛護」のつどいの式典に出席。秋篠宮があいさつで、環境問題への対処を巡り「貴重な緑を守り、新たな緑をつくり出し、育むとともに、次世代につないでいくことが必要だ」。近くの「21世紀の森と広場」で記念植樹。旧松戸徳川家の「戸定邸」と明治期の庭園を見て回る。野田市に移り、キッコーマンの工場で、地元の小学生がしょうゆ造りを体験する様子を見学。
佳子◆ブラジル・サンパウロのブラジル日本文化福祉協会で開かれた日系社会歓迎式典に出席。約千人の日系人らを前にあいさつし「日本から移住された方々とご子孫が、さまざまな困難に直面しながらも日々努力を重ね、ブラジルの社会に貢献してこられたことに深く敬意を表します」。会場に到着した際、地元の小中学生約250人が両国の国旗を振って歓迎したと報道。これに先立ち、ブラジル日本移民史料館を視察。午後、サンパウロ州知事と会見し、歓迎レセプションに出席。
天皇沖縄訪問◆共同通信が、「『歴史に向き合い務めを』/忠誠強いられた戦争体験者」と題し、「太平洋戦争末期に激しい地上戦となり、多数の市民が犠牲になった沖縄。国への忠誠を強いる皇民化教育を受けてきた戦争体験者の中には、戦後の象徴天皇制に複雑な思いを持つ人もいる。天皇陛下は今月、沖縄を訪れ戦没者を慰霊された。平和の継承を誓う姿に、体験者は『甚大な被害を生んだ思想や教育、歴史に向き合い象徴の務めを果たしてほしい』と願う」と報道。
【6月8日】
佳子◆ブラジル・サンパウロ近郊にある日系老人ホーム「憩の園」を訪れ、入居する日系1世らと「交流」。日系人が多く通う「松柏・大志万学園」を視察。宿泊先のホテルで日系3世の織物作家や、日本語を学び、日本に研修旅行で訪れたことがある若者らと「懇談」。
オーストリア・ハンガリー帝国◆1867年の当日、オーストリアがハンガリー王国の存在を認め、オーストリア・ハンガリー二重帝国が誕生。オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がハンガリー国王を兼任し、政府や議会は別々に運営されたが、第1次大戦に敗れたことで解体した。
【6月9日】
徳仁◆リトアニアのナウセーダ大統領と皇居・御所で会見。宮内庁によると、会見は約25分間で、大統領が第2次大戦下、ナチス・ドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人に日本通過ビザを発給した外交官杉原千畝を「リトアニアにおいて重要な名前」として挙げ、徳仁は、記憶されていることに感謝の言葉を述べたと報道。大統領は大阪・関西万博の視察などのため訪日したという。
佳子◆ブラジル・サンパウロから空路で南部パラナ州マリンガに移動。マリンガ文化体育協会で日系社会歓迎行事に出席し「一人一人の努力は、日本とブラジルの友好関係を深めることにつながっていると感じます」とあいさつ。これに先立ち、ブラジルの国花イペーを植樹。/共同通信が、「日本とのつながりの象徴/佳子さま、日系社会と交流」と題し、「秋篠宮家の次女佳子さまが公式訪問されたブラジルは、日本人が移住を始めてから約120年の歴史があり、海外最大の日系社会が築かれている。皇室は節目の年に訪問を重ね、苦難の歩みに思いを寄せてきた。世代が変わりゆく中、日本を直接知らない若者たちとも交流を紡ぐ。日系関係者は『皇室は日本とのつながりの象徴』と語る」と報道。
西田妄言◆自民党の西田昌司が、参院決算委員会の質問冒頭で、沖縄戦で犠牲になった女子生徒らを慰霊する「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とした自身の発言を念頭に、改めて陳謝。「結果的に沖縄県民、多くの方の心に傷を付けることになった。改めておわび申し上げる」。「今後より一層沖縄県民の心に寄り添い、日本を守るため、国会議員として責務を果たす」。事実関係には言及しなかったと報道。
【6月10日】
天皇、皇族◆徳仁が東京・上野の日本学士院会館を訪れ、日本学士院賞の第115回授賞式に出席。午後、宮殿の小食堂「連翠」に受賞者らを招き、共に飲食。雅子や愛子、秋篠宮、紀子が同席。受賞者は、表象文化論の森元庸介・東大教授ら9人で、脳の活動が一目で分かる機能的磁気共鳴画像法(fMRI)の原理を発見した小川誠二・東北福祉大特別栄誉教授は恩賜賞も受賞したと報道。
徳仁、雅子◆皇居・御所でベルギーのフィリップ国王の妹アストリッド王女と、夫のロレンツ王子と懇談。大阪・関西万博の視察などのため訪日したもので、徳仁、雅子が御所の車寄せで出迎える。
佳子◆ブラジル南部パラナ州のロンドリーナを訪れ、日系団体の総本部「パラナ日伯文化連合会」主催の昼食会に出席。冒頭、開拓移住者に黙とう。あいさつで「さまざまな困難に直面しながらも日々努力を続けてこられたことに深く敬意を表します」。ロンドリーナ文化体育協会に移り、和太鼓の演奏を聴く。同州ロランジアにあるパラナ日本移民センターを訪問、「開拓先没者慰霊碑」に供花。パラナ州での日程を終え、空路で中西部カンポグランデに移動。カンポグランデ日伯文化体育協会を訪れ、移民先駆者慰霊碑に供花。地元の沖縄県人会の日系人らと「懇談」し、カンヒザクラを植樹。文化体育協会が運営する「ビスコンデ・デ・カイル学園」を訪れ、小学3年生の日本文化の授業を見学。歓迎式典で「先人が歩んだ険しい道のりに思いをはせるとともに、日系の皆さまの歴史を改めて心に刻む」とあいさつ。
「昭和100年」◆当年が「昭和元年」から100年目に当たるのを記念するとして、神奈川県横須賀市が6月下旬から特別企画展「昭和100年めぐり」を開催すると報道。
「漏刻祭」◆「時の記念日」に当たるとして、日本で最初に時刻制度を定めたとされる天智天皇を祭る近江神宮(大津市)で、時計産業の今後の発展を祈る「漏刻祭」が開かれる。近江神宮によると、時の記念日は、671年に天智天皇が近江大津宮に漏刻(水時計)を設置したという日本書紀の記述に基づき1920年に制定され、当年は記念日制定から105年となると報道。
【6月11日】
徳仁◆皇居・御所で、フィンランドのストゥブ大統領、グアテマラのアレバロ大統領とそれぞれ会見。両大統領は大阪・関西万博の視察などのため訪日したと報道。宮内庁によると、徳仁がストゥブ大統領に「フィンランドは男女平等の分野で世界をリードしていますが、どういう点に工夫をしていますか」と尋ねる。
佳子◆空路で首都ブラジリアに移る。
ドイツ大統領◆政府が、ドイツのシュタインマイヤー大統領が18~20日の日程で訪日すると発表。大阪・関西万博を訪問するほか、徳仁との会見や石破茂首相との会談を予定していると報道。
皇族数確保策◆自民党が、「安定的な皇位継承の確保に関する懇談会」(会長・麻生太郎・最高顧問)を開く。皇族数確保策は「女性皇族の配偶者と子の扱い」が今後、与野党協議の唯一の論点になるとの認識を共有。「皇統に属する男系男子の養子縁組を認める案」は8党派が支持しているとして、皇族数確保の要として必ず実現しなければならないと確認。麻生会長が、立憲民主党の野田佳彦代表との非公式会談に関する経過を報告。野田代表が先行合意で一致していたと主張していることに対し「合意した事実はない」。懇談会事務局長の木原稔が記者団に、当国会で取りまとめに至らなかった要因として、立民側が配偶者への身分付与に強くこだわった上、養子案の先送りを主張したためだとの見解を示す。立民が提案した皇室会議で配偶者の身分を決める案について「皇族の範囲は国権の最高機関である国会で法律により定めなければならない。三権分立と異なる特殊な機関である皇室会議に白紙委任することはできない」。
「洋上慰霊」◆戦後80年で終了する日本遺族会主催の「洋上慰霊」の船が神戸港に帰港したと報道。「11日間の船旅で台湾海峡やフィリピン沖を巡り、洋上で計9回の船上慰霊祭を開いた。218人の遺族らが海に眠る戦没者らに祈りをささげた。」
【6月12日】
佳子◆ブラジルの首都ブラジリアの連邦議会で、日本とブラジルの外交関係樹立130周年記念式典に出席。本会議場で「長い歴史の上に成り立っている両国間の絆に思いをはせ、共にお祝いできることを誠に喜ばしく思います。さらなる友好親善関係の発展を願います」とスピーチ。式典後、ブラジル政府主催の昼食会に出席し、両国の友好関係が「さまざまな分野で花を咲かせ、新しいつぼみも膨らみつつあるように思います」とあいさつ。大統領府へ向かい、ルラ大統領を表敬訪問。徳仁、雅子からの言葉として「友好親善の一層の増進を願います」と伝達。日本大使公邸で日系社会歓迎行事が催され、日本文化の発信などに取り組む日系団体の関係者ら約70人と「交流」。
久子◆フィンランドのストゥブ大統領の妻、スザンヌ・イネスストゥブが、東京都内で共同通信の取材に応じ、女性の活躍が多様性やビジネスの成功をもたらし、人々の幸福感を高めることにつながると語る。12日までの日本滞在期間中、故高円宮の妻久子と面会したと報道。
衆院解散◆石破茂首相は内閣不信任決議案が提出された場合、採決を待たずに衆院解散を視野に入れていたと報道。「首相は就任前、衆院解散は69条に基づく場合に限定するよう訴えてきた。2020年7月の講演で『7条解散はすべきでない。今なら勝てるだろうというのは憲法の趣旨に反する』と主張。24年6月のブログでは『内閣不信任案の可決など、内閣と衆院の立場の相違が明確となった場合に限るべきだ』と強調した。/ところが、24年9月の自民党総裁選に勝利すると、首相就任前にもかかわらず『衆院解散・総選挙を行いたい』と表明。10月の就任記者会見では『不信任案が可決されたわけではないが、新内閣について国民の信を問うことは憲法の趣旨に沿う』と釈明した。」
【6月13日】
徳仁◆皇居・御所で、コソボのオスマニサドリウ大統領と会見。宮内庁によると、大統領が「平和を確保することが大事だ。国造りにおける日本のさまざまな支援、経済協力に感謝する」と述べ、徳仁「日本が協力できることがあれば、非常にうれしく思う」。大統領は大阪・関西万博のナショナルデーに合わせて訪日したと報道。
雅子◆皇居の紅葉山御養蚕所で、蚕の繭を当年初めて収穫する「初繭掻」をする。皇居での養蚕は「明治時代」から歴代皇后が受け継ぎ、当年の作業は5月から始まっていたと報道。
佳子◆ブラジルの首都ブラジリアでブラジリア大学を訪れ、日本語専攻の学生らと「交流」。空路でリオデジャネイロに入り、国立公園で高さ30メートルのキリスト像が立つ「コルコバードの丘」を視察。報道陣の声かけに「広大な海を朝日が照らす様子を見ながら、今日までお会いした方々の顔を思い出しました。ブラジルでの出来事は、これからもずっと心に残り続けると思っています」。
モンゴル◆モンゴル国民大会議(国会)で、次期首相にザンダンシャタル元国会議長を選出。国会議長を務めていた2023年3月、日本を訪れて徳仁、雅子と会見しており、宮内庁は当年1月、徳仁、雅子が7月にモンゴルを「公式訪問」すると発表していると報道。/石破茂首相が、モンゴルの首相に選出されたザンダンシャタルに祝辞を贈る。徳仁、雅子が7月に予定するモンゴル「公式訪問」に触れ、当年が記念すべき年となり、両国の友好関係がさらに進むよう期待すると伝えたと報道。
沖縄戦「慰霊祭」◆太平洋戦争末期の沖縄戦で、県民に特別な配慮を求める電文を海軍次官に送った海軍の大田実・司令官らの自決から80年となり、沖縄県豊見城市の旧司令部壕で慰霊祭が開かれる。
【6月14日】
佳子◆ブラジル・リオデジャネイロの日系協会を訪れ、歓迎行事に出席。あいさつで「日本でもサンバ・カーニバルが開催され、両国は地理的には遠くとも、心の距離が近いことを喜ばしく思います。一体感を味わいました」。19世紀に建てられ、長く外務省本庁舎として使われたイタマラチ宮を訪れ、1895年に両国が調印した修好通商航海条約の批准書を見る。日本庭園がある植物園を訪問。
英国王◆英国のチャールズ国王の誕生日を祝うパレードがロンドン中心部で行われる。国王が、インドで起きた旅客機墜落事故の犠牲者を悼み、黒い腕章を着用。一部のパレード参加者らに黒い腕章の着用を求める。パレードで1分間、黙とう。前年がんの治療を受けたキャサリン皇太子妃が3人の子どもらと馬車に乗って参列。国王らはバッキンガム宮殿周辺に集まった多くの市民らに手を振り、歓声に応えたと報道。
【6月15日】
徳仁、雅子広島訪問◆共同通信が特集「天皇と広島」で「原爆の惨禍、心に刻み/両陛下、広島へ/即位後初、19~20日」と題し、「天皇、皇后両陛下は戦後80年に際し、19~20日の日程で広島を即位後初めて訪問される。原爆慰霊碑に供花して甚大な犠牲を悼むとともに、高齢となった被爆者の声に耳を傾け、原爆の惨禍を胸に刻む。1945年8月、原爆投下は戦争終結を巡る昭和天皇の判断に大きく影響した。戦後生まれの陛下にとって、改めて歴史と向き合う機会となる」と報道。
佳子◆宿泊先のホテルで日系1世らと「懇談」。 ブラジルとアルゼンチンとの国境にまたがるイグアスの滝を視察。
英国王◆英ロンドンで14日に行われたチャールズ国王の誕生日祝賀行事の際に英空軍が実施した儀礼飛行で、環境に配慮した廃食用油由来の航空機用再生燃料(SAF)を通常の燃料と混ぜた混合燃料や、バイオ燃料が使用されたと報道。「国王は環境保護活動に熱心なことで知られる。/祝賀行事では、空軍のアクロバット飛行隊『レッドアローズ』が曲芸飛行を披露した。英国旗を示す赤、白、青の煙を噴射しながらバッキンガム宮殿の上空を通過し、国王夫妻やウィリアム皇太子一家らが宮殿のバルコニーから見守った。」
【6月16日】
佳子◆「公式訪問」先のブラジルでの日程を終え、サンパウロから民間機で帰国の途に就く。
皇民化教育◆共同通信が「戦後80年」企画で「『天皇のための命』と教育/友亡くした沖縄の元学徒兵」と題し、「太平洋戦争時、沖縄の子どもたちは皇民化教育を通じ、天皇への強い忠誠心を抱いていた。日本軍はそんな少年らを戦地にかり出し、死に至らしめた。多くの学友を亡くした那覇市の元学徒兵宮城政三郎さん(96)は『当時は天皇陛下のために命を惜しまずと信じ込んでいた』と語り『戦争の悲劇を忘れず、個性を尊重する平和な社会を築いてほしい』と望むと報道。
【6月17日】
徳仁、雅子広島訪問◆共同通信が企画「大型サイド」で「両陛下、19日に広島へ/平和へ、記憶つなぐ歩みを/元原爆資料館長、思い共に」を配信。「天皇、皇后両陛下は4月以降、戦没者慰霊のため硫黄島、沖縄を巡り、19日には広島へ向かわれる。『被爆者がいなくなったその時、私たちの言葉を刻み込めている人がどれだけいるか』。こう懸念するのは両陛下に原爆資料館を案内したことがある元館長原田浩さん(85)。戦後80年に際し、両陛下が体験者や若い世代と接し、記憶をつなぐ歩みを重ねる姿に触れ、平和への思いを共にしていると感じている。」
佳子◆民間機で成田空港に到着し、「公式訪問」先のブラジルから帰国。
「北方領土」◆北海道が、「北方領土」の元島民らが周辺の海上から先祖を弔う「洋上慰霊」を7月20日~8月21日に行うと発表。北海道と北方領土問題対策協会、元島民らでつくる千島歯舞諸島居住者連盟の主催で、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年以降、ビザなしで現地の墓地を訪れる「北方墓参」の再開のめどが立たず、代替として4年連続の実施となると報道。
【6月18日】
徳仁◆皇居・御所で、訪日中のドイツのシュタインマイヤー大統領と会見。宮内庁によると、大統領から戦後80年での取り組みを尋ねられ、徳仁「過去と向き合って、次の世代に伝えていくことが非常に重要だと考えている」。戦後80年の「戦没者慰霊」として、硫黄島と沖縄を訪れ、19日から広島、さらに長崎訪問も予定していると説明し、訪問先では遺族に加え「若い人たちを含めた語り部の人たちの話も伺うことにしている」としたと報道。
秋篠宮◆能登半島地震で被災した石川県七尾市の「のとじま水族館」を視察。これに先立ち、輪島市の県漁協輪島支所を訪れ、被害を受けた漁業関係者と「懇談」。
沖縄戦「戦没者慰霊」◆太平洋戦争末期の沖縄戦で死去した約2千人の学徒たちを追悼する全学徒戦没者追悼・平和祈念祭が、那覇市の旧制県立第一中(現県立首里高)の寮跡地で営まれる。
【6月19日】
徳仁、雅子◆戦後80年の「戦没者慰霊」のため、羽田空港から特別機で出発し、広島県を訪問。広島市の平和記念公園で原爆慰霊碑に供花。公園内にある被爆遺構展示館を視察。被爆者や体験を語り継ぐ活動をしている若い世代と「懇談」。「慰霊」を終え、宮内庁を通じ「これまでの広島の人々の苦難を思い、平和への思いを新たにした」との感想を公表。
徳仁、雅子広島訪問◆共同通信が企画記事「皇室ノート」で「両陛下広島訪問/被爆地で示す平和の思い/記憶の重みに触れ」と題し、「天皇陛下は皇后さまと共に被爆から80年となる広島を即位後初めて訪問された。被害の実相を伝える原爆資料館を時間をかけて巡り、平和の尊さに改めて思いをはせた。陛下は戦争を知らない世代として、歴史に学ぶ大切さを重ねて口にしてきた。懇談の場では、高齢となった被爆者の経験にじかに触れ、その重みを受け止めた」と報道。「80年前の夏、戦争終結の判断の遅れが原爆投下を招いたとの指摘がある。元広島市長の平岡敬さん(97)は『昭和天皇の決断がなければ、戦争は終わっていなかった。一方で決断が遅れ、広島、長崎と多くの国民が犠牲になった』と言う。『陛下もその歴史を背負っていることを分かっているはずだ』とし、平和への思いを示し続ける「象徴」であることを願った。」
「移民の日」◆1908年に日本からの最初の移民を乗せた笠戸丸がブラジルのサントス港に到着したことから「日本移民の日」とされ、ブラジルの最大都市サンパウロにある開拓先没者慰霊碑前で法要が営まれる。5日には佳子が慰霊碑に供花し、拝礼しており、法要に参列した清水享・駐サンパウロ総領事が「慰霊碑には志半ばで倒れた人々がまつられている。皇族や日本の要人の方々が、サンパウロでの最初の行事として参拝することの意味は深く、尊いものがある」とあいさつ。首都ブラジリアでは佳子のブラジル訪問や「移民の日」に合わせ、10日から国立美術館やテレビ塔などの建物が、「日の丸」をイメージした色にライトアップされていると報道。
大仙古墳◆堺市や国学院大などが、国内最大の前方後円墳で、宮内庁が「仁徳天皇陵」として管理する大山古墳(同市、5世紀)の副葬品として、金メッキのさやに入った鉄製ナイフ「金銅装刀子」や甲冑の破片を確認したと発表。
福岡「戦没者」追悼式◆太平洋戦争末期に900人以上が亡くなった福岡大空襲から80年となり、空襲や引き揚げなどで命を落とした戦没者らの追悼式が福岡市役所で営まれる。
【6月20日】
徳仁、雅子◆77人が死亡した2014年8月の土砂災害で特に被害が大きかった広島市安佐南区八木地区を訪れる。被災後に整備された砂防ダムを視察し、犠牲者が出た場所に向かって黙礼。近くの「広島市豪雨災害伝承館」で被災した人たちと「懇談」。広島市にある原爆養護ホーム「矢野おりづる園」を訪れ、入所する81~99歳の10人と「懇談」。/7月6~13日の日程で、「国賓」としてモンゴルを「公式訪問」することが閣議で決定。石破茂首相が「従来の親密な友好親善関係が一層深まると確信している」との談話を発表。
沖縄「戦没者」追悼式◆林芳正・官房長官が記者会見で、石破茂首相が23日に沖縄県を訪問し、沖縄全戦没者追悼式に出席すると発表。
「平和の礎」◆沖縄タイムス社(那覇市)が、沖縄県糸満市の平和祈念公園にある石碑「平和の礎」に刻まれた太平洋戦争末期の沖縄戦犠牲者ら計24万2567人の名前を朝刊紙面に載せる企画を実施中で、「読者や県民と共に不戦の誓いを新たにしたい」としていると報道。掲載は10日付紙面から始め、沖縄戦の組織的戦闘が終結したとされる「慰霊の日」前日の22日付までという。
【6月21日】
「筑紫君磐井の乱」◆共同通信が、連載企画「歴史を旅する」で「筑紫君磐井の乱」を取り上げ、「外交方針の対立が原因か/古墳時代最大の内戦」と題して配信。「筑紫君磐井の乱。九州で起きた古墳時代最大とされる内戦だ。今の福岡県八女市に本拠を置いた大豪族の磐井はヤマト王権となぜ争ったのか。乱から間もなく1500年。考古学の成果から真相に迫る研究が続く。/日本書紀では継体天皇の時代、527年に磐井が新羅からひそかに賄賂をもらい、新羅に侵攻された任那の救援に向かうヤマトの軍隊の進軍を阻止した。そこでヤマトは討伐軍を編成し、翌年に筑紫の御井郡で決戦となり磐井を斬ったとある。」
【6月23日】
徳仁、雅子、愛子◆沖縄「慰霊の日」に当たるとして、皇居・御所で黙とう。
明仁、美智子◆宮内庁によると、沖縄「慰霊の日」に当たるとして、東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所で黙とう。
佳子◆宮内庁が、佳子が体調が優れず、ブラジル「公式訪問」を終えた報告として予定していた昭和天皇の武蔵野陵(東京都八王子市)などへの参拝を取りやめたと発表。
宮内庁広報室長◆宮内庁総務課広報室長の藤原麻衣子を官房参事官=高度道路交通政策担当に起用する23日付の警察庁人事が公表される。
「沖縄全戦没者追悼式」◆沖縄県が、太平洋戦争末期の沖縄戦で死去した日米双方の20万人超を悼む「慰霊の日」を迎え、最後の激戦地だった糸満市摩文仁の平和祈念公園で、「沖縄全戦没者追悼式」が営まれる。玉城デニー知事が平和宣言で「沖縄戦の実相と教訓を、世代を超えて守り続けることが私たちの使命だ」。石破茂首相が参列後、女子学徒隊を慰霊する「ひめゆりの塔」で献花。
「平和の礎」◆1995年の当日、沖縄県糸満市の平和祈念公園で、沖縄戦などの戦没者名を刻んだ記念碑「平和の礎」の除幕式が開催される。村山富市首相ら三権の長がそろって出席。
【6月24日】
天皇、皇族◆徳仁が東京・上野の日本芸術院会館を訪れ、第81回日本芸術院賞の授賞式に出席。小説家の川上弘美ら10人が受賞し、このうち川上と彫刻家の勝野眞言、文楽人形遣いの吉田和生の3人は恩賜賞も贈られ、式典後、徳仁、雅子が皇居・宮殿に受賞者らを招き、「懇談」。秋篠宮、紀子や愛子らが同席。
「建武政権」◆日本史研究の発展と若手研究者への奨励を目的とする第26回日本歴史学会賞(同学会主催)は、京都大非常勤講師の殷捷の論文「建武政権の官司制度再考」(「日本歴史」第913号)に決まったと報道。短期間で崩壊した後醍醐天皇の建武政権における官司政策の分析を通し、その政策意図や政治思想の特質を明らかにしようとしたという。
【6月25日】
佳子◆ブラジルを「公式訪問」した感想を、宮内庁を通じて公表。「さまざまな形で、両国の友好関係が一層深まることを願うとともに、これからも大切な友人として寄り添い続ける未来を思い描いております」。
皇族数確保策◆共同通信が「女性・女系を議論せよ」と題する論説記事を配信。「皇族数確保策がまた先送りされた。政府の有識者会議が示した女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する▽旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎えるの2案を基に2022年1月から与野党協議が始まり、衆参正副議長は先の通常国会中に「立法府の総意」の取りまとめを目指したが、自民党と立憲民主党が折り合えず、断念した。(略)今のままでは、悠仁さまのみに男子誕生の重圧がかかることになり、未婚の女性皇族5人が結婚して皇室を離れれば皇室活動は先細りを免れない。歴史上、女性天皇は8人。女系天皇は1人もいないが、社会の価値観が多様化する中で男系維持にとらわれ、皇室の存続を危うくするようなことがあってはならない。」
中東情勢◆イランのペゼシュキアン大統領が、サウジアラビアのムハンマド皇太子との電話会談で「国際的な枠組みに基づき、米国との問題を解決する用意がある」。
【6月26日】
「お犬様」◆宮内庁が、天皇一家が飼っていた犬の「由莉」が23日夕方に皇居・御所で死んだと明らかに。2009年に生後2カ月の保護犬を引き取り、愛子が名付けたと報道。「側近によると、ご一家が見守る中、穏やかに息を引き取った。16歳4カ月で老衰だった。愛子さまは小さい頃からかわいがっていたため、大変さびしく思っているという。/由莉は、皇后さまが関心を示してきたアニマルセラピー(動物介在療法)の一環として、小児病棟への訪問を重ね、入院中の子どもたちと触れ合ってきた。側近によると、ご一家は由莉と過ごした思い出や、多くの人から愛されてきたことを思い出しながら、旅立ちを見送った。」
天璋院◆共同通信が、「子ども歴史企画」で天璋院を取り上げ「実家にせめられ、対決も/徳川家守った将軍の妻」と題して配信。「幕末の歴史に登場する女性、天璋院は、夫の江戸幕府13代将軍、徳川家定に死なれた後の名前。NHK大河ドラマのタイトルになった篤姫の方が有名かもしれません。(略)家定の死後、紀州(今の和歌山県など)の徳川家から14代将軍になった家茂は動乱の中で病死。15代将軍の慶喜による、政権を天皇に返した1867年の「大政奉還」で幕府はほろびました。(略)皇室出身の家茂の妻、和宮(家茂死後は静寛院宮)とは仲が悪かったのですが、共に徳川家がなくならないよう協力。天璋院は、新政府軍を指揮する薩摩藩の西郷隆盛に徳川家を助けるよう願う手紙を送りました。」
【6月27日】
「帰国の記帳」◆石破茂首相が、皇居で「帰国の記帳」。
「洋上慰霊」◆共同通信が、特集企画「ルポ・洋上慰霊」を配信。「遺児の『戦後』今なお/鎮魂の船旅、記者も同乗」と題し、リード記事で「戦後80年の今年が最後となった日本遺族会主催の『洋上慰霊』は6月1~11日に行われた。42都府県の218人の遺族らを乗せて神戸港を出港した船に、記者もフィリピンまでの6日間同乗した。戦没した父への思いを叫ぶ遺児、戦争の記憶を伝える『語り部研修』に臨んだ中学生。今なお続く『戦後』に向き合う人々を追った」と報道。
【6月28日】
京都御所◆共同通信が、「千年の都、大火からの教訓/文化財保護、未来へつなぐ」と題し、「みやびな宮廷文化を今に伝える京都御所(京都市)で、貴重な文化財を後世に伝えるための努力が続いている」と報道。「檜皮ぶきの御殿を前に本番さながらの消火訓練や、襖絵を搬出する『文化財レスキュー』の練習も。先人の思いを未来へつなぐ。(略)794年の遷都以来、平安京(京都市)は何度も大火に襲われた。(略)落雷や戦乱、盗み目的の放火などで都は何度も焼け野原に。梅の木についた毛虫を焼き払おうとして起きた1854年の嘉永の大火でも、京都御所の御殿群が焼失した。(略)100年後の1954年8月16日、今度は鴨川の花火大会の燃えがらが御殿の一つ、小御所の屋根に落ち炎上。(略)明治天皇が践祚の儀式を行った御殿は焼け落ちたが、幕末の『白梅』など杉戸絵6枚と襖絵11枚は搬出され難を逃れた。」
【6月29日】
近江神宮◆かるたの聖地として知られる大津市の近江神宮がライトアップされ、朱色の楼門が鮮やかに照らされたと報道。競技かるたが題材の漫画「ちはやふる」のテレビドラマ化にちなみ、出演する俳優らが参加した点灯式が行われる。近江神宮は百人一首巻頭の歌を詠んだ天智天皇を祭り、競技かるた日本一を決める決勝戦の舞台としても知られるという。
【6月30日】
皇嗣職宮務官◆皇嗣職宮務官河野太郎と堀口岳史が依願退官する宮内庁人事が公表される。
花岡事件◆秋田県大館市の花岡鉱山(1994年閉山)で太平洋戦争末期、強制連行された中国人労働者が一斉蜂起し、多数が死亡した花岡事件から80年となり、同市の十瀬野公園墓地で市主催の慰霊式が開かれる。大館市の石田健佑市長「人の自由や尊厳を奪う行為は決して許されず、後世に語り継ぐことが大切な使命だ」。
佐渡金山追悼式◆韓国外務省当局者が、「佐渡島の金山」(新潟県佐渡市)で開かれる全ての労働者のための追悼式について、当年は9月以降に行われる見通しだと明らかに。

 

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