志水博子
敗戦後80年が経つ。戦争の記憶はどんどん遠ざかっていく。一方で「新しい戦前」と、誰もが戦争の足音に不安を感じている。そんな時代に、今、私たちが考えるべきことはなんだろうか。私たちの生活の周りにある、一見「当たり前」のことを問い直すことも、そのひとつではないだろうか。そこから現在の日本のあり方が改めて見えてくるかもしれない。では、日頃考えることのない「日の丸」「君が代」についてはどうだろうか。多くの人にとって、オリンピックや世界大会で馴染み深く、また、小学校や中学校の卒業式や入学式で「日の丸」が掲揚され、「君が代」が斉唱されることは何の不思議もない「当たり前」の光景かもしれない。本書は、その「当たり前」について問い直す。結果、本書は「日の丸」「君が代」を基軸として著された歴史論であり、また戦後教育を問い直す教育論であり、現在を問い直す好適な書籍の一冊となっている。

萱野一樹・河原井順子・根津 公子・著『「日の丸・君が代」強制って何?[国旗国歌と思想・良心の自由を考える]』(プロブレムQ&A、緑風出版、2024年)
全体の構成は、タイトルにもあるようにQ &A形式すなわち最初に問いが立てられ、それに答える形で筆が進められていく。I部は、「日の丸君が代強制を考える」、II部は「『日の丸』『君が代』のABC」。タイトルや構成からして、「日の丸」や「君が代」がなぜ問題になるのか、よくわからないという若い人々に向けたもののように思える。たしかに分かりやすい筆致ではあるが、本書には「日の丸・君が代」問題の本質が表れている。
I部には、ここ20年余りに起こった学校における「日の丸」「君が代」の強制と処分のありさまが主に東京と大阪を中心に取り上げられている。
ここでは、裁判すなわち司法のあり方について問い直すことができる。特に印象的だったのは、「国歌斉唱義務不存在確認訴訟」すなわち教職員に入学式や卒業式において国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する義務がそもそもないことの確認を求めた裁判の判決である。地裁と高裁では判決が180度異なっている。
2006年9月21日、東京地裁では難波孝一裁判長は原告の訴えを認め、教職員に一律に卒業式等の式典等において国歌斉唱の義務を課すことは憲法19条思想・良心の自由に対する制約つまり憲法違反になると判断した。
ところが、この判決に対して東京都が控訴し、東京高裁では、この判決は取り消されてしまう。それは裁判ではそう珍しいことではないかもしれない。しかし、私が気になったのは、判決よりもここで紹介されている判決文に記載された裁判官の意見である。
それは次のように書かれている。
「国旗・国歌法の制定・施行されている現行法下において、生徒に、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、将来、国際社会において、尊敬され、信頼される日本人として、成長させるために、国旗、国歌に対する正しい認識を持たせ、それらを尊重する態度を育てる事は重要なことである。・・」
引用されている裁判官の言葉に目を疑った。日本の公立学校に在籍する生徒は日本人ばかりではない。ところが「生徒に、日本人としての自覚を養い」「将来、国際社会において、尊敬され、信頼される日本人として、成長させるために」と記されている?!
これでは、戦前の同化政策と同じではないか。なぜ、司法の場でこのような表現がこともなげに、いや恥も外聞もなくといった方がいいかもしれないが、しれっと出てくるのか。おそらく裁判官に特別な意図はないだろう。この「思い込み」こそが、戦後何十年経っても植民地主義が生き続けていることを物語っているように思う。今も克服できないでいる植民地主義が「当たり前」の顔で出てくるのだ。
もう一点、司法の問題に触れておきたい。「君が代」斉唱命令は憲法19条思想・良心の自由に違反するか否か、これは「君が代」裁判において最も重要な問題であるが、最高裁はどう判じたか。これが非常に歯切れがよくない。イエスともノーとも判断せず、その時最高裁が用いた論理は端的に言えば、次のようなものである。
「君が代」斉唱命令は、思想・良心の自由を直接的に侵害するものではなく、間接的に侵害するものであるが、この場合は間接的制約は許されるというものだ。
司法は憲法判断するという「当たり前」のことがここでは覆される。このような欺瞞、もしくは曖昧模糊とした判断は、実は戦後の日本がし続けて来たことではなかったか。
といっても、本書は司法の話ばかりではない。Q14では「同調圧力」について書かれている。同調圧力とは、意見や行動を少数派が多数派に合わせるよう強制する無言の圧力を指すが、日本は特にその傾向が強いのではないかといわれている。では、国家のシンボルである国旗や国歌「日の丸」「君が代」について同調圧力が働くと、その行き着く先に何があるのか。本書にある「同調圧力の極限としての戦争動員」「最大の人権侵害である戦争に政府が向かうとき、同調圧力は瞬く間に増強する」は、心しておきたいことではないだろうか。チームワーク、和を尊ぶといいながら、いつの間にか、ものが言えない時代になったとき、それはQ29にある「茶色の朝」につながっていく。
さて、II部では、「日の丸」「君が代」の歴史に始まり、教科書における記述の変遷、1999年に成立・施行された国旗・国歌法をめぐって等々、ここでも、おそらく多くの読者は「当たり前」に思っていたことの歴史や背景を知るにつれて、見えてくるものがあるに違いない。そして、なぜ「日の丸」「君が代」強制に反対するの? と問う以上に、なぜこれほどまでに「日の丸」「君が代」が強制されるのか? を問うことの重要性に気づくのではないだろうか。その問いから広がる世界観と生き方こそ、著者らの願いではないだろうか。本書は、戦後最大の思想弾圧事件を闘ってきた著者たちからこれからを生きる若い人々へのメッセージである。