天野恵一
--3月3日、18歳になった悠仁さんが、成年皇族として初めての記者会見、落ち着いた対応が話題になりましたね。天皇の65歳の誕生日記者会見は2月23日、「戦後80年」の区切りの年のメッセージ。「愛子」キャンペーンは終わらない。マスコミの皇室情報は相変わらずですが、今回は予告していた共産党の愛子女性天皇路線の問題に入る前に、私としては、以前もちょっと触れた、昨年の10月に皇室典範の「皇位継承を男系男子に限定する規定」を女性差別として典範の改正を勧告された政府が逆ギレ、国連の「女性差別撤廃」委員会を、日本が支払っている任意拠出金の対象から除外すると発表。東京新聞「こちら特報部」(1月31日)は「意に添わぬ意見には金は出さぬ、という威圧的なやり口」と強く批判していますね。この問題を、まず論じていただきたい。
天野 ハイ、「女性天皇」問題の流れにでてきたことですから、いきましょう。しかし日本の政府の態度は、どうして天皇制について出てくる批判に対しては「絶対許さない!」という態度しか取れないんでしょうね。今でも天皇制批判はタブーなんですね。この点が大問題ですよ。
私の立場からすれば、憲法2条の世襲天皇規定と皇室典範の男子限定規定がセットなのだから、「世襲男系」主義がセットで、すなわち憲法まで含めて〈差別ダ!〉と国連(人権委)は勧告して当然だと思いますがね。
その「東京新聞」でも林芳正官房長官の「我が国の皇位継承のあり方は国家の基本に関わる事項であり、女性に対する差別の撤廃を目的とする条約の趣旨に照らし、委員会が取り上げるのは適当ではない」「皇位につく資格は基本的人権には含まれず、男系男子に限定していることは女性への差別に該当しない」という抗議の言葉が紹介されていましたね。
よく考えてみると、皇位継承予定者だけでなく、天皇・皇族は憲法上、基本的人権の保持者ではない。すなわち人間ではナイというのが、憲法・皇室典範の前提なのです。だから、あれだけいろんな人権を認めていないわけですね。政府は、そこにヒラキ直ってしまっているわけです。超デラックスな衣食住まるごと税金まるがかえの特権の対価として、彼や彼女には人間としての自由、権利は保障されていないわけですから。「基本的人権は含まれない」とは、そういうことなのでしょう。ヒデー話だよね。
1条から8条までの天皇条項は人権の「飛び地」だという単純な理論は、人間(人権の保持者)扱いはしなくていい、と憲法が言っているという解釈を、ソフトに言いつくろっているだけですよ。選挙権も被選挙権もナイんだから。
--ナルホドネェー。そんなふうに考えるわけですネ。国連の人権委員会には日本の憲法の天皇条項と「皇室典範」をまとめてキチンと読んで、もっと批判を掘り下げてほしいというわけですね。私の予想を超えた回答でしたネ(笑)。
天野さんも積極的に評価している国連の人権委員会の「皇室典範違憲論」でしたから。
次は共産党の女性天皇容認論。容認というより推進論というべきでしょうね。この問題に移ってください。
天野 ハイ、日本共産党と象徴天皇制の関係は、かなり以前から調和的になってきてしまっていましたね。不破哲三委員長の時代から。1999年5月に『新日本共産党宣言』という本が光文社から刊行されています。そこでは不破委員長が、ではなく、対談相手の井上ひさしに、もっぱら主張させるという奇妙なスタイルで、「象徴天皇制と日本共産党は矛盾しない」という主張を押し出していますね。戦前(中)と違って、「国民主権」下の立憲君主だから、問題はナイ、ということを、井上の口を借りて、宣言している本です。
--委員長自身の言葉ではないのですか。
天野 エエ、まだストレートには言いたくなかった段階なのでしょうかね。
--オカシナ話ネ。
天野 ハイ。次に2015年12月25日の「しんぶん赤旗」の志位委員長(記者会見〈24日〉)発言。
天皇の「お言葉」で始まる「国会開会式」に議員が出席する方針への変更の表明。主権在民の国会にふさわしくない形式は正されていないが、天皇の「お言葉」が米国や日本政府の政策を肯定するようなものではなくなって、「憲法からの逸脱は見られなくなり、儀礼的・形式的な発言が慣例として定着したと判断でき」るようになったから、というのが理由。開会式の形式は正されるべきと条件は付けているが、天皇の「お言葉」をなくせというような、あって当然の具体的な要求は、そこにはまったく示されていない。天皇を上座において、国民に選ばれた議員がその「お言葉」に頭をたれる儀式に、参加していくことになったわけですね。
--次のステップは、どういうものだったのですか。
天野 『天皇の制度と日本共産党の立場』というパンフレットが、志位和夫委員長の名前で出されています。そこにハッキリとした方針転換が表明されています。赤旗編集局長による2019年6月4日の志位インタビューです。2004年の第23回党大会で改定した綱領に則して象徴天皇制を君主制と解釈してきた、以前の認識を改めると、そこで宣言していますね。
--君主制でなくて、何になったというの?
天野 ブルジョア君主制でも、ヨーロッパの立憲君主制でもなくて、「国政に関する権能を有しない」ただの象徴という「天皇の制度」だというのです。
--フーン。その流れで「女性天皇」容認―推進論というわけね。
天野 そのようです。かつての社会党のように、まるまる護憲と言えなかった自分たちも、これでスッキリ「護憲」でいける、と少しハシャいだ主張もありますね。
--裕仁天皇さんのように裏で政治的に動くことは、明仁さんの代になってからはナイだろうから、もう安心という論理なんですか。
天野 そのようです。
でもネ、憲法のトップにドカンと存在し、やっぱり「世襲」の天皇を国家のシンボルとして置き続ける象徴天皇制は、独自の政治力を発揮し続けているわけなんですよ。その事実から目を塞ぐのはおかしい。
たとえば、この間の天皇誕生日の「奉祝」反対——「天皇誕生日に戦争・植民地支配責任の追及を!」集会(2月22日)。右翼がワンサカ街宣カーで乗りつけて、入り口で脅迫を繰り返していた。終わらない政治風景でしょう。象徴天皇制としてであれ、天皇制が延命した結果でしょう。
「この集会の参加者はすべて朝鮮人です! 反日朝鮮人は朝鮮ヘ帰れ!」とか排外主義の言葉をわめいていたでしょう。こういうことは、天皇制があるかぎり終わらないんですよ。マスコミはこうした暴力におびえていることもあって、正面からの天皇制批判の言葉はほぼ口に出来なくなってしまっているでしょう。
「言論の自由」なんてどこにあるんですか。私たちは思想的批判をしているだけなんですよ。
--私も聞きました。ヒドイ言葉でしたね。恐ろしくて参加できなかった人もいたでしょうね。
天野 ハイ、僕は、この間、1990年1月18日に「天皇には戦争責任がある」という、当たり前のことを公言した本島等長崎市長が右翼によって狙撃されるというショッキングな事件を契機に私たち(この場合は「市民の意見」の会と当時の反天皇制運動の合流)が作り出した、意見広告をステップとした90・2・23「タブーなき言論の自由を」の集会記録を、パラパラと読みなおしてみました。
やっぱり記録(本)はつくって残しておくべきだと思いましたネ。凱風社で1990年に刊行されています。私のこの集会のラストの締の言葉を、ここで引きますね。
一月十八日、本島長崎市長がテロられた日は、政府が即位の礼と大嘗祭の大綱について、大枠のプログラムを決定し発表する時と、ほぼ重なっています。……その日は日の丸・君が代を強制するという学習指導要領の改悪があり、その学習指導要領に従わなければ解雇されるということを正当化する判決、いわゆる伝習館の判決が下された日でもあります。/私たちは、この右翼の憎むべきテロは、即位の礼や大嘗祭が現実に準備されてくる、象徴天皇制を延命させる政治儀式が準備されてくる。そして日の丸、君が代を教育現場に強制する、地域に天皇を軸とした国家主義的イデオロギーを強制する、というような一連の事柄の流れの中から、必然的に発生した事だろうというふうに考えています。ですからテロへの反撃は、単に右翼のテロ一般を問題にするだけにとどまらずに、国家主義的なイデオロギー支配の強化という動向全体を見据えながら考えていこうではないかと、討論してきました。/……マスコミの問題があります。特に一昨年のあのXデー報道以降、マスコミは歴史を偽造し、ヒロヒトやアキヒトあるいは皇族の人柄をひたすら賛美してきました。素晴らしくいい人なんだ、平和主義的でいい人なんだという、でたらめな人柄賛美を軸にした天皇および天皇制賛美がなされてきました。このマスコミ報道があのテロを誘発した、ということは誰が考えても明らかだと思います。天皇制あるいは天皇に対する批判をマスコミはタブーにした。そのことの結果として右翼のテロが飛び出したんです。そういう因果関係を僕たちは考えなければいけないだろうと思います。/ですから、この集会につきましては、単に言論の自由を守れだとか、民主主義を守れだとかいうような問題の立て方をしなかったんです。少なくともタブーを具体的に打ち破るような批判や疑問を公然と大きな声で発する——そういう発言の自由を実践することを通してのみ、初めて私たちは言論の自由について語れるだろうと。つまり、タブーを無視する言論を今日の集会で創り出していこうと思って、準備してきました(傍線筆者)。
これは、象徴天皇制の一代目裕仁の「代替わり」状況の下に発生した問題です。この状況下では共産党は議員が強制される天皇儀礼の政治性(宗教性)を問題にし、何人も処分されていたと思います。
志位委員長下の共産党の象徴天皇制「無害」論への大転換は、二代目象徴明仁の「生前退位」のセレモニーと三代目象徴「即位」へ向かうプロセスで発生しました。
ややしつこいですが、さっきの発言の最後の部分も、引きます。
それからもう一つ、今週準備されている即位の礼と大嘗祭の問題を考えてみたいと思います。/例えば戦後、象徴天皇制という形に天皇制を規定し、天皇が一切の戦争責任を負わないことを内外に宣言しました。その戦争責任を負わないという宣言が、象徴天皇制という制度の成立だったわけです。その意味で、これから即位の礼と大嘗祭を国際舞台で大々的に行おうということは、内外に改めて天皇制の無責任を宣言することなのです。一切の戦争責任を負わないことを、そして負わなかったことが正しいということを改めて宣言する儀式が、即位の礼であり、大嘗祭であると思います。テロの批判は、この儀式への批判と連動するはずです(傍線筆者)
--ハイ、おつかれ様。象徴天皇制自体が、いろいろな政治性・宗教性を持ってしか存在できないということを力説しているわけですね。
天野 だから象徴一代目の代替わりの時、いろんな集会や集まりを禁じてしまう、人権侵害の日常化といった「自粛」大騒ぎ、突出した右翼テロの発生を必然的に伴ったわけですね。
渡辺治さんも、かつてはこの時のショックの意味を強くふまえて象徴天皇制批判の基本的視座を確立していたはずです。
三代目の即位へ向かうプロセスにだって、天皇主義右翼の暴力は突出しました。立川の公園でメチャメチャな暴行を受けましたよね。公安警察の弾圧もウルトラだった。
象徴天皇だって皇室神道の中の神としての儀礼は宮中三殿で行なっているわけだし、国家によって、もちろんマスコミによっても、ウルトラに神聖化されているわけだから。独自の宗教性や政治性は、必然的に身に帯びた存在であるしかないんですね。
それは人間を〈国家の象徴〉〈国民統合のための象徴〉とする世襲制度が必然的に保持させるものというしかないはずです。
共産党の路線転換は、この点を無視することで正当化されているものにすぎないと思います。
--最後に、もう一つだけ訊いていいかしら。アノ、天野さんは、象徴天皇制は基本的には、どういう人が天皇になろうと大きな変化はないと考えているわけですか。
天野 イエ、そうではありません。制度と個人(人間)の関係については、大日本帝国憲法下の元首天皇のように、勝手に政治(軍事)に口を出し続けるわけにはいかず、政権の意向をベースにした儀礼的権力以外ではない。その点、象徴天皇制は政権(支配者)のしばりは、決定的な制度だとは思います。しかし、日本の政治権力者はズーッと、天皇を使いたい政党が支配していましたから、大目に見られる幅は広かったわけですね。だから、元首(主権者)意識が抜けなかった「昭和天皇」は裏でメチャクチャに動きまわれた。日米安保体制づくりの裏の主役はヒロヒト天皇だった事実は、今日、まったく明らかですね。だから、初めから「象徴」である二代目以降の天皇だからほぼダイジョーブという共産党の判断には、その点はそれなりの根拠があることは間違いないと、私も思います。もちろん百%ダイジョーブなんてことはありませんがね。二代目だって象徴天皇はかくあるべきだというウルトラ政治的発言を「代替り」の時繰り広げたでしょう。
だけど、私が問題にしているのは、天皇のそういうわかりやすい活動としての政治ではないのです。「国家」と「国民統合」のためのシンボルそれ自体が持つ政治(宗教)性です。
--ウーン、それなりに理解できるように思いますが、君主制理解をめぐっては、次回以降つめてください。それでは、今回は、ここまで。
*初出:『市民の意見』市民の意見30の会・東京発行、no.208, 2025.04.01