朝鮮学校無償化排除に抗う!

森本孝子(朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会共同代表)

敗戦80年

今年は敗戦80年。それは同時に植民地支配からの朝鮮解放80年でもある。多くの朝鮮学校は創立80年を迎える年でもある。朝鮮を植民地支配した日本は、その名前や言葉や同化政策によって民族的アイデンテティを奪ってきた。植民地解放を機に、在日朝鮮人の間で、いつか祖国に帰れる日があることを想定して、子どもたちに民族の言葉をまずは習得できるように全国各地に「国語教習所」が設立された。それが朝鮮学校の始まりである。

その教習所がやがて学校として整備され「朝鮮学校」になっていく。学校を建てるときに、在日朝鮮人1世たちは「金のある物は金を!力のある物は力を!知恵のある物は知恵を!」を合言葉に、各地で学校を整えていった。私の住む荒川区には「朝鮮第一幼初中級学校」がある。その学校には古い松の木の残骸が貴重な資料として展示されている。その木は、1世たちが校舎を建てるときに、雨風台風にも倒れないように、地下深く1本数メートルもある松の木を埋め込んだものだ。

校舎建て替えの時には見つからなかった古木は、3回目の建て替えの時に初めて姿を現した。それほど深く埋められていたのだ。一世の深い思いに感動する。全国に作られた朝鮮学校は、600余りと聞く。しかし、今その数は10分の1以下に減っている。少子化も影響しているだろうが、何といっても政府が朝鮮学校を目の敵にするように、弾圧を繰り返してきたからだ。

朝鮮学校弾圧の歴史

1948年、アメリカは朝鮮民主主義人民共和国の成立を機に、日本をアジア支配の最前線基地とする方針から朝鮮学校を敵視するようになり、朝鮮学校閉鎖令を発出。在日朝鮮人の圧倒的多数によって結成された在日朝鮮人連盟(朝連)の指導の下、各地で民族教育、朝鮮学校を守ろうという闘いが展開された。

警官隊は学校に立てこもって学校を守ろうとする子どもたちや教職員を暴力的に排除し、激しい抵抗が行われた兵庫県では一時県知事との間で学校閉鎖令の取り消しを約束させる合意文書を勝ち取るが、駆け付けたアメリカ軍司令官によって、「非常事態宣言」が発せられ、合意文書は破棄され、1700人以上が逮捕された。

また大阪でも1万5千人を超える抗議行動のもとに知事との交渉が持たれたが、GHQの大佐が現れて拳銃を出しての恫喝を行い、交渉を破棄させ、さらに庁舎前に集まった群衆に向かって消防車による放水を行い、警官の銃の発砲によって当時16歳の金太一(キム・テイル)少年が亡くなり、拘束された朝連委員長の朴柱範(パク・チュボム)は苛烈な拷問を受け釈放後数日で死亡した。この二人は青山墓地にある「無名戦士の墓」に葬られていることがわかり、2013年にこの墓前で追悼のマダンが行われ、現在も続けられている。こうした一連の闘いを総称して「4.24阪神教育闘争」と呼んでいる。

それでも朝鮮学校を守り抜いた人々に対して、新たに1965年には「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養する朝鮮学校は各種学校としての地位を認めることはできない」と言う文部事務次官通達が発出された。

この年は日韓条約が締結された年であり、韓国側から朝鮮学校を認めないようにと言う要望が出されていた。今年はその日韓条約締結60年にもあたる年だ。朝鮮学校などの外国人学校は各種学校と位置付けられているが、「各種学校」とは自動車教習所や美容師養成学校などと同じ扱いであり、学校として認められていないに等しい。通学定期券や各種の学校競技大会への出場、奨学金、大学受験資格など、他の学校と比べてあまりにも酷い扱いを受け続けてきた朝鮮学校だが、粘り強い闘いで、定期券や各種スポーツへの参加、など闘いによって獲得してきたものもある。

そして、現在になお続く「高校無償化制度」からの除外である。2010年民主党政権で始まった「高校無償化制度」は学ぶ意欲のある子どもたちを政治や外交と関係なく支援する目的で設定され、国として初めて外国人学校も対象にした画期的な制度だ。当時33校の外国人学校の生徒が公立学校と同等の支援金を受け取れたが、朝鮮学校だけは拉致、核などの政治的問題を理由に、排除され、その理由は国連各種委員会から、子どもの教育と関係ないとはねられ、今はその理由は、「審査の結果、高校無償化の基準を満たすと認めるにいたらなかった」となっている。

文科省例では、外国人学校を(イ)国交があり、学校の方針や運営が本国との間で確認できるもの(ロ)国交はなくても国際基準を満たしていると認定できるもの(ハ)(イ)と(ロ)に入らない学校は、審査委員会によって審査され、最終的に文科大臣が認めるもの。朝鮮学校は(ハ)に分類され、審査委員会の審査を受けていた。

審査がほぼ完了し、朝鮮学校にも適用されそうになったとき、政権交代が起きた。安倍第2次政権がまず行ったのが、下村大臣とともに、朝鮮学校が該当していた省令「ハ」を削除し、未来永劫要請できないようにしたことだ。朝鮮学校と同じように「ハ」に分類されていた2校は「イ」や「ロ」に編入され、朝鮮学校だけが「ハ」に残されていた。今後、この「ハ」の条項を復活させること、または国交正常化が無償化適用につながることになる。

高校生が国を相手に告訴した裁判

全国の5か所で、学園や高校生が原告となり、国に損害賠償を求める裁判が行われた。地裁から最高裁まで15回の裁判が行われたが、結果的には、原告の1勝14敗と言う原告惨敗になった。

1勝は大阪地裁の判決だった。裁判長はしっかりと朝鮮学校の経営状態を調査し、国が排除するのは違法であると判決した。この裁判後の報告集会で、女子高校生が「私は今日の裁判の結果を聞いて、私たちはこの社会に生きていていいのだと言われたように思った」と発言した。この言葉は何度も噛みしめて心に刻んである。

大阪地裁以外は、みな本来行うべき学校運営についての調査など行わず、もしも支援金が支給されたら、総連など他団体に流出されるのではないかという疑いすら告訴却下の理由にしている。大阪地裁のようなまともな判決があったことを希望として、さらに前を向いて活動することが重要になった。

東京圏内では、これまで裁判支援をしてきた「朝鮮学校裁判支援の会」が裁判前の会の名前を改称し「朝鮮学校無償化排除に反対する連絡会」(通称無償化連絡会)となり、継続して朝鮮学校支援の方針を立て、各地の朝鮮学校を支援する団体づくりに着手し、次々に支援団体が結成された。すでに中高級学校を除いて東京に9校ある中学校までの学校に対して8校に支援団体が結成されていて、残る1校でもその準備が進められている。

高校無償化の拡大が法制化される中で

2025年には、維新の会から「高校無償化制度」を私立学校にまで拡大し、さらに親の所得制限を外す方向が提案され、政府も政局の要請も含めてその方向でまとめてきた。大阪では維新政治の中で、私立までの支援が実施される中、公立高校は生徒が集まらず、廃校になるところが増えているという。

無償化制度が拡大される中、なぜ朝鮮学校だけが排除され続けるのだろうか。和田春樹さんと田中宏さんが共同で記者会見をして、その問題を指摘した。それはまさに朝鮮学校が過去の日本の侵略、植民地支配の生き証人であり、過去を振り返ることなく新たな戦前に向かう日本資本にとって、邪魔者であるからではないだろうか。この間、群馬県の朝鮮人追悼碑撤去や、東京都の朝鮮人虐殺追悼碑のそばで、歴史改ざんを叫ぶ輩たちの存在と追悼碑撤去への動き、そして安保3文書決定、敵基地攻撃容認、アメリカからの兵器爆買いと防衛費をGDP2%への増額などにみられる、平和憲法蹂躙、破壊が公然と行われる現実とのつながりを考えざるを得ない。

国連の各種条約から5回も朝鮮学校排除は差別であり、自治体の補助金復活と共に無償化実現すべきと勧告されていることが完全に無視されている状態で、各種の財政支援を受けられない朝鮮学校の経営は厳しい状態になり、保護者負担も重くなる。少子化と相まって、各地の朝鮮学校は兵糧攻めに合うような経済弾圧を受けている。そしてこうした国による朝鮮学校排除政策は、元文科省官僚であり、朝鮮学校を審査合格させるべき活動していた前川喜平さんによれば、政府によるヘイトだという。

官のヘイトは民のヘイトと相まって朝鮮学校への廃校攻撃を強めている。この状況をどう切り開けるのか。

希望をつなぐ

東京の朝鮮学校には支援団体が次々に作られ、残る1校にも準備会が活動し始めたことは前述した。そして全国的には、以前からあった平和フォーラムに事務局を置く「朝鮮学園を支援する全国ネットワーク」が活動していて、毎年、(ハ)が削除された2月20日を「屈辱の日」として全国で何らかのイベントを行うことになっている。

また、隣国韓国では、李承晩大統領によって、在日朝鮮人のことは日本政府に任せるとして、棄民政策を行ったために、日本に在日朝鮮人が多数居住していいて、民族教育を行う場として朝鮮学校があることは知られていなかった。韓国の映画監督が制作した「ウリハッキョ」と言う映画が韓国で公開されるや、人々は驚きをもって日本にある朝鮮学校に関心を持つようになった。

「モンダンヨンピル」というアーティストを中心に作られた団体は、韓国内で公演を行いながら日本に遠足として数回訪問し、公演を行っている。また民主化闘争を闘ってきた団体が多く連なり「アイドルとウリハッキョを支援する市民の会」(アイドルとは子どもたちのこと、ウリハッキョは朝鮮学校を指す)が結成され、昨年までに14回訪日して各地の朝鮮学校を訪問し、支援活動を続けているが、尹大統領が誕生するや、朝鮮学校と関係する人間は「国家保安法」違反として、訪問が中断されてしまった。

しかし、世界に居住する朝鮮人はじめ、多くの支援者が生まれている。その様子を映画化した、「ソリヨモヨラ」は今各地で上映中である。そして日本で2022年に成立した「こども基本法」では「子どもの権利条約」に則り、子どもに対する差別を禁止しているのだが、朝鮮学校の子どもたちが、いつまでも無償化適用されず、放置されているのは差別ではないのか。

敗戦80年、朝鮮学校がなぜ日本に多くあるのか、その現状はどうなっているのか、本来だったら、植民地支配の反省として政府が民族教育の保障をすべきではないのか。政府は「経済的に大変なら、日本の学校に行けばいい」と言っている。日本の学校で民族教育が保障されるはずはない。何という宗主国思想だろうか。

皆さんにはぜひ近くの朝鮮学校を訪問してほしいと思う。そして多くの映画や本が朝鮮学校のことを知らせてくれているので、ぜひご高覧いただきたい。私たち通称無償化連絡会(朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会)では『朝鮮学校物語(あなたのとなりの「もう一つの学校」)』2015年刊行、『高校無償化問題が問いかけるもの(朝鮮学校物語2)』2023年刊行の2冊の本を出版していてる(いずれも花伝社発行)。そこには年表や参考にすべき本や映画なども紹介しているので参考にしてほしい。また、現在進めているイベントなどについては、ブログ:朝鮮学校「無償化」排除に反対する連絡会を参照されたい。皆さんが新たな支援者になられることを期待しています。

 

 

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