やじうま日誌 2025年3月

【3月1日】
佐紀池ノ尻古墳◆奈良市の佐紀古墳群で、奈良時代の都だった平城京造営の際に破壊されたとみられる全長約200メートルの巨大前方後円墳の痕跡が見つかり、奈良市が発表。佐紀池ノ尻古墳と名付け、担当の村瀬陸学芸員「完全に消滅した全長200メートルもの古墳が見つかるのは全国初。古墳の規模から王権中枢を担った人物だろう」。佐紀古墳群は4~5世紀にかけて奈良市北部に築かれ、成務天皇陵や神功皇后陵があり、巨大古墳の集中地域が奈良から大阪へ移る過渡期の大王クラスらの墓とみられていると報道。
【3月3日】
悠仁◆成年に当たり、東京・赤坂御用地の赤坂東邸で初めての記者会見に臨む。皇位継承順2位の立場にあり、象徴天皇の存在については明仁や徳仁の考えを踏まえ「常に国民を思い、国民に寄り添う姿なのではないか」との認識を示したと報道。「昨年9月に成年皇族となり『公的な活動に一つ一つ丁寧に取り組み、成年皇族としての自覚を持ち、皇室の一員としての役割をしっかりと果たしていきたい』と抱負を述べた。皇室の在り方について『人々の暮らしや社会の状況に目を向け続けていくことが重要であると思う』とも語った」。▼共同通信が、「皇室の基本、学び深め/平和へ思い、国民と交流」と掲げたサイド記事を配信。「皇位継承順2位で秋篠宮家の長男悠仁さまは、幼少期に戦禍の地を巡り、平和の尊さを学ばれた。高校生になってからは秋篠宮さまの公務に同行し、同年代の生徒と交流を重ねた。上皇さまや天皇陛下は皇室の基本を『国民と共にある』こととしており、悠仁さまは3日の記者会見で『人々の幸せを願い、気持ちに寄り添い続けることが重要と思う』と述べた」。▼共同通信が、「『緊張』も資料持たず30分/天皇像から抱負、家族まで」と題した雑観記事を配信。「成年を迎え、初めて記者会見に臨まれた秋篠宮家の長男悠仁さま。『さまざまな場面で緊張してしまうところがある』と自己評価したが、約30分間、資料を持たずはっきりとした口調で応対した。時折笑みを浮かべ、記者一人一人の顔を見ながら語ったのは、象徴天皇像から学生生活の思い出や抱負、家族の逸話までと、多岐にわたった」。
佳子◆東京都千代田区の東京交通会館を訪れ、全国の女性が手がけた生活に役立つ発明品を集めた「第56回なるほど展」を視察。
皇位継承策◆共同通信が、「国会、皇族確保に議論限定/皇位継承は将来テーマ」と題したサイド記事を配信。「与野党の国会での議論は、皇位継承を将来のテーマとして切り離し、皇族数の確保に絞って協議を進めている。額賀福志郎衆院議長は、立法府の総意とりまとめに向け、今国会中に結論を得ると目標に掲げるものの、自民党と立憲民主党の立場に隔たりがあり、難航する可能性がある」。
モンゴル訪問◆石破茂首相が、モンゴルのバトツェツェグ外相と官邸で面会。普遍的価値を共有する「特別な戦略的パートナーシップ」の関係を一層強化していく方針で一致したと報道。バトツェツェグ外相が林芳正・官房長官とも面会し、7月前半の徳仁、雅子のモンゴル「公式訪問」に万全の準備を進める考えを示す。
【3月4日】
天皇、皇族◆徳仁、雅子が、訪日中のイタリアのマッタレッラ大統領と皇居・宮殿で会見。宮内庁によると、約20分間で大統領の長女も同席。徳仁が、両国関係が近年、緊密になっていることを「喜ばしい」と述べる。小食堂「連翠」で昼食会が催され、秋篠宮、紀子が同席。徳仁の「発案」で前菜に和食が出され、日本酒で乾杯したと報道。
秋篠宮、紀子◆東京・元赤坂の明治記念館で夜、行われたイタリアのマッタレッラ大統領「主催」のリサイタルを鑑賞。
佳子◆宮内庁が、佳子が6月上旬にブラジルを「公式訪問」すると発表。当年は日本とブラジルの外交関係樹立130周年で「日本ブラジル友好交流年」ともなっており、友好親善を図ると報道。
国際司法裁所長◆オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)が、新所長に岩沢雄司・裁判官が選出されたと発表。日本人の所長は、09~12年に務めた雅子の父、小和田恒に続き2人目と報道。
東日本大震災追悼式◆林芳正・官房長官が記者会見で、石破茂首相が東日本大震災から14年となる11日に福島県を訪れ、県主催の追悼式に出席すると明らかに。首相が「国民」に震災犠牲者への黙とうを呼びかける談話を発表。
【3月5日】
徳仁◆東京都港区の三田共用会議所を訪れ、水と災害に関する国際シンポジウムを聴講。聴講後、パネリストらと「懇談」。
徳仁◆皇居・宮殿「春秋の間」で、矯正活動に長年貢献したとして法相や矯正協会会長の表彰を受けた刑務所職員らと面会。あいさつで「皆さんの仕事は、健全な社会を築いていく上で極めて大切であり、日々努力を続けておられることを心強く思う」。
皇族数確保策◆超党派議員連盟「日本会議国会議員懇談会」(会長・古屋圭司・元国家公安委員長)が国会内で総会を開く。皇位継承問題で百地章・日本大名誉教授が講演。皇族数確保について、今国会での法制化実現を目指す方針を確認。選択的夫婦別姓制度導入に反対の立場で、「旧姓の通称使用」の法制化を目指す方針を決める。自民のほか、日本維新の会から藤田文武・前幹事長らが出席。
【3月6日】
徳仁、雅子◆岩手県大船渡市の大規模山林火災の被災者や避難者らに対し、「見舞い」の気持ちを県側に伝えたと報道。「側近」が達増拓也知事に伝達。
秋篠宮、紀子◆東京・上野の日本学士院会館を訪れ、若手研究者を支援するためとして日本学術振興会が設けた「育志賞」の授賞式に出席。式後に受賞者らと「懇談」。育志賞は、厳しい経済環境の中で勉学に励む若手研究者を支援する資金として、明仁が日本学術振興会に「下賜金」を贈ったことをきっかけに2010年度に創設されたと報道。
石神遺跡◆奈良県明日香村の石神遺跡にあった、飛鳥時代の東西方向の塀跡(7世紀後半から末)は長さ約133メートルだったことが分かり、奈良文化財研究所が発表。7世紀半ばの斉明天皇のころには、外国使節をもてなす迎賓館のような供宴施設があったとされるが、7世紀後半には、それらを壊して整地し、新たに塀や建物がつくられており、この時期に石神遺跡には役所のような施設があったと推定されていると報道。
【3月7日】
大仙古墳◆日本考古学協会など17の研究者団体が、宮内庁が仁徳天皇陵として管理する国内最大の前方後円墳・大山古墳(堺市、5世紀中ごろ)を初めて立ち入り調査。
徳仁、雅子◆派遣先から帰国した海外協力隊員らと皇居・御所で「懇談」。
【3月10日】
天皇一家◆皇居・御所で黙とうし、80年前に起きた東京大空襲の犠牲者を悼んだと、宮内庁が発表。
秋篠宮、紀子◆東京都慰霊堂(墨田区)で営まれた東京大空襲の犠牲者法要に参列。
皇族数確保◆衆参両院が、皇族数確保に関する全体会議を衆院議長公邸で開き、「皇統に属する男系男子の養子縁組を認める案」を議論。全体会議のベースになっている政府の有識者会議報告書について、自民党に加え、日本維新の会、国民民主党、公明党が「妥当」と肯定。自民党が、養子縁組を認める案を「必要な方策だ」と容認する意向を表明。養子となった後に生まれた男子が皇位継承資格を有するのは適切だと主張。立憲民主党は対象者の有無や意思確認ができておらず、法整備の根拠が不明確だとして慎重姿勢を示す。共産党は反対。「一般国民」が養子になった先例はないと主張し、対象者を限定するのは平等原則を定めた憲法14条に反するのではないかと疑義を呈す。憲法14条との関係で、内閣法制局が問題ないと回答。衆院法制局は学説上、合憲と違憲がいずれもあると説明。政府の担当者が、養子縁組の対象となる男系男子は存在するとしながら、その意思確認は制度の創設後でなければ困難との見解を示す。額賀福志郎・衆院議長が会議後の記者会見で、当国会中の意見集約に意欲を示す。
ハンセン病◆戦中戦後に国立療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)で、ハンセン病患者に開発中の薬「虹波」が投与されていた問題で、1943(昭和18)年に同園所長らが皇室に投与結果を報告していたことが、同園入所者自治会への取材で分かる。宮内庁書陵部が59年に編さんした「貞明皇后実録」によると、43年11月20日、昭和天皇の母で当時皇太后だった貞明皇后が、同園の宮崎松記所長や陸軍技術研究所の長沢重五所長ら4人と面会し、虹波に関する説明を受けて、投与したハンセン病患者の治癒経過を撮影した映像を見ており、明治大の山田朗教授(日本近現代史)によると、貞明皇后は昭和天皇の重要な相談相手で「貞明皇后から天皇に7研の業績を報告してほしかったのでは」と推測し、同園入所者自治会の太田明・副会長は「ハンセン病政策を実行するために皇室の名を借りることが必要だった」と述べたと報道。
東日本大震災追悼式◆関連死を含め2万2千人以上の犠牲者が出た東日本大震災の発生から14年となる11日、石破茂首相が福島県主催の追悼式に出席すると報道。
【3月11日】
徳仁、雅子、愛子◆徳仁、雅子が皇居・御所で黙とうして、東日本大震災の犠牲者を追悼し、愛子が勤務先の日本赤十字社(東京都港区)で黙とうしたと、宮内庁が発表。
徳仁、雅子、秋篠宮、紀子◆宮内庁が、徳仁、雅子が大阪・関西万博の開会式出席などのため、4月11~12日に大阪府を訪問すると発表。徳仁が12日の開会式で開会宣言をし、名誉総裁を務める秋篠宮と紀子も出席すると報道。宮内庁によると、徳仁、雅子は4月11日に羽田空港から特別機で大阪府に入り、会場の人工島・夢洲(大阪市)でシンボル「大屋根リング」や日本館、府市が出展する「大阪ヘルスケアパビリオン」を見て回り、万博関係者との「懇談」も予定しているほか、12日は開会式に出席し、「国際赤十字・赤新月運動館」を視察するという。
明仁、美智子◆東京・元赤坂の赤坂御用地にある仙洞御所で、東日本大震災の発生時刻に合わせて黙とう。
明仁、美智子◆宮内庁が、美智子の兄正田巌が5日に死去したと明らかに。美智子は5日から30日間、喪に服すと報道。宮内庁によると、明仁、美智子は14日、前年11月に死去した故三笠宮の妻百合子の墓所に拝礼するため、東京都文京区の豊島岡墓地を訪れる予定だったが、取りやめる。
サウジ皇太子◆ウクライナ大統領府が、ゼレンスキー大統領がサウジアラビア西部ジッダを訪問し、ムハンマド皇太子と会談したと発表。ムハンマド皇太子はトランプ米大統領と第1次政権時代に良好な関係を築き、ロシアのプーチン大統領とも個人的パイプを持つとされ、ロシアとウクライナの戦闘終結に向けた交渉の仲介役として期待されていると報道。/ルビオ米国務長官が、サウジアラビア西部ジッダでムハンマド皇太子と会談し、サウジが11日の米ウクライナ高官協議の場所を提供したことに謝意を表明。
【3月12日】
秋篠宮、紀子◆大阪・関西万博が開かれる大阪市の人工島・夢洲を訪れ、会場のシンボル「大屋根リング」や「日本館」などのパビリオンを視察。秋篠宮は万博の名誉総裁を務め、紀子と4月12日の開会式に出席すると報道。
彬子◆ニッポン放送が、三笠宮「家」の彬子がパーソナリティーを務めるラジオ特番「彬子女王のオールナイトニッポンPremium」を4月に放送すると発表。同局の檜原麻希社長が定例記者会見で「ロイヤルファミリーの声をじかに聴けることはなかなかない。楽しみにしております」。彬子は英国留学時代の奮闘をつづった2015年刊行の著書「赤と青のガウン」が近年交流サイト(SNS)で話題となったとして、同局が出演を依頼し、快諾を得たといい、父の故寛仁も1975年にオールナイトニッポンを担当したことがあると報道。
硫黄島◆石破茂首相が、太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)を29日に訪問する方向で調整に入ったと、複数の関係者が明らかに。同日に硫黄島で開かれる「戦没者」の日米合同慰霊式に出席する予定で、徳仁、雅子は「戦没者慰霊」のため、4月に硫黄島を訪問する方向で宮内庁が検討していると報道。
【3月13日】
関西万博◆共同通信が企画「皇室ノート」で「『世界と初めて触れ合い』/陛下、10歳で見た万博」と題した記事を配信。「4月に開幕する大阪・関西万博は、秋篠宮さまが名誉総裁を務め、天皇、皇后両陛下が開会式に出席される。万博と皇室はゆかりが深く、天皇陛下は10歳のときに見た1970年の大阪万博を『世界との初めての触れ合いの場であった』と振り返っている」。
【3月14日】
天皇、皇族◆徳仁、雅子が東京都文京区の豊島岡墓地を訪れ、前年11月に死去した故三笠宮の妻百合子の墓所に拝礼。喪主で孫の三笠宮「家」の彬子が出迎える。徳仁、雅子は百合子が死去して100日目の2月22日に営まれた「墓所百日祭の儀」は慣例で参列せず、使者を送っていたと報道。明仁、美智子も拝礼に訪れる予定だったが、美智子の兄正田巌が当月死去し、喪に服しているとして取りやめる。
徳仁、雅子◆皇居・御所で、過疎地や離島など厳しい環境で医療や福祉を支えてきた医師らに贈られる厚生労働相表彰の医療功労賞受賞者らと面会。
皇居・乾通り◆宮内庁が、春の皇居・乾通りの一般公開を3月29日から4月6日までの9日間、開催すると発表。乾通りの一般公開は、明仁の「傘寿」を記念して2014年に始まったと報道。
【3月15日】
ブラジル大統領訪日◆ブラジル大統領府が、ルラ大統領が24~27日に予定している日本訪問の概要を発表し、日本側にブラジル産牛肉の輸入の全面解禁を改めて求め、市場開放を迫る方針を示す。ルラ大統領は2019年のトランプ米大統領以来となる「国賓」として日本を訪問し、徳仁、雅子との会見や宮中晩さん会、石破茂首相との会談などが予定されていると報道。
ロマノフ朝◆1917年の当日、ロシア皇帝のニコライ2世が退位し、約300年続いたロマノフ朝が崩壊(ロシア暦3月2日)。20年以上皇帝として君臨していたが、二月革命による労働者の反乱が拡大する中、退位が避けられなくなっていたもので、翌18年、処刑されたと報道。
【3月17日】
「春の園遊会」◆宮内庁が、東京・元赤坂の赤坂御苑で4月22日に開催する春の園遊会について、徳仁、雅子や皇族が招待者に声をかけて回るルートを分散させると発表。徳仁、雅子に皇族が追従する形から、秋篠宮、紀子と、愛子と佳子が二手に分かれ、計3ルートとすると報道。
皇居◆スマートフォンを使って皇室に関する問題を解きながら、皇居・東御苑を散策するゲーム「皇居を巡る謎解きの旅」が18日から始まるのを前に、東御苑でオープニングイベントが開かれる。宮内庁と共同で問題を作ったクイズ集団「QuizKnock(クイズノック)」の伊沢拓司「東御苑にまつわる知識を学んでいただけたらと思います」。
「王朝文化」◆「MIHO MUSEUM」(滋賀県甲賀市)で春季特別展「うつくしき かな——平安の美と王朝文化へのあこがれ——」が開催中と報道。「平安時代の名筆を集めた『ひぐらし帖』を公開するほか、古筆にちなんだ蒔絵やびょうぶなど計約200点を楽しめる」。
【3月18日】
秋篠宮、紀子、悠仁◆悠仁が筑波大付属高(東京都文京区)の卒業式に出席。式に先立ち、報道陣から声をかけられ「授業や課外活動など充実した3年間を過ごすことができました」。出席した秋篠宮、紀子が「長男の成長を支えてくださった多くの方々に深く謝意を表します」との感想を公表。
宮中晩さん会◆宮内庁が、「国賓」として訪日するブラジルのルラ大統領夫妻を招いた徳仁、雅子「主催」の宮中晩さん会を25日に皇居・宮殿で開くと発表。宮中晩さん会の開催は、2019年5月に訪日したトランプ米大統領夫妻以来6年ぶりで、25日午前は皇居で歓迎行事があり、宮殿の東庭でルラ大統領が儀仗隊の栄誉礼を受けた後、徳仁、雅子と会見すると報道。
飛鳥宮跡◆奈良県明日香村の飛鳥宮跡で確認されていた最大建物跡の南側から、柱の並びをそろえた大型建物跡が見つかり、県立橿原考古学研究所が発表。別の建物跡と併せ、研究所は、天武天皇と持統天皇が在位した飛鳥時代後半(7世紀後半)の飛鳥浄御原宮の時期に、同じ規格の建物が南北に3棟並んでいたと推察していると報道。
「明治村」◆1965年の当日、「明治建築」を保存展示する博物館明治村が愛知県犬山市に開村。経済成長に伴い、取り壊される貴重な建造物などの移転・保存が目的で、当初は札幌電話交換局や京都聖ヨハネ教会堂など15件だったが、その後電車や機械類も含め約70件になったと報道。
【3月19日】
徳仁、雅子、悠仁◆悠仁が、筑波大付属高(東京都文京区)を卒業したことを徳仁、雅子に報告するため、皇居・御所を訪問。半蔵門から車で入る。これに先立ち午前、皇居・宮中三殿を参拝。
愛子◆横浜市磯子区のジャパンマリンユナイテッド横浜事業所磯子工場を訪れ、海洋研究開発機構の北極域研究船「みらい」の命名・進水式に出席。
悠仁◆筑波大(茨城県つくば市)の永田恭介学長が、東京都内で行われた定例記者会見で、悠仁が翌月、進学することを受け「思う存分『なぜ?』と思うことにチャレンジをしてもらいたい」。
【3月20日】
悠仁◆筑波大付属高(東京都文京区)を卒業したことを報告するため、東京都八王子市にある昭和天皇の武蔵野陵と、香淳皇后の武蔵野東陵を参拝。
「春季皇霊祭・神殿祭の儀」◆石破茂首相が、皇居で行われた「春季皇霊祭・神殿祭の儀」に出席。
明治天皇◆1873年の当日、明治天皇がまげを切り、断髪。「明治政府」は文明開化政策の一環として「散髪脱刀令」を71年に布告。散切り頭は近代化の象徴とされ、自ら率先する意図があったとされており、天皇が断髪したことで庶民のまげ離れに拍車がかかったと報道。
【3月21日】
徳仁、雅子◆宮内庁が、徳仁、雅子が戦没者を慰霊するため、太平洋戦争の激戦地・硫黄島(東京都小笠原村)を4月7日に日帰りで訪問すると発表。当年は被爆地の広島と長崎、激しい地上戦で多数の住民が犠牲になった沖縄も訪れる見通しで、戦後80年に際した一連の訪問の始まりとなると報道。
愛子◆宮内庁が、愛子がブラジルのルラ大統領夫妻を招いた25日の宮中晩さん会に出席すると発表。
【3月22日】
「印紙法」◆1765年の当日、英議会が米植民地に新たな税を課す「印紙法」を制定。新聞や公文書などあらゆる印刷物に収入印紙を貼ることを命じ、駐留軍費を負担させる目的で、住民の猛反発で翌年撤廃されたが、本国への不満は独立戦争へとつながっていくと報道。
【3月23日】
ブラジル大統領◆ブラジルのルラ大統領が、「国賓」として日本を訪問するため専用機で首都ブラジリアを出発。24日に日本に到着予定で、27日までの日本滞在中に徳仁、雅子との会見や宮中晩さん会、石破茂首相との会談などを予定していると報道。
【3月25日】
天皇、皇族◆「国賓」として訪日したブラジルのルラ大統領夫妻を歓迎する徳仁、雅子「主催」の宮中晩さん会が、皇居・宮殿「豊明殿」で開かれる。秋篠宮、紀子ら皇族のほか、石破茂首相ら三権の長や両国の閣僚ら計約100人が招かれ、愛子が初めて出席。徳仁があいさつで、ブラジルからの訪日客の増加や、約21万人が日本で生活し、経済活動や地域社会に貢献していることを挙げ「友好関係がますます深まることを切に願う」。晩さん会では従来フランス料理中心だったが、徳仁、雅子が「日本文化に親しんでほしい」と考え、初めて和食が前菜に振る舞われたと報道。午前中は皇居・宮殿で歓迎行事が催され、徳仁、雅子が出迎える。秋篠宮、紀子や石破茂首相らが参列。東庭で行われた歓迎行事で両国の「国歌」が演奏され、ルラ大統領が自衛隊の儀仗隊による栄誉礼を受ける。宮殿「竹の間」で徳仁、雅子と大統領夫妻が会見。宮内庁によると、約30分間で、大統領が自動車産業など日本の協力に謝意を伝え、徳仁「うれしく思います」。大統領夫人が女性に対するドメスティックバイオレンス(DV)の問題に取り組んでいると説明し、雅子「さまざまな努力をされていることに感銘を受けました」。
宮内庁人事◆侍医長の井上暁が依願退官し、侍医の大庭成喜を侍医長に起用する4月1日付の宮内庁人事が公表される。
【3月26日】
沖縄戦◆太平洋戦争末期の沖縄戦で、沖縄県・慶良間諸島に米軍が上陸し、苛烈を極めた地上戦が始まってから80年となったとして、座間味島(座間味村)で慰霊祭が開かれ、県知事として初めて出席した玉城デニー知事「世界の恒久平和を願い、地域の平和構築や相互発展へ、たゆまぬ努力を続けていくことを誓う」。
硫黄島「戦没者慰霊祭」◆太平洋戦争末期、旧日本軍と米軍の激戦地だった東京都小笠原諸島・硫黄島(小笠原村)での戦没者を追悼するため、鹿児島県で営まれてきた慰霊祭の開催が当年は見送られたことが、関係者への取材で分かる。遺族らで構成する「硫黄島協会鹿児島県支部」は、毎年3月に鹿児島市の護国神社で慰霊祭を営んでいたが、遺族らの高齢化が原因だというと報道。
「真珠湾攻撃」◆インド太平洋地域を歴訪中のヘグセス米国防長官が、日米開戦の端緒となったハワイ・真珠湾のアリゾナ記念館を訪問。旧日本軍による奇襲攻撃で犠牲になった米兵らに献花し、追悼。訪問後、X(旧ツイッター)で「彼らを決して忘れず、敬意の念を持ち続ける」。
【3月27日】
徳仁◆東京都千代田区の帝国ホテルで、「国賓」として訪日したブラジルのルラ大統領に別れのあいさつをする。「大統領夫妻の訪問で、日本とブラジルの友好親善がますます深まったと確信している」。約20分間「懇談」し、宮内庁によると、環境問題が話題となり、徳仁が水問題に関心を持つことに対し、大統領「非常に意義がある」。徳仁「引き続き研究していきたい」。
【3月28日】
悠仁◆宮内庁が、4月から筑波大(茨城県つくば市)に進学する悠仁のため、大学近くに民間集合住宅の一室を借りると明らかに。入学後、当面は東京・元赤坂の赤坂御用地にある秋篠宮邸から車で通学するが、授業など大学生活の様子を見ながら、宮邸からと、つくば市の住居からの通学を組み合わせる方針で、住居費は秋篠宮「家」の「お手元金」から支出すると報道。
皇室PR◆宮内庁が、徳仁、雅子や皇族の活動を紹介するため、ユーチューブの公式チャンネルを開設し、4月1日午前10時から動画を公開すると発表。昨年4月から始めたインスタグラムに投稿している徳仁、雅子の「公務」の様子のほか、徳仁の誕生日記者会見などを公開すると方針で、ユーチューブにあるコメント機能は設定せず、皇室や宮内庁に対する意見は、宮内庁ホームページ(HP)で受け付けると報道。
硫黄島◆石破茂首相が29日に太平洋戦争末期の激戦地である硫黄島(東京都小笠原村)を訪れ、戦没者の日米合同慰霊式に出席すると、林芳正・官房長官が記者会見で正式発表。中谷元・防衛相とヘグセス米国防長官も出席する予定で、林官房長官が会見で、首相の慰霊式出席について「日米の戦後和解を確認し、今後の友好を祈念する機会としたい」。首相が参院予算委員会で、日米関係に関し両国の国益や国柄は違うとしながら「率直に意見を交わすことが大事だ。双方の利益が世界の平和と繁栄につながることを目指す」。
「集団自決」◆太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍の強制や誘導の下の「集団自決」で約330人が亡くなったとされる渡嘉敷島(沖縄県渡嘉敷村)で「慰霊祭」が開かれる。戦没者の名が刻まれた「白玉之塔」の前で開かれ、島内外から約100人が参加。新里武広村長が式辞で「戦争という歴史の教訓を深く胸に刻み、記憶を風化させることなく、次の世代へと語り継ぐことが責務だ」。
内村鑑三◆1930年の当日、思想家の内村鑑三が東京で死去。札幌農学校在学中にキリスト教に入信し、第一高等中学校教員となったが、教育勅語奉読式で拝礼を拒む「不敬事件」で辞職したと報道。
【3月29日】
「慰霊巡幸啓」◆共同通信が、1ページ特集「両陛下の戦後80年」で「平和願い、戦禍の地へ/次世代に記憶つなぐ」と題したリード記事を配信。「天皇、皇后両陛下は戦後80年に際して先の大戦の戦禍の地を巡り、戦没者を追悼される。4月7日の硫黄島に始まり、6月に沖縄と広島、9月は長崎を訪れ、平和への思いを示す。訪問先は、上皇ご夫妻が1995年に戦後50年の「慰霊の旅」で巡った場所と重なる。平和の願いを継承し、戦後生まれの『象徴』として、記憶を次世代につないでいく」。▼「陛下「心寄せていく」/即位後初めて迎える節目」と題した本記で「『今年、戦後80年という節目を迎え、各地で亡くなられた方々や苦難の道を歩まれた方々に改めて心を寄せていきたい』。天皇陛下は2月の誕生日記者会見で、即位後初めて臨む戦後の節目に向けた決意を述べられた。/一連の訪問の始まりは、東京の南約1250キロにある小笠原諸島の硫黄島だ。太平洋戦争末期の1945年2月、米軍が上陸し、約1カ月に及ぶ激戦の末、日本兵約2万1900人が全滅した。米側の死者は約7千人」。▼「『なぜ父は…』/80歳遺族、硫黄島訪ね」と題したサイド記事で「写真でしか見たことがないわが子を抱きたいと望んだまま、父は硫黄島で命を落とした。28歳だった。『一度でいい、どんな思いで戦ったかを聞きたかった』。鹿児島県枕崎市の桑原茂樹さん(80)は島を訪れ、遺骨収集を続ける。子や孫には戦争のない世界にするため、どうするべきか考えるように伝えてきた。『戦争さえなければ、同じような子は生まれない』/4月に天皇、皇后両陛下が硫黄島を訪問される。『戦争の悲惨さが忘れられないよう、戦跡に繰り返し赴いてもらえるように願っている』」▼「若い皇族、歴史学び/悠仁さま、愛子さま」と題したサイド記事で「皇室では、天皇、皇后両陛下の長女愛子さまや秋篠宮家の長男悠仁さまら次世代の皇族も戦争の歴史を学び、平和への思いを育まれてきた」。▼「平和を見つめ直す機会に」と題した識者談話で、舟橋正真・政治経済研究所研究員「戦後80年の節目に、戦後世代の一人である天皇陛下が戦禍の地を訪問されることは、戦争を知らない多くの人にとって過去に思いを巡らすきっかけとなるだろう。(略)天皇、皇后両陛下の一連の訪問は、同世代や次世代に向けた『非戦のメッセージ』といえる。一人一人が改めて平和を見つめ直す機会としたい」。
皇族数確保策◆衆参両院が、皇族数確保に関する10日の全体会議の議事録を公開したと報道。公開は28日付で、「皇統に属する男系男子の養子縁組を認める案」を議論し、政府側は、養子となり得る対象者への意思確認は制度が創設された後でなければ難しいとの認識を示すとともに、「一般国民」から養子になった先例はないと明らかにしたという。「議事録によると、(略)山崎重孝内閣官房参与は、1947年に皇籍を離脱した旧11宮家の中に対象者はいると認めた。その上で、現行の皇室典範は皇族の養子縁組を禁じていることから『違法行為を前提に、国会の意思が決定していない中で確認はしにくい』と語った。(略)対象者を旧11宮家に限定するのは、法の下の平等を定めた憲法に抵触するかどうかも論点となった。佐藤則夫内閣法制局第1部長は『皇位継承権を有していた方々の子孫であることを踏まえれば、憲法に反しない』とした。/一方、橘幸信衆院法制局長は、憲法の学説が分かれているとして、違憲の恐れがあるとの指摘も紹介した。川崎政司参院法制局長は『制度設計によって、できるだけ問題を顕在化させない工夫も必要だ』と提案した。」
皇居・乾通り◆皇居・乾通りの春の一般公開が始まる。一般公開は明仁の「傘寿」を記念し、2014年に始まったと報道。
硫黄島追悼式◆石破茂首相が、太平洋戦争末期に激戦地となった硫黄島(東京都小笠原村)を訪問。航空自衛隊のU4多用途支援機で羽田空港から東京都小笠原村の海上自衛隊硫黄島航空基地に向かう。戦没者の日米合同慰霊式に出席し「われわれが享受している平和や繁栄は戦没者の尊い犠牲と、戦後80年間の人々のたゆみない努力の上に築かれていることを忘れてはならない」。中谷元・防衛相、ヘグセス米国防長官も参列。ヘグセス長官が「日米同盟」について「インド太平洋地域の自由や繁栄、安全保障の礎石であり続ける」。
【3月30日】
靖国神社◆気象庁が、東京都心部で桜が満開になったと発表。靖国神社(千代田区)にある標本木で、基準となる8割以上の開花が確認されたと報道。
【3月31日】
宮内庁人事◆上皇侍従伊藤敬、皇嗣職宮務官大内あづさ、皇嗣職侍医金子正英の「依願退官」、書陵部長藤田穣、管理部長野村護の「辞職」、京都事務所長石原秀樹の「勤務延長の期限到来につき退職」に関する同日付の宮内庁人事が公表される。

カテゴリー: 2025年, やじうま日誌(皇室動向) パーマリンク