中嶋啓明
天皇徳仁と皇后雅子は今年7月、モンゴルを「公式訪問」する。宮内庁が1月31日、発表した。
『読売新聞』は2月1日付の朝刊で「両陛下 抑留者慰霊の旅/戦後80年 7月モンゴル訪問へ」と題して伝えた。
宮内庁は31日、天皇、皇后両陛下が7月前半にモンゴルを公式訪問される方向で調整を進めると発表した。在位中の天皇、皇后の同国訪問は初めて。戦後80年の節目に当たり、首都ウランバートル郊外にある日本人抑留者の慰霊碑への訪問も検討されている。
共同通信は「国際親善が目的で、フレルスフ大統領との面会や最大の祭典『ナーダム』への出席などのほか、第2次大戦後の抑留中に亡くなった日本人の慰霊碑を訪れることを検討する」と報じている(1月31日配信)。
何でも「親善」と銘打てば、「政治性」など簡単に脱色できるとでも考えているのだろうか。
▽加害責任に頬かむり
折しもこの2月23日、65歳の誕生日を迎えた徳仁は、直前の20日、皇居・宮殿で行われた宮内記者会との会見で、外国訪問について聞かれ、こう答えている。
国際親善というのは、外国訪問について言えば、先方から御招待を頂いて、私たちが出掛けていくことになるわけですけれども、両国の相互理解が、外国訪問によって深まり、その国との友好関係を築いていくことが大切なのではないかと思います。やはり、人と人との結び付きが、やがて国と国との平和に結び付いていくことになるのではないかと思います。
「戦争の歴史」への「向き合い方」を聞かれた徳仁は、「先の大戦においては、世界の各国で多くの尊い命が失われたことを大変痛ましく思います」と他人事のように語り、「亡くなられた方々や、苦しく、悲しい思いをされた方々のことを忘れずに、過去の歴史に対する理解を深め、平和を愛する心を育んでいくことが大切ではないかと思います」と偉そうに説教を垂れた。
日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞に関する「長年にわたって活動を続けてこられた方々の御苦労に思いを致しつつ、平和な世界を築くために、お互いの理解に努め、協力していくことの大切さを改めて感じております」との語りは、“ヒネクレモノ”の目には、被団協の「苦労」は分かるが、米国をはじめとした核大国や、米国の下僕である日本国家の考えを「理解」し、これらの国々と「協力して」いけ、と要求しているようにしか読めない。
上皇明仁、上皇后美智子にゴマを擦り、彼らの「慰霊」を最大限のオベンチャラで持ち上げる徳仁のモンゴルでの「慰霊」もまた、加害の責任に頬かむりしたまま、アメリカに追従しながら、一方的に自国中心主義を追求するだけの「外国訪問」を、「国際親善」とのオブラートで包んで強行するつもりなのだろう。
▽対中露政策のカギ握る
報道によると、モンゴルのオフナー・フレルスフ大統領が2022年に訪日した際、招待があり、23年以降も天皇を招待する文書が3回、宮内庁に届いたという(!)。
この間のモンゴルをめぐる状況を、最小限度でふり返ってみたい。
フレルスフ大統領は22年11月、訪日の前に北京で中国国家主席の習近平と会談。エネルギーや鉱業分野での協力推進を確認したが、これに先立ち9月、中国、モンゴルにロシアを加えた3カ国は首脳会談で、ロシア産天然ガスをモンゴル経由で中国に輸送するためのパイプライン「シベリアの力2」の建設計画で合意している。
スタンフォード大学国際問題研究所センターフェローのオリアナ・スカイラー・マストロは、今年1月の『Foreign Affairs Report』に掲載した論考「反欧米ブロックへの強硬策を」で「ロシア石油をアジア市場に輸送する『東シベリア・太平洋パイプライン』は、年間約3500万トンを中国に輸送できる。天然ガスを中国に輸送する『シベリアの力パイプライン』は、2025年までに年間380億立方メートルの資源を輸送できるようになる見込みで、この輸送量はオーストリアの年間天然ガス消費量にほぼ匹敵する」と指摘。「ロシアは、陸路で石油や天然ガスを中国に輸送することで、北京がエネルギー封鎖に耐える手助けができる」と、警戒心を顕わにしている。アメリカは、「シベリアの力2」の建設にも注目していることだろう。
同誌の23年11月号には、元モンゴル大統領補佐官のトゥブシンザヤ・ガンチュルガとジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院特別教授のセルゲイ・ラドチェンコが共同執筆で「中露に挟まれたモンゴルの選択——アメリカは何をオファーできるか」と、モンゴルに焦点を当てた論考を寄せている。
論考では、中露に経済的に依存するモンゴルの外交姿勢について、「二つの隣国の違いを利用し、あるいは欧米との関係を強化することで、中露から距離を置こうと試みてきた」と分析。しかし「いまや中露はますます接近し、モンゴルが両国の立場の違いを利用する余地は小さくなっている」と指摘したうえで「モンゴルとの貿易・投資関係を促進し、教育・訓練プログラムを通じてモンゴルへの長期的なコミットメントを示すべきだ」と、米政府に提言している。
「アメリカの『防衛と抑止のコミットメント、地域における安全保障上のプレゼンス』」の中にモンゴルを位置づけることは「必要ない」と強調。「アメリカが中央アジアにどのようにアプローチするかのモデルケースになるかもしれない」として「必要とされているのは、政治的、イデオロギー的なパフォーマンスや軍事的関与ではない」と繰り返したうえで、モンゴルの微妙な「地政学」的立ち位置に配慮し、「手堅い経済エンゲージメント」を模索せよと主張するのだ。
欧米の対中露政策の中で、モンゴルもまた、カギの一端を握る存在であることは間違いない。
2024年9月には、ロシアのプーチン大統領がモンゴルを訪問し、フレルスフ大統領と会談した。前年、ICC(国際刑事裁判所)がプーチンに対する逮捕状を発布していたため、ICC加盟国でもあるモンゴル側の対応が注目されたが、モンゴル政府はプーチンの身柄を拘束せず、欧米各国は批判を強めた。
アメリカ大統領が、バイデンからトランプに変わって、対ロ政策が今後、どのように展開されていくのか、未だ不透明だ。だが、中国に対する警戒心の強さは基本的に変わっていない。
▽ご主人様の肩代わり
アメリカの手下としては、日本政府もモンゴルを軽視するわけにはいかない。
プーチンのモンゴル訪問の直前、当時の首相岸田文雄は、中央アジアとモンゴルの歴訪を予定していた。中露の影響力の強い地域で、経済協力推進への合意を得て、中露との関係に一定のくさびを打ち込みたい思惑だった。ただ、この歴訪は急遽、中止になった。南海トラフ巨大地震注意情報が出たことが理由とされた(米大統領選の推移を見ながら、トランプ政権誕生も視野に、様子見を図ったのだろうか)。
「アフガニスタンの帰結」(先の論稿「中露に挟まれたモンゴルの選択」より)から教訓を得た(とする)アメリカが「軍事的関与」を控えるのならば、ご主人様の役に立ちたいと、忠犬日本が肩代わりにしゃしゃり出る。
22年版の防衛白書には、次のように書かれている。
モンゴルは、わが国と普遍的価値を共有する重要なパートナーであり、防衛省・自衛隊としても、『戦略的パートナーシップ』の発展に向け、同国との防衛協力・交流を推進している。
白書によると、2016年に当時の首相安倍晋三が広げた「自由で開かれたインド太平洋」との大風呂敷を下敷きに、2020年には当時の防衛相河野太郎とエンフボルド国防大臣がテレビ会談で日モンゴル間の防衛協力・交流の推進をうたい上げ、2021年に開いた「人道支援・災害救援」に関する衛生分野のオンラインセミナーには、自衛隊中央病院が参加した。その後も防衛省・自衛隊は、モンゴル軍のPKO派遣に向けた能力向上を口実に、道路建設や測量の技術を支援するなど、軍事面での関係強化にいそしんでいる。
日本からの武器供与も具体化している。
今年2月8日の『読売新聞』朝刊は、こう伝える。
政府は、価値観を共有する国に防衛装備品の無償供与などを行う『政府安全保障能力強化支援(OSA)』として、モンゴル空軍に航空管制レーダーと関連機材(13億円相当)を供与する方針を固めた。(略)モンゴル軍が航空管制レーダーを持つのは初めてで、自衛隊との連携強化を目指す。
同紙は「モンゴルの中国やロシアへの過度な依存を防ぐとともに、中露をけん制する狙いもある」と指摘している。
中露との関係にくさびを打ち込み、中国包囲網の一翼に引き入れる。そのための軍事的な肩入れであることは、あらためて指摘するまでもなかろう。
モンゴル側からすれば、中露に経済的にも依存せざるを得ない状況に置かれているものの、日本を利用しながらアメリカへも秋波を送り、綱渡りの外交を模索しているといったところか。
こうした流れの中で徳仁は訪問する。日本政府の外交政策を権威付け、補完する。政治性がないわけがない。単なる『国際親善』でないことは明らかだ。
▽抑留者慰霊でナショナリズム喚起
モンゴルとの関係と言えば、やはりハルハ河戦争(ノモンハン事件)についても触れないわけにはいかない。ハルハ河戦争も、まぎれもなく「昭和100年」の範疇に入る大きな出来事だ。「戦後80年」を語る上で、避けることはできない史実でもある。それなのに、「戦後80年」を掲げて徳仁の見解を問うとき、モンゴル訪問を語る際、まったくと言っていいほど顧みられることはない。「昭和100年」「戦後80年」の欺瞞性は、こんなところにも表れている。
ハルハ河戦争は、大日本帝国が偽満洲国を使って仕掛けたモンゴル・ソ連両軍との大規模な軍事衝突だ。中国大陸への侵略・植民地支配の拡大過程で、天皇制国家が引き起こした紛れもない侵略戦争の一端であることは明らかだ。モンゴル側では、動員された遊牧民や労働者らに多数の犠牲者が出たとの研究も出ている。
だが、日本側で焦点が当たるのは、旧ソ連軍に拘束され、戦後、モンゴル領内に移送されたシベリア抑留日本人のことばかり。抑留者が、旧ソ連の捕虜政策の犠牲者であることは間違いないが、天皇制国家日本の侵略が起因となって強いられた悲劇の被害者であることも否定しようのない事実なのだ。
にもかかわらず、徳仁「訪問」でもメディアはそんなことには頬かむり。ひたすら抑留生活の過酷さのみが強調され、煽情的に被害感情を掻き立てるだけの報道が繰り返される。日本人抑留者の慰霊碑への参拝は、ナショナリズムを喚起するための格好の素材として利用されるのだ。
徳仁は、皇太子時代の2007年にも同国を訪問。「療養中」だった雅子はこのとき、同行しなかったが、徳仁はやはり慰霊碑を訪れた。
当時もメディアは、金魚のフンよろしく徳仁につきまとい、モンゴル相撲を観戦した、ビオラで地元交響楽団と競演した等々等々と、細かく一挙手一投足を伝え続けた。『読売新聞』は同年7月16日付の朝刊に、「大草原 多彩な素顔」と掲げたグラフ特集紙面を作っている。このときは皇太子、だが今度は天皇としての訪問だ。報道の鬱陶しさが、当時を遙かに上回ることになるのは容易に予想できる。
天皇制国家の加害責任を隠蔽してナショナリズムを煽動し、政府の思惑をイチジクの葉で覆い隠す皇室外交の問題性から目を逸らしてはならない。あらためてメディアの責任は大きいと言わざるを得ない。