中嶋啓明
11月15日早朝、故三笠宮の妻百合子が死んだ。101歳の高齢とあって、体調を崩して入院した際には、もう長くはないと誰もがみていた。だからメディアは連日、百合子の状態を日課のごとく報じ続けた。「きょうも変わりない」との内容であってもだ。
「宮内庁は9日、(略)三笠宮妃百合子さま(101)の容体について「大きな変化はなく、お静かに静養されている」と発表した。」(『毎日新聞』11月10日朝刊「百合子さま容体/大きな変化なし」)、「宮内庁は10日、(略)三笠宮妃百合子さま(101)について、9日から容体に大きな変化はなく、静かに過ごされていると明らかにした。」(『日本経済新聞』11月11日夕刊「百合子さま容体変化なく」)等々…。
規模も内容も、質、量ともにもちろん大きく異なるが、昭和天皇裕仁死去時の「下血報道」を思い出した。
そして死去。メディアは例によってオベンチャラを大展開した。死亡記事だから、人柄をたたえる内容ばかりなのは予想通りだった。だが、それにしてもひどすぎる。
「皇族軍人の妻として戦争と向き合った戦時中から一転、戦後は三笠宮さまとともに国民の間に分け入って交流を重ねられた」と露骨に媚を売る『読売』11月16日朝刊の見出しは「献身的に三笠宮さま支え/母子保健にも尽力」。東京女子大で「教べんを執」り、三笠宮の「助手を務めた」という元学長の湊晶子に、三笠宮と百合子について「とてもすてきな夫婦だった」と語らせ、政治経済研究所研究員の舟橋正真が百合子に何度もインタビューしていたことに触れ「舟橋さんは記憶力の確かさに驚かされた」と手放しで百合子を称賛した。
脇に添えられた「評伝」記事のタイトルは「貫かれた皇族の品位」。編集委員の沖村豪は「老朽化した宮邸を改修した時、自分の浴室の段差を解消する工事より、職員用の施設の修繕を優先するように望まれたと聞いた」と、よくある追従エピソードを満載にし、「『つつましやかだが一本筋が通った方だった。戦前の皇室の空気をまとったたたずまいに学ぶことが多かった』と、敬意をこめてふり返った」と、宮内庁職員の歯の浮くようなゴマすりを引用してこの記事を締めくくった。
『産経新聞』は同日朝刊の総合面に「三笠宮さまとともに歩まれ」と特大の見出しを掲げて、ほぼ一面を使った特集企画の紙面を作った。
等々等々……、ウンザリだ。
これらは間違いなく、間もなくやってくる「上皇后」美智子、さらには「上皇」明仁の死去時の予行練習なのだろう。宮内庁等当局はもちろん、メディアもX、Yデーを見据えて、日々、準備に余念のないことだろう。そのときには、この何倍もの気持ちの悪いオベンチャラ報道の渦に、社会が巻き込まれることになるのは容易に想像できる。
それにしても葬儀費用には驚いた。報道によると、「本葬」に当たる11月26日の「斂葬の儀」を中心に、葬儀費用の総額は3億2500万円に上るらしい。このうち、「幄舎の設置など『葬場関係費』が2億100万円」(11月22日共同通信配信)だそうだ。「墓所の造営は必要ない」のに、「人件費高騰などの影響を受け」、三笠宮の葬儀に比べ総額は5900万円増えたという(『読売』11月22日夕刊等)。急激な物価高騰に「庶民」があえぐ中、一度の葬式のために3億円余(!)の税金をつぎ込む。その厚かましさには驚くほかない。何が「職員用の施設の修繕を優先するように」だ!! しかもそのほとんどは、事前の国会審議を経ない予備費から。能登半島の復旧・復興のためとして政府はこれまで細切れで予備費を使ってきているが、石破政権によって初めて10月11日に閣議決定された予備費からの支出は509億円。
葬儀は三笠宮「家」の「私的行事」として神道形式で営まれる。にもかかわらずメディアは、国家的な弔意の対象になるとし、国費で支出されることが11月15日の閣議で了解されていた、と拍子抜けするほどにあっさりと触れるだけ。
皇室の「私事」には惜しげもなく税金を注ぎ込むのに、「庶民」の苦難には極力、渋り小出しにする。
この国の政治とメディアの非情さ、不条理には目がくらむ。
百合子の死でメディアが気にかける最大の関心事は、「家」の存続、行方だ。
『毎日』は11月18日の朝刊に「三笠宮家 当主どうなる/男性皇族おらず女性3人」とのタイトルの記事を載せた。リードにはこうある——。
「(三笠宮家を)継ぐはずだった長男ら3人の息子は既に亡い。孫にも男性皇族はいない。当主を失った三笠宮家はどうなるのか。」(()内は引用者)
『週刊新潮』は11月28日号で「101歳『百合子妃』薨去で三笠宮家に急浮上する難題」、『週刊文春』も同号で「百合子さま薨去/信子さま異例の独立も?/どうなる三笠宮家」と報じた。
「三笠宮家」には男性皇族がいない。娘や孫はおり、「当主」として「家」を存続させることはできるが、親族内の不仲、確執で、長年、当主を決めることのできない状態が続いているというのだ。長男だった故寛仁の妻信子は、寛仁によるDVなどから逃れるためとして家を出て別居。百合子の孫にあたる彬子や瑶子は、そんな母親の信子を非難し、絶縁状態が続いている。信子は寛仁の葬儀にも出席しなかった云々かんぬん…。
彬子は「私自身も十年以上きちんと母と話をすることができていない。父が亡くなってからも、何度も『話し合いを』と申し出たが、代理人を通じて拒否する旨が伝えられるだけであった」、「公務に復帰するのであれば、今までお見守りくださった三笠宮両殿下にきちんとお目にかかり、ご無沙汰のお詫びとご報告をしてほしい」と、メディアを通じて大っぴらに実母を糾弾していた(『文藝春秋』2015年7月号)。
高貴なご身分の方々の性根が知れるエピソードだが、そんなことは今は措こう。無視できないのは「皇族費」だ。
「当主と当主以外では、国から支払われる生活費の額が違う」(『毎日』)。「生活費」である「皇族費」は「『独立生計を営む親王』を基準に、妻は2分の1、子供はさらに減額されると規定」(同)されている。現在、信子には年間1525万円、彬子、瑶子にはそれぞれ640万5000円が支払われている。今後、だれが「当主」になるかによるが、いずれにしろ額が増えることは間違いない。確執の末、万が一3人とも独立するということにでもなれば、信子は倍の3050万円、彬子、瑶子はそれぞれ1067万5000円に増額されることもあり得るという(『週刊文春』)。こうしたことは、まともな国会審議を経ることなく、「皇室経済会議」というお手盛りの場で、「庶民」は誰も知らないまま、おざなりに決められていくのだ。
なのにメディアは、「落ち着いて皇族の活動をしていただくためにも(略)長い間、結論が出ないままなのは良い状態とは言えない」との「宮内庁関係者」の言葉でお茶を濁し(『毎日』)、「穏やかな決着を祈りたい」(『週刊文春』)と揶揄するだけ。
再度言う、ウンザリだ。