安定的な皇位継承制度に向けての議論がなかなか進まない。旧宮家の復活とか、結婚後も女性皇族が皇族に留まるとか、どちらも「国民的合意」にはおぼつかない。「国民的合意」と言っても、「主要政党間での談合による合意」でしかないのだけれど。しかし更なる問題は、この二つの案では、問題を少しだけ先送りするだけで、皇位継承問題の本質的な解決には程遠いことだ。
皇位継承問題を解決するには、皇室の「歴史と伝統」にのっとった、側室制度を復活するしかないのである。側室の子(庶子)による皇位継承は、現在の徳仁までの126代のうち、44代(あるいは46代との説もあるが、いずれにせよ3分の1以上)が占める。大正天皇を含めそれ以前の6代に渡ってはずっと側室の子供が天皇を継いでいる。
明治の皇室典範の作成過程では、女性天皇を排除する過程で、庶子による皇位継承が必要不可欠とされ、一夫一婦制が道徳的基準である西欧諸国に対して、近代国家としての装いを繕うために成立させた大日本帝国憲法と同時に制定された旧皇室典範でも、どのようにこの一夫一婦+多妾制を目立たぬように滑り込ますかが大きな課題として議論されていた。
戦後の日本国憲法及び現在の皇室典範の成立過程では、敗戦・戦争責任の渦中での天皇制の延命こそが重要な課題で、また当時の天皇(裕仁)に「妾」がいなかったことにもより、安定的な皇位継承をもたらしてきた、庶子による皇位継承(天皇が「妾」を持つこと)については、全く問題にされなかった。
天皇主義者(天皇制存続が日本国家の存在のために不可欠と主張する者)たちが、この「安定的な皇位継承」をめぐる議論の中で、「側室制度の復活」「庶子による皇位の継承を可能に」との主張をしないのは不可解である。男系男子に固執する以上(いや、たとえ女性・女系天皇を容認したとしても)、側室制度なしでは、安定的な皇位継承は望めないのは明らかである。それは歴史が証明している。
先の国連女性差別撤廃委員会による女性に継承権を与えない女性差別の「皇室典範」改正勧告に対して、「歴史や伝統」を無視していると反発しているが、それ以上に、「歴史と伝統」を継承する「側室制度」の復活を声高に主張すべきではないのか。
そうしないのは、いずれ悠仁が最後の天皇になりそうな時には、悠仁自ら、明仁が行ったように、国民に向けてのメッセージを発信して、「天皇としての役目を果たすため(つまりはその存続のため)に、側室制度の復活を」と要求して、それを受けて国会が特措法を制定する、ということまで想定しているのであろうか。(九尾猫)