「国連女性差別撤廃委員会勧告」への違和感:「皇室典範」改正で女性差別はなくならない

桜井大子

10月29日(2024)、国連の女性差別撤廃委員会が日本の女性政策について最終見解(リンクは未編集版)を公表し、いくつかの勧告を出した。報道によると概ね以下のとおりだ(順不同)。

・夫婦同姓を義務付ける民法の規定を見直し、選択的夫婦別姓を導入する
・人工妊娠中絶について、原則として女性に配偶者の同意を求める規定をなくす
・国会議員の男女平等を進めるため、女性立候補者の供託金を一時的に減額する措置の導  入
・沖縄の米軍兵士による性暴力を処罰する仕組みを考える
・独立した人権機構を設立する
・「慰安婦」問題に関し、被害者らへの賠償請求などの権利を保障する努力を続ける
・男系男子に皇位継承を限る皇室典範の規定の改正

同委員会の最終見解は、女性の権利や差別に関する日本国の法律や取り組み等についての審査レポート、評価や勧告などで構成されている。ほかの勧告はともかく、「皇室典範改正」については本サイトでも言及してきた課題だ。政府や同委員会の見解とは異なる立場に立つ人も少なくない。そういった人たちの一人として、感想的なものになるが、そしてこれまで書いてきたことの繰り返しともなるが、少し書いておきたいと思う。

「皇室典範改正」を求める勧告は、大項目E「主な懸念事項と勧告」(Principal areas of concern and recommendations)の「女性差別の定義と差別的な法律」(Definition of discrimination against women and discriminatory laws)という部分で言及されている。

簡単に言えば「男系男子のみに皇位継承を認めることは女性差別であり、男女の平等を確保するために王位継承法を改正した他の締約国の事例を参照し、皇室典範を改正するべし」といった内容である。

女性差別と女性天皇容認の関係

上に紹介した委員会勧告のうち、選択的夫婦別姓の導入や、人工妊娠中絶における配偶者の同意を求める規定をなくす勧告も、「皇室典範問題」と同じ項目で展開されている。少し違和感もあったが、女性差別の法律という視点で考えればそうなるのだろうかと、通り過ぎた。この違和感についてはあらためて後述したい。

この勧告に対する政府の対応は、予想を裏切らない判で押したような酷いものだった。共同通信が配信した記事によれば、林芳正官房長官は30日の記者会見で「大変遺憾だ。委員会側に強く抗議するとともに削除の申し入れを行った」と述べている。

2016年に発表された同委員会の最終見解案にも皇室典範見直しを求める記述があったが、その審査過程でも政府は「皇位継承の在り方は国家の基本に関わる事項であり、女性差別撤廃条約に照らし、取り上げるのは適当ではない」と反論していた。それでも委員会は、政府の「皇室典範は委員会の権限の範囲外である」という主張に留意しつつ最終報告には「皇室典範」の見直しを明記した。2度目の勧告に政府の苛立ちは目にみえるようだ。

勧告が発表されてから日も浅く、「識者」の声はまだあまり聞こえてこないが、30日、『朝日新聞』は河西秀哉の見解を紹介しつつ短い記事「女性差別撤廃委、皇室典範改正を勧告 識者『日本は世界の流れに逆行』」をまとめている。内容はほぼこのタイトルの通りで、結論は河西の「今回の勧告を機に、皇位継承が男系男子に限られてよいのかといった世論は高まるだろう。国会での議論が進むことを期待する」でまとめている。

「世界の流れに逆行」。女性天皇の実現によってこの社会も少しはよくなるといったよくある言論の繰り返しである。同じことを書くのは面白くないが、このような言論が出てくるたびに、その都度反論を試みなくてはと思い、今回もやはりそのように思うのだった。

その繰り返し部分について先に書くが、女性・女系天皇が容認されたところで、世襲の天皇制であり、女性は「産む性」として存在し、女性の身体は天皇制維持のための道具としてあり続ける。女性差別を問題にするのであれば、まずはここではないかと考えてしまうのだ。「産む女性を要求する国の制度っておかしくないか?」といったシンプルな疑問を、天皇制の問題をよく知るはずもないだろう女性差別撤廃委はともかく、日本の識者たちはどうして提しないのだろうかと、不思議なくらいだ。

天皇は、不平等な格差・身分社会、差別社会、侵略戦争・植民地支配への無責任社会、非民主的で人権無視の社会、家父長的社会の象徴であり、この社会には戦前型家族国家観がまだ根強く残っている。その天皇制は世襲で維持されている。つまり「産む性」とされた女性が天皇制の要になっているのだ。このような天皇制を多くの人たちが無批判に受け入れているが、天皇制維持を絶対とする政府や、天皇制維持のために言論を展開する識者たちは、このような間違っているとしか思えない制度を続けるための根拠を「歴史や伝統・文化」などといった曖昧なものでしか説明していない。正当な根拠などないのだ。

天皇制の価値観がつくりだす差別と、女性天皇容認論

同じ30日の『朝日新聞』に、国連女性差別撤廃委員会日本審査「報告書」を担当したバンダナ・ラナ委員へのインタビュー記事「『家父長的な固定観念が背景に』 国連の担当委員日本勧告を語る」が出た。読んでいて考えるものがあった。

「夫婦別姓」について、「どちらかの姓を選択できるというのは、一見公平に見えますが、名前を変えざるを得ないのは90%以上が女性」であり、その背景に「根深い家父長的な固定観念」がある、と語っている。そして「女性の雇用や、女性の地位、家族のあり方にも影響を与えている」と結論している。

皇位継承問題については、以下のように述べている。
「男性のみが王位を継承できる法律は、女性差別撤廃条約の目的や趣旨に反する」とし、「日本だけを標的にしているわけではなく、例えばスペインなど他国にも同様の提案」をし、「改正を検討した国や、実際に改正した国も」あると。そして勧告の目的は国を辱めることではなく「その国がより良くなること」と語っている。

「皇位継承」問題が、「夫婦同姓」問題や「人工妊娠中絶」問題に関する勧告と同じ項目に入っていることに違和感を感じたことを、この委員の発言で思い出し、その違和感について少し考えようと思う。

男系男子のみが皇位継承資格を持つというのは間違いなく皇室内の女性差別である。だから、是正されるべきという結論につながるのも理解の範囲だ。ただしそれは、日本国の住民約1億2400万人中、特権的な、たった17人のためにある家族法「皇室典範」の話である。それでも「その17人のうちの女性の権利は護られるべきだろう、国と国民統合の象徴でもあるし」ということになるのであろう。しかし、「皇室典範」が改正され、女性天皇が容認されたとして、ラナ委員が述べるように本当にこの天皇制社会はより良い社会になるのか、考える必要はないのか。その考察は女性差別を課題とする領域から外れるのか。なぜ、このように女性に負担をかける制度そのものの廃止を主張しないのか。この勧告を読み、あらためて「最初の第一歩」的なことを考えさせられたのだった。

たとえば、勧告では慰安婦問題についても言及されている。今の慰安婦問題に対する政府の対応の酷さはどれだけ指摘されても足りないほどだ。そして、忘れてはいけないことは、慰安婦問題を引き起こした旧日本軍の統帥権は天皇にあったし、天皇は当時、日本国の元首でもあった。天皇が裁可しなければ、どのような軍事作戦も政策も条約も進まない、天皇はそのような地位にあった。その同じ天皇がそのまま敗戦後も天皇としてこの国のトップに座り続けたのである。2000年に行われた「女性国際戦犯法廷」では、従軍慰安婦政策に対し天皇有罪判決を言い渡している。そのような天皇・天皇制を維持することと、女性差別の問題は関係ないのか。この2000年の判決と皇室内女性差別の是正=女性天皇を認めることとの関係はどうあるのだろうか。これらについて考える必要はないのだろうか。

夫婦同姓規定の背景に家父長的な固定観念がある、というラナ委員の指摘はそのとおりだと思う。その上で考えるべきは、いま家父長的価値観や家制度を「伝統・文化」などといって大事に抱え込んでいるのは、ほかでもない、皇室であるということだ。家父長制も家制度も法的には捨てられているが、皇室だけは制度として残しているし、それを軸に現在も動いているのだ。そしてその家父長的存在の天皇が日本の「伝統・文化」の体現者として扱われていることの問題だ。

夫婦別姓について議論される際、よく聞かれる別姓反対の理由は「家族が崩壊する」「家族の一体感が損なわれる」等々だ。夫婦同姓を法律で縛っているのは日本国だけと言われている。では他国の家族は日本以上に崩壊しているのか、家族の一体感がないのか。そんなことはないだろう。これはただの詭弁でしかない。日本政府は単に天皇制国家が作り出した戸籍制度を国民管理の装置として維持したいだけであり、旧戸主制度的なものを残したいだけなのだと考える方が妥当であろう。

「人工妊娠中絶について、原則として女性に配偶者の同意を求める規定をなくす」という勧告も、バンダナ・ラナ委員が言った「家父長的観念が背景にある」に該当する。やはり「皇室典範改正」を求める勧告と同じ項目で言及されていて、ここでも同じ違和感があった。この課題と、いま家父長的天皇制維持のために議論されている「皇室典範改正」問題は、むしろ対立的で、横並びの課題ではないと思えるからだ。

皇室に入った女性は、天皇制という国の制度を維持するために子どもを産まなくてはならない。出産・中絶は間違いなく国の管理下にあり、それは世襲と優生思想に基づく天皇制維持に不可欠な暗黙の規定なのだ。こういった思想もこの皇室の大事な「伝統・文化」とされ、あたかも素晴らしいことのように飾り立てられた言論が流布している。そういった言論が、この社会にどれだけの影響を与えていることか。

夫婦別姓や中絶の権利を認めないのも、「従軍慰安婦」の存在を社会から抹殺しようとするのも、天皇制の維持や天皇制の思想と相入れない価値観や歴史があるからだ。天皇制に不都合な思想や歴史は圧力か隠蔽で対応されるのが天皇制社会なのだ。

「皇室典範」改正でなく天皇制廃止を

「家父長的観念」を問題にするのであれば、もう少し踏み込み、天皇を象徴とし、敬愛・尊重させることを問題としてほしいと考えてしまう。しかし、これはやはり、政府の見解とは真逆の意味で、国際組織が踏み込む領域ではないだろう。私たちが考え主張していくべき課題なのだ。

天皇制を他国の王制と安易に比較することはできないが、少なくとも天皇制は独自の差別構造を作り出し、侵略戦争や植民地支配に邁進した国家の支配装置としてあった歴史がある。そして現在も質・形を変えながら、同じ天皇一族が国家の制度・支配装置として機能し続けている。そういう天皇制社会に生きる者としては、皇室内の差別問題よりも、このような天皇制を維持することの問題の方がはるかに大きいと思うのだ。実際、現在における女性・女系天皇容認論の大半は「皇位継承者」枯渇問題との関わりで言及され、第一義は「天皇制の安定的継承」であり、女性差別撤廃の視点は前面に出てきていない。

皇室の女性差別に心を痛めている人たちは、天皇制のもつ複合的な差別性にこそ目を向けるべきだと思う。そして天皇制を廃止すれば、少なくとも皇室の女性たちは解放され、市井の女性たちと同様に仕事や勉強、家族や恋人のことで悩んだり、苦しんだり、喜んだり、幸せな気持ちになったりできる。それだけでなく、天皇制によって理不尽な思いを強いられてきた多くの人たちも解放される。天皇制廃止で、今よりはずっといい社会になるに違いないのだ。

同委員会による勧告「皇室典範」改正の実現で女性差別なくならないし、女性天皇が容認されれば天皇制は延命する。差別の根源である天皇制は維持・強化されるだけだ。日本の女性差別撤廃の思想には「天皇制廃止」が必須なのだと、あらためて思う。

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