軍事色隠蔽の天皇訪英報道——キティちゃん、ポケモン、思い出の地…

中嶋啓明

「沿道には市民や在留邦人らがつめかけ、両陛下は笑顔で手を振られた」(「両陛下 歓迎の輪/ロンドン」)

「双方が皇室と王室の家族的な交際に言及しながら、戦争の『歴史』への苦い思いに触れた。そのうえで、双方が若い世代への友好の期待を述べると、シャンデリアとキャンドルに照らされた会場に拍手が広がった」

「皇室と70年の絆 胸に」
「側近によると、(略)留学時を語る陛下の様子は、『まさに懐かしむように、本当に楽しく、ありがたかったとの気持ちが伝わってきた』という」

天皇徳仁と皇后雅子は6月22日から29日まで、8日間の日程で英国を訪問した。うち25日から27日までの3日間は「国賓」として、その前後は「私的」な訪問らしい。
友好親善目的の徳仁の外国訪問は、23年6月のインドネシアに次いで即位以来、2度目。「国賓」待遇での英国訪問は、前天皇明仁による1998年以来26年ぶりだという。「国賓」としての訪問と、「私的」訪問の実質的な違いは今ひとつ、よく分からないが、「内廷費」という名の税金はケチりながら、「宮廷費」等々の「公金」は贅沢のため躊躇なくつぎ込めるということぐらいか。

メディアは例によってオベンチャラ丸出しの大報道に終始した。いわく—、

「国賓として訪英中の天皇、皇后両陛下を迎えて開かれたバッキンガム宮殿での晩餐会ばんさんかいは、両国が築き上げた長年の結びつきを象徴するものになった」(「陛下、日英関係『更に高みに』」『朝日新聞』朝刊2024/06/27)。

「ジュリア・ロングボトム駐日英国大使が毎日新聞のインタビューに応じた。現地の公式行事に同行し、『天皇陛下と国王陛下の友情、相手国に対する温かく優しい思いを知ることができてうれしかった』と話す。『温かさ』という言葉が今回の訪英を象徴しているように感じたという」(「『温かさ』両陛下訪英を象徴/駐日英国大使インタビュー」『毎日新聞』朝刊2024/07/19)

「天皇、皇后両陛下の英国親善の旅は、日英の将来を見据えた前向きな空気に包まれていた。(略)昭和、平成の親善訪問は、旧敵国の日本への抗議も見られたが、両陛下の馬車列はただただ温かな歓声に包まれていた」(『読売新聞』朝刊特別面グラフ特集2024/06/29)等々等々……。

英国王チャールズが晩餐会でのあいさつで、「『英国にお帰りなさい』と日本語で切り出した」、「『ハローキティ』や『ポケットモンスター』を話題に笑いを誘った」とはしゃぎ、「英国最高位」とやらの「ガーター勲章」を「明治から5代続けて授与され」、「キリスト教圏の君主を除くと異例の処遇」と、奴隷根性丸出しで胸を張って見せた。情けない。

オックスフォード大から名誉博士号を授与し「赤いガウンをお召しの雅子さまは、輝くような笑顔を見せられた」(「母校から34年越し 万感の『卒業証書』」『女性自身』2024/07/16)と手放しで持ち上げ、「青春の大切な思い出の地を雅子さまと再訪できたことに、万感の思いがにじんだ」(『毎日』7月2日朝刊特集面グラフ特集)と、擬制ではあっても「批判的観察者」としてあるべき矜持などかなぐり捨て、対象に感情移入して感傷に浸った。

メディアは、訪問は現地で総じて好意的に受け止められたと書いた。本当か。

訪問時期は、直前に解散した英下院の選挙戦のまっただ中。英「国民」の関心は総選挙の行方に集中していたことだろう。天皇の訪問など、よほどの日本フリークでない限り、鼻にもひっかけなかっただろう。

戦争経験者の中には、わだかまりが残っている人たちもまだ少なからず残っている。だが、そうした人たちは高齢化し、かつてのような表だった行動で抗議の意志を表すことは難しくなっているだろう。日本側から直接、間接の要請、圧力を受けた英当局が陰に陽に、抗議行動等を抑え込むようなこともしただろう。

裕仁訪欧時のメディアの報道をめぐる古田尚輝の論考「昭和46年天皇訪欧とマス・メディア」を偶然、インターネット上で見つけた。2017年6月発行の成城大の紀要「成城文藝240号」に掲載された論稿らしい(https://www.seijo.ac.jp/education/falit/grant-book/jtmo4200000072xz-att/y133-159.pdf)。

論稿では、当時の報道の特徴を、海外の事象を居ながらにして同時に視聴できる衛星中継によるテレビ放送の登場、②新聞・週刊誌・テレビ放送を主体とした大々的な報道、③国際親善と感傷旅行に定型化した大量の報道と少数の問題提起型記事——の3点に要約できると分析。③では「ほとんどが華やかな公式行事や天皇・皇后と訪問国国民との交流、天皇の懐旧旅行などに割かれ、「くつろがれ笑い声も群衆に何回もおこたえ」「なつかしワーテルロー」「チャーミングな皇后さま」などの見出しが付けられている。ここにも、訪欧報道の国際親善と感傷旅行への定型化が見られる」と指摘している。

ここで少し種明かししよう。冒頭のいくつかの引用は、今回の訪英に関するモノではない。

一つ目は98年5月27日の『読売朝刊』。二つ目は同日の『朝日』夕刊。いずれも明仁、美智子の「国賓」訪英時のモノ。3、4番目は前英国王エリザベスの国葬に参列した22年9月当時の、それぞれ『読売』と『朝日』の記事だ。

「定型化」報道は「定型化」している。
古田は「オランダの事件など天皇訪欧反対や抗議行動の意味を考え今後の課題をさぐる問題提起型の社説と少数の記事が存在する」と指摘する。抗議行動という外圧によってではあったが、それがあったが故に当時は、メディアも訪欧の問題性を考えざるを得ない状況に追い込まれていた。

では今回はどうか——。例えば各紙の社説はこうだ。

「両国の絆をさらに強める旅になるよう期待したい。/世界各地で戦争が起き、民主主義が脅かされている。平和を願う親善交流の意義は大きい」(『読売』2024/06/22)

「令和の皇室外交はこれからが本番だろう。多くの国と積極的な交流が進むことを望みたい」(『日本経済新聞』2024/07/02)

もろ手を挙げた「皇室外交」の賞賛、称揚ばかり。「定型化」の中でも、問題意識の鈍化、希薄化を感じざるを得ない。

それに対して右翼の方が、「天皇」の名に恥じないような扱いを受けていないと、右翼らしい訪英批判を展開している。右翼論壇でよく名前を見る「歴史家、評論家」の八幡和郎は、ネットのプレジデントオンライン上で「天皇陛下だけが足を運ぶ『歪な皇室外交』でいいのか…両陛下の『英国訪問成功』を手放しで喜んではいけないワケ」と題して書いている(https://president.jp/articles/-/83371?page=1)。「日本の天皇陛下が6回訪英している一方、イギリス国王(女王)の訪日はたった1回と、不均衡な状態だ。日本の皇室が英国の王室にすり寄っている印象なのはよろしくない」というのだ。

八幡によると、「英国は総選挙の期間だったので、1週間という長い滞在にもかかわらず、内容は薄く、現地の報道でも主要ニュースとしては取り上げられなかった」らしい。雅子は休養ばかりで、2人そろっての行事参加が少なく、当初、予定されていた英首相主催の昼食会は、選挙で多忙を理由にキャンセルされただけでなく、「中国の習近平国家主席や韓国の尹錫悦大統領の訪英のときは、議会での演説もあったがそれもなかった」と不満タラタラだ。

英王室の後を追う忠犬でしかない天皇制の真の姿は、大手メディアではなく右翼側の主張を通してこそ、よく見える。

無頓着に「皇室外交」の言葉を使いまくりながら、「親善訪問」の名でその政治性を隠蔽する。天皇制の政治に対するカマトトぶりは、あらためて言うまでもない。

今回の晩さん会でチャールズは「日英両国は共通の安全保障のために、かつてないほど緊密に協力しています。世界の平和と安全保障における永続的なコミットメントを表明した2つの大国として、両国は、ハイレベルな軍事演習を行い、専門的知識を共有しています」と述べるなど、軍事的な協力関係の進化と深化を、明確な表現で称賛してみせた。だが、これに対する徳仁の答辞の中には、こうした内容についての言及は一切ない。意識的に避けたのだ。

だが、チャールズの言う通り、この間の日英両国の軍事的な協力関係は加速度的に強まっているのが実態だ。天皇訪英直後の7月23日には防衛相木原稔が同国を訪問し、イタリアを含めた英伊両国の国防相と会談して次期戦闘機の共同開発の推進で一致。来年に予定されている日本とインド太平洋地域への英海軍空母打撃群の派遣を歓迎した。

今回の徳仁らの訪英は、そうした軍事的な協力関係の強化を後押しし権威付けすることが最大の眼目だった。同時にそれを巧妙にオブラートに包んで脱色し、実態を隠蔽することこそが、徳仁、雅子に課せられた役割の一つだったのだ。まさに天皇制の政治。

そしてメディアも、それと一体化し、天皇制の政治を後押しした。

一連の訪英報道から軍事的関係の臭いをかぎ取ることは、まったくと言っていいほどできない。メディアが「英国にお帰りなさい」やハローキティ、ポケモンに目を向けさせ、「思い出の地」再訪による感傷の共有に、読者、視聴者を誘導することに力を注いだからだ。

今回の訪英報道でも、天皇制の共犯者として、メディアはその力を最大限に発揮した。

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