小畑太作
(靖国・天皇制問題情報センター運営委員会委員長、
「合祀いやです」少数者の人権を求める会代表)
はじめに
きょうはお暑い中ありがとうございます。小畑太作と申します。山口県でいろいろな課題を細々とやっております。はじめに、自己紹介も含めて、私と政教分離問題との関わりから申し上げたいと思います。
私の肩書は、「合祀いやです」少数者の人権を求める会(以下「求める会」)代表と集会チラシに紹介いただいていますが、もう一つは、この集会の呼びかけ団体の一つにもなっている靖国・天皇制問題情報センターの運営委員会委員長です。
私の本業はキリスト教の牧師で、いまは山口県宇部市の教会にいます。その前は、神奈川県の横浜市にある教会にいました。2003年に山口県徳山市(現 周南市)の教会に移り、2009年から現在の宇部緑橋教会に転任しました。
山口県には中谷康子さんがいます。自衛官合祀拒否訴訟最高裁不当判決に抗議する活動(集会)を続けておらました。山口県に行ってから、私も関わるようになりました。一方で、政教分離訴訟全国交流集会が毎年行われているのですが、2008年に、この全国交流集会と自衛官合祀拒否訴訟最高裁不当判決抗議集会が、同時開催することになりました。1泊2日で、参加者も増えるということで、主催側の人数も増やす必要があるとなり、それまでは集会に参加するだけだった私も、主催側の事務方に加わり、以降、「求める会」の事務局(当時)のメンバーになりました。
1.山口自衛官合祀拒否訴訟から山口県知事護国神社公務参拝違憲訴訟へ
(1)経過
2012年に、「求める会」から政教分離訴訟全国交流集会に毎年参加していた知人が病気となり、それに代わる形で、旭川で行なわれた全国交流集会に参加しました。そこで取り上げられたのが、砂川政教分離訴訟(2004年提訴、2010年最高裁判決)です。北海道砂川市が、市有地を神社に無償貸与していることに対して政教分離違反を問うた裁判ですが、その報告を聞いて、自分の地元にもそういうことがあるなと思い立ちました。宇部市に常盤公園というのがあり──昔は露天掘りの炭鉱があった跡地ですが──そこに常盤神社の社が建っているのですが、帰ってから調べたところ、やはりそこは市有地で、社は宗教法人の所有物であることが判りました。過去からのなれ合いで、政教分離のことなど考えないままズルズルと無償貸与だったのです。それで、先ず地元の市議会議員に言ったのですが動かない(笑)。他にも話をしましたが、誰も動かないし、ほとんど関心もない。そうした中で、山口県には護国神社がいくつもあるのですが、宇部市にもあって、春と秋の例大祭に市長が公務として参拝していることが判りました。それで、市有地の無償貸与と、市長の参拝の二本立てで、わたし個人で「要望書」を出すことから市とやり取りをはじめました。教会牧師の小畑太作という名前ではじめたのです。
一年くらいかかりましたが、結果は、砂川の政教分離訴訟で違憲判決が出ていることから、砂川と同じように有償貸与となりました。参拝の方も、愛媛県靖国神社玉串料訴訟を踏まえて、公務参拝は取り止めとなり、市の会館で無宗教で追悼することになりました。
そのやり取りの中で、山口県知事も山口県護国神社に公務で参拝していることが判りました。私は既に市長の件で取り組んでいましたので、私一人では手が回らないところもあり、また、何のための議員だということもありますから、県議会議員に取り組みを頼んだのですが、やはり動かない。また、市民団体も動かない。それで仕方なく、遅ればせながら2018年に、私の働く日本基督教団宇部緑橋教会から、教会の名前で知事に「要望書」を出しました。
以後、基本的には年に2回の例大祭──山口県護国神社は慰霊大祭というのですが──の前に、県知事に対して参拝しないように、裁判事例や質問も含めた「要望書」を出しました。すると少しずつ地元の市民団体なども連名してくれるようになり、県会議員も少しずつ加わってくれるという流れも出てきました。県庁とも、回答書を手交してもらい直接協議の場を設けてもらうようにもしました。2回は行いました。しかし、県知事は頑なで、出席はしたけど参列ではないとか参拝ではないとか、言い張り続けました。
2020年、5回目の要望書から漸く「求める会」も連名して7団体になりました。実は、2018年の最初の要望書以前から世話人会議では議論をしていたのですが、やっと名を連ねることが出来たのです。理由は、あとで申し上げます。
話を戻して、山口県とのやりとりの中で、県は中国5県は皆、参拝しているというので、靖国天皇制問題情報センターに投げかけて、2021年に全国調査を行ないました。
(資料1)
公務として参拝している知事は7県で、思ったよりも少ないという印象はあります。しかし、回答しなかったところもあるし、いろいろな形ですりぬけながらやっているところもあって、実態は違うようです。例えば岡山は参拝していないとの回答ですが、聞く所では、例大祭に引き続いて、護国神社を主催者から外して、しかし会場は護国神社で追悼式を行っているようです。参拝している県が「政教分離違反ではない」とする理由は、「宗教行事でなく『社会的儀礼として』行っている」がほとんどです。一方、中身を見ると、だいたいが「慰霊」と言っていますが、これがなかなか厄介だと思っています。これについては今後考えていかなければならないと思っています。広島でも沖縄でも、行政が「慰霊」を使っています。つまり浸透しているわけですが、特定宗教の用語であろうと思います。
過去5年に「一度も出席していない」という33道府県のうち、「要請はあるが行っていない」は、依頼元と辞退の理由について回答してもらっています。例えば、山形県では山形県護国神社から依頼はあるが政教分離の観点から行っていないという。大阪府は、大阪護国神社と遺族連合会から依頼はあるが、護国神社の重要な宗教的行事だから、と。つまり、これに出ると社会的儀礼は通用しないという判断を非常に明確に言っている。これらを数えると9府県。(資料2)
逆に、行って何が問題ですか、というのが7県だったということです。
そしてさらに、このアンケート調査の結果について、憲法学者2名にコメントを著してもらいました。違憲の疑いありというコメントでした。
この調査については、新聞報道がいくつかあり、一面で大きく扱ったのが『信濃毎日新聞』で、別途、憲法学者の違憲の疑いありのコメントを付けていました。それから『朝日新聞』。
さてそれで、2021年に山口県知事に、調査結果と憲法学者のコメントを添えて8回目の要望書を出しました。しかしその回答は、知事の護国神社参拝については「憲法違反について最高裁の判例がない」というものでした。こう言われるとつまりは、裁判をしろという意味でしょう(笑)。
裁判については、それ以前からも考えていました。このままでは埒が明かないし、県議会で議員が取り上げても、「日本人としてどうのこうの」と叩かれて、私もいろんなことを言われてやり玉に挙げられてきた。そんな状態ですから。「要望書」に対しても9回目以降は「回答した限り」と一行で終わっていました。
そこで、2023年3月7日に、知事の公用車使用などについて住民監査請求を行いました。わずか20日で請求は却下されました。
その間、なんとか引き受けてくれる弁護士も一人見つかり、8名が原告となって知事を被告として住民訴訟を山口地裁に提起したのが2023年の4月27日です。奇しくも山口自衛官合祀拒否訴訟が提訴されてからちょうど50年目の春でした。
現在は8月23日(2024年)に第7回口頭弁論が予定されており、やっと本案である参拝行為の違憲性について争われるというところにきています。
では、これまでの6回は何だったかというと、ずっと入口論でした。知事側の弁護士は、これは住民訴訟の要件を満たしていないから却下だとずっと主張し続けていたのです。住民訴訟だから、財務会計行為、つまりお金の出入りがないとダメだという訳です。確かに知事は玉串料を出していません。愛媛玉串料訴訟以降はやめたんです。ですから、住民訴訟を提起した中身は、公用車の使用についてでした。公務ですから公用車を使っているわけです。ところが、公用車は、護国神社に行く時だけの清算は生じない訳です。そこを捉えて知事側は、「直接の財務会計行為ではない。だから住民訴訟の対象にならない」と。
こちらの弁護士がいろいろ調べてくれて、知事がコンサートに行くのに公用車を使って住民訴訟で争われた徳島県の事件があることがわかりました。この裁判自体は住民側は負けているようですが、でもそれはちゃんと訴訟として争われていた。それを山口地裁に出し、これで山口地裁をほぼ説得できたというところです。前例主義の裁判体ということですが、それでこれから本案に入るところにきたのです。覚えて頂きたいのは、私自身は、徳島の裁判の原告の方々を存じていないし裁判は負けているのだけれども、ちゃんとここで生きているということです。いろんな人たちがいろんな形で、負けても繋がっているというのを感じています。
それから本裁判の中で出てきた別の課題についてです。
山口県護国神社での慰霊大祭の場合は、知事を招待している団体に、山口県遺族連盟があります。そして、参拝の違憲性についての知事側の主な主張は社会的儀礼なのですが、その一つの根拠が山口県遺族連盟なのです。山口県遺族連盟から招待されているということで、「出席」は遺族に対する慰藉であり、従って社会的儀礼であるという主張です。しかし、山口県遺族連盟自体が、この度の裁判で出てきた証拠により私は知ったのですが、その定款によると、靖国神社参拝事業を目的にした団体なのです。これは全国においてもそうだと思います。確かに、山口県遺族連盟は、かねてから戦没者の遺族に対する慰藉に類する事業を行政と組んでいろいろとやっているのですが、そもそも遺族連盟自体が特定宗教を支援している団体ですから、行政がこれに事業を委託することはどうなのかということです。このことは県議会議員に投げていますが、当てになりません。これも今後の課題であると考えています。
(2)山口自衛官合祀拒否訴訟とは何か
ところで、「求める会」が、知事の護国神社公務参拝の是正活動に、どうして協力できなかったのか、更には実は反対したのですが、何故かです。これは随分議論しました。当時の会報誌には議論の経過を私が書いています。ある時には自衛官合祀拒否訴訟を追い続けてルポされていた田中伸尚さんから連絡をいただいて、「どうしたんだ大丈夫か、合祀いやですの会はどうなっちゃったんだ、頑張ってくれ」と励ましてもらったりしました。当時、いろいろ話し合いながら私なりに考えました。
そもそもですが、山口自衛官合祀拒否訴訟とは、憲法学の教科書に載っていたりとか、公務員とかも、勿論、法曹会員などで知らない人がいないような裁判ですが、一応、申し上げると「自衛官であった中谷孝文さんが1968年、公務中に交通事故死。妻の中谷康子さん(当時日本キリスト教団山口信愛教会会員、現在、同前小郡教会会員)が拒否したにもかかわらず、自衛隊と山口県護国神社は共謀して中谷孝文さんを山口県護国神社に合祀(1972年)。これに対して中谷康子さんは『信教の自由』(憲法第20条)の侵害として山口地裁に提訴(1973年)。一審、二審は、中谷さんの『宗教上の人格権』を認め勝訴。しかし天皇代替わりの直前、1988年6月1日、最高裁大法廷は中谷さんの全面敗訴の逆転判決(1対14)」と、こういう裁判です。この時の最高裁の矢口洪一裁判長は、天皇代替わりの時に三権の長の1人として万歳三唱をした人ですが、その代替わり直前の判決で、180度逆転敗訴、宗教上の人格権というのはないという判決を言い渡しました。
改めて考えさせられたのは、この裁判が何を問うていたのかです。全国から300人近くの方々がこれまでずっと、この最高裁不当判決抗議集会を支援あるいは参加してやってきてるのですが、一体、我々は何故そこに連なってこの最高裁不当判決を問うているのか、その意味です。時間が経過してか、あるいはそもそもなのか判りませんが、知事の公務参拝に反対すべきでないという意見が、「求める会」の世話人会議で出されると言うのは、結局、この辺の理解の足並みが揃っていないということです。言い方を換えると、最大公約数としては、中谷さんが「夫の合祀を取り下げてくれ」と言っているのを支援するというところなのですが、そこから掘り下げていくと理解がまちまちと言うか、及んでいないことが露わになったということです。
世話人会議での議論で出てきたのは、例えば「信教の自由」になると何のことやら、という人もいる。その他、「知事の護国神社公務参拝に反対の意思表示をしたら支援者が減る」「中谷さんを応援しているのだから、知事が参拝するのは関係ない」「自分自身が地域で生きていけない」「世話人をやっていられない」等々。私からすれば、山口自衛官合祀拒否訴訟の目的とは、自由の実現に他ならないのですが、反対する意見というのは、要するに不自由であり、自分自身で不自由を選択しているのであり、矛盾としか思えないのです。憲法13条で個人の尊厳が保障され、憲法20条・19条の「内心の自由」が保障されているわけですが、実質化していない。これを実質化させるというのがこの訴訟の大きな目的であったはずなのですが、世話人自身が、それを放棄してしまっているという自己矛盾が露わになったのです。
山口自衛官合祀拒否訴訟の意味は、あるいは、「家族」とは何かという問題にもありました。中谷康子さんは、夫が亡くなった当初、自衛隊の葬儀があったり、連れ回されたりする流れもありますが、小さな息子を連れて夫の実家に身を寄せます。しかし、何故自分はそこにいなければいけないのかと思うのです。それである夜、夫の遺骨を持って、息子の手を引いて、家を抜け出すのです。その家には犬がいて、中谷さんと息子にいつも吠えるのですが、その夜だけ吠えなかったと。それで脱出できたそうです。なんで自動的に夫の家にいなければならないのか、夫の親の庇護の元で自立できないのか、といったことも中谷さんの課題でした。憲法24条2は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻および家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」と定めているわけですが、実際は家制度がまかり通っている。この部分はあまり表に出ていないのですけど、そういうことも実は中谷さんは問うていました。
ご存じの方もいると思いますが、裁判の中でも家族・親族が連名で「嘆願書」を裁判所に出しました。この「嘆願書」は「合祀されていい。反対しているのは中谷康子だけだ」と言うわけです。そしてこれが日本社会において強く作用してしまう。裁判所も多分そうです。家族というのは血縁で「自動的に」みたいなものが根強い訳です。でも、憲法上は、個人の意思が大事にされなければならない、家族も、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して捉え直さなければならないはずなのですが、ずっと変わらない。そういうことをも問うていたのです。
それから、自衛隊とは何か、やはり軍隊なのか、という問題です。
自衛隊は今や、憲法9条に違反しないとなっていますが争われる時代もあった訳です。今はそんなこと言っても全然通じない。集団的自衛権も法制化されてしまって、自衛隊そのものがどうなのだということは問われなくなった。しかし自衛隊がどうして護国神社や靖国神社に関わりたがるのか。公務死や戦死した場合に祀りたがるのか、祀らなければならないのかです。
中谷孝文さんの「家」は、浄土真宗です。そして浄土真宗のやり方でちゃんと葬儀を終えている。お墓に納骨もされているそうです。中谷康子さんが持ち出した遺骨は、本山に分骨予定だったものらしいです。それを中谷さんが持ち出して教会に納骨したとしても、護国神社が出る幕はないと思うのです。しかし自衛隊は護国神社に祀りたいのです。何故か。自衛隊は何故護国神社、靖国神社を必要とするのかということです。そして自衛隊が必要とする護国神社、靖国神社とはいったい何かです。それはまさに政教分離原則が制定されている目的に関わる部分です。
政教分離原則といえば一般的には、裁判所でも、宗教と政治の関わりということで見るわけですが、ご承知の通り歴史的経緯では、祭主天皇崇敬体制を解体するためであり、それが復興しないための予防です。どの宗教でもということでなく、いわゆる天皇教を解体し予防するために政教分離原則というのは設置されたのです。
私の理解では、自衛官合祀拒否訴訟は、これらを浮き彫にすると共に、憲法が保障する基本的人権を確立するための裁判だったのですが、世話人会の中でも理解が及ばない。あるいは、言われれば分かるけどできないと。地道に抗議集会をやっていればいいと。
確かに新たなことをすると、ましてや裁判までするとどうしても露出度が高くなります。今日、こうして私が呼ばれたりするのもそういう流れです。だから、山口県の地元ではもう生きてけなくなると、真面目に訴えられるわけです。勿論、強制するものではないし、可能な範囲で支援してくださればいいのでとか、色々話をしながら、何とか進んでいくというのが実態でした。中には、世話人を辞めた方もいます。
そうやって何とか住民訴訟まで漕ぎ着けてきたのですが、そんな話の中で住民監査請求、そして住民訴訟を進めるのであれば、二つの選択肢を考えてほしいと言われました。一つは、訴訟は「「合祀いやです」の会から出してやる(会の外でやる)」ということ。私に出て行ってくれという話かもしれませんが、会としては「担いきれません」ということでしょう。それが一つです。もう一つは代表を私がやるということ。その二者択一です。
私は、中谷康子さんの思いをはじめ、1973年に提起された中谷裁判をずっと闘ってきた方々──年配の方が多いのですが──の思いというのを考えると、別のところで裁判が始まってしまったら、きっと残念に思う人がいると思うのです。それで私は、後者の方を選択しました。
(3)山口県護国神社公務参拝違憲訴訟のねらい
裁判とは負ける場合もあるし、裁判を起こすことで何が得られるのか、何を獲得目標としていくのかというのが問われるわけです。私なりに言葉にしていろいろ申し上げたのですが、改めて整理してみます。
一つは、この裁判の位置付けです。たとえば参拝の問題であれば、首相の靖国参拝とかありますが、この点、知事の参拝を問うことにどういう意味があるのかです。裁判所の性質は、憲法76条の3に「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」とありますが、実際はそうではないわけです。いろんな目に見えない力が作用していている現実があります。いろんな裁判官がいるので一概にはいえませんし、どの裁判官にあたるのかもわからないのですが、何とか裁判所が飲み込める程度の政教分離違反を問うて一歩進められないか、といったことを考えました。
この「裁判所が飲み込める程度の憲法違反」というのは、憲法学者の青井未帆さんが言っていました。どの違憲訴訟も合憲判決ばかりで、日本の司法は死んだみたいに思うけれども、安保法制違憲訴訟のなかで青井未帆さんが、私はそうは思っていないと言うんです。司法は司法で生きている面がある。ただいろいろあるから飲み込みきれない、と。「違憲」というのを裁判官はどれくらいで言えるかというのがあって、飲み込める程度のところで問うていったらどうだろうか、みたいなことを言っていて、そこからとったものです。
あるいはノー・ハプサ訴訟の大口弁護士の印象深い言葉があります。「裁判官も魔が刺すんだ」と言うんですね(笑)。言い得て妙だと思います。裁判官の良心を投げたらいけないと思うんです。こちら側は信じて臨んでいく(笑)。
と言っても大きな事案だとなかなか飲み込めないので、裁判所がここならと飲み込めれば、これは仮定の話ですが、たとえば次の靖国参拝違憲訴訟ほか、国レベルの事案への波及的効果が期待できるんではないかと、考えました。
また、今問うているのは知事の参拝という違法行為ですが、昨年の慰霊大祭を観察すると、県内の市町の長が──全部ではないですが──参拝しています。それから自衛隊もです。山口県護国神社のすぐ近く、目と鼻の先に山口駐屯地があります。そこの部隊が参列参拝している。おそらく70年代からずっとです。国会議員も来ていました。そういう方々も公務として来ている。ですからそこにも波及する。
また、護国神社ひいては靖国神社が、何をしているところなのか知られて行くことも期待しています。「死者の監禁(換金)」です。死者を祀っていると言いますが、中谷さんの場合もそうですが、勝手に祀って神様にして献金してもらっている(換金)。こうした有り様が、知られていないのが実際です。そういうことが知られる機会になったらと期待しています。
また、政教分離は、今どんどん空洞化が進められようとしていますので、そこへの楔、歯止めにもなるだろうとも思っています。
しかし、なかなか進まない。提訴の時は、マスコミもそれなりに来るものですが、ちょうど上関原発建設反対に関連する訴訟と重なって──こちらも私が取りまとめなどをしているのですが──3.11の福島原発事故以降は、原発にはマスコミも関心は高く、上関原発の方の第1回口頭弁論の際の入廷行進には、マスコミがいっぱい来ていたのに、ほんの少しの休憩、10分くらいはさんだ後の、この訴訟の入廷行進に残ったのは1社だけでした。それで、あえて聞いてみたんです。「ほかの社はいなくなったけど、どうして残ったんですか」と。すると、「私自身が関心あるんです。持って帰ってこれがどうなるか分からないんですが、これは大事じゃないかと思う」と──地元のテレビ局ですが──言ってました。しかし彼も今は見なくなってしまった。今はもうマスコミは全然いない。だから県民も知る機会がほとんどない。我々がどこかで喋らないことには、知られない。事大主義が立ちはだかっていると思います。この問題が根底にあるのではないかと思っています。
2.靖国神社・護国神社という宗教を必要とする自衛隊
今年の年明けから、陸自のナンバーツーが靖国参拝したという報道から、続々と自衛隊と靖国神社あるいは護国神社との関わりが報道されています。これは「始まった」のではなく、今日の集会テーマにもあるように、「顕在化」したのです。つまり、表立ってマスコミは報道しなかったけれども、ずっとあった。もちろん拍車がかかっているという面はあると思いますが、海自の練習艦の靖国参拝は1957年からずっとやっているわけです。
今年4月20日に、海上自衛隊のヘリコプター2機が衝突して墜落するという事故で自衛隊員8名が死亡しました。その際に、木原防衛相は、こんなコメントを表しています。
「訓練の頻度を下げて運用能力を向上させないまま有事があった場合には、なおいっそう危険性が増すことにつながる。訓練をして十分に練度を上げたうえで、有事に備えることが必要」。
訓練をするから事故が起きるのですが、その訓練はより大きな危険をなくすためには必要だ、と言う訳です。この発言に対して織田邦男(麗澤大学特任教授・元空将)が、『正論』8月号掲載の「自衛隊の事故と隊員の死生観」という文章で、「自衛隊の本質を突いた発言であり、事故直後の大臣発言としては珍しい」と書いています。「暫く自粛しなければいけない」とかじゃなくて、「どんどん訓練はやらなきゃいけない」と言ったのが、「本質をついてる」というのです。
ここには矛盾があります。「死の危険を避ける為に死の危険を冒す」という矛盾です。しかも他者をして納得させて、なさせなければならない。だからここで必要なのは、矛盾を問わない枠組み、世界観であり歴史観です。そうしてすでに死んだ人を意義づけることです。「あの人は無駄死にしたんじゃないか」とかはダメなわけです。意義づけないと。意味のある死だったんだと。「本当はあの訓練は必要ないのではないか」とか言ってはダメなわけです。矛盾の枠組みの中でだけ思考するようにしておかないと崩壊するわけです。そのためにこそ、靖国神社や護国神社は作られていますから、そこで必要になるわけです。
ちょっと我田引水的になるし、キリスト教と言っても色々あるんですけれども、私も普段教会で聖書の話をします、牧師ですから。そこで話すのは、この世界は、今は残念ながらこんな有り様だけれども、いずれは軍事力を必要としない、それに頼らない、人が人を殺さない世界が到来するんだ、と。平たく言うとそういうこと話します。その到来を信じて、我々は歩んでいく。それを信じるのが信仰なんです、と語るわけですよ。今を越えてどうやってそこに行けるのかは、もちろんいろいろ課題もありますけれども、歩んでいこうと。
しかし、軍隊ではそういうことは、言ってはいけないのですよ。その枠組みの中でないと。この訓練には意味がある。たとえそれによって死があろうとも、家族のためにあるいは国民のためなんだという世界であり歴史というものを示し続けなければならないし、そういう宗教もあるということです。どうして自衛隊は、靖国神社、護国神社に、祀りたがるのかというと、そういうことだと思います。
そもそも宗教というものは、私は「世界の物語」だと思っています。この世界がどこから来て、どこに行くのかというのを、神話も使い、それを語る。その中で、私というのは、あなたというのはどういう存在なのか、その人生の意味は何なのか、ということを語る。宗教というのはそういうものだと思うわけです。その時に、未来を指し示すものとさし示さないものがあって、今の現状の中でぐるぐると回り続け、矛盾を問わないようにしてしまう。そういう思考を植えつける。そこで何とか取り繕って、その中で意義づけをしていかないとやっていけない、というものがあると思います。
先ほど「潜在化」と言いましたけれど、問われている部分が、敗戦後──来年で80年経つ中で、今の自衛隊の中にも問いを抱えながらやっている人もいると思います。だから、そういう人は抑えないといけないというのが自衛隊側にもあるし、問いを抱えない人を日頃から作り出して行く必要がある。だからこそ靖国神社や護国神社参拝が必要になってくるわけです。
でも、抑え切れないものが自衛隊員の中にあって、それが今、顕在化している理由の一つと思います。潜在化していたものが顕在化したのは、おそらく内部リークがあったからです。その犯人探しが始まったとも聞きました。自衛隊の中からも声が出ている、そのところを捉えたほうがいいと思います。顕在化した、その人たちが摩滅してしまわないようにして行かないといけないと思っています。
3.教育現場への靖国神社・護国神社の介入
山口県の話ですが、全体にかかわる問題です。この6月の県議会で、県教育長がこんな答弁をしています。
「教育活動の一環として、児童生徒が、歴史や文化を学ぶことを目的として、神社等の宗教的施設を訪問してもよいとの見解を国は示しており、本県においても、総合的な学習の時間等を活用し、地元の護国神社等を訪れて、創建の由来や歴史を学び、平和についての理解を深めている学校があるところです。県教委といたしましては、引き続き市町教委と連携し、様々な施設等も活用しながら、各学校における平和に関する教育を推進してまいります」。
調べたら、公立小学校の2校が、それぞれ護国神社と招魂社に、「学びの場」として、授業の一環で行っていることがわかりました。これをますます「推進して」いくと言っているのです。公立学校が神社、特に護国神社とか招魂社に国が行っていいということを示している、と言うのです。私は知らなかったので調べました。2008年に福田首相の時に示したものでした。政府の理屈はこうです。
学校教育で宗教施設への訪問を禁じた「社会科その他、初等および中等教育における宗教の取扱について」という1949年10月25日付の文部事務次官通達があるのですが、それは、「神道指令」(1945年12月)に基づいた「学習指導要領社会科編取扱について」という1948年7月9日付の文部省教科書局長通達に基づくものであって、事務次官通達は、神道指令に抵触しないことを目的としたものであり、サンフランシスコ講和条約(1952年)の発効により、神道指令が効力を失ったことを以て、事務次官通達も失効した。また、靖国神社等について他の宗教施設と異なる取扱いをする理由もない、と。
こういうことを2008年の国会答弁で言っています。これをもとにして、山口県教育長は、6月の議会で先ほどの答弁をして、護国神社や招魂社の訪問を進めようとしていると。おそらく山口県だけではないと思います。
2008年の国会答弁では、1945年の「神道指令」があって、1948年の文部省教科書局長通達があるけれども、その間1947年に日本国憲法が施行されていることには全然触れてないのです。1949年の文部事務次官通達は、文科省のホームページに載っています。ところが載っているのは「抄」で「全文」は載っていない。それを見る限りは、憲法は全然出てこない。それで今、文科省に「全文」を出すように情報公開請求をしています。
ちゃんと憲法論を噛み合わせて、2008年の「神道指令が失効したから、事務次官通達も失効」という答弁は間違いである、と言わないと、これはずるずると進んでいってしまうと思うのです。
自衛隊だけではなくて、学校が靖国神社や護国神社にどんどん行く。次は「いつ参拝するのか」というところに来ているのだと思います。もっとも宗教施設は、行けば自動的に「参拝」みたいな造りになっているのですけども…。
おわりに
最後に、ちょっと変な図を描いてみました。△(三角)をいっぱい書いています。左側の丸(点)は、三角を描くのが面倒くさいから丸(点)にしちゃったんですが、三角と思ってください。これは私のイメージです。
一つある▲(黒三角)が、今やっている山口県知事の護国神社参拝違憲訴訟です。知事が参拝しても、先ほど話したようにマスコミが全然取り上げない。この訴訟が対象としている公金の支出は、職員の分も含めて1000円に満たないんです。県庁から護国神社は目と鼻の先で歩いて行けるぐらいの距離なんです。労働時間とかも換算しようと思えば含めることができるけれども、一番わかりやすいのは交通費だから、この短い距離の公用車での費用、金額にしたら900円ぐらいです。微々たるものです。議員にお願いして問題にしようとしても、金額が小さいから全然動こうとしない。ですが、ここで止めないとどうなるかを考えないといけないのです。大きなものになってからだと止められないのです。図の下に横軸引いて「t」と書いてあるのは時間軸です。どんどん時間が経って事が大きくなって、それこそ人が死んでしまってから慌てたりするのだけれども……。
私のイメージでは、政教分離の問題は、この手前の「小事」です。「その時」になったら皆が騒いで大ごとになって、騒ぐからより大ごとになるのですが、本当はもっと前のところで、見出して、止めなければならないはずなのです。そこを通り過ぎておいて、慌てて、というのでは遅い。いつまでそんなことを繰り返すのかと。ここにおられる方は、いろんなところでそう感じておられると思います。福島原発事故もそうですし、戦争も急に起こるわけじゃないのですから、前のところで止めるのが重要だということです。政教分離、内心の自由の侵害も、そういう問題として問われていると思います。
1963年のアメリカの政教分離判決(これは聖書の一節が公立学校の授業で読まれたことで裁判になった)で、クラーク最高裁判事は、「本件における政教分離の原則の侵害は、滴る水であるかもしれないが、これはまもなく奔流する怒涛になるであろう」と述べ、政教分離違反を判示しました。M. ニーメラー牧師の言葉に「発端に抗え」「終末を想え」というのもあります。
政教分離原則はそもそも何のためにあるかというと、戦争などの甚大な破壊的出来事の予防、と同時に、人格権侵害の防止のためです。政教分離がなされないからといって直ぐに人が死ぬことはないです。でも、それを放置するとどうなるかということに思いを致しておかないとならないといつも思います。それからもちろん、甚大じゃないとしても、それ自体、個人の人格権にかかわります。多数じゃないかもしれないけれども、その人の個人の人格という内面、基本的人権の中核に関わることですから重大なことなのです。そうであるというのも忘れてはならないと思います。
結論としては、小事を瑣末化しない。小事だからといって、軽んじてしまうと、怒涛に変わってしまうともう間に合わない。戦争は、起きてからは、なかなか止められない。今、先を見据えて起きていることを止めていく。労力もその方が少なくて済む。そういう意味でこの裁判も提起しなければならないと考えました。確かに裁判になると労力がかかります。お金もかかる。でも、その先の大変さに比べたら大したことはないのです。
自治会による神社費徴収や神事案内、知事他の防府天満宮支援、下関市による建国記念の日奉祝大会や神事支援など、山口県には、他にも「小事」がいろいろあります。一個ずつ、もぐら叩きみたいな感じですけど、取り組んでいます。
最初に申し上げた砂川政教分離訴訟なんかもそうだと思うんです。ずっと通り過ぎてきたことだったんですが、立ち止って訴えた。そしてそれが展開して、図らずも、私なんかが感化されて、またこうやって動いているのです。いろんなところでいろんな風に繋がって、この黒い三角が、別のものを造っていくと思っています。そんな思いでやっていきたいと思います。
そういう意味では、靖国神社と自衛隊の「顕在」「潜在」でも、われわれの側が、「看過」して来てしまったということは、我々自身の自戒として、覚えておかないといけないのかなと思ってます。私の地元である宇部市でも、地元の大きな神社に安倍首相が参拝し、その時に、海上自衛隊の艦船が宇部港に寄港していて──商工会議所などは喜んで歓迎していたけれど──艦長以下部隊全員が制服を着て神社に参拝しました。そして、安倍さんと宮司も含めて集合写真を撮って、地元の新聞がそれをデカデカと載せました。
私はそれで知ったのですが、その記事によると自衛隊は寄港する度にその神社に参拝をするそうです。それで私は、自衛隊に聞いたんです。「政教分離違反にならないんですか」と。そしたら、一般行政とは対応が違って、叱られるみたいな感じで、「みんな各自個人で行っている」と言われたんです。そしてその時も私は、それだけで通り過ぎてしまったのです。そこで立ち止まって、考えれば手立てが全く無いことはないわけです。
直ぐには結果は出なくても、色々できることはある。でも、やってこなかった。今年初めの自衛隊の参拝報道を見た時に、やってこなかった自分を思い出しました。そういう自分自身も含めて、見過ごしにしてきた、と言う面は捉えていく必要があると思います。
*国家による「慰霊・追悼」を許すな!反「靖国」行動実行委員会による集会「顕在化する〈自衛隊と戦争神社〉」(2024.8.12 於・文京区民センター)における講演をまとめたものです。