皇室情報の検証--〈象徴天皇教〉と憲法をめぐる問答⑮女帝否認は「違憲」という論(主張)のどこが問題なのか?

天野恵一

--今回は、まちがいなく、天野さんはこの記事を取り上げるだろうと思いましたので、私、読んできました。「国民の7割が『女性天皇容認』それなのに……愛子さまは天皇になれない」(『週刊現代』6/29・7/6号)

この記事、憲法を改めなければ女性天皇は実現しないと思っている人が多いが、憲法自体は天皇の性別については規定してなくて、男系主義は「皇室典範」のみの規定だから、憲法には手をふれず、「典範」のみ変えればいいという事実の方をクローズアップして、論を進めていますね。

天野 エエ、もちろん、それはそうなんですが、憲法第二条はこうですから。

「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」。

〈世襲〉という大原則だけが憲法に規定されているだけで、「皇室典範」の第一条が「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」となっており、憲法二条と典範一条がセットで女性(女系)天皇は明示的に拒否されているわけなのですから。

--女性(女系)天皇論議は、ずいぶん長い間、続いてきているので、天野さんなんかにとっては自明とされている論議が多いんでしょうが、できるだけ丁寧に説明していただきたいので、細かく質問していきますね。

前回紹介していただいた、憲法学者・奥平康弘さんの加納実紀代さん批判のところで、天野さん、奥平さんの出している論点、加納さんの「違憲論」への批判という問題に、最後にちょっとふれたじゃない。あの「違憲論」への批判というのは具体的にどういうことなの。キチンと整理して展開してください。それは、この問題と関係あるんでしょう。

天野 エエ、もちろん。「違憲論」というのは、憲法の原則に典範の規定が違反しているという主張のことをいっているわけですから。シンプルにいうと、「典範」の規定を、憲法の原理に添う方向ヘ変えればいいという主張ですね。だから「典範」を女性(女系)天皇容認の方へ書き換えればよいという論議に傾いていくわけですね。

--それに、天野さんも、奥平さん同様、賛成しないという立場なわけですね。

天野 そうです。

--何故? もっと具体的に。

天野 実は、加納さんも、1992年の私との「週刊金曜日」での対談でも明言しているんだけど、シンプルな違憲論じゃなかったんですね。そこでも憲法二条が〈世襲原則〉を打ち出してしまっているという大問題を無視できないとも語っているんです。でも、とりあえず違憲論で攻めていって、天皇制をなくしていく段階を一つ上る、という主張なんですよ。そんなことは原理的に無理だし、加納さんは自己矛盾を起こしていないか、というのが私の批判だったんですよ。奥平さんのような、とんでもない差別(世襲)原理を前提に、女性差別の解消のステップなどとは、原理的におかしい、というストレートな批判はしなかったわけですがね。彼女は論理的にひどく混乱してブレていると思ったので。

--天野さんとしては、彼女が変わってくれることを期待したわけね。

天野 変わるというより、彼女の元々の立場(天皇制=世襲制[憲法第二条]原理の拒否)の方へ、立ちかえってくれると思ったんです。

--加納さんとの問題を離れて、この「違憲論」批判という問題を、より具体的に論理的に整理してください。

天野 エーと、憲法学者で、この「違憲論」の立場をスッキリと打ち出し続けているのは、横田耕一さんですね。

--天野さんたちの集会で、お話を聞いたこともある、市民運動のメディアでも、よくお書きになっている方ですね。

天野 エエ、あの横田さんです。代表的な論文を一つ紹介します。1990年に、横田と江橋崇編で日本評論社から出版された『象徴天皇制の構造-憲法学者による解読』に収められている「『皇室典範』私注」という論文です。メインの主張を引くね。

「これまでの歴史において、伝説上の天皇を含めて裕仁天皇まで124代の天皇のうち、女帝はわずか10代8人(重祚が2人)しか存在しない。しかも、それは皇太子が幼弱である等、例外的場合であった。したがって、旧憲法はあっさりと女帝を伝統に非ずとして否定したのである。伝統的天皇像をそのまま肯定する限り、女帝を否定する選択は特別奇異なものではない。/しかし、現在の天皇制度が仮に旧来の天皇制度との連続性の上に成り立っているとしても、旧来のそれをそのまま肯定したものではない。何よりも、現在の天皇制度は憲法の制約を受けるのである。そうであるなら、憲法の下位法である典範が、女帝を否定したことは、男女の性別による差別を禁じた憲法十四条の平等原則に違反するのではないか(先述のごとく、世襲であることを理由に平等原則の例外を大幅に容認する説は、ここではとらない)。まず、『皇位継承資格者は国民の一部にすぎず、その一部における不平等は必ずしも平等原則違反ではない』として女帝否認を肯定する説は、平等原則の理解を誤っている。国民の一部が問題になる場合でも、その相互間に差別がある場合には、それは平等原則に違反することは明らかだからである(国民の一部たる国家公務員における男女差別を考えよ)。したがって女帝否定が平等原則に違反しないというためには、それが『合理的な差別』であることが示されなければならない。その場合、それが伝統であるというのは決定的理由にはならない。伝統であれば許されるとするならば、ほとんどの差別が容認されることになるからである。そこで、女帝を否定するために挙げられてきたこれ以外のこれまでの理由を見ると、①男系主義を前提として女帝を認めると、一代限りとなり皇位が不安定となる、②女帝の配偶者の選考や取り扱いをめぐって複雑な問題が生じる、③女子の公事担当能力は男子に劣る、④これ以上資格者を増やして国庫負担を増大させることはない、⑤君民の別が混淆する、などである。①については女系主義をも肯定すれば問題はないし、また、平等原則から女帝を認める立場からは当然に女系主義を容認することになろう。②については、何故に女帝の配偶者の場合にだけそうしたことが問題になるかを説明できないだろう。男女役割分担意識を否定する時、女帝の配偶者と男帝の配偶者との間に特に異なる立場を認めることは許されまい。③については、偏見ないし固定観念の結果と評するしかない見解であり、いまや問題外である。④についても、国庫負担の増大は望ましいことではないが、男女差別を容認して負担の軽減を図ることは許されない。⑤封建思想以外のなにものでもない。こうしてみると、女帝否定には合理的理由はなく、それを『合理的な差別』とみなすことは極めて困難である。したがって、筆者は女帝の否定は、端的に違憲であると考えざるをえない」。

--ハイ、そこまでですね。そうすると、横田さんのいう「世襲の規定」があるのだから「平等原則の例外を大幅に容認するという説」が奥平さんの説というわけじゃあないのよね。

天野 もちろん。憲法の象徴天皇規定(一条)はまるごと「人権の飛び地」として憲法自体が規定しているのだから、と、天皇の地位・政治的機能や宗教的動きの拡大を容認する学説、「飛び地」論などと同じ主張ではないわけです。

ただ、憲法自体が「世襲原理」を前提にしてしまっていることの重大性を無視するわけにはいかないわけですよ。一章は、天皇らを、「人間」(人権の保持者)として扱っていない。

奥平さんの具体的批判(主張)を『萬世一系の研究--「皇室典範」なるものへの視座』(岩波書店・2005年)から、わかりやすい部分を引くね。

「要するに私が言いたいのは、皇位継承法は統治関係法であって、市民間あるいは市民と国家の間柄に関わる市民法とは峻別された世界にあるという性格上、無視も軽視もできないということである。この法領域は、天皇制という制度の、その内部的取り極め事項を扱うところであるから、天皇制という制度の目的(それが何であるかがはっきりしないがゆえに問題がややっこしくなる一方なのであるが)の達成が眼目である。市民的自由の確保などという権利保障体系とのすり合わせをすることのごときは、眼中に置かなくていいことが許された、その意味で特異・異質の法の世界で構成された制度なのである」。

「ありていに言って私は、天皇・皇族は、憲法上、そもそも市民とは異なる扱いを受けるよう仕組まれていると見るほかなかろうと考える」。

「さらに、事実上の不自由という点で言えば、天皇・皇族は、表現の自由・学問の自由・職業選択の自由・交際の自由、その他いろんな生活局面で、市民にあるまじき質量の不自由を強いられている。総括して私生活という表現を使えば、天皇・皇族には、私生活の自由、いわゆるプライバシーの権利が、実際の上でかなり奪われていると言える。/これら法律上あるいは事実上の不自由は、はたして憲法に違反しないのか。/さきに見たように『女帝』否認は違憲であると主張する論者は、『女帝』問題に限っては熱心に違憲論を述べ立てるが、私から見れば不思議なことに、その他の差別・不自由については、かなり大雑把な仕方で憲法上の吟味を済ませてしまい、〈憲法に適合する〉という結論になっている。支配的憲法学説も、これらの差別・不自由は、『象徴』を保持し、あるいは『世襲制』を維持する上で「必要最小限」の制約だから、憲法違反ではないという立場をとる。/けれどもこの、あれこれの差別・不自由が制度目的上『必要最小限』なものだという厳密な検討が行なわれているかというと、私の見るところそうではない」。

--横田さんたちへの具体的な批判は、最後のくだりですね。

天野 ウン、私の言葉に置きなおすと、憲法自体の天皇条項の想定が、憲法の人権規定とまったく矛盾してしまっている。いや敵対矛盾の関係になっている事実に、奥平さんの方は正直に向き合おうとしていると思う。

「解釈」でバランスとればなんとかなるなんて問題では、全くないわけなんだから。

--「女帝」否定は違憲だという「女帝」肯定論への批判は、結局、憲法解釈という土俵ではどうにもならない批判ということに落ち着いていくの?

天野 私たちは、そういうベクトルに生きてきたわけだけど、憲法解釈学者として生きてきた奥平さんはそういうわけにはいかなかった。

「市民的自由」の「権利保障」大系である戦後憲法の内側に、この敵対矛盾の突破口を探す努力が、彼によって持続され、実にユニークな主張(憲法学説〈解釈〉)がうみだされる。そこが、この『萬世一系の研究』の実にユニークでチャーミングな論点なんですね。

--その点は、次回以降のお楽しみということにして、最初にふれた『週刊現代』の、「愛子さまは天皇になれない」の記事の方へ戻って、今回はしめてください。

天野 ハイ。この記事も、不人気で追い詰められている岸田首相が、何とか人気を回復するために、「愛子天皇」路線に踏み切ればいいなあ、といった期待感に満ちたトーンがハッキリした記事ですね。まず愛子を即位させ、次は悠仁、そしてその子がその次という流れが作れる方向への「典範」の「特例法」づくりへと公言してますね。

共産党はもはやスッキリと女性天皇支持を打ち出している(これも人気を意識しているんでしょうが)。

--アッ、「違憲」批判とも重なると思うけど、共産党の主張についても、次回以降、検証してくださいね。

天野 ハイ。なんか積み残しの問題がやたら大きいですね(笑)。クタクタですが、ガンバリます。

*初出:『市民の意見』市民の意見30の会・東京発行、no.204,2024.08.01

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