『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その27)

『週金』への公開問題提起文(mail:江ノ原元)

1999.6.29.mail再録。

 以下のようなmailを頂き、その後「本多勝一研究会」HPでも同文が公開されたので、発信者の江ノ原元さんの了解を得て、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』連載「本多勝一"噂の真相"同時進行版」にも再録しますが、その前に若干の注記を付け加え、皆様に、御考慮をお願いします。

 以下の提起文の冒頭では、『週刊金曜日』初代編集長、和多田進氏の発言が、「オフレコ」と記されていますが、別に「オフレコ」の約束で聞いた話ではありません

 和多田氏は、『週刊金曜日』立ち上げ功労者でありながら、当時の報道の通り、株式会社金曜日社長の本多勝一と大喧嘩の末、辞任したのですが、私が名誉毀損記事を乱発されたので事情を聞きたいと申し入れて会った際には、自分もまだ憤懣やる方ない雰囲気で、私には「戦え」と煽る一方、自分の問題は「いずれ明らかにする」と言っていたました。

 そういう事情を踏まえて、その直後、和多田発言の一部を最初に文字にした『歴史見直しジャーナル』(3号、1997.3.25)では、「続々と同種被害者の訴え」の実例の1つとして、「いずれ明らかにするが現在はノーコメント。本多はジャーナリズムから追放すべき人物」とし、その発言者は、「本多を熟知するW」としました。

 ところが、そのまた直後、1997.5.8.ロフトプラスワンのゲストとなった和多田氏に質問を向けると、どうも歯切れが悪くて雲行きが怪しいし、その他もろもろ、和多田氏には、借金返済不履行など、さらに怪しい背景ありとの情報などが相次いだので、裁判の書面では氏名を明記しました。その後、和多田氏からは「弁護士から聞いたが」として、弱々しい形式的な抗議がありましたが、その経過は、すでに上記連載でも、詳しく記しました。

 以下、mailの再録部分です。


『週刊金曜日』への公開問題提起文

(公開mailを発信者の了解を得て再録。)

Received: 99.6.28 9:45 AM

 事後報告で恐縮ですが、大変勝手ながら木村さんのホームページから一部引用し、参考にさせていただきました。ここにご報告をかねて御礼申し上げます。

 なお以下の「公開問題提起文」は、昨日6月26日に講演先の会場(岐阜市民会館)にて、『週刊金曜日』スタッフ(木村さんにしてみれば今さら何ですが、編集長に、この書面を手渡してくれるとのこと)と、会場に出向いていた本多勝一編集委員に手渡したことを、併せてご報告しておきます。

「論争」以前!

「本多勝一はジャーナリズム界から追放すべき人物だ」

 --いささかショッキングな言葉であるが、何を隠そう、これは『週刊金曜日』初代編集長・和多田進氏のオフレコ発言だという(木村愛二氏の証言)。

『金曜日』といえば、「一切のタブーに挑戦し、自由な言論をくりひろげる」「反論文や論争を活発に取り上げる」「苛烈な論争によって問題を前進させていく」というのがこの週刊誌のモットーであり、ウリである。だが、はたして本当にそうだろうか?

 実は、この私自身かつて『金曜日』に対して反論文掲載を要求したことがあり、にべもなく断られたという経緯がある。それについては今さら語るつもりなどないが、どうも同じ苦い思いをした人は少なからずいるようである。もしかしたら『金曜日』は、石橋を叩いても渡らないほど「論争」に及び腰なのではないかと私は懸念している。

 ここ最近で言えば、本誌で6回にわたって連載された金子マーティン氏の「『ガス室はなかった』と唱える日本人に捧げるレクイエム」がそうだ。「もはや文献による論争は“結審”の段階でしょう」と本多氏は書いたが、それでは『金曜日』誌面上で徹底的な論争がなされたかといえば、そうではなかった

『アウシュヴィッツの争点』著者で「ホロコースト見直し論者」の木村愛二氏(木村氏によれば、ホロコースト見直し論の基調は「現在、世界で最後の法的な人種差別国家となったイスラエルの支配権を握る極右集団の思想的根幹をなす〈政治的シオニズム〉に対しての根本的な批判」だという)が、金子氏と同じ分量による6回連載の反論文掲載を求めたにもかかわらず、本誌編集部は「無理難題」として、わずか「1回分(4ページ)の誌面提供を申し出た」。これはいったいフェアだろうか?

 というのも、木村氏は事前に「ある事情通の出版編集者から、『本多さんは文藝春秋に同じ頁数の反論を要求していますよ』と教え」られ、本多氏とまったく同じ論法を展開したのだが、当時編集長だった本多氏はどういうわけか主義に反して「同じ頁数の反論」を用意しようとはしなかった(それともできなかった?)。

 そもそも事の発端は、木村氏が懇親会の場で偶然隣に居合わせていた本多氏に草稿「『ガス室』神話検証(仮題)」のコピーを見せたところ、「ぜひ『週刊金曜日』に連載させてほしい」と即答したことにある。まだ『マルコポーロ』廃刊事件が起きる前の話だ。実際本多氏は木村氏の著書を高く評価していた。そのことは本多氏の著書『貧困なる精神Z集』に「たとえば最近刊行された木村愛二氏の『湾岸報道に偽りあり』(汐文社)(前略)などは、『中東の石油支配を狙うブッシュのワナにはめられたイラク』という構図が実にわかりやすく分析されている」とあることからも伺い知れる。だから本誌への寄稿を彼に依頼したのだろう。

 また木村氏によると、『マルコポーロ』廃刊事件でバッシングされた西岡昌紀氏の原稿「ナチ『ガス室』はなかった」を、まだ『マルコポーロ』が発表する以前に本多氏は、「その原稿、うちに貰えないかな」とも打診してきたという。編集部内で反対意見が強かったのかもしれないが、『マルコポーロ』廃刊事件にしろ不当な言論弾圧に屈することなく『金曜日』の誌面でこそ「あらゆるタブーに挑戦し」「苛烈な論争によって問題を前進させていく」べきであったと惜しまれてならない。

 結局、木村愛二氏は、『金曜日』の記事によって名誉毀損・誹謗中傷を受けたとして、株式会社金曜日(代表者=本多勝一)及び記事執筆者を相手取って「名誉毀損・損害賠償請求事件」として裁判に訴え出た。その判決については、本誌1999年6月18日号に「ナチスによる民族殲滅政策を日本の裁判所が初めて公的に認定」との記事がある。

 金子氏と本多氏の対談記事タイトルには「『記憶の暗殺者』に対する全面勝訴」とあるが、一方の原告・木村愛二氏はインターネットのホームページ「Web週刊誌『憎まれ愚痴』」(http://www.jca.ax.apc.org/~altmedka/)のなかで「私は、この判決を『歴史的勝利』と位置付け、終結を宣言する」と記している。どちらが「本当に勝利を収めた」かはさておくとしても、これでは『金曜日』のポリシーに反して「タブーや権威を恐れ」「自由な言論を自ら放棄する」ようなものであり、論争に決着は見られまい(すでに決着はついたという意見もあるが…)。

 最後に、木村氏は前述のホームページで「初期作品から始っていた記事デッチ上げと経歴詐称」など本多批判の記事を載せている。

 また他のサイトでも、たとえば「本多勝一氏の思想・発言の軌跡を実証的にたどることを主たる目的として結成された」「本多勝一研究会」
(http://hello.to/hondaken/)http://www.geocities.co.jp/WallStreet/8442/

「『カンボジア大虐殺』は、“まぼろし”?!」
(http://www.coara.or.jp/~pwaaidgp/honda.html)

なる長文の本多批判(公開質問状に対して本多氏は1996年7月17日に「この問題につきましては徹底的に回答したく思っております」と約束しておきながら、今日まで回答はないという)などがある。

 それらの批判内容は決して看過することのできないものだが、「真のジャーナリスト」本多勝一氏にはぜひ自らの名誉のためにも「同じ頁数の反論」を行なってもらいたいと切に願っている。

1999年6月26日

江ノ原 元


 以上で(その27)終わり。次回に続く。


(その28)「疑惑情報源を明かせ!」と言う一方で「領収書はない」
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