『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その3)

「本多勝一反論権裁判」敗訴確定「頭隠して尻隠さず」

1999.1.15

 前回の「本多勝一にだまされた弁護士」の続きだが、こう表現しながらも胸が痛む。

「だまされた弁護士」の中には、私の日本テレビ放送網株式会社相手の不当解雇撤回闘争の弁護団の一員、小笠原彩子弁護士や、旧知の市民派弁護士が加わっていたからだ。

 だから私は最初、「やりにくいことになった」と思った。しかし、よく考えてみると、ますます腹が立ってきた。一応の理論的な位置付けの整理ができたからだ。理論的なだけではなくて、感情の整理ができたと言ってもいい。私の結論を簡単に言うと、このような「やりにくい状況」の原因は、本多勝一の方の「ぬえ的」処世術にあったのだ。

 そこで私は、人の良い「市民派」弁護士をだまし抜いてきた本多勝一に対して、さらに許せないという怒りを覚えたのである。ただし、「本人の言によれば」でもあるが、おそらく事実、「本多勝一反論権裁判」の弁護団を集め、裁判関係の原告側実務を担っていたのは、初代『週刊金曜日』編集長、和多田進だった。彼は、この12月25日のクリスマス当日の「岩瀬vs疋田&本多裁判」の傍聴にも現われたが、法廷前の廊下で彼を迎えて会釈した私を見る彼の表情は非常に固かった。ああ、この件も、ますます「こんがらがった」なのであるが、その事情は後に紹介する。

「本多勝一反論権裁判」の最高裁判決は、『判例タイムズ』(1998.12.1.)に紹介されている。私は、最高裁での一件記録閲覧を予定しながら、ついに果たすことができなかったのだが、最高裁の判決の論理は、以下に紹介するような私自身の地裁での陳述書の論理と、まったく同じであった。前々から最高裁判事ぐらいの仕事なら、お茶の子さいさいと思ってはいたのだが、その通りであった。

 以下、私自身の地裁での陳述書からの引用。

 ただし、弁護士なしの本人訴訟なので、遠慮会釈のない文章になっている。優等生揃いの合議体裁判官たちは、きっと驚いたに相違いない。別途、わがホームページにも裁判情報を入れてあるが、この陳述書に添う形の原告本人証言は、いったんは決まっていたのに、裁判長の交替もあって行われず、「陳述書も出ているから」という口実で「突如結審」となった。そちらの判決は、本年 2月16日10時30分、地裁7階 713法廷で言い渡される。

 法廷終了後には交流の場を持つ習慣なので、興味のある方は、傍聴参加を!

******************************

もう一つの忌まわしきゲッベルス流デマゴギー駆使の源流
「ガス室」裁判 原告本人陳述書 その5

 私が、以上に略述したような「南京大虐殺まぼろし論」の経過を調べる気になったのは、本件の『週刊金曜日』を舞台とした私への不当極まりない名誉毀損・誹謗中傷行為が頂点に達し、私がやむをえず本来の仕事を中断して被告・本多勝一に反論の場の提供を求めて以後のことです。その当時、特に被告・金子マーティン執筆の連載記事が話題に上った際、ある事情通の出版編集者が、「本多さんは文藝春秋に同じ頁数の反論を要求していますよ」と教えてくれたのです。

 そこで忙しい私は、深く調べる余裕のないままに、1997年 3月 4日付けファックス通信(甲第33号証の27)で「一件資料を取り寄せ中」と断った上で、「本多氏と同じような要求をすることになるでしょう」と予告しました。それに対して被告・本多勝一は、同年同月7日付けファックス通信(甲第33号証の32)で、「私が文芸春秋の雑誌『諸君』に対して提訴した件は、今回の場合全くご参考になりにくいと存じます」という返答を寄越しました。

 付言すれば、右の引用部分の「全くご参考になりにくい」は、被告・本多勝一の非論理的な思考過程の実態を露呈する悪文の典型です。「全く」と「なりにくい」とは論理的に矛盾します。「全く」を前置するのは、この場合、効果を全面的に否定する意味ですから、「ならない」と結ぶべきです。

 さて、その折、これも偶然でしたが、「切抜き」というよりも「破り取り」という表現の方が実態を現わす資料ファイルの中に、前出の1996年5月31日付け『週刊金曜日』(甲第15号証)記事があるのを発見しました。

 先には、その一部である「南京大虐殺」関係の部分の問題点を記したのですが、その同じ44頁4段の 6行目以降に、被告・本多勝一が「文芸春秋の雑誌『諸君』に対して提訴した件」と記した事件の概要が載っていたのです。被告・本多勝一の衒学趣味は、この際、非常に好都合でした。先の『週刊文春』の場合と同様に、「1981年5月号」と付記されていたからです。これならば、超多忙の私にでも、原資料の収集が可能になります。本来の仕事に必要な資料調査で毎日のように武蔵野市中央図書館に立ち寄るので、その際、数分間だけの無駄を我慢して、都立多摩中央図書館からの取り寄せをリクエスト用紙に記入して置けば、あとは自動的に原資料が届き、必要な記事をコピーできるのです。

 被告・本多勝一は、前出の「雑誌『諸君』に対して提訴した件」に関しても、『週刊金曜日』(甲第15号証)44頁4段の7行目以降に、「『今こそ「ベトナムに平和を」』(甲第48号証)という評論で、他人の言葉をそっくり私の言葉になるように改竄した上で私を非難中傷した」と称しています。

 ところが、これまたというよりも、こちらの方が先の『週刊文春』記事(甲第44号証)に対する「スリかえ」と言う表現による非難の先例なのですが、右の記事「今こそ『ベトナムに平和を』」(甲第48号証)のどこをどう読んでも、「他人の言葉をそっくり私の言葉になるように改竄した」と言う事実は発見できなかったのです。強いて言えば、同記事の61頁2段8-10行に、「本多記者は[中略]……であるといっている」と記している部分が、いささか誤解を招くかもしないといったところでしかありません。

 しかも、この記事の筆者、殿岡昭郎は、さらに次のような指摘をもして、被告・本多勝一の文責を批判しているのです。

「もちろん、逃げ道は用意されている。本多記者はこの部分を全て伝聞で書いている、彼自身のコメントはいっさい避けている。なんともなげやりな書き方ではないか」(同62頁3段 14-17行)

 このような「全て伝聞」による報道操作は、すでに指摘した大手メディアの通弊です。日本の一般の大手メディア報道との違いは、大手メディアの伝聞報道のほとんどが無署名なのに、被告・本多勝一の場合は「署名記事」だということだけです。

 その他の部分の記述についても確かめました。地元の武蔵野市中央図書館が「著名『新聞記者』」被告・本多勝一の著書をほとんど買い揃えているので、書庫(利用度の低い本を収納する)から捜し出して貰った『ベトナムはどうなっているのか?』(甲第49号証)の記述と対照すると、該当部分の記述は全く同じでした。

 この件を被告・本多勝一は、「提訴せざるをえなかった」(甲第15号証)と主張していたのですが、裁判に関してはすでに本件訴状に記した時点では、地裁・高裁で被告・本多勝一が敗訴して上告中のところ、最高裁でも本年7月17日言い渡しで敗訴確定です。私は行き掛かり上、この件の訴訟資料の調査をも予定したのですが、それに要する時間を割けずに今日に至りました。とりあえず私見を一言しておくと、私が「今こそ『ベトナムに平和を』」(甲第48号証)の執筆者であった場合には、次のように反論したでしょう。

「本多勝一は、『エセ紳士』こと朝日新聞社が、ハノイ支局=商業的情報源を確保するためにヴェトナムに派遣した御用記者としての本分を遺憾なく発揮し、ヴェトナム政府当局の発表を、そのままそっくり報道し、一応の異論併記の格好を付けるために、著書では、小さい活字による〈注〉を付し、『ロイター電』に基づく朝日新聞報道の『新政権の宗教政策に抗議して焼身自殺』という報道の存在を指摘しているのであるが、これまた卑劣な逃げ道の確保にすぎないのであって、日本式の『客観報道』なるものが実際には当局発表の提灯持ちでしかないことは、昨今の常識である。本多は、『ヴェトナム政府かく発表せり』というのが『事実』だと強弁するのであろうが、この事件に関しての核心的な『事実』は、ヴェトナムの『新政権の宗教政策』なるものが、『宗教弾圧』であるかどうかなのである。本多は、自分が給料を貰っている朝日新聞社の報道の基になっている『ロイター電』の検証を何らなさず、また、『本社』『本社』と呼び習わす数千名の記者を要する天下の朝日新聞社の調査機能を総動員しようともせず、ただただひたすらに、ダラダラと牛の涎のように長々と、ヴェトナム政府の当局発表を書き写し、それと合致する現地の噂を拾い集めて書き並べ御用記者の役割を果たし、ヴェトナム政府当局の報道操作の国際版をせっせと垂れ流したのである。

 このような報道姿勢は、たとえ社会主義の擁護者であっても許すべきではないのであって、善意の場合でも『贔屓の引き倒し』となる。低水準の下卑た『高砂屋!』などの追従野次は、役者の傲慢を助長するばかりで、芸を腐敗させる。ましてや、その当局発表報道が、『エセ紳士』の商売繁盛を目的とし、その『エセ紳士』の祿を食む御用記者が自らの為にする所業であるとすれば、これ程に醜い卑劣行為は他に例を見ない」

 被告・本多勝一は、右『週刊金曜日』(甲第15号証)記事の45頁 1段23行以降で、「(右『諸君』記事に関する)裁判であまりに時間を取られ、これ以上また提訴で時間を取られては仕事に差支えるので、(右『週刊文春』記事[甲第44号証]の件を)時効のままに放置せざるをえなかった」と嘯いているのですが、これまた実に忌まわしきゲッベルス流デマゴギーの駆使に他なりません。

 本当は、訴訟を起こし得ないほどお粗末だったので、諦めざるを得なかったに違いないのです。私には、決して、商業主義の文藝春秋の肩を持つ気はありません。むしろ、この件では、商売に重大な支障さえきたさなければ、被告・本多勝一が撒き散らす「ゴロツキ編集長」(甲第15号証)などの薄汚い罵倒を放置し、被告・本多勝一を甘やかし、あまつさえ『マルコポーロ』廃刊事件を起こし、それらの結果が、被告・本多勝一らによる私への攻撃につながっていることに関して、超多忙中ながら、とりあえず文藝春秋社長室に電話で強く抗議の意思を伝えたほどです。

 私は、本件訴訟に関して、今年の1998年 1月 2日以降、私が作成するインターネットのホームページによって、主要な書面、書証などの世間への公開を開始しました。本陳述書も同様の方法で発表します。被告・本多勝一が、以上のような私による批判を不当だと主張するのであれば、まだまだ「時効」どころか、出来立てのホヤホヤ状態ですから、もしも身の潔白を証明し得る、または身の潔白を証明し得ると主張し続けて日本特有の長期裁判に一縷の望みを託し、「市民派」気取りによる現世の仮そめの世すぎ身すぎを全うしたいと願うのであれば、思い切って私を相手にして「提訴」されると良いでしょう。

 訴訟開始に要する費用を、そちら持ちで法廷、インターネット、その他メディアを活用する裁判ができるなら、私は大歓迎します。

******************************

 以上で、私自身の地裁での陳述書からの引用は終り。

 本来ならば、本多勝一も弁護団も、この負けた事件の最高裁判決を批判して、さらに論陣を張るべきところなのであるが、『週刊金曜日編集部』に直接確認したところ、「そうですね。見掛けませんね」という気の抜けたビールのような返事しか戻ってこなかった。「人の噂も75日」とばかりに、ひたすら「頭隠して」いるに違いない。こちらは、嫌な役割だが、「尻見えた!」と言い続けるしかない。

 お人好しの市民派弁護団には気の毒だが、私の心証では、この「本多勝一反論権裁判」なるものは、まず、法廷の内部の争いでしかなかった。

 次には、その唯一の争いの場の法廷の内部で、最初から絶望的に敗北していた。

 その絶望的敗北の決定的理由は、本多勝一の「学歴詐称」問題である。

 この事件の 1審、東京地裁の法廷で、本多勝一が著書の奥付に、正式には「千葉大学薬学部卒業」と記すべき学歴を、「中退」の事実を隠して「京都大学農林生物科を経て」としたり、甚だしきは、「京都大学農林生物科卒業」としていたりする虚言癖の一部が暴露され、本多勝一は一言も発し得なかったのである。

 経歴詐称という欺瞞は、「あの」図々しい国会議員でさえも自主的に辞任せざるを得なくなるほどの喜劇的行為である。特に、ギチギチの四角四面、法的手続き後生大事の裁判官が、法廷の舵取りであってみれば、この学歴詐称というマンガチック詐欺行為が暴露された途端に、弁護団は一斉に辞任すべきところだったのである。

 もう一つ、弁護団の錯誤の理由は、「右」か「左」か、にあった。これは、上記の事件で最初は本多勝一と共著の『ペンの陰謀』に名を連らねていた私の旧友、菅孝行の言葉である。彼は、私の方での事件の私の側の証人申請を了承してくれたのだが、その際、「なぜ本多勝一に味方したのか」という私の質問に対して、「当時は何でも右か左かの判断だった」と答えたのである。

 その「右か左かの判断」の目安として働いたのが、これも当時から「左」と目され、今も自ら「本多勝一反論権裁判」の弁護団を組織したと語っているキーパースン、当時も今も晩聲社社長、初代『週刊金曜日』編集長、和多田進の存在である。先に簡単に紹介したように、彼も、1998年12月25日の法廷にいた。

 以上で(その3)終り。次回に続く。


(その4)「羨ましかった」第1回口頭弁論のザックバラン
本多勝一“噂の真相”連載一括リンク