『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その4)

「羨ましかった」第1回口頭弁論のザックバラン

1999.1.22

 本連載の題名に「同時進行版」と銘打った以上、本来ならば、連載と同時に進行している被告・本多勝一関連のモロモロの事件を、すべてここに一網打尽にすべきところなのであるが、これが実は、「盆と正月、一緒に来たよな、テンテコ舞の忙しさ」なのである。いわば「本多勝一、いよいよ年貢の納め時」なのであろうか。

 第1に、最新情報として、インターネット上の「本多勝一研究会」の結成がある。すでに、いくつかの長文の投稿が始まっている。しかし、これは、本誌の本号では、別途「緊急特集」の項目に整理することとするので、そちらを参照されたい。

 第2に、もう一つの「同時進行」、「本多勝一にだまされた弁護士」の続きだが、この件については今回、小笠原彩子および梓澤和幸の両弁護士宛てに送った私の下記の手紙を紹介することにして、「だまされた」事件の本命、「本多勝一反論権訴訟」の論評の続きは、後に繰り延べとする。

 下記のごとく、小笠原彩子および梓澤和幸の両弁護士には、私の対『週刊金曜日』裁判への業界内での理解を求めて、1997年1月創刊、毎月発行の『歴史見直しジャーナル』の無料「謹呈」を続けていたのである。

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拝啓。

 差し出がましいようですが、当方の都合上、きたる1月17日の法廷にも傍聴に参りますので、一応のご挨拶をと、いつも送っている『歴史見直しジャーナル』に添えて、被告・本多勝一に関する決定的な資料だけをお送りします。

 もとより、ヒトラーにも、被告・本多勝一にも、法律の専門家の弁護を受ける権利があるわけですが、揃いも揃って私の旧知の市民派弁護士ばかりが4人も、被告・本多勝一側に並んだ時には、いささかの感慨が無きにしもあらずでした。

 彼を弁護すること自体を非難するわけにはいきません。

 しかし、彼の正体は、正確に知って置いた方が、今後のためと思われますので、こうして、これだけが唯一の自慢の貧乏暇無しの追い込み作業の合間を縫って、コピ-資料を、お送りする次第です。

 なお、現在、オーストラリアに留学中の佐佐木さんという「元・本多勝一ファン」の学生さんが中心になって、インターネット上の「本多勝一研究会」が結成され、さらに詳しい全面的な彼の欺瞞の歴史が体系的に明らかにされようとしています。

 以上。

1999.1.19. 木村愛二

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 ああ忙しい、忙しい。「テンテコ舞の忙しさ」ながら、再び、昨年の1998年12月25日、クリスマス当日の東京地裁721号法廷「岩瀬vs疋田&本多裁判」の傍聴席に戻る。

 この裁判の次回、第2回口頭弁論の期日が、わがWeb週刊誌『憎まれ愚痴』の次回発行日、1月29日の2日前、1月27日午前10時30分なので、一応、その前に、この裁判の進行状況をも記さないわけにはいかない。

 12月25日の第1回口頭弁論は、実に面白かった。ここは正直に「羨ましかった」と言うべきなのもしれない。

 もともと、本連載の第1回に記したように、この「岩瀬vs疋田&本多裁判」の第1回口頭弁論は、5階の524号法廷で開かれる予定だった。日本語以外の使用を許さない裁判所の頑固な習慣にもかかわらず、なぜか「ラウンドテーブル」などと書記官が嬉しそうにカタカナ語で呼ぶ法廷である。読んで字のごとく、丸くて大きなテーブルを囲んで「話し合う」のが、この法廷の構造の狙いである。つまり、裁判長には、最初から話し合いの雰囲気を作る考えがあったのだ。そう私が断定するのは、電話で期日と法廷を確かめた時に、担当書記官が、そう言ったからである。

 ところが、その後、傍聴取材の希望者が、当初予想以上に増えることが分かったために、法廷が変更された。せいぜい6,7人しか座れないベンチ型の傍聴席の 524号法廷では間に合わないから、傍聴席36の中型の普通の構造の法廷、 721号に変更されたのである。

 普通の事件の口頭弁論の初期の段階は、俗に「書類交換」と呼ばれるほどで、一般の傍聴者には何が起きているのか、まるで分からない。「符丁」のやりとりの世にも不思議な世界の出来事なのである。労働事件や平和訴訟では、傍聴者の「動員」などをして、弁護士が「傍聴者にも分かるように」などと掛合い、辛うじて「口頭」の語義に合致する短い時間を確保している。傍聴者が少ないと裁判所になめられて相手にされない。

 私自身は、対『週刊金曜日』裁判で、弁護士を雇う資金も、弁護士と打ち合わせる時間も無い、貧乏暇無しだから、本人訴訟と称される自分一人でやる訴訟をやっている。そこでも、もちろん、「裁判所の忙しさは重々承知の上ではありますが」と前置きしながら、「憲法と民事訴訟法に基づいて」「口頭弁論」の「口頭陳述」の時間を要求した。「30分」が「10分」、「10分」が「5分」に値切られる魚市場のような駆け引きを経て、短いながらも傍聴支援者に少しは進行状況が分かる法廷作りに努力した。

 そんな地獄を這い回ってきた私から見れば、この「岩瀬vs疋田&本多裁判」の第1回口頭弁論は、まさに天国、または極楽であった。そうなった理由は、決して、裁判長個人の性格だけではないだろう。事件が事前にマスコミ報道され、特に、朝日新聞に講談社という日本のメディアの最大手が、背後に控えていることが、裁判所の姿勢に大きく響いているのである。

 裁判所は、実は、その大見え切った建て前とは正反対に、メディア報道を非常に気にするのである。これはまったく不思議な現象ではない。メディアを意識する性格と、権威主義の性格とは、裏と表の関係であり、密接に関連し合っているのである。

 ともかく、この「岩瀬vs疋田&本多裁判」の第1回口頭弁論では、裁判長も、原告代理人も、被告代理人も、実に良くしゃべった。開始が15分遅れたが、入ってきた裁判長は、すぐに「前の事件が時間が掛かって」と素直に弁解した。いくつかの書面のやりとりを確認しながら、あまり形式にこだわらずに双方の主張の応酬が始まった。

 被告側は、まず高見沢弁護士が立って、「言論人同士の争い」だから「言葉は激しくなるもの」とし、ニコヤカに「パンツを云々」などという論争用語の実例(ただし出典明示なし)まで挙げて、まずは裁判官向けの弁解を試み、原告側の請求趣旨が明確でないなどと主張して、論点を広げようとする

 続いて梓澤弁護士が立って、岩瀬執筆の講談社『ヴューズ』記事の信憑性を追及した。どうやら被告側の狙いは、岩瀬が疋田インタヴューの際に「テープ録音」をしたか否かの確認を求めることによって、疋田発言の「真実」性を、あやふやに見せようとする点にあるらしい。

 原告側は、たった一人の渡辺弁護士が、「争点をはぐらかすな」といなし、「捏造記事」「パパラッチ」「講談社の飼い主にカネで雇われた番犬・狂犬の類」「売春婦よりも下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中」などの被告・本多勝一が原告の岩瀬達哉に投げ付けた名誉毀損の表現の数々を読み上げ、「請求原因は不法行為」にあるとの主張を明確にする

 特に、以下の二つ、「講談社の飼い主にカネで雇われた番犬・狂犬の類」「売春婦よりも下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中」については、以後、二度も繰り返して強調した。

 裁判官は非常に率直に、「名誉毀損については、こちらにも最高裁判例がありまして」などと、客に品物を勧める商人が揉み手をするような腰の低い雰囲気で、場を和らげようとする。その「最高裁判例」の「真実」と「意見ないし論評」の評価に関する部分まで暗唱してみせた。

 この裁判官発言と暗唱が、実は、私にとって一番羨ましい場面だったのである。私が『週刊金曜日』を訴えている事件では、原告の私が、同じ「最高裁判例」を何度も指摘して、上記の「真実」に当たる「ガス室の実在性」の立証を求めているのに、裁判長はのっけから、「裁判所はガス室があるかないかを判断しない」と言明したまま、突如、結審を宣言したのである。興味のある方は、別途、わがホ-ムペ-ジの「木村愛二の裁判」を参照頂きたい。

 以下、対『週刊金曜日』名誉毀損・損害賠償請求事件、1998.10.12.「最終準備書面」より関係箇所だけを引用する。

「[前略]

二、『ガス室の存否を判断しない』方針の経過と当否について

[中略]

1. 裁判所の訴訟指揮は、前任裁判長が理由を示さずに言い張っていた「ガス室の存否を判断しない」とする方針の必然的帰結であり、この点の回避願望は、実に奇妙なことに、被告会社らの側にも共通している。

2. 原告は、『ガス室の存否を判断しない』という訴訟指揮に反対して、後述のように、97年11月25日に提出した準備書面(3)で、いわゆる『北方ジャーナル事件』最高裁判例を示して反論したが、奇しくも本件被告会社代表たる被告・本多勝一が原告の通称『本多勝一反論権訴訟』についても、以下のような同主旨の最高裁判例解釈が見られる。

『他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠くものであることは、当審の判例とするところである(最高裁昭和60年(オ)第1275号平成元年12月21日第1小法廷判決・民集43巻12号2252頁、最高裁平成6年(オ)第978号同 9年 9月 9日第 3小法廷判決・民集51巻 8号3804頁参照)。』(甲第78号証・『判例タイムズ』98.12.1.85頁3段20行)

 右判例に照らせば、特に被告・金子マーティンは、自らの行為が『公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明』を積極的になすべきであるのに、その権利を放棄していることになる。

 実のところ、原告が準備書面(3)で指摘したように、共同被告としての被告・本多勝一と被告・金子マーティンの『ガス室の存否』に関する主張の足並みは乱れているのであって、被告らは、法廷外における大言壮語の数々にもかかわらず、『ガス室の実在性』を法廷で立証することが不可能であり、むしろ藪蛇の逆効果となることを熟知し、恐れ、それゆえにこそ立証の権利を放棄したのである。

3. 裁判所には、別途、学校教育の『立法・司法・行政』の独立論とは相反する政治的位置付けがある。

 裁判官の事実上の無権利状態に関しては、通称『寺西判事補の分限裁判抗告』を棄却した最高裁決定に関する報道例(甲第79号証)を提出するに止めるが、本件に関するドイツ検察局への告訴の茶番、被告・金子マーティンの『国際公序』云々の主張などは、本来、法秩序を異にする日本国が関知すべき問題ではないにもかかわらず、『マルコポーロ』廃刊事件で外務省などが果たした水面下の役割を考慮するならば、一地方裁判所の一合議体に「ガス室の存否」の判断を迫るのは酷であると判断せざるを得ない

 原告が、あえて裁判官の訴訟指揮批判の『忌避』をしなかったのは、右の理由によるものである。[後略]」

 先に「羨ましい」と述べたが、この「最高裁判例」の「真実」と「意見ないし論評」の評価に関する部分の取り扱いこそが、実は、この「岩瀬vs疋田&本多裁判」の私にとっての最大の見所なのである。

 この「岩瀬vs疋田&本多裁判」の次回、第2回口頭弁論の期日は、冒頭に記したように、1月27日午前10時30分、東京地裁721号法廷である。また傍聴に行って報告する。

 以上で(その4)終り。次回に続く。


(その5)「反訴状」で蒼白の「ゾンビ」本多勝一登場の波乱万丈
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