『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その13)

裁判長を不機嫌にした本多流「罵倒」擁護論

1999.3.26

 前回に引き続き、1999年3月17日、東京地裁 721号法廷で午後4時10分から5時丁度までの50分間にわたって開かれた、「岩瀬vs本多・疋田」裁判の第4回(反訴の方は第2回)口頭弁論における「裁判長を不機嫌にした」問題点の第2.名付けて「訴訟無用論の二枚舌」(ダブル・スタンダード)を詳しく紹介する。

 まず前回述べた口頭弁論の経過を要約すると、本多勝一代理人の高見沢弁護士による本多流「罵倒」擁護論は、「売春婦よりも下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中」をも言論の許容範囲と強弁し、さらには、「ジャーナリスト同士、言論人同士の罵倒合戦には、世間一般から見れば極端な表現もあるが、お互いに言論で争うべきであって、法廷に訴えるべきではない」と主張するものだった。これに対して、裁判長は不機嫌になって、「言論の自由の問題」「何を言っても構わないということか」という意見を開陳したのである。

 上記の「ジャーナリスト同士、言論人同士の罵倒合戦は、お互いに言論で争うべきであって、法廷に訴えるべきではない」という主張を、さらに要約すると、こういう場合には訴訟を提起してはならないということになる。事実、高見沢弁護士は、気のせいか、私の方に目を向けていたようだったのだが、「そういう訴訟を起こしたジャーナリストはいない」とまで断言したのである。だから私は、前回の終りに、つぎのように記した。

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 訴訟ということに関しては、次回に詳しく論ずるが、本多勝一自身が文芸春秋『諸君』記事を「名誉毀損」として訴え、昨年、最高裁で敗訴が決定したばかりではないか!

 しかも、その事件の弁護団の内、2人までもが高見沢の隣に座っていたのである。

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 上記裁判については、すでに本連載でも紹介している。しかも、この「岩瀬vs本多・疋田」裁判の裁判長は、訴訟指揮についての見解の一部として、「こちらにも最高裁判例がありまして……」と発言し、実は、上記の本多勝一が原告の通称『本多勝一反論権訴訟』の最高裁判決の一部を暗唱してみせたのである。以下、すでに記した出典などは省略して、その最高裁判例の該当部分の文章のみを再び紹介する。

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 他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠くものであることは、当審の判例とするところである。

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 今回の問題に関わる部分のみを指摘すると、「最高裁判例がありまして……」という立場の裁判官としては、「事実の主要な点につき真実であることの証明」と同時に、「罵倒」表現が、「人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するもの」かどうかという判断を、しなければならないのである。つまり、裁判長は、そういう判断もしますよ、と予告したのである。ところが、高見沢弁護士の主張では、訴訟を起こすのがおかしいのであり、ひいては「裁判所は黙って見てろ!」ということになってしまう。

 弁護士から「黙って見てろ!」とまで言われて怒らない裁判官がいたら、お目に掛かりたいものである。司法試験合格と言う資格では同等でも、裁判官への任官拒否事件の多発に見られるように、裁判官として最高裁の人事当局に選ばれるためには、なにがしかの努力が必要である。少なくとも本人たちの自覚では、相当に、お行儀を良くする努力が必要なのであって、結果として、気楽な、誰でもなれる弁護士とは違うというエリート意識を持っているはずなのである。私の観察によれば、上記のように不機嫌になって、「言論の自由の問題」「何を言っても構わないということか」という意見を開陳した時の裁判長の顔は、かなり引きつっていた。

 しかも、上記の通称『本多勝一反論権訴訟』は、訴訟提起当時も著名な大手新聞記者であった本多勝一自身が起こした裁判なのだから、高見沢弁護士による「そういう訴訟を起こしたジャーナリストはいない」という主張とは、完全に矛盾するのである。おそらく高見沢の主張は、『本多勝一反論権訴訟』を「事実」に関する反論請求によるものと規定して、自らが規定した「そういう訴訟」の方を「罵倒」表現の争いにのみ限定するつもりなのであろうが、そういう曲芸は通用しない。無理をすれば、「猿も木から落ちる」ということになる。

 参考のために、上記の事件に関する最高裁の理解の仕方を、以下に再録する。

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[前略]

 本件は、上告人の著作物について被上告人殿岡昭郎の執筆、公表した評論が上告人の名誉を毀損するものであるとして、上告人が被上告人らに対して損害賠償等を請求するものであり、前提となる事実関係の概要は、次のとおりである。[中略]

 後段部分は、全体の長さが76行であり、その内容は、「何より問題なのは、本多記者がこの重大な事実を確かめようとしないで、また確かめる方法もないままに、断定して書いていることである。」、「従ってカントーの事件でも本多記者は現場に行かず、行けずに、この12人の僧尼の運命について改府御用の仏教団体の公式発表を活字にしているのである。」、「もちろん逃げ道は用意されている。本多記者はこの部分を全て伝聞で書いている。彼自身のコメントはいっさい避けている。なんともなげやりな書き方ではないか。」、「誤りは人のつねといっても、誤るにも誤りかたがあるというもので、12人の殉教を“セックス・スキャンダル”と鸚鵡返しに本に書いたというのでは言訳はできまい。」などとして、本件焼死事件が無理心中事件であるとするティエン・ハオ師の談話をそのまま紹介した上告人の執筆姿勢を批判するものである。

[後略]

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 以上を受けて、最高裁は、「本件評論部分は、専ら上告人が本件焼死事件に関するティエン・ハオ師の談話をその真偽を確認しないでそのまま『鸚鵡返しに』紹介したことを批判するもの」と要約している。この括弧に入れた『鸚鵡返しに』と言う表現が「罵倒」であるか否か、という判断もあろうが、実は、上告人(本多)の方の「上告理由」では、それ以外にも、「被上告人殿岡昭郎」が用いた「インチキ臭い」「『ハノイのスピーカー』と呼ぶ人がいるのも非難ばかりはできない」「報道記者としての堕落」などの表現を列挙して、これらを、「口を極めて上告人を罵っているのである」とか、「口を極めた罵言」とか評価しているのである。つまり、「罵倒」表現として主張しているのであり、その「罵倒」を不当だとして最高裁上告までしていることになる。

 これらの「被上告人殿岡昭郎」が用いた表現が、「口を極めた罵言」であると評価して、最高裁まで争った本人、当時は大手新聞記者、現在も週刊誌を発行する会社の社長、本多勝一自身と2人の弁護士が同じ法廷の隣の席に座っているというのに、高見沢は、「売春婦よりも下等な、人類最低の、真の意味で卑しい職業の連中」という罵倒を浴びせ掛けられても、駆け出しの若手のフリーのものかきは、

 と主張したのである。これが呆れずにいられようか!

 以上の「二枚舌」と、以下の、本多勝一自身の文章、『週刊金曜日』(1996.5.31)連載記事「貧困なる精神」68「文春の本質を見誤ってはならぬ」4.の一部とを比較してみると、さらにこの「二枚舌」の矛盾が明瞭になる。なお、文中の「スリかえ」「大改竄」は、まったくの嘘八百である。

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『諸君!』1981年5月号は、「今こそ『ベトナムに平和を』という評論で、他人の言葉をそっくり私の言葉になるように改竄した上で私を非難中傷した。これは20余年間にわたる私への文春の攻撃の中でもあまりにひどい例なので、「投書欄でもよいから」と訂正なり反論文掲載なりを求めたが、当時の堤尭編集長は3年間にわたって拒否しつづけた上、反論文を再度送れば「間違いなくクズ籠に直行させる」と反応した。3年すぎれば時効になるので、私としては提訴せざるをえなかった。[中略]

『週刊文春」1988年12月15日号は「“創作記事”で崩壊した私の家庭、朝日・本多記者に宛てた痛哭の手記」として、私が幼児のころ(1937年)に書かれた『東京日日新聞』(のちの『毎日新聞』)の記事を私の記事のようにスリかえた上で攻撃し、しかも私のコメントを大改竄して発表した。[中略]

[前記『諸君!』記事]の裁判であまりに時間がとられ、これ以上また提訴で時間をとられては仕事に差支えるので、時効のままに放置せざるをえなかった。日本の裁判は明白な改竄や捏造による名誉毀損に対しても即決せず、10年単位の時間と費用をかけた上で、勝訴してもウン10万円ていど。これでは暴力団に依頼した方が早いと考える例があるのは当然であろう。アメリカ合州国だったら雑誌がつぶれるほどの損害賠償をとられる事例が「お家芸」となっていることこそ文春の内実なのだ。このようなゴロッキ雑誌のゴロッキ編集長にひどい目にあわされた被害者は、もちろん私以外にもたくさんいる。裁判のばがらしさを知つて、ほとんどが泣き寝入りである。だが、私は死ぬかボケるかするまで、泣き寝入りはしない。裁判そのもののひどさを知って、裁判所あるいは裁判制度自体を批判する作業にとりかかることにした。

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 以上で(その13)終り。次回に続く。


(その14)「言論人」としての本多勝一の評価:2 例
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