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本多勝一"噂の真相"同時進行版

(その18)ヴェトナム小説「改竄」疑惑への井川一久本人の反論

 以下の反論は大川執筆の告発記事から7ヵ月後に同じ雑誌『正論』に掲載されたものである。翻訳の経過をめぐる両者の主張は、真っ向から食い違っている。しかし、意図と経過はどうあれ、「書き直し」「書き加え」の部分があることは、井川自身も認めているのである。それが著者の了解の範囲内なのかどうか、などの事実関係の評価は、双方の主張をすべて再録した後に行うこととしたい。ともかく、事態は奇々怪々なのである。

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『正論』(1998.7)

「戦争の悲しみ」の悲しみ

大川均氏の非難に答える

小説「戦争の悲しみ」訳者●いかわ・かずひさ 井川一久

[ ]内は本 Web週刊誌『憎まれ愚痴』編集部の注。内容は末尾。

 井川一久氏 昭和9年(1934年)愛媛県生れ。早稲田大学政経学部卒。朝日新聞那覇支局長、プノンペン駐在アジア総局長、サイゴン支局長、朝日ジャーナル副編集長、東京本社編集委員、ハノイ初代支局長を経て平成6年退職。現在、大阪経済法科大学客員教授、早大理工学部講師。編著書に『新版カンボジア黙示録』『世紀末症候群』『危機に立つアンコール遺跡』『インドシナの風』など。

「ドイモイ文学」の非政治性

 米国はもとより世界の主要諸国と東南アジア諸国がおおむね直接間接に参加したヴェトナム戦争〈第2次インドシナ戦争)は、冷戦を代償した史上最大の局地国際戦争だった。この戦争に巻き込まれた人々の姿は、すべて深刻な運命劇の色を帯びた。背中合わせの生と死、また出会いと別離。歴史もろとも凝縮された喜怒愛憎[ママ:注1]さまざまの情念。それらは無二の文学材料といってよく、現にこの戦争を背景とする作品は米越両国で数多く出版された。

 だが、1980年代までの作品は、おおむね左右のイデオロギーに色濃く染められていた。この戦争自体が、独立と統一を求めるヴェトナム人のナショナリズムに発しながらも、冷戦に組み込まれたがゆえに激烈なイデオロギー対決の場となり、それが戦後の統一ヴェトナムと諸外国の関係にも持ち越されたからである。

 そのことはヴェトナム人民軍の描き方に端的に示されていた。

 米国のメディアは、人民軍を情感のかけらもない戦闘ロボットのように描き出すのが常だった。一方、戦時に中ソ両国の援助で世界最強の米国と戦い、戦後にソ連圏の援助で国際的孤立下の貧困と第3次インドシナ戦争(ヴェトナム・カンボジア戦争、中越戦争、カンボジア武力紛争)に耐えざるをえなかったヴェトナムでは、社会主義リアリズムを唯一の評価基準とする検閲制度のもとで、人民軍は民族・人民解放の大義に身を挺した「英雄の軍隊」として描かれることになった。

 このタブーが解けたのは、市場経済化と対外開放を2本柱とし、共産党の独裁権を脅かさぬ限り公私のあらゆる活動を自由化しようとするドイモイ(維新)が本格化した1990年からである。その波はただちに文化の領域にも押し寄せた。東南アジア随一とされるこの国の詩文の伝統は一気に蘇った。進歩史観による善悪2元の図式を離れて、人間と社会と歴史をあるがままに、また自由な形式で描こうとする新しい文学作品群、いわゆるドイモイ文学が生まれた。

 その最大の果実は、1991年にヴェトナム作家協会貧を得て刊行された元人民軍兵士バオ・ニン氏の小説『戦争の悲しみ』だろう。同書は1993年から約10ヵ国で続々翻訳され、1994年に英インディペンデント紙の海外優秀小説賞を獲得、1996年にはデンマークでも受賞している。

 この小説は、米軍やサイゴン軍と戦って9死に1生を得た作者自身の体験をもとに、戦争で傷つき歪んだ若者たちの内面を1組の男女の愛と別れを縦軸にして赤裸々に描いたもので、そこには転換期の小説にありがちな過去告発の調子は全くない。全文を貫くものは、いかなるイデオロギーや政治的観点とも無関係な人間の根源的な悲しみ、必然と偶然の出会いが垣間見せる歴史と人間存在そのものの悲劇性である。こういう非政治性こそドイモイ文学の特徴なのだ。しかし、この純然たる文学作品は、日本では不運にも政治的に弄ばれることになった。

奇怪な「複数翻訳」の経緯

 私は朝日新聞ハノイ支局長を勤めていた1992年にバオ・ニン氏と親しくなり、『戦争の悲しみ』の概要と執筆の動機を聞いて深い共感を覚えた。私自身が1970年代初頭に戦場記者としてヴェトナムやカンボジアの戦場を駆け回り、数知れぬ「悲しみ」の場面を目にしていたからである。この小説に出てくる主な地名は、おおむね私が銃砲声の中で歩いた土地の名前だった。1995年、私はこの小説の和訳を思い立ち、その意向をバオ・ニン氏に手紙で信えた。彼は「あなたによる翻訳を希望するが、東京のめるくまーる社が日本語版の出版権を持っているので、同社と協議されたい」と答えてきた。

 ヴェトナムは国際著作権条約に加盟していないから、いかなる外国出版社が勝手に訳書を刊行しても法的問題は生じない。しかしバオ・ニン氏は、そういう事態を多少とも防ぐため、英ランダム杜を著作権代理人とし、同社から「私的版権」を取得した人物と出版杜にのみ翻訳出版を許すことにしている。めるくまーる社もそのようにして出版権を得ていた。

 めるくまーる社は1996年、私に翻訳を委嘱した。私は同年夏にバオ・ニン氏と翻訳方法について話し合い、(1)英訳本には重大な誤訳と文意歪曲かあるため、なるべく原著に即して翻訳する、(2)しかし原文のままではヴェトナムに関する知識の乏しい日本の読者に誤解を強いる(事実上の誤訳となる)恐れがあるので、部分的に加筆その他の補正をする必要がある、という2点で合意した。

 私の邦訳は1997年3月に完了、5月末に見本刷りが出た。その直後の6月13日、築地書館が大川均なる人物による同名の訳書をバオ・ニン氏の序文付きで出そうとし、すでに製版を終えていることがわかった。

 私の知るバオ・ニン氏は極めて誠実な人物で、2人の日本人による翻訳を同時に認めるようなことはありえない。これはヴェトナム文壇の伝統的モラルでもあって、そのようなことをすれば作家生命を失う恐れすらある。

 そこで私が直ちにバオ・ニン氏に事情を間い合わせたところ、「大川氏を井川氏とのみ思い込んで序文を書いた」という驚愕に満ちた返事に続いて、大川氏と築地書館社長のそれぞれに宛てた長文の手紙のコピーが届いた。それらは大川氏による翻訳を明確に拒み、大川訳の出版の即時中止を求めるものだった。これらの原作者の書簡や、私の友人たちの寄せた情報から、まもなく次のような奇怪きわまる事実が判明した。

一、大川氏は1996年の5月ごろ岩波書店に訳稿を持ち込み、原作者やヴェトナム国内版権所有者(作家協会出版局)に無断で訳書を出しても違法ではないとの理由で出版を促した。岩波書店は著名なヴェトナム研究者に問い合わせて、私が翻訳していることを知り、この申し入れを拒絶した。その後、大川氏は朝日新聞社など数社に同じ申し入れをして、すべて拒まれている。その間、同氏が原作者と接触し、翻訳について了解を得ようとした形跡は全くない。

二、1996年末から、ゴックと名乗る在日ヴェトナム人が「あなたの作品を翻訳している大川氏の助手」と称して、バオ・ニン氏と電話で連絡をとり始めた。それは大川氏による翻訳の許可を求めるものではなく、原作の用語などに関する質問の電話だった。そのためバオ・ニン氏はゴック氏を私の代理人と思い込んだ。ヴェトナム人には日本の人名は極めて覚えにくい。私のほかに『戦争の悲しみ』の和訳者はいないと信じていたバオ・ニン氏が、語感の酷似した大川氏を私と混同したのは当然といえよう。

三、大川氏は1997年 3月、朝日新聞出版局の元編集委員S氏とともに東京のM杜を訪れ、「井川訳がまもなく出るので、急いで私(大川氏)の訳書を出してほしい」と要請して拒絶された。

 同氏はその前後に、築地書館にも訳書の出版を要請した。同社はバオ・ニン氏から翻訳の許可を得ているとの同氏の言葉に不安を感じたためか、原作者の序文を求めた。そこで大川氏は、同年4月に訳文のコピーをバオ・ニン氏に送り、ゴック氏を通じて序文を要求、さらに「非合法に翻訳している別人がいる」と伝え(「別人」とは私にほかならない)、5月に序文と「あなただけが合法的な翻訳者だ」との書簡を入手(あえていえば詐取)した。

 大川氏は当時、めるくまーる社の委嘱で私が翻訳していることを知りながら、そのことを築地書館に一度も告げなかった。同社がそのことを知ったのは同年6月、めるくまーる社から同名の訳書が出るとの取次店の通報によってである。右の経緯は、大川氏がゴックなる在日ヴェトナム人とともに、バオ・ニン氏と築地書館の双方を欺いていたことを示唆している。その巧妙さは、ブロフェッショナルなものをすら感しさせる。

矛盾と虚偽に満ちた井川非難

 私は1997年6月下旬、築地書館の士井庄一郎会長と初めて会った。この面談は土井氏の求めによるもので、極めて温和な雰囲気のうちに終始した。私は私の知る事実だけを話り、大川訳の出版中止は求めながった。「当社があえて出版したら、あなたはどうしますか」という土井氏の質問にも、「私と原作者の名誉を守るために、2人でハノイの内外記者団と会見する程度のことはします」と答えるにとどめた。7月、同社は「原作者の要求その他の理由」で大川訳の出版を断念した。私は出版倫理に忠実なこの決断に敬意を惜しまない。

 だが大川氏は、まるで違う態度を見せた。私の訳書が6月末に刊行され、少なからぬメディアによって好意的に紹介されたのち、同氏は朝日新聞社など多くの新聞・出版杜と作家、評論家に次の3点を骨子とする文書を送った。

(1)原作の歴史的意義は「正義の軍隊」というヴェトナム人民軍の虚飾を剥いだ点にあるが、井川は人民軍を擁護するために原文を大幅に改竄した。

(2)大川氏は原作者と緊密に連絡をとり、原文に忠実に翻訳した。

(39井川とめるくまーる社は版権などの問題で築地書館に不当な圧力を加え、この訳文の出版を中止させた。

 右3点が事実に反することは、これまでの私の記述で明らかだろう(「原文改竄」についでは後段に詳述)。私は大川氏の非難を無視した。この種の非難に応答することは、私目身の人格を汚すに等しいと思ったからである。しかし同氏の非難活動は執拗を極めた。

 同年9月1日、大川氏は某紙ハノイ支局長C氏とそのヴェトナム人助手に同行を求めてハノイのバオ・ニン氏宅を訪れ、バオ・ニン氏と2時間ほど面談した。大川氏がヴェトナムを訪問したのばこれが初めてであリ、原作者と直接言葉を交わしたのもこれが初めてである。

 バオ・ニン氏とC氏によると、この面談は大川氏の日本語をC氏が英訳し、これをC氏の助手が越訳する形で行われた。大川氏は私の「改竄」を非難し、ランダム杜の版権は法的に無効だと主張、バオ・ニン氏の怒りを買った(別掲「公開書簡」参照)。C氏は大川氏の言動に極めて不自然なものを感じ、バオ・ニン氏の面前で「今後この問題には一切関与しない」と述ベたという。

 私は大川氏がこの面談をバオ・ニン氏の意志に反する形で利用するのではないかと危惧していた。果たして、同年11月発売の『正論』12月号には、「『戦争の悲しみ』の不運」と題して、私を人格的にも非難する同氏の文章が、同氏とバオ・ニン氏の虚構の信頼関係を誇示するかのような写真とともに掲載された。

 この非難文は、大川氏が先に諸方面に送った非難文を大きく引き伸ばしたもので、その内容は(1)事実経過、(2)私の「改竄」の2部分に分けられよう。

(1)は大川氏がバオ・ニン氏の了解を得て翻訳したにもかかわらず、井川とめるくま-る社が出版を妨害したというもので、これが事実に反することは既述の通りである。私は矛盾と虚偽に満ちた大川氏の記述にむしろ驚嘆した。例えば、同氏は1996年春に原著を入手して翻訳に取り掛かったそうだが、これでは同年5月に岩波書店に訳稿を持ち込んだことが説明できない。また同氏は築地書館の製版後に私の「英訳本からの重訳」が出ることを知ったというが、同氏が私の訳書が出ることを前年から知っていたことは明らかだし、拙訳書末尾の「解説」には、私がヴェトナム語の原著に即して翻訳したことが明記してある。

 問題は(2)である。これについては、やや詳しく反論しておきたい。

「改竄」か正当な意訳か

 大川氏は「女も殺せば、捕虜虐待も略奪もレイプもする、どこにでもある普通の軍隊としての北ベトナム軍(人民軍)を描いたことに原作の「歴史的意義」があるとし、私がそういう人民軍の素顔を隠すために原作および英訳本を大幅に歪曲したと主張する。だが原作には、賭博、麻薬吸引、買春、脱走その他、人民軍兵士の人間的弱点こそ露骨に描かれてばいるものの、同氏のいうような戦時国際法違反行為は全く描かれていない。

 同氏は私の「改竄」の証拠として、サイゴン陥落当日のタンソニュット空港の場面を拳げている。原作には「兵隊も将校も一緒になって……獲物を漁り始めていた」とあるにもかかわらず、私がそのように訳さず、「局辺の貧しい住民」による物品略奪の情景を付け加えたというのだ。しかし、この部分の原文は次の通りである。

「人民軍の将兵はあちらこちらへ行き来していた。物品を運ぶ者もいれば備品を打ち壊す者もいた。とにかく朝の市場のような騒々しさだった」

 このように原文には「獲物を漁り始めていた」などという記述はない(英訳本にはある)。だが、この原文のままでは、日本の読者には何のことかわかるまい。だがら私は、原作者の同意を得て、サイゴン陥落当日の私自身の見聞(住民による物品略奪や人民軍による防止策)を付け加えた。人民軍将兵による私的な物品略奪事件が皆無に近かったことは、原作者も別の場面で強調している(拙訳書 106-107頁)。

 大川氏は、もう一つ、タインホア市郊外の廃校の場面を挙げでいる。主人公キエンと恋人フォンが米軍の爆撃を逃れ、この廃校に辿り着く。校内は荒れ果てている。人民軍がここを臨時駐屯所にしたからだ。これは「北ベトナム軍の士気の低さを示すエピソード」だと大川氏は書き、その将兵を「どこかの男たち」に書き換えた私を改竄者として非難するのだが、これは全く見当違いである。

 理由をいおう。

 第1に、当時の北ヴェトナムは貧しく、しかも米軍の猛爆撃にさらされていた。そこから南の戦場へ赴く人民軍将兵が、廃校の木製備品や藁葺き屋根を暖房・炊事用に燃やしたからといって、なぜ士気が低いことになるのか、ヴェトナム人には絶対に理解できまい。そんなことは当時の南北ヴェトナムではごく当たり前のこととされていて、軍隊の士気とは全く無関係だった。人民軍が大川氏のいうような士気の低い軍隊だったなら、そもそも米軍と対決することができなかったに違いない。

 第2に、軍隊が校舎を荒らしたことを暗示するのは、「たぶん軍隊が立ち寄ったんでしょうよ。兵隊だからね、戦争だからね!」というフォンの言葉だが、戦争をほとんど知らぬ日本の読者は、この言葉で校舎の荒廃を何か特別な事態のように誤解する恐れがある。だから私は、ここを「どこがの男たちのしわざだわ」と書き換え、校舎が軍隊の駐屯ゆえに荒れ果てたことが前後の文章で十分わかるようにした。こういう広義の意訳を非難する大川氏の姿勢には、極めて非文学的なものが感じられる。

 ついでにいえば、大川訳はこの部分でも原文とかなり連う。前記のァォンの言葉には、「兵隊なんて、戦争なんて!」という大川訳のような否定的な響きはない。これは戦時だから仕方がないという意味の、むしろ肯定的な言葉である。

 同氏はこの場面のキイワードともいうべきcuoc song[注2]について「cuoc spongも、英訳のlifeも、『生活』である」とし、これを「命」と訳した私を「英語の能力があやしいだけでなく……訳者失格」と罵倒しているが、この非難はそのまま同氏に返上しよう。「生活」はsinh hoatで、cuoc songは生存、存在、実存を意味する。ここは「命」が正しい。

翻訳における「加工」の問題

 さて、誌面は残り少ない。大川氏による事実の歪曲や隠蔽はほかにも数多いが、この辺で結論に移ろう。

一、『戦争の悲しみ』は、冒頭に述べたように、いかなる政治的意図とも無縁の文学作品である。そうでなければ、共産党の指導下にあるヴェトナム作家協会から賞を受けるはずはないし、国際的に高く評価されようはずもない。人民軍の素顔を暴いた点にこの小説の「歴史的意義」、「精神」、「名誉」があるとし、原作者の意志を無視して独自の訳書を出版しようとする大川氏の態度は、文学に関する無知によるものでないとすれば、何らかの政治的・イデオロギー的意図によるものとしか考えられない。

二、人民軍が戦時国際法にほとんど違反しなかったことは、欧米の真摯なヴェトナム研究者も認める客観的事実だ。その背景には、同軍が世界最強の米軍と自国領内で戦わなければならなかったという特殊事情や、個々の将兵の不名誉が同族や同郷者の不名誉に直結するという、過去の日本に似たヴェトナムの風土がある(日露戟争や沖縄戦における旧日本軍を想起してほしい)。これを「普通の軍隊」とみなす大川氏の記述は、「戦争当事者の名前が特定できながった」などという記述同様、ヴェトナム社会とヴェトナム戦争に関する同氏の無知ないし曲解を示すものでしかない。

三、私は1997年11月中旬、『週刊文春』編集部員2人のインタヴューを受けた。彼らは大川氏から預かった「原本」を私に見せたが、その装丁と頁数は本物の原本はもとより米国のヴェトナム系出版社が出した越語版とも全く違っていて、奥付だけが初版本と同じだった。ワープロで印字したもののコピーを綴じ合わせたものであることは一目で見て取れた。2人から預かった14頁分のコピーを初版本と照合してみたところ、文章表現や綴字も随所で初版本と違っていた。

 やがて同誌には私の「原作改竄」を事実上非難する記事が掲載されたが、その内容は大川氏の非難文と同工異曲なので、詳しく反論するには及ぶまい。私は前記コピーをバオ・ニン氏に送った。同氏は直ちに「原本とは違う」と回答してきた。私は大川氏の「原本」が偽造本であることを確信している。

四、外国文学作品の内容、情調、香気、などを、異質な歴史と風土に生きてきた日本の同胞に翻訳を通じて伝えるには、原作国に関する平均的読者の知識不足を補い、原作の持つ論理やムードを日本の既成パターンに嵌入して、いわば消化しやすくするための加工(補筆、省筆、語彙変更、文節置換など)が多少とも必要となる。この加工の良否は、訳文の価値を大きく左右する。

 なじみの深い欧米の文学ならともかく、自然、歴史、文化、社会構造、生活様式、慣習、人情など一切が余り知られていないヴェトナムの文学を翻訳する場合、かなり大幅な加工は不可避の作業である。『戦争の悲しみ』原文には、平均的日本人に意味の通じない部分が極めて多い。だから私は、同書の翻訳に際して、原作の精神と情緒を損わないよう慎重の上にも慎重を期しながらも、バオ・ニン氏の同意を得て、そのような加工をためらわなかった。これは同氏によれば「越魂外文」であって、断じて「改竄」ではない。

 だが、こういう手法がどこまで許されるかは、外国文学翻訳という仕事の本質にかかわる重大問題だろう。私の手法を批判する声は当然ありうる。純粋に非政治的な批判ならば、私はこの道の初心者として謙虚に耳を傾けたい。

 以上が私の反論だ。大川氏への怒りゆえの反論ではない。私は日本でかくも政治的に弄ばれた『戦争の悲しみ』の悲しみを思って、ただ事実だけを綴った。

 なお『正論』今年1月号の投書欄には、私がかつて「ハノイのスピーカー役」を演じたどか、テレヴィで「ボートピープルを追い返せ」と発言したとかいう会社員N氏の1文が掲載されたが、そのような事実は全くない。ヴェトナム難民に関していえば、私はこの問題の政治的利用に反対しながらも、彼らを保護すべきだと一貫して主張してきた。私は難民を助ける会の理事である。

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