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本多勝一"噂の真相"同時進行版

(その17)続1:「朝日『重鎮』」井川一久のベトナム小説「改竄疑惑」

 この井川一久のベトナム小説「改竄疑惑」と、同志本多勝一との関係には、もう1つ奇妙に符合する関連情報があった。

 疑惑告発者の大川均に電話で事情を聞いていた時、大川が突然、「井川さんは最初、私を、それ以前に対立関係にあった関西の別人と間違えていたらしいのですが、その名前が思い出せません。珍しい名前なんですが……」と言ったのである。大川も堺市に住む関西人だが、この一言でピンときた私が、「鵜戸口さんではないですか。長良川の鵜飼いの鵜に扉の戸口……」と言うと、「そうでした。そんな名前でした」と答える。しかし、大川は、その鵜戸口が何者かを、全く知らないのである。

 私には、すぐ事情が判った。大川が送ってきた井川一久の公開書簡を読むと、やたらと大川の「組織的背景」を疑い、それを匂わしては「世間」の支持を得ようとする感じがあるのだ。カンボジア研究者の鵜戸口哲尚と、2人の「朝日『重鎮』」との関係については、すでにこの連載の(その14)「『言論人』としての本多勝一の評価」で紹介した。以下、井川と直接関連する部分だけを再録する。

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1例:『人民新聞』(1998.4.15)「私の発言」欄

「再び『カンボジア革命とは何だったのか』を問うべき本多勝一『噂の真相』(1998年4月号)コラムへの回答」

「鵜戸口哲尚」

「ポレミック・ダンディー気取りの本多勝一」……「レッテル張りが大好きな人々」

「本多勝一とその同僚井川一久は、私たちに『虐殺の擁護者』『連合赤軍張り』というレッテルを貼り、当時の大阪朝日担当記者や私たちに陰湿・姑息・執拗な激しい恫喝を加えてきた」

「私は、本紙 412号に『虐殺と報道』に関し、『一読してみれば、井川一久は主役ではなく美人局であり、とぼけた顔で楚々と傍役に回っている本多勝一が本命であることは一目瞭然なのである』と書いた」

「本多さん、私は井川一久が『虐殺と報道』で攻撃した柴山哲也の『日本型メデイアシステムの崩壊』の書評を『図書新聞』(昨年、1997年12月20号)に書きましたが、貴方たちはなぜ柴山のように、新聞社の体質、『朝日』の体質には公然とメスを入れるこができないのですか?

 それこそ、あなたの得意とするルポルタ-ジュの本領の発揮所ではありませんか」

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 さて、内心では、そんな過去の悪事の暴露を恐れ、かつ、幻想の「連合赤軍張り」1派からの「報復」に怯えていたであろう2人の「朝日『重鎮』」の内の1人、井川一久は、いとも不可思議なことに、自分の従来の主張とは真反対のテーマで世界中に知られるようになったベトナム人の小説の日本語訳を企てたのである。井川を突き動かした動機は、いったい何だったのだろうか。

 以下は、前回に紹介した『正論』(1997.12)大川均「『戦争の悲しみ』の不運」に続く「朝日とは天敵の仲」の文芸春秋「野次馬ジャーナリズム」記事である。

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『週刊文春』(1997.11.27)

朝日元記者にベトナム戦争文学『戦争の悲しみ』「改ざん」疑惑

ベトナム戦争を舞台に、極限状況における人間の内面を描いて好評の文学作品の邦訳に改ざんの疑惑が持ち上がっている。訳者はサイゴン陥落にも立ち会った元・朝日新聞記者。政治的な意図はなく、自身の経験を生かして、日本人向けに訳しただけというのだが……。

 ベトナム人作家バオ・ニンの小説『戦争の悲しみ』の邦訳が出版されたのは今年7月(井川一久訳、めるくま-る刊)。「戦争という悲劇の意味を改めて考えさせる鎮魂の書」「これまでにない深みのある戦争小説」と各紙誌で絶賛されてきた。しかし、この邦訳に改ざん疑惑が持ち上がった。「これは翻訳ではなく贋作だ」大阪で製本会社を経営する大川均氏(57)が、『正論』12月号で、厳しく指弾したのである。大川氏自身は昨年春にベトナム語の原書を手に入れ、独自に翻訳を始めた。そして、『めるくま-る』から先に出た井川氏の邦訳を読み、愕然としたという。「井川訳は、全編何ヵ所にもわたって原作を意図的に改ざんしている。特に北ベトナム軍(人民軍)にとって不都合な箇所に、大幅な修正を加えています」

 訳者の井川一久氏(63)は元・朝日新聞記者。サイゴン支局長、ハノイ支局長などを歴任、1975年のサイゴン陥落にも立ち会っている。『戦争の悲しみ』は、もと北ベトナム軍兵士キエンを主人公に、彼が経験する戦地の惨状、幼なじみとの悲恋を回想形式で描いた文学作品だ。著者バオ・ニン自身が北べトナム軍に6年間従軍しており、本書ではその体験を下敷きに、これまで『正義の軍隊』として美化されることの多かった人民軍の実像を描いている。大川氏は『正論』誌上で「改ざん」点を2点、指摘している。しかし、それ以外にも井川氏の邦訳と氏が使用した英訳本の間には、数多くの問題部分が散見された。(1)まず、北ベトナム軍当局が、人民軍による略奪行為がなかったかどうがをチェックする場面。

(井川訳)〔当たり前のことだが、人民軍将兵による南での私的な略奪行為は厳禁されていた。で、軍当局は、しばしば帰郷中の兵士たちの私物を検査した。背嚢のあらゆるポケットを調ベた。それはまったく無用の努力だった。南の親戚からみやげものをもらった兵士はいたが、明らかに略奪品とわかる品物を持っているような兵士は一人もいなかった。

「馬鹿な話だ」と、ある軍曹が苦笑しながらキエンに言った。「俺たち、痩せても枯れても人民軍だ。命がけで祖国のために戦ってきたよなあ。その俺たちが、南の同胞か何か盗むとでも思ってるのかね」〕(106-107ページ)

 同じ部分が、英訳本ではこう記述されている。

(英訳本)〔The authorities checked the soldiers time after time, searching them for loot. Every pocket of their knapsacks had been searched as though the mountain of property that had bee looted and hidden afer the takeover of the South had been taken only by soldiers.〕(80ページ)

(英訳本の和訳=編集部。以下同)

〔軍当局は析りに触れて、略奪したものがないか、人民軍の兵士たちを検査した。背嚢のポケット全てが調べられた。まるで、南の侵略後に略奪され隠された物品の山は、兵士だけが取ったとでもいうように。〕

 つまり………線部は原書にも英訳本にもない。井川氏が加筆したものなのだ。

 井川兵は人民軍の略奪行為がなかったことを、説明として書き加えるだけでなく、原作にはない「ある軍曹」まで登場させ、それを強調する台詞をしゃべらせている。

(2)次に、主人公と恋人が通う北部ベトナムの学校の、1965当時の様子。

(井川訳)〔4月のある晴れた日の午後、校内のグラウンドでは、党と政府の徹底抗戦方針を支持する全校集会が開かれた。米国との正面きった戦争に備えて、すでに校庭の並木は伐り倒され、グラウンドには防空用の塹壕が十字形に深く掘られていた。

 キエンとフォンはこの集会に出なかった。〕(269ページ)

 同じ部分、英訳本ではどうか。以下は和訳のみを記す。

(英訳本和訳)〔晩春の午後だった。その時学校では既に、戦争を前にして葉の生い茂る並木は切り倒され、校庭には十字形に塹壕が深く掘られていた。消防用ヘルメットをかぶった校長は大声て、アメリカ人たちはこの戦争で木っ端みじんになるが、我々はそうならない、と言い放った。「帝国主義者どもは、張り子の虎である」と校長は叫んだ。「君たちは我らの革命の若い守護神となって、人類を救うだろう」

 校長は、木で作ったライフルや槍、鋤、鍬などを手にして幼い虚勢をはっている第10学年の生徒一人を指さした。その少年は、「生きるも、死ぬもここにあり」と言い、他の者がやかましくそれを繰り返した。「侵略者を殺せ!」と誰かが叫び、皆が喝采したりした。

 フオンとキエンは、「3つの備え」を説教するこの集会に出なかった。〕(117-118ページ)

著者の了解で加筆と削除?

 原作に描かれた、北ベトナムの生徒たちを相手に校長が政治的な熱弁をふるう……線部の印象的な場面を、井川氏はなぜかそっくり削除している。

(3)ベトナム人女性ガイドが米兵に捕らえられ、主人公の目の前でレイプされる場面。

(井川訳)〔米兵たちは、後方に立っていた数人を除いて、次々にホアを犯したようだった。彼らはこの日のパトロール活動を集団レイプで終えようとしていた。

 薄闇が忍び寄っていた。キエンはひそかにその場を離れ、負傷者搬送斑の隠れ場へ戻った。ホアの運命はほぼ予想できた。人目のないジャングル地帯で米軍のパトロール隊に輪姦された「ヴェトコン」の若い女性はキエンの知るかぎりでは、まず生きては戻ってこなかった。〕(280ページ)

 この井川訳に対し、英訳本の和訳はこうだ。

(英訳本和訳)〔ジャングルの小さな空き地で、ほとんど沈黙のうちに、しかし野蛮に、若いホアの集団レイプは続いた。痛ましい一日の日が暮れようとしていた。キエンは彼らから這って遠ざかり、負傷した仲間たちのもとへ向かった。〕(191-192ページ)

 ここデも井川氏は、原作にない……線部分を書き加え、米軍の野蛮さを強調している。

(4)小説の後半、空襲の最中に主人公の恋人フォンが、数人の男たちにレイプされる場面がある。物語中きわめて重要な役割を果たす場面だ。井川氏は邦訳の「解説」で、英訳本には誤訳が多いとし、特にこの部分を挙げてこう書いている。「フォンを輪姦したのは、原作では明らかに裏世界の民間人、続いてレイプしようとした大男も民間人だが、英訳本では軍人のように描かれている」

 しかし、原作にも英訳本にも、この男たちが軍人か民間人かをはっきりと特定する記述はない。汽車の中でフォンをレイプした男たちの描写は、原作ではこうなっている。

(原作和訳)〔突然、一つの貨車の扉がなかば開いて、数人の男が飛び下りた。だらしない身なりで、軍人か民間人かはっきりせず、頭髪はボサボサに乱れていた。あくびや、ののしる声が間こえた。酒の臭いが鼻をついた。彼らは駅の中に入ってゆき、瓦礫の山の中に姿を消した。〕(初版243ページ)

 これに対し井川訳はこうなっている。

(井用訳)〔被弾を免れた列車後部の貨車の一つから、屈強な男が数人、扉を数十センチだけ開いて、キエンのそばに次々に飛び出してきた。息が酒臭かった。みんな汚れた軍服を着ていたが、この服装だけては職業や身分はわからなかった。対米戦争が始まって以来、民間人も軍服か軍服まがいの服を着るのが普通になっていたからだ。この男たちの軍服のちぐはぐさと着方のだらしなさは、彼らが民間の、それも裏街道の住人であることを物語っていた。本物の軍人なら、そもそも貨物列車に乗るはずがなかった。その男たちは何やら口汚なくののしり会いながら、駅舎の残骸の向こうへ去った。〕(199ページ)

 訳者はサイゴン陥落にも立ち会った元・朝日新間記者。政治的な意図はなく、自身の経験も生かして、日本人向けに駅しただけどいうのだが・…・・

 井川氏は、原作に「軍人か民間人かはっきりせず」と書いてある………線部分を削り、がわりに……線部分を加えて、フォンをレイプしたのは人民軍ではなく、民間人と断定するよう書き換えている。

(5)その後に登場する、フォンを暴行しようとするもう一人の男についても同様だ。

(原作和訳)〔「下りるつもりか?下りてどうするんだ」男がフォンのすぐ前に立ちふさがり、大声で言った。野卑なしわがれ声だった。「汽車はすぐに出るぜ!それに、そんなぼろばろの恰好で駅に下りて恥ずかしくないのか? 馬鹿だなまったく。戻れよ。戻って座れ! ほら、水だ。食い物だ。替わりのズボンもある。あいつらはどこだ? どうなった?」男はひと息に言うと、舐めるようにフォンの身体を見た。〕(初版245ページ)

 これだけでは、男が「明らかに民間人」とはいえない。しかし井川氏は再び、……線部分を書き加えることで、男がベトナム人民軍の軍人である可能性を打ち消そうとする。

(井川訳)〔「おめえ、どこへ行くつもりなんだ?」と、その男はフォンにたずねた。筋骨隆々とした大男だった。彼はキエンには目もくれず、フォンを見つめて「汽車はすぐ出るんだぜ。おめえはもう下りられねえよ」と怒鳴った。命令口調だったが、どう考えても正規の軍人の口にする言葉ではなかった。大男は続けた。「ほら、おめえにズボンを持ってきてやったぜ。水も食い物もな」〕(302ページ)

歴史的事実に基づき「訂正」

 ざっと一読しただけでも、井川訳『戦争の悲しみ』は、原作ともその英訳とも大幅に違っていることがご理解いただけるだろう。しかも、ここまで大幅な加筆や削除がありながら、訳註さえなく、同書の「解説」にもそのことは一言も触れられていないのだ。井川氏に「改ざん疑惑」を質すと、意外にも、「私の訳が原文に最も近い」と胸を張った。

「本書には、ヴェトナム人にとっては常識でも、ヴェトナムの風土と人間を知らない日本の読者にとっては意味が通じない部分が多い。日本人読者の誤解を避けるため、かなり意訳や加筆、修正をする必要があった。(2)のように、文学的香気を損なわない目的で削った例もあります。他にもたとえば、原作ではサイゴン陥落の日、豪雨が降ったと書いてあるが、実際はサイゴンの都心部は晴れていた。そのように、歴史的事実に基づいて原作を直したところもある。こうした説明はいちいち訳註に入れるのは不適切です。意訳については、原著者の丁解を取っています。これは私の見聞だけでなく、誰しも認めざるをえない事実ですが、人民軍は南軍と画然と違っていた。非行程度ならあっても、非戦闘員の虐殺やレイプはなかった。賛美するに足る軍隊です。バオ・ニンも私も、この本が政治と無関係な、「文学」として評価されることを願っています。私の翻訳について政治的な問題にされるのは困る」

 しかし、井川氏は邦訳の「解説」で、北ヴェトナムの人民軍の兵士たちを「史上まれにみる『人間の軍隊』」とした上で、「この小説は一種の人民軍賛歌ですらある」と明言している。こうした視点に立った加筆や削除こそ、人民軍礼賛を強要する「政治的」なものではないだろうか。

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 私は、以上のような「改竄」は、大手メディアの日常業務の反映であると考えている。特に井川一久が飛び抜けて勝手放題をやったのではないと考えれば、これまた重大な問題点の提起になるのではあるが。

 以上で(その17)終り。次回に続く。

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