『本多勝一"噂の真相"』 同時進行版(その31)

悪名に縋り利用し続ける“親衛隊”の低水準

1999.11.5

 さる1999.9.13.月曜日、午前11時から東京地裁で、本連載の発足時からの目玉だった裁判、略称「岩瀬vs本多&疋田」が開かれたはずだが、私は、予定を失念していて、覗きに行かなかった。

 その予定が手帳に記されているだけはでなく、その直前にも、『創』記事の取材を続けている岩本太郎さんから、「ホームページ見てますよ。また行くんでしょ?」と聞かれて、「行きますよ」と答えていたのに、コロリと忘れてしまっていた。午前中の日課にしているメールの受信・送信中、ふと手帳を見て、アレレッと気付いた時には、まだ、三鷹駅まで自転車を飛ばし、中央線の快速で四ッ谷駅まで行き、荻窪からの丸の内線の地下鉄利用よりも70円余分に払えば、11時には少し遅れても法廷に入れる時間だったのだが、まるで、その気にならなかった。むしろ、それ以外の電車賃ばかりか最も貴重な時間を「どぶに捨てる」ような、実に不愉快な気分になった。自分のことながら、まったく興味を失っていたことを実感した。

 興味を失った最後の契機は、すでに、この連載の(その30)に記した「カンボジア」問題の『潮』答弁だった。ああいう返事しかできない愚劣な奴のために、貴重な時間を費やす気は、まったくないのである。そこで、この連載そのものも、この辺で区切りを付けようかと思案していたところへ、またまた、この腐臭を放つ自己文章改竄・居直り言論詐欺師を、利用し続ける“親衛隊”のE-mailが飛び込んできた。

 以下、このmailのやり取りの主要部分を再録し、次回には、この核心部分の「百人斬り」に関する中心的な資料を整理し、最後の判決を下すことにする。


[pmn 8890] 逆効果の南京大虐殺本に御注意!

Sent: 99.10.26 11:21 AM

 本日、1999.10.26.以下に必要部分のみを再録するmailを、前田朗さんの転載により、2本受領しました。

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[pmn 8867] [Fwd: [vaww-net-jm 598]南京大虐殺否定派を論破する本
From: Akira Maeda, maeda@zokei.ac.jp

前田朗です。10月25日vaww-net-jmからの転載です。

書名『南京大虐殺否定論 13のウソ』
南京事件調査研究会編・柏書房発行
本体価格1600円
99年10月25日発行

目次と執筆者
はじめに(藤原彰)
第1章 「東京裁判によるデッチ上げ」説こそがデッチ上げ(藤原彰)
第2章 本当に誰もが南京事件のことを知らなかったのだろうか(吉田裕)
第3章 リアルタイムで世界から非難を浴びていた南京事件(笠原十九司)
第4章 戦争当時中国でも問題にされていた(井上久士)
第5章 数字いじりの不毛な論争は虐殺の実態解明を遠ざける(笠原十九司)
第6章 据えもの斬りや捕虜虐殺は日常茶飯事だった(本多勝一)
第7章 遺体埋葬記録は偽造資料ではない(井上久士)
第8章 虐殺か解放かー山田支隊捕虜約二万の行方(小野賢二)
第9章 国際法の解釈で事件を正当化できるか(吉田裕)
第10章 証言を御都合主義的に利用しても正当な事実認定はできない(渡辺春己)
第11章 妄想が生み出す『反日攪乱工作隊』説(笠原十九司)
第12章 南京大虐殺はニセ写真の宝庫ではない(笠原十九司)
第13章 歴史修正主義の南京大虐殺否定論は右翼の言い分そのままだ(藤原彰)

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 上記の南京事件調査研究会のあり方については、すでにわがHP収録済みです。

 この会は、大手メディア特有の言論詐欺師、本多勝一が、「百人斬り」という不可能な軍事英雄創出・戦争煽動デタラメ記事のまた聞きを、その元のデタラメ新聞記事の確認すらせずに、朝日新聞連載に得々と記したために、実に歪んだ形で始まった論争が生んだ「本多勝一御用運動」です。善意の参加者には直接、本多勝一に騙されるな、むしろ揚げ足取りを誘う逆効果と、御注意申し上げていますが、まだ表面的には利き目が現れていません。ただし、私個人宛てに理解を示す教授も現れています。「否定派」という表現にも、最初から問題があって、ごく一部の政治家発言を除けば、そういう「派」などは存在しません。「みすず書房」発行の資料などを見れば、旧軍関係の別に左翼でもなんでもない主流が、最初から虐殺の事実を認めているのですから、「論破」は大袈裟なのです。

 しかし、実に興味深いのは、この本の宣伝の目次でして、本多勝一が名を出すのは、次の章を担当したらしいことだけなのです。結論から先に言うと、「どの面下げて」の感を深くしています。

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第6章 据えもの斬りや捕虜虐殺は日常茶飯事だった(本多勝一)
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 わがHPにも収録してありますが、ことの発端の記事、『中国の旅』「南京事件/競う二人の少尉」の核心部分「殺人競争」(1971.11.5.朝日)には、「据物斬り」「捕虜虐殺」などの字句は、まったく出てこなくて、進軍中の15キロとか、8キロとかの間に、100人とか150人とかを殺す競争をした話になっているのです。

 これが不可能となって、本多勝一応援に狩り出された文化人は、ズルズル後退しながら、据物斬り、捕虜虐殺で、勘定を合わせてきたのです。こういう経過の矛盾を、あの下手糞漫画の某などに突かれているのですから、私は、腐った腕を切り落さないと全身に毒が回ると、御注意申し上げているのです。

 有名人の本多勝一を担げば人寄せができる程度の浅はかな考えで、平和を論じては、かえって傷を深くしますし、まともな人々を遠ざける結果となります。この問題についての私の見解は、わがHPに、かなり詳しく展開してありますので、御参照下さい。また、別途、Web本多勝一研究会で、カンボジア問題での本多勝一の自己文章改竄、居直り、などなどのデタラメ振りは、厭になるほど明らかにされています。

 上記の本を推賞している俵義文さんとも、かつて資本論の勉強会で知り合った仲で、この件でも出版労連の場で、いささか意見を申し上げていますが、再度、お考え直しを願います。

 取り急ぎ以上。


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[aml 14569] Re: 逆効果の南京大虐殺本に御注意!
Received: 99.10.27 9:16 AM

前田朗です。

 10月25日木村さんから暖かなご指導がありましたので、拝読いたしました。「本多のホ」が出たとたんに敏速に反応する若々しい反射神経にまずは驚嘆しております。ご教示の内容は、なるほど木村さんらしいご指摘です。「理解を示す教授」とやらに縋ってみせるのは木村さんらしくないとも思いますが、これも何かの伏線でしょうか。また、「否定派は存在しない」というのは、ちょっと解せません。私は藤岡信勝さん、東中野修道さん、鈴木明さんたちの愛読者ですから(笑)、彼らの主張ややり口をかなりよく知っているつもりですが、彼らを「否定派」でないと言うのは少々失礼にあたるのではないでしょうか。木村さんも昔の知識ばかりに頼らずに最近の「否定派」の本をお読みになってみては。その上で、再びご指導いただけますよう。
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[aml 14578]
前田教員のオッチョコチョイ再度注意

Sent: 99.10.27 10:19 AM

木村愛二です。

 以下、必要最小限度に送信記録を再録するmailは、もういい加減大人になってほしい助教授の文章なのです。

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[aml 14569] Re: 逆効果の南京大虐殺本に御注意!
Received: 99.10.27 9:16 AM
From: Akira Maeda, maeda@zokei.ac.jp
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 さて、いかにも前田朗さんらしい歪んだ表現ですが、

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「本多のホ」が出たとたんに敏速に反応する若々しい反射神経にまずは驚嘆しております。
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 いかにもお世辞風ですが、かえって下手な皮肉の腐臭が漂います。本当は、糞爺!と怒鳴って、切れたいのでしょうがね。将来ある前田さんに、これ以上、道を踏み外さないように御注意申し上げているのに、この老婆(なぜ爺でないのか!女男差別?)心が理解できないのでしょうね。悲しいことです。

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「理解を示す教授」とやらに縋ってみせる
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 などと、また、実に下らないげびた形容で、私を貶めた積もりなのでしょうが、本多勝一真理教かぶれの悪影響なのでしょうか。その某教授にも、私は厳しく反省を迫ったのです。着々と理解者を増やしています。日本にも少しは脳ミソの自立を目指す人々がいるのです。また、事情を知らぬ人も多い公開mailですから、他の執筆者の教授たちにも「御注意」とだけしましたが、HPにも入れてあるように、こちらにも厳しく反省を求めています。

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「否定派は存在しない」というのは、ちょっと解せません。
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 などと、揚げ足を取ったつもりでしょうが、時点をずらしてはいけません。「藤岡信勝さん、東中野修道さん」から、下手糞漫画にまで至るの新人を、五月の蠅のように増殖させた肥料は、本多勝一の腐った文章と居直り、その周囲に群がった有名病の自称文化人たちの成り上がり根性なのです。

「鈴木明さん」は、本多勝一批判を展開しましたが、その動機は、不可能な「百人斬り」記事のみを証拠に中国で死刑になった方の家族の訴えに動かされたことにあります。鈴木さんは、当初から「虐殺」の事実を否定してはいません。私も個人的に知る元TBSの評価の高い「調査情報」の編集者でした。厳密に資料を検討することの重要性を指摘しているのです。独り歩きした「まぼろし」という題を付けたのは編集部であり、しかも、その「まぼろし」は、原文を読めば明らかなように、「百人斬り」を中心としているのです。

 きちんと原文を読んでから判断する癖を付けないと、前田さんも、新しい蠅の肥えに堕落しますよ。そういう行為のことを、傍迷惑というのです。以上。


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[aml 14608] Re: 前田教員のオッチョコチョイ再度注意
Received: 99.10.29 10:56 AM

前田朗です。

10月28日木村さんから再度ご注意を受けてしまいました。私の至らなさのためお手数ばかりおかけして申し訳ございません。どうもオッチョコチョイなのは生来のようで、なかなか矯正できずにおります。木村さんからズバリご指摘いただいたのを機に少しは精進せねばと自分を戒めております。

「いい加減大人になれ」とのありがたいご指導もいただきまして感謝申し上げます。「時点をずらしてはいけません」とのご注意もありがたく身にしみております。何しろオッチョコチョイなものですから、せっかくの木村さんのありがたいお言葉を誤読してしまいまして、大変恐縮しております。何とぞご寛大なお心でお見守りください。なぜ私が誤読してしまったかと申しますと、

第一に、発端になった私の投稿、つまり元は俵さんのvaww-net-jmへの投稿(「南京大虐殺否定論13の嘘」の出版の紹介)における<「否定派」を「論破」>というのが明らかに現在のことを指していること、

第二に、木村さんのお言葉が文法的にはすべて現在形で書かれていたことによるものであります。木村さんは次のようにお書きになられております。

「否定派」という表現にも、最初から問題があって、ごく一部の政治家発言を除けば、そういう「派」などは存在しません。

 このため私がうっかりと木村さんのお言葉を誤読してしまったわけですね。なにしろ私は、長年ミステリーのファンではありますが、「名探偵」ではありませんし、現在形の文章を過去形に読み込むだけの修練ができていないものですから、木村さんの素晴らしい含蓄のある文章を読みこなすことができずにいるのです。お手数ばかりおかけして大変恐縮ですが、私などに理解させるためには今少しやさしい文章でご指導いただけますと幸いです。「否定派」に関して私が念頭においていたのは、例えば次の文献です。

(1)富士信夫 「南京大虐殺」はこうして作られた 展転社、95年
(2)大井 満 仕組まれた”軟禁大虐殺” 展転社、96年
(3)藤岡信勝 近現代史教育の改革 明治図書、96年
(4)松村俊夫 「南京虐殺」への大疑問 展転社、98年
(5)東中野修道 「南京虐殺」の徹底検証 展転社、98年
(6)鈴木 明 新「南京大虐殺」のまぼろし 飛鳥新社、99年
(7)藤岡信勝・東中野修道 「ザ・レイプ・オブ・南京」の研究 祥伝社、99年

 このほかにも<藤岡ー中村論争>をはじめとしていくつもの文献がありますが、私が読んだのはこの程度です。鈴木明さんについて、私が藤岡信勝さんや東中野修道さんとともに「否定派」に列挙した件でも、木村さんから勇み足をご指摘いただきました。誠にありがとうございます。「きちんと原文を読め」とのお達しもいただきました。勿論私も鈴木さんの「旧まぼろし」をかなり以前に文庫本で読みました。鈴木さんが単なる「否定派」ではないことも承知はいたしております。

 しかし、前回私が木村さんに最近の文献をお読みの上でご指導いただきたいとお願い申し上げましたように、鈴木さんは今年「新まぼろし」を出版しているのです。木村さんは「新まぼろし」をお読みでないために、「旧まぼろし」に関する知識に基づいて私にご指摘いただいておりますが、やはり「新まぼろし」も考慮に加えていただけますと、ますます説得的なご指導になるのではないでしょうか。といいますのも、「新まぼろし」は「否定派」に入れてもおかしくない内容だからです。元々「旧まぼろし」の題は編集者がつけたとしても、鈴木さんは著者として了解していたはずですし、雑誌論文の時だけでなく、単行本にも「まぼろし」を使い、文庫化する時にも「まぼろし」を使い、「まぼろし派」の代表格として二十年以上経過したのですし、今年になってあえて「新まぼろし」を出したのですから、鈴木さんの考えは「南京大虐殺はまぼろし」のはずです。現に「新まぼろし」出版に際して雑誌論文で南京大虐殺そのものについて「虚報」という表現を使っていました。

 もし木村さんが「新まぼろし」をお読みになれば、鈴木さんが今や「調査情報」どころか、「調査なきお散歩小説家」と化していることに愕然とされるのではないでしょうか。何しろ、鈴木さんの「新まぼろし」は、<南京事件当時にはアメリカではまったく報道されなかった>というまったくデタラメな大前提を立てています。専門研究者でない私でも、当時アメリカで南京事件報道がなされたこと、南京事件をもとに反日プロパガンダ映画が作られたことについて、すでに研究が存在していることを知っているわけです。鈴木さんは初歩的な知識すらもたずに、誤ったストーリーを描いていることは少し読めばすぐにわかります。ともあれ、木村さんからいただいた貴重なご指導を参考に、私なりに「歪んだ」理解ではありますが、これからも勉強させていただこうと存じておりますので、指導甲斐のない奴だとお思いでしょうが、また何か機会がございましたら、ご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願い申し上げます。
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[aml 14645] Re:Re:前田教員オッチョコチョイ

Sent: 99.10.31 2:59 PM

 木村愛二です。

「[aml 14608]Re:前田教員のオッチョコチョイ再度注意」などと、いつまでもからみ続ける悪い癖を発揮されたのでは、MLの皆様にもご迷惑でしょうから、この件については、これを最後とし、Web週刊誌『憎まれ愚痴』45号の連載「本多勝一“噂の真相”同時進行版」向けに詳しく記し、できるだけ早く先行入力することにします。

 前田さんは、やはり、言論詐欺師、本多勝一の影響を強く受けているようです。当方が指摘した中心的な問題点、「百人斬り」の評価を避けて、揚げ足取りに堕落し、問題点をすりかえ、逃げ切ろうとしているからです。ただし、唯一の救いは、「原文を読め」という私の注意に従って、以下のように認めている点です。

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 勿論私も鈴木さんの「旧まぼろし」をかなり以前に文庫本で読みました。鈴木さんが単なる「否定派」ではないことも承知はいたしております。
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 ただし、「旧まぼろし」とか、「新まぼろし」とかの表現を創案して、私に、現在の混乱を極める三流の乱闘、私の表現によれば、「草野球」の愛好者には申し訳ないのですが、分かりやすく言うと、「草野球の酔っ払い観客の場外乱闘」程度の、原稿料稼ぎ疑似論争まで調べよ、などと要求するのは、これも論点をそらす戦法であり、まるで頂けません。ことの発端が大事なのです。鈴木さんの文章は、「『南京大虐殺』のまぼろし」(諸君、1972.4)、「向井少尉はなぜ殺されたか/南京『百人斬り』のまぼろし」(諸君、1972.8)、この2点以外には参照する必要を認めません。

 前者も、「殺人ゲームは平時か戦時か」の小見出しで始まっており、両者ともに、本多勝一の署名記事、「中国の旅/競う二人の少尉」への批判を中心にしています。本多勝一は、「また聞き」の元となった1937年の『東京日々新聞』(現毎日東京本社)の記事すら参照せずに、中国人の話したままを、自分の「現地取材記事」にしてしまったのです。

「二人の少尉」は東京裁判では無罪。ところが、中国に引き渡されて有罪、死刑に処せられました。ことの真相は別として、戦争中の日本での戦意高揚のための、一見して誇張だらけと明らかの新聞記事(直接の取材者は死亡)だけを証拠に、有罪を宣告した中国の裁判には、民衆の報復要求に応えるための粗雑さ、スケープゴート探しが明瞭です。本来ならば、B,C級戦犯をスケープゴートにして、A級戦犯を復活させ、昭和天皇を免罪した「戦犯裁判」の政治性を追及すべき材料の一つとして、詳しい経過を調べ直すべきだったのです。その点、朝日新聞社にも、共同責任があります。

 本多勝一は、この批判をかわすために、前田さんが最小限認めざるを得なかった「単なる『否定派』ではないこと」を意図的に無視して、「まぼろし」=「否定」とすりかえ、決め付け、一方では、「百人斬り」を主題とすることを必死になって避け、他方では、自分が、事実に決まっている「虐殺」の肯定者という、決定的に有利な足場を独占しようとしたのです。これは、それほど眼が肥えていなくても、簡単に見破れる、見え透いた言論詐欺、言い抜け戦法にしか過ぎないのです。

 前田さん自身も、結局は、この言い抜け戦法に落ち込んでいるわけなので、慨嘆する他ありません。

 さらに、前田さんは、以下の私の表現が「現在形」であることに着目して、さらに論点をそらそうとしています。

「否定派」という表現にも、最初から問題があって、ごく一部の政治家発言を除けば、そういう「派」などは存在しません。

 これは、現在形で良いのです。私は、一部の運動中毒患者や、原稿料稼ぎや、騙された人々が、「否定派」と呼ぶ連中を、上記のように、「草野球の酔っ払い観客の場外乱闘」程度の論外の徒輩としか、認めていないのです。さらに詳しく言うと、本多勝一「百人斬り」に始まる場外乱闘は、すべて「ごみ箱」に捨てて、さらに「削除」し、初歩からキチンとした調査をやり直すべきでしょう。私は、具体例として、民衆のメディア連絡会でヴィデオを上映したこともある静岡の高校教師、森さんたちのような、綿密な資料検討、現地取材を推薦します。

 実際には、現地取材までしなくても、自分で資料を当たってみれば、本多勝一の「裏取りなし」の「百人斬り」報道が、いかに粗雑な、無責任なものであるか、その記事のお陰で家庭崩壊の悲劇を味わい、「虚報が崩壊させた一家族の運命/南京事件『百人斬り』『向井少尉の娘』の40年」(諸君、1989.1)と、その前宣伝としての「“創作記事”で崩壊した私の家庭/朝日・本多勝一記者に宛てた通哭の手記」(週刊文春、1988.12.15)の執筆者となった向井千恵子さんの無念さ、さらには、そういう事情を知りながら、本多勝一の味方をしてしまった方々の軽率さが、良く分かるでしょう。

 前田さんには、再度、「百人斬り」記事の評価を、お伺いしたいものです。なお、念のために、論点そらしの「名人」の不作法な自慢話の実例を、ご参考までに紹介します。

拙著『読売新聞・歴史検証』(1996.3.6.汐文社、p.341-342)

「円月殺法」答弁を自慢する
元自治省事務次官の赤字決算

[中略]

 小林がひそかに、義父の正力よりも自分の方がすぐれていると思っていたらしいものに、国会答弁技術がある。元自治省事務次官の経歴は、高級官僚の世界での最高位を極めたということを意味する。小林はおそらく、正力よりもはるかに行政法などにくわしかったのであろう。ということは逆にいうと、議員や国民を巧妙にだます法網くぐりなどは、お手のものということでもある。『財界』(76・4・1)の対談では、ホストの高橋圭三から、「国会での答弁は非常に素晴らしかったと聞いてますが」などとおだてられ、ついつい、つぎのような自慢のド本音を披露している。

「こっちのほうが、よけい物も知っておるし、ツボも知っておるけれども、どうにかして言葉尻をとらえられんで、うめえこと片づけれるかということしか、答えるほうは考えていないんだよ[中略]。うまいことそらし、かわし答弁やるんだよ(笑い)。最後には、こっちも、何を言うたかわからなくなる」

 このあとは、「圭三/小林流″円月殺法″ですね(笑)」となる。

 わたしが読者に確認しておいてほしいのは、こういうことを平気で語って、しかも笑う元高級官僚が、日本テレビと読売新聞の社長だったのだということなのである。

 以上。


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[aml 14648] Re: 前田教員オッチョコチョイ
Received: 99.10.31 9:24 PM

前田朗@歴史の事実を視つめる会、です。

10月31日三度、木村さんからご指導いただきました。私の無理解のため木村さんにはご迷惑をおかけいたしておりますし、MLの皆様にも申し訳ございません。木村さんから「問題点をすりかえ」「論点をそらそうとし」ているとのご批判をいただき、重ねてご指導いただきましたので、不注意な私でもよく理解することができるようになりました。誠にありがとうございました。

 ただ、私には木村さんの「論点」が絶対的であるとは思えませんので、今回の件では、これ以上ご指導をいただいても、私を善導していただくことにはなりそうにないことをお詫び申し上げます。何かとお手数を煩わせておきながら、このような結果になりまして申し訳ございませんでした。私の関心は、南京大虐殺とは何であり、全体として何が起きたのか、それは私にとっていかなる問題でありうるのかです。

 私は戦後補償運動の中に身を置いておりますので、南京大虐殺に関する法律論を考えることが法律家としての私の課題です。ですから、南京大虐殺の歴史的検討を進める南京事件調査研究会の著作に強い関心がありますし、南京大虐殺の責任を問う訴訟(九月二十二日に東京地裁判決がありました)にも関心がありますし、逆に「否定派」の著作も無視できません。南京事件調査研究会などの著作でこれまで私が読んだものは以下の通りです。

(1) 藤原彰 南京大虐殺 岩波書店、85年
(2) 洞 富雄 南京大虐殺の証明 朝日新聞社、86年
(3) 吉田 裕 天皇の軍隊と南京事件 青木書店、86年
(4) 洞富雄・藤原彰・本多勝一 南京事件を考える 大月書店、87年
(5) 洞富雄・藤原彰・本多勝一 南京大虐殺の現場へ 朝日新聞社、88年
(6) 本多勝一 南京への道 朝日新聞社、89年
(7) 本多勝一編 裁かれた南京大虐殺 晩聲社、89年
(8) 洞富雄・藤原彰・本多勝一 南京大虐殺の研究 晩聲社、92年
(9) 笠原十九司 アジアの中の日本軍 大月書店、94年
(10)笠原十九司 南京難民区の百日 岩波書店、95年
(11)藤原彰 南京の日本軍 大月書店、97年
(12)笠原十九司 日中全面戦争と海軍 青木書店、97年
(13)笠原十九司 南京事件 岩波書店、97年
(14)藤原彰編 南京事件をどう見るか 青木書店、98年
(15)笠原十九司 南京事件と三光作戦 大月書店、99年
(16)南京事件調査研究会 南京大虐殺否定論13のウソ 柏書房、99年

 その他多くの論文も読みましたが、こうしてみると一目瞭然、私が読んだのは研究書ばかりで、資料集はちゃんと読んでいないのです。この辺が素人の限界ですね。反省しきりです。九月二十二日の東京地裁判決は、ご存知の通り「南京大虐殺があったことは間違いない、七三一部隊の人体実験等があったことは疑いない」と事実認定をしながら、「戦後補償することは戦争の原因になる」という異常な政治哲学を披露して、原告の請求を退けました。法論理を無視した裁判所のデタラメな判決を批判していくことが私の課題です。木村さんとの距離はどのくらい遠い(近い)のでしょうね。これまでのご指導に感謝申し上げます。ますますご健筆をふるわれますよう。
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前田教員への最後の忠告&別途質問

Sent: 99.11.1 10:19 AM

木村愛二です。

[aml 14651]にて、前田さんは、結局のところ、「百人斬り」こと、スケープゴートC級戦犯遺族「斬り捨て」「踏みにじり」「悪臭ふんぷん」問題に対しての態度表明の逃げ切りを策しました。その癖、戦後補償問題が自分の使命であると主張するのですから、とてもとても心配です。

 丁寧に告白された「研究書」?とやらは、皆が皆、本多勝一応援団の軽率なアカデミー業者、司法業者、つまりは、私の表現によれば、草野球の酔っ払い観客の一方の側の通俗教養書程度のものだけでした。

 もしも本当に、法律的研究を志されるのでしたら、少しは古い資料も御覧下さい。私が珍しく自費で求めた「みすず書房」ほかの復刻資料集は、前田さんの最近の運動の仲間の西野留美子さんに貸したままになっていますが、彼女が、そこまで深めて執筆しているかどうかは、感知していません。

 私は、これ以上、ML論争をせず、HPにて、哀れ、亡霊にしがみつく有象無象、世も末か、という感じで綴ることにします。興味のある方は、覗いて下さい。

 おっと、忘れていましたが、これだけ口数の多い前田さんとしたことが、別途、amlにも送ったmail「前田朗@マスコミ市民」の拙稿「住専と表裏一体の自治省管轄土地開発公社による銀行救済術」の原稿料(1996.7)未払い、超々怪し気の御用組合委員長こと松崎明論文の巻頭掲載、極左と極右の野合、JR総連本部にも、しょっちゅう出入り(複数の情報源にて確認)などの件については、いまだに何ら返答がないのですが、いかがなされたのでしょうか。そちらも、私の質問が晦渋に過ぎたのでしょうか。

 それとも、都合の悪いことには口をつぐんで、本多勝一流「人の噂も75日」の戦法なのでしょうか。でも、まだ、インターネットで「前田朗研究会」を主催してくれる人は現われないでしょうね。

 私は国労とともに労働組合運動をやり、争議まで一緒に戦った世代なので、正直に事情を話せば無料は了承したかもしれませんが、あの裏切り者の代表格と名前が並ぶと分かったら、前田さんの「原稿が集まらなくて云々」の必死の形相を見ても、寄稿を断わったはずですが

 以上


 以上で(その31)終り。次回に続く。


(その32:最終回)百人斬りを据物斬りや捕虜虐殺と言い抜け
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