本多勝一“噂の真相”同時進行版(その28)

「疑惑情報源を明かせ!」と言う一方で
「領収書はない」

1999.7.9

 再び、1999年6月16日、久し振りの東京地方裁判所の721号法廷に戻る。すでに本連載(その25)既報のごとく、当日の午前11時から12時まで、「岩瀬vs本多・疋田」名誉毀損損害賠償請求事件の第5回口頭弁論が開かれたのである。

 これも既報のごとく、当日の法廷の内容は、おおまかに言うと、「朝日新聞著名記者リクルート接待スキー旅行」事件の証拠の有無に迫る場面となった。これは、いわゆる「事実」に関する中心的な争点をめぐる応酬なのである。(その25)では、主に、岩瀬側情報をめぐる応酬について、本多・疋田側が「取材源を明かせ」と要求することの不当性を論じた。今回は、逆に、本多・疋田側が「接待ではない」と主張する根拠の怪しさと、それを「接待」と批判した岩瀬側の報道姿勢の評価について、私見を述べる。

 当日の法廷では、裁判長が身を乗り出して、「接待ではない」という証拠を求め、「領収書は?」というと、本多・疋田側は、一様に虚ろな「死んだ魚の目」を見合わせ、どんよりと頷き合って、「ないんですね」と力なくコックリ、感情を殺した虚ろな顔。本多側代理人の高見沢「市民派弁護士」は、「メモがあります」と力なく呟く

 この「領収書」の件は、すでに、わがホームページに記した。それ以前にも、リソグラフ印刷の『歴史見直しジャーナル』(15号、1998.4.25)に、私自身の取材結果を報じ、それを組み込んだ投書を『噂の真相』(1998.10)に載せてもらい、さらにそれを『歴史見直しジャーナル』(21号、1998.9.25)に再録している。念のために繰り返そう。

 朝日新聞社は、この件で1年後に社内調査をしている。その件を広報部に「取材」と明言して聞いたところ、以下のファックス通信の回答がきた。


木村愛二様

1998.04.21

朝日新聞広報室

「噂の真相」5 月号に掲載の記事に関するご質問にお答えします。

 ご指摘の部分は、リクルート社からの「接待旅行」とありますが、事実ではありません。1987年4月、本多記者や疋田記者らのスキーグループが安比高原スキー場へ、パック料金で出かけたのは事実ですが、きちんと料金を支払っており、「接待」は受けていないと判断しております。

以上です。


 私は、このファックス通信を受けとった直後に、再び朝日新聞広報室に電話し、「『接待』は受けていないと判断し」た根拠を求めた。これに対する返事は、かなり待たされたが、「本人が料金を支払った領収書を持っていると聞いております」だった

 ところが、その後、『創』(1998.9)の特集「『リクルート汚染疑惑』を巡る『朝日・講談社を巻き込む大激論」を見ると、執筆者の岩田太郎質問「領収書の現物はあるのですか?」に対して、本多は、つぎのように答えていたのである。

「3年以内ならともかくね。10年前の領収書を捜すといっても……」

 これには。改めて呆れ直した。この「3年以内」という区切りの根拠も不明だが、それよりも短い期間の1年後の社内調査の際に、「料金を支払った領収書を持っている」と答えて、「接待」を否定する社論を決めさせたはずの本人が、その、決定的な領収書を、「10年前の領収書を捜すといっても……」などと、とぼけるのは、何かと言えば「取材」だの、「裏取り」だの、「事実とは」などと、さも偉そうに、ほざき続けていた「超」大手新聞「超」大記者の言としては、いかにも、お粗末至極ではないだろうか。

 朝日新聞社も、偉そうに「真実を報道」などとほざくのは、もう止めにした方が利口である。重大疑惑の「領収書」の現物を押さえずに、ただの1平社員の「接待疑惑」の本人の言を信じたのか、信じた振りをするようでは、とても、とても、政界疑惑などの調査報道を任せるわけにはいかない。

 さて、いくら言っても「蛙の面に小便」「焼け石に水」の相手だから、原理原則のみを述べて置く。

 私よりも年齢が上の2人の著名記者が、漢文の時間に教わったはずの中国の故事に基づく格言を覚えていないはずはない。「梨下の冠、瓜田の履」。卑しくも君子たるもの、実が垂れ下がる梨の木の下で冠を直したり、瓜の実がころがっている畑で靴を履き直したり、他人の目には盗みに見えても仕方ないような真似は慎むべし、との教えである

 そして、そういう記者の所業を放置する大手メディアに対する批判については、およそ言論の自由や、マスコミ企業の倫理に関して論ずる際、必ず参照すべき判例の数々がある。その内から、すでに拙著『マスコミ大戦争/読売vsTBS』で紹介した山陽新聞事件の判例の一部を、以下、その前置き説明とともに、ここに再録する。


『マスコミ大戦争/読売vsTBS』(p.59-62)

ナベツネ読売はなぜ「やりすぎ」の喧嘩を売ったか

[中略]読売は、報道による抗議はソコソコにして、裁判という「公的な場での喧嘩」に訴えたのだが、これが本当に「表に出ろ」という喧嘩のやり方だったのかどうかについては、いささか疑問がある。日本の裁判制度の欠陥にまで立ち入る余裕はないが、日本の普通の民事裁判は、少数の傍聴人しか入れない狭い部屋で極めて短時間、2,3ヵ月の間隔をおいて行われ、世間が忘れたころにやっと判決が出る仕掛けになっている。社会的な弱者は、これでも仕方なしに我慢して提訴するが、社会的な強者となれば別である。ましてや、大量宣伝の場そのものであるメディアの場合、話は反対ではなかろうか。「表に出ろ」ではなくて、「中に入れ」であり、「政治的入院」と同様、「目下裁判中」を口実とした逃げ隠れの場にもなりかねない。実際にも、当のTBSは読売土地疑惑の続報をしていない。他の大手メディアしかりである。

 提訴は民事訴訟法にもとづくものであるが、一応、民法と刑法それぞれの「名誉毀損」に当たる条文を紹介しておこう。

●民法第723条:他人の名誉を毀損したる者に対しては、裁判所は被害者の請求に因り、損害賠償に代え、または損害賠償と共に名誉を回復するに適当なる処分を命ずることを得。

●刑法第230条/(1)公然事実を適示し、人の名誉を毀損したる者は、その事実の有無を問わず、三年以下の懲役若くは禁錮または千円以下の罰金刑に処す。

 ここで「他人」もしくは「人」とされている部分は「法人」にも適用される。だから、読売TBS双方の会社同士の提訴合戦になっている。だが、基本的人権を出発点とする近代法の精神からすれば、あくまで「人(自然人)」を守るのが法の目的である。「疑わしきは罰せず」の原則も、権力の行き過ぎから市民個人を守るのが趣旨であり、「名誉毀損」の場合の力点は「弱い立場の一市民」の権利擁護にある。個人でも、政治家(政治屋)を始めとする社会的有力者には古来、「君子」として「李下の冠」「瓜田の履」の戒めがあり、その地位にふさわしい批判の目にさらされるべきであり、新聞やテレヴィなどの大手メディアという事実上の権力が市民個人の名誉を傷つけた場合にこそ、この法律が生かされるべきなのである。

 ましてや、社会的な強者である「法人」が、この権利を乱用するのは許しがたい。そもそも「法人」が「人(自然人)」と同じ法的権利を主張するについては、「法人」の「擬制説」と「実在説」が並存したままである。要するに、訴訟上の取扱いの事実が先行しており、あとから屁理屈がついたにすぎない。労働組合なども「法人格」を認められはするが、「法人」という考案によって得をしているのは、もっぱら大企業である。弁護士法の冒頭で「人権擁護」を義務づけられた弁護士が、大企業という「法人」の無法を、あの手この手ですり抜けさせ、結果として「自然人」の「人権」をじゅうりんし続けている実状を見れば、これがいかに詐欺的な法解釈であるかは歴然とする。人類社会への「法人」のまぎれ込みこそが、近代法の基本的なまやかしであり、ブルジョワ法といわれるゆえんなのである。

 だから実際の運用に当たっては、「法人」の法的権利を制限しなければ矛盾があらわになりすぎるので、いくつもの判例が成立している。メディア「法人」の権利に関しては、たとえばすでに次のような判例が確立し、『マスコミ判例百選』(別冊ジュリスト)にも収められている。

「企業が公共的性格をもつ場合には、その営業方針は直接・間接に国民生活に影響を与えるものであり、その企業内情を暴露することは公益に関する行為として、それが真実に基づくかぎり企業はこれを受忍すべきである」

 この判例の「企業」は1地方紙の山陽新聞社である。全国紙どころか海外でも即日印刷販売をしている1千万部規模の読売の場合、その「公共的性格」および「国民生活に影響を与える」程度は、比較を絶することに注意しておきたい。

 山陽は、今から32年前の1960年当時、岡山市と倉敷市の合併による「百万都市計画」推進の立場を表明した。紙面でも主張し、宣伝していた。

 だが、反対の世論が強かったことは、同計画が失敗に終わったことからも明らかである。山陽の社員が結成する「労働組合」は、多くの市民とともに同計画に反対の方針を決定し、市民向けの情宣ビラを配布した。これに対して山陽は、「名誉毀損」の提訴などというまわりくどい手続きは取らず、労組委員長以下5名を解雇した。

 ビラには、「(会社が)記者の書いた原稿をかきなおし、白を黒にしたウソの報道をしたり、百万都市や1月合併への皆さんの疑問や反対の声を正しく伝えることをこばんでいます」などとあった。判決はこれを「抵抗的・暴露的色彩をもつのは自然のいきおい」と評価した。新聞倫理綱領をも引き合いに出して、「新聞事業の公共性」ゆえに「企業内事情を暴露」することは正当だと判断し、解雇を無効としたのである。

 山陽労組の闘いは、企業社会ニッポンではまれに見るすぐれた活動であった。

 巨大化の一途をたどる企業「法人」の「やりすぎ」をチェックするためにも、労組なり社員個人なりの言論の自由の保障がますます必要なことは、改めていうまでもなかろう。


 以上で(その28)終り。次号に続く。


(その29)ポト派「虐殺」本多勝一「回答」前に警告!
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