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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 第二章-4

第二章《高級官僚の系譜》

無思想の出世主義者が国体護持の“愛国者”と化す過程

4 帝国官僚の視察旅行は何々ツァーか

《熊本赴任に当たって、先輩連におどかされた。熊本は政争が激しく、警察官にもかつて政友会の三羽烏や民政党の三羽烏などといわれた豪の者がおり、料理屋も芸者もみな色がついていて、油断がならない。特に警察を握るためには、人事権を持つ警務課長を握ることが早道であり、若い警務課長には、いろんな誘惑も考えられ、用心しなければならぬと、いうわけである。当時は、制服を官舎で着換え、私には、白足袋に雪太草履を穿くまでの勇気はなかったけれども、縫い紋の羽織に、仙台平の袴で、宴席に臨んだ時代である。羽織袴は、着任後早速整えさせられたのだが、さて、美妓を相手に盃を重ねる修業は、全然やっていない。おまけに、その美妓が油断ならぬとあっては、気を許せない。悲愴とまではいかなかったかも知れないが、真剣一途の気持で、熊本に乗り込み、一切の行動、振舞いを律しようとしたことは間違いない。さてこそ、中古主義の採用ということにもなったのだ。その中に、若い妓は、姐さんに叱られるからといって、寄りつかなくなってしまった》

 「中古」だか何だか知らないが、これが一五年戦争の真最中のこと。良い気なものである。費用の出所も参考のために聞かせてはしいものだ。ただし、もしかすると例の正力松太郎からの「百円の借金」とやらは、この御宴会用の礼装の仕立費だったのかもしれない。やはり持つべきものは「先輩」か……。おまけに、「大陸」への旅行すらあり、まこと、将来を約束された高等官の若様にふさわしい毎日であった。

《丁度支那事変の真最中で南支軍がバイワス湾上陸直後、内務省の南支防空状況視察団の一員に命ぜられて、広東附近を視察し、その往還、台湾を縦断する好機を与えられたり、全国の警務課長錬成会が、小金井の浴恩館で催され、泊りこみで錬成を受けたり、或いは支那の飛行機が、熊本、宮崎の県境に、ビラをまいたという事件にぶつかったり、いろいろ思い出はある》

 さてここに、「南支防空状況視察団」などという、「内務」省とは真反対のはずの海外活動が飛び出してきた。だがすでに満州の例を紹介したように、大日本帝国内務省御得意の「地方自治」は、大々的に輸出されていたのである。銃口と謀略と阿片密売ルートの腐臭の跡に、帝国官僚がつぎつぎと動員されていった。岸信介ら、かつての満州「革新」官僚団も、いまだ汚職の度に顔を出すメンバーだが、さらに広域の官僚体制づくりも進められた。当初は「対支院」という構想で始まり、発足時には「興亜院」、さらに「大東亜省」へと発展したものである。推進者の筆頭には、東条や、商工相にのし上った岸信介らがいる。

 小林ら若手官僚の「視察」は、こういう大陸侵略・収奪への思想動員の手始めであった。現地「自治政府」主催の御宴会については、回想録から省いたものであろうか、何も記されていない。小林自身も、やがて、大陸侵略を専門とする官庁、興亜院の文化部に引き抜かれるのだが、その前に、かのバケツリレーと防空ズキンにつながる「防空」演習の一時期がある。


5 「かなりはなやか」だった「大人の火遊び」