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読売グループ新総帥《小林与三次》研究

あとがき

 やっと初稿のグラ校正を終えたら、もう連休に入っていた。しかも、憲法記念日である。昨日の朝日新聞には、防衛庁でこの十五年間使用していた関係法令集では、現行憲法公布の際の「上諭」が省かれていた、とある。防衛庁側はヌケヌケと、「一般の自衛隊員に上諭の必要があるのかどうか」などとほざいているようだが、なんと、同じ法令集には、いまは不必要な旧憲法も収められており、そちらにはアナかしこくも、明治天皇の上諭ばかりか、大臣の連署まで添えられているというのだ。

 現行憲法の上諭には、「新日本建設の礎が、定まるに至ったことを、深くよろこび、……」という、「朕」の名による“お諭し”がある。そして、市販の六法全書は、法令集の常識として、この上諭を憲法の前に収めている。だから何者かが、この「よろこび」を、一般隊員に知らせないよう小細工をしたのだ。

 もちろん、「天皇の御言葉を削除した非国民」、などとはいわない。しかし、毎年二千部は刷り増しているという『防衛庁関係法令集』(内外出版刊)なるものの買い手は、防衛庁関係者以外にはない。つまり、財源をわれらが血税に求める以外のなにものでもないことに思い至れば、心穏やかではない。

 おりしも、単行本の実売部数がガタ減りという、出版危機。『悪魔の飽食』百万部の例外は、大いに歓迎すべきだが、中小の、いわゆる“人文出版社”は、軒並み倒産の淵にのぞんでいる。木書が、上製本の前著とことなり、この新書版となったについても、出版危機に一因がある。だが一方では、「もっと安い本にしろ」といっていた友人の意向には、これで応えることができたのかもしれない。ともあれ、この出版危機の最中に、内容的にも無理をきいてくれた年来の友人、三好社長に感謝したい。そして、数々の助言をかたじけなくした諸兄姉にも。

 ところで、活字になるのが遅れている間に、反核運動が急速に高まった。本文を直すわけにもいかないので、お許しいただきたい。ただし痛感したのは、戦後日本のマスコミの役割であった。読売争議以前、レッドパージ以前から、アメリカ占領軍批判は、厳重に禁じられていた。ヒロシマの惨状を報じたマーク・ダインら外人記者も、追放の浮目に会った。

 それから三十数年、十年一昔どころか、一世代以上ののちに、やっと世界中に真相が知られ始めたのである。真実を報道することの重要さと、その報道の自由を守り発展させることの難しさを、改めて噛みしめた。事実を確かめ、被害を受けた当事者の訴えを聞くこと、言論の自由を保障し、弱者の反論の機会を拡大すること、これらの努力なしには、民主主義の確立は不可能である。手元に新刊、『ネーダー機関・米国新聞へ挑戦する~読者による新聞改革~』がある。マスコミにも、ありとあらゆる“権威”にも、一方的な予断を許さぬためには、読者、国民、そして一人一人が自ら戦う以外にないのである。もちろん、マスコミ関係者自身も、さらに民主主義の徹底に努めなければなるまい。

 ところが、である。ゲラの再校正という段になって、聞き流せない情報が入ってきた。言論の自由も民主主義もあらばこそ、読売グループが、「またもや」言論弾圧をやらかしているというのだ。「またもや」というのは、あの江川問題の時と、同じ手口だからだ。江川問題の時は、読売が、『サンデー毎日』の紙面広告を拒否して批判記事への圧力を掛け、知る人ぞ知る話題となった。今度の相手は『週刊現代』で、五月一日号から連載シリーズ「情報帝国『読売』の超力と野望」を始めたところ、初回からイチャモンをつけてきたというのである。

 同シリーズの第一回は、「新盟主小林与三次社長と十万兵士が『情報世界一』へ争闘す!」というサブタイトル。「結局は“持ち上げ”なのだ」、と評する向きもあったのに、読売側は、まず細部も細部、「だれそれの肩書きが違っているが、…………」といったところから、イヤミのジャブを放ち始めた。そして、ほぼ全面的な取材拒否。しかも、ただちに、かの児玉センセイ門下の氏家“広告局長”が、『週刊現代』の発行元である講談社に、直々乗り込んでの直談判、という力み方。「読売には、外部に知られたくないことが、よほどあるのではないか」などと取沙汰されている。

 新聞・テレビ事業委員会と同時に、経営計画委員会を発足させた小林与三次は、かっての日本テレビでも、末端までの小委員会発令で、この役人方式を貫いた。「………委員を命ず」のはり紙だけで社員が動けば、こんな安上りな話はない。いっそ“読売グループ批判撲滅委員会”でも発令したらいかがか。だが、それらの読売『帝国』腐蝕追及は、のちの課題としよう。とりあえず一言だけすると、「読売は文句があるならなぜ“紙面”で反論しないのか」ということだ。持前の言論で勝負せず、全国八百万だか九百万だかの、“広告媒体”部数の“超力”を背景に、数十万部の週刊誌への言論操作を図るなど、うすぎたな過ぎるではないか。

 しかもそこへ、「朝日・読売連合軍のテレビ界占領計画書」(『週刊新潮』5・13)などと評される極秘文書さえ、スッパ抜かれるに至った。「『日本衛星放送』(仮称)設立趣意書」というものだが、朝日新聞の郵政省づめ記者で、ラジオ・テレビ本部の小笠原編集委員が事務局となって、千二百億円もの資金を集めんものと、オール財界人・金融独占の「発起人予定者」取りまとめに動いていたところ、それが「もれた」(関係者談)というのである。すでに本文中で指摘しておいたとおり、マスコミ独占は、国民をあざむく野合の善かを重ねている。これも、故正力松太郎の日本テレビ設立の場合と、まさに同工異曲。あの時の朝・毎・読連合が、いまや、朝・読だけでも舞台をまわせるようになったことに、この両者の巨大化、肥大化の恐怖を見るべきだろう。

 ともかく、この日本衛星放送(仮)は、NHKに対抗して四チャンネル使用可能の衛星を打ち上げ、一挙に全国どころか、日本周辺で地球表面の三分の一はカバーできるという、“天の画像と音声”の送り主たらんとしているのだ。これは今様“大東亜共栄圏”の悪夢である。

 読売新聞では、務台も代表権会長だが、その務台が最近にも戦犯的発言をしている。「聴きとり」に応じて、新聞の戦争協力を恥じることなく、「日本国民として、日本が戦争しているのに協力するのは当然じゃないか」(『別冊新聞研究』13号)という心情を語っているのだ。クフバラ、クフバラ…………

 これまた論じ始めれば切りもないが、いわゆる「行革」の公社やNHK分割論をマスコミ独占にもあてはめて………、などと愚考せざるを得ない昨今である。