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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 終章-1

終章《マスコミ独占集中》

新聞の「専売」、電波免許の「独占」、マスコミの系列支配、この巨大グループのおごりを撃つものはだれか

1 「新聞戦争」宣言の“現実主義”路線

 さて、すでに何度も紹介した『現代』(’81・10)のチョウチン記事だが、なにせ、本書の仕上げ間近になって、ドカンと飛び出してきたものだから、はめこむのが一苦労であった。

 しかし、この内容も題名も、見れば見るほど、大問題なのである。《マスコミの帝王 小林与三次の「新聞戦争」宣言》、これだけなら、並の週刊誌ゴシップと選ぶところはない。だが、ゴシップならぬゴシック文字のリードには、かのサンケイ新聞もかくや、という脅し文句が踊っている。

《大新聞の反米親ソ、左寄り路線にクサビを打ち込むか? 内務省人脈を駆使する読売グループの新・首領が、電波メディアとの一体化で、政治がらみの一大戦略を展開する》

 そして、「編集主幹」預り社長こと小林自身が、「二時間以上も大声でまくしたてた」といケう“熱弁”の内容も、いま大売出しの“レーガン戦略”に、ピッタリ決っている。

《新聞にはこれまで、反官、反権力の風潮があったのは間違いない。政府、アメリカのやっていることはいつも悪いと極めつけ、ソ連、中国のことはどうも十分にふれることはなかった。

 こうしたやり方は、どこかの政党新聞ならいざ知らず、一千万人近い読者がいるのにそれでいいのかとなると、やはりおかしいと言わざるをえない。

 役人、政治家の悪いところを追及するのはいいとして、やはり政府に対しては是々非々の姿勢で臨むべきです。だいたい、政府のやっていることが全部悪いのか、というとそんなことはありませんよ。

 たとえば、新しい総理大臣が誕生すると、就任直後から足を引っ張ろうというところが新聞にはありました。そんなもんじゃない。総理には大いに仕事をしてもらわなけりゃならんのです。その意味で、やはりこれまでの新聞には“考えすぎ”があったといえます。

 日本が世界の厳しい競争社会に生きていることを直視すれば、新聞も具体的、現実的な姿勢をとり、国民をどうまとめていくかという知恵を出すべきなんです》

 そして、自ら小林軍団四天王を名乗り出た渡辺論説委員長殿も、ここぞとばかりに「宿敵」朝日を引き合いに出し、読売新間の使命を語る。

《朝日新聞の社説は、極論すれば米国の性悪、ソ連は性善という図式に立っているようなところがある。しかし、読売は、ソ連が一貫して軍備拡大策を進めてきたことが、国際的な緊張の原因になっていると見ているんです。そもそも朝日は、本心では社共人民戦線政権を待望しているのではないですかね。

 この朝日の姿勢を“観念的理想主義”とすれば、読売は”具体的現実主義”ということになるでしょう》

 この論説委員長個人については、一言しないわけにはいかない。すでに、児玉などの右翼とのつながりについては紹介ずみだが、御本人は、ただの右翼ではない。学生時代に日本共産党に入党し、スパイの嫌疑で除名されたという、今様ころびバテレンなのだ。しかし、スパイの事実があるなら、それ自体、人格を疑われるべき話である。逆に、事実がないのなら、あくまで争って、自らの名誉を回復すべきではないか。ところが御本人は、「軍隊的な“規律と鉄の団結”を守れでしょう。これには反発をも感じたし、ウンザリもしました」『現代』(’80・9)と称して逃げを打ち、右転向を合理化してしまうのである。要するに、みずからの信念のなさを、他人のせいにする以外の何物でもない。本当に自分の思想として革命を目指すのなら、スターリニズムとも官僚主義者とも、断固闘うべきなのだ。それができずに右翼とくっついた変節者が、“世界にのびる”大新聞の論説委員長とは、あいた口がふさがらない話ではないか。読売新聞の記者諸氏も、そのことを深く考え直すべきだろう。

 だがだが、さらに恐るべきは、このチョウチン記事の生田に代表されるノンポリ・ライターの、歴史感覚のなさである。渡辺恒雄がトクトクと語る“現実主義”がいま問題となり、かつての“満洲は日本の生命線”というデマゴギーと同一線上にあるとして、識者の間で大いに批判が高まっていることを、生田はまったく知らないのであろうか。それとも、知っての上でのことなのか。ともかく、こういうのだ。

《朝日の“観念的理想主義”と、読売の“具体的現実主義”のいずれが読者に支持されるか。わが国の新聞界も、ようやく紙面の質をめぐって競い合う時代に入ったようだ》

 “現実主義”の評価だけの問題ではない。こういう「紙面」についての考え方が、いかに「質」とほど遠いものかということは、日本の新聞史を若干でもかじったものなら、一目で見破れることなのである。日露戦争で非戦論を張った万朝報は、残念ながら、日清戦争以来の戦争ブームを望む読者を失った。そこで社主の黒岩涙香は開戦論に切換え、それに従えぬ堺利彦らは退社。平民新聞の設立、弾圧、そして日本共産党初代委員長の堺利彦あり、という話は、だれ知らぬものはない明治、大正新聞史、政治史の一節だ。ついで、第一次世界戦争から原爆投下まで、日本の新聞は、“現実主義”の戦時報道で部数拡大、巨大企業化の道をたどったのだ。それは、「紙面の質」の競争どころか、「悪質」なデマゴギーと大衆迎合の「堕落」の極であった。

 大先輩の中野好夫は、満州事変を国民の大多数が、当初は支持していなかった状況を述べ「あの時やはり魔術のように使われたのがこの『現実的』だった」(朝日5・14)しと指摘している。

 しかるに、日本テレビの視聴率を「ウイークエンダー」などで支えて恥じることのなかった小林は、この“現実主義”路線に、読売の部数拡大のための一石二鳥の手口をかけているのだ。

 正力以後の読売新聞に際立った特徴、それが“現実主義”の三面記事路線だった。このまま放置すれば、小林は、それをますます発展させるだろう。そして、かのヤクザ拡販を、やはり“現実主義”の「自治体」=「警察」ぐるみの癒着で、ごまかしつづけるだろう。それが読売新聞の恐るべき“近未来”作戦予想図である。


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