電網木村書店 Web無料公開
読売グループ新総帥《小林与三次》研究 第六章-1

第六章《突撃隊長たちの末路》

アカ攻撃もあったドロドロの争議で専務も人事局長も更送

1 読売出身のヤクザ専務がアカ攻撃隊長

 しかし、小林は強硬路線を捨てなかった。自分の口からは出しにくいことは、読売新聞記者出身の二人のヤクザ専務にいわせるという手口も採用した。当時の体制は、三専務に一常務を中心に置く、いわゆる四天王型。役人好みの分割支配であった。さきの『財界』誌は、「血の粛正」による六人の旧重役一斉解雇につづくこの体制を、こう評していた。

《実際に現在切りまわしているのは読売新聞から読売テレビ、仙台放送(副社長)を経た松本幸輝久専務(明治四五年生れ、製作本部長)と、読売新聞の農政記者から出版局長をやった上子俊秋専務へ大正九年生れ、営業本部長)、それに大阪読売新聞から読売テレビ経理部長を経た高井秀雄常務(大正五年生れ、総務本部長)の二専務一常務である。

 つまり、日本テレビ生え抜きの幹部は僅か高木専務一人、あとの二人は小林氏が母体の読売新聞から連れてきた、いわゆる占領軍の手によって管理されているわけだ。

 こんな非情な例は、普通の上場会社には例を見ない。倒産会社ならいざ知らず、レッキとした上場会社にしては、思いきった荒療治である。

 なかでも松本専務は“務台学校”の優等生と言われ、ややエキセントリックな性格で日本テレビの原住民たちは、そのドグマ的な判断に脅えていると言われる。

 上子氏は小林社長と同郷の富山県高岡の出、高井氏も同様、富山出身だ。悪く言えば、日本テレビは読売――富山グループによる占領軍の直轄政治に入っているということもできよう》

 だが、もう一人の松本幸輝久も、富山に縁があった。最年長の松本は、第一次読売争議の際、「『反組合分子』の首脳たちに対する追放決議」にも名が挙っており、その時の肩書きは、富山支局長だったのである。つまり小林は、「読売」と「富山」の両方に縁のある「占領軍」を編成したわけだ。この特徴は、しかし、単なる「郷党」のコネというだけのことではない。正力も小林も、敵が多いだけに、最後まで味方になってくれる人材探しには、必死だったのである。とくに富山県閥には、せまい田舎のムラ社会を背景に、いわば封建的な主従関係の保障という意味がある。おらが国の元大臣、故正力家を裏切ったら、富山二区には帰郷できなくなるし、親類縁者も村八分という関係だ。それに内務省閥や読売閥を加味すれば、相互の監視により、裏切りが防げるという仕掛けである。もっとも日本テレビには、富山県出身の組合活動家も多いようだから、この手の支配は、すでに時代遅れとなりつつあるようだ。

 が、ともかく、この初期四天王の一人、松本幸輝久専務(当時は常務)は、かの『全貌』誌のアカ攻撃に先駆けて、「社会主義攻撃」を展開した。

《こういう自由主義社会においては、企業が成り立つことが絶対的な条件でなければならないはずだ。ソ連や中共においては、ストライキはない。ああいう強制力を持った社会では、為政者が非常に高い教養と視野とを持って労働者に対していかなければならない宿命がある。しかし、はたしてそうなっているかどうか、それはみんながよく見ればわかることだ。

 国民総生産において、日本はアメリカ、ソ連に次ぐところまで来た。敗戦で打ちのめされた国がここまで伸びて来たことをよく考えたときに、ソ連のような経済体制であったらとてもこんなには伸びられなかったろうと思う。共産圏諸国で、日本のように伸びている国はどこにもない。ソ連や中共の労働者の生活が、ストライキをしないでもいいくらい、果たして豊かであるかどうか。あそこの国こそ、赤旗をふってストライキをやったらいいだろうと思う。サボタージュもやる権利があるのだろうけれども、それもできないような国家体制というものについて、もう一度考えてみる必要があるのではないかと思う》(『社報日本テレビ』’71・2・20。)

 松本は、これと同趣旨のことを、来客の多い編成局長席でも、大声を張り上げてはぶちまくり失笑を買っていた。このあたりの事情は、すでに前著でも紹介したところだが、伝票チェックなどの脅しの手口もあって、かなりの圧制といえた。もちろん、「社会主義云々」に対する反撃もなされている。木村の執筆によるものだが、連載記事には、こんな一節がある。

《松本常務の「アカ攻撃」は「社会主義国は云々」というタイプである。このスタイルは実は全くチンプではあるが、どこでも最初にやられるものである。

 「社会主義キライョ!」という会社側の発言は……労働組合にどういう反応を期待しているのか。注意しなければならないのは、これは「攻撃」だということである。だから「次の手」がある。

 ひとつ――労働組合が反論する。すると、「ハテ!労働組合は社会主義か?いやさ、共産主義か?社会党か?共産党か?サアサアはっきりせい!」(と松本弾正イタケダカ。ここぞとばかり床をならしてつめよる)てなオドシのねらい。

 ふたつ――労働組合がだまってる。すると社会主義国への攻撃は「きりすてごめん」。「イヤァ、常務、社会主義国ってのはなんですな、ゴルフもないんでしょうな。まったくあんな国をほめるものは、この会社においとくわけにはいきませんな。(ヒソヒソ)実は常務、○○部長はソ連製のフンドシを愛用しとるというウワサで……」てなアイサツがはやる。「レッド レッド ○○レッド……部長のアイサツ」というわけだ。

 どちらの場合でも、成功すれば社内で政治論議はできなくなる。なぜなら、世界が大きく資本主義と社会主義にわけられている現代で、最初にシロクロきめて話したって政治論議にはならないからだ。それだけではない。「社会主義不好!」の決定は「資本主義好!」を強要する。公害の批判さえも許さないファシズムがまかりとおることもある(チッソ水俣工場)。ファシズムは非科学的である。理論的に考えることを許さない》(『闘争ニュース』’71・3・11)

 ついで、もう一人の専務、上子俊秋も、アカ攻撃の一端をになった。

 さきの「準備書面」の《「社報日本テレビ」上子専務による“アカ”攻撃》と題する項月には、こう書かれている。

《“全貌”誌の“アカ攻撃”と軌を一にして出されたのが「社報日本テレビ」昭和四七年七月一日号掲載の「破壊分子は断固排除」とタイトルをつけた「上子専務によるアカ攻撃」の記事である。

 これは偶然というものではなく、明らかに計画的に仕組まれたものである。

 この上子専務は、昭和四六年読売新聞社から日本テレビの専務に就任し以後……組合弾圧に狂奔した人物である。

 そして“社報”などを通じ機会ある毎に組合嫌悪の姿勢を露骨に示し一九七二年へ昭和四七)七月一日付「社報日本テレビ」には――「希望退職」発言の真意は何か、上子専務にきく――と題する談話を発表した。

 そこでは、「業界紙にのった『来春、社員百名の希望退職を勧告した』という上子専務の発言が社内に大きな反響をよんでいるが、その発言の真意はどこにあるのか」――という質問に答える形で、上子専務は次のような“アカ”攻撃をしている。

 「例えば会社に来ても仕事をする意,思もなく、遊びほうけて会社を食いものにしている人間、あるいは、会社の上に組合があり、●組合の上に党があると考えて●(傍点)いるような人間である。――中略――

 私が来春、百人位の希望退職を社長にお願いするといったのは、このような全社員にとって好ましくない人間が、現在これくらいいるという考えがあってのことである。

 ほんとうのところ、当社の適正人員は千人程度であろう。」

 この「社報」発言の直後の八月二五日、原告と、河野委員長(当時)ら組合役員五名に対し「出勤停止」処分が発令され、続いて、九月二七日に本件原告への解一雇が強行されたのである》


2 「諸悪の根源」は正力ワンマン晩年の「無謀」