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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 第六章-5

第六章《突撃隊長たちの末路》

アカ攻撃もあったドロドロの争議で専務も人事局長も更送

5 新政権の「四天王」体制と小林の野望

 たとえば上子俊秋は、富山県高岡市出身、いわば正力ファミリーの聖地で、読売新聞富山支局採用。正力の選挙地盤固めのため、他紙では思いも及ばぬ「北陸本社」設置となり、上子記者はそこから東京本社へと登りつめた。いわば生粋の「富山」=「読売」閥の随一と、自他ともに許す小林の腹心であった。小林が読売に戻れば、上子が日本テレビの社長という下馬評すらあった。その上子さえ、利用しつくせば切る。そして、顧問という捨て扶持で口封じ。それが、小林与三次流のひと使い、“円月殺法”とやらの本質である。すでに松本幸輝久の口からも、上子俊秋の口からも、隠れた発言としてだが、恨み節が聞えてきたという事実もあるのだ。

 ともあれ、新しい「四天王」は、「渡辺恒雄読売新聞常務・論説委員長によれば」(『現代』’82・10)、渡辺自身と氏家斉一郎(常務・広告局長)、水上健也(取締役・編集総務)、そして日本テレビの常盤恭一(常務・報道局長・読売記者出身)だという。渡辺と氏家が、九頭竜ダムのマツチ・ポンプ事件などでフィクサー児王センセイとつるんでいた一件は、すでに前著でも紹介したところだし、関係者には広く知られている話だ。常盤のヤクザ気質については、『テレビ腐蝕検証』や、『創』(’80・8)にも詳しい。

 こんなに右翼チックで、ヤクザな「小林軍団」が、新聞・テレビ・ラジオを支配し、雑誌のチョウチン記事まで手掛けるとあっては、読者もかなりナメられたものだと思わずにはいられない。そしてすでに、彼等の「開戦の昭勅」は、公然と発せられたのである。終章で取り上げるが、読売の紙面の「右へならえ!」は、最早公然と語られている。しかし、その足元では、労組などの抵抗も拡がっているのだから、情勢は大きく揺れているのだ。

 小林自身の日本テレビでの「会長就任あいさつ」も、妙に「組合」を意識して、チグハグであった。

《いまだからこそ、率直に言いますが、当時、組合を割ったらどうかという意見さえありました。しかし、私はこの意見には耳をかしませんでした。組合というものは、あくまで一つでなくてはならない。組合の諸君だって社員なのだから、会社をつぶそうなどと思っているはずがないのではないか、と言い続けたのです。……………………

 テレビを動かしていくためには、社員の諸君と運命を共にしていく以外道がないと私は考えていた。だから組合を割るなどということは、もってのほかだと言ったのです。世間には組合を割った実例がいくつもあります。しかし二つの組合がいがみ合っているほど悲惨なことはありません。同じ職場で、A組合とB組合が反目し、対立するなどということは、絶対に不幸で、許すべからざることです。そういうときは会社をつぶすときなのです》(『社報日本テレビ』’81・7・25)

 ところが現実には、小林は、第二組合の旗上げを計って失敗しているのだ。それも、小林と右翼の笹川が出資した日本プロダクトビルダーという関連会社を使って、空手のグループを動かそうとしたのである。また、二度までも、執行委員会にヒモツキ幹部を送り込もうとし、これも見事に失敗している。新入社員にも、組合加入を妨げる社員研修をやったが、効き日はなかった。一九八一年には、三九名の新入組合員が生れ、青年部も再建されている。そんな状況を、我田引水にいいつくろったのが、小林の「円月」演舌なのである。

 さらに奇っ怪なのは、元専務の松本と上子、現常務報道局長の常盤が、これも小林会長の舌先三寸の間に、のみ込まれてしまったことだ。松本は元読売新聞・読売テレビ、上子も常盤も元読売新聞、そして三人とも小林社長の就任後に日本テレビ入りした。この他にも、谷村という元読売新聞記者が、PR室長になったりしている。ところが小林は、こう語っているのだ。

《一人で乗り込んでよいのかということも当然論議になりました。しかし、日本テレビには創業以来苦労してきた千何百人の社員諸君がいるのです。この人たちの気持が一つになり、奮いたたなければよくなるはずがない。私には、余計な人は必要ではなく、単身乗り込んできたのです。

 ただ、経理だけは、自分が全部帳面を見るわけにはいかず、問題が経理をめぐってあったのですから、これだけは信用のおける人がいてもらわなければ困る。そこでテレビの経理にくわしい高井さんに来てもらったのです》

 これらの脈絡のない、誤まりだらけの演説について、六八才の「ボケ」を疑う重役もいる。だが、ゲッペルス宣伝相は、「ウソも百万回いえば本当に思えてくる」と教えている。小林流は、長年の“円月殺法”とやら、自ら「何をいうたかわからなくなる」と称するウソ八百戦法だ。ただし、いかにも弁解がましい長口舌の裏には、みずからの不人気への気がかりが色濃くうかがわれる。小林はなぜか、この演説の冒頭に、こういって一同をギクリとさせているのだ。

《私は、今回、代表権を持たない会長になりましたが、お前など余計だと皆さんが追い出そうとしても、それだけではそう簡単に出ていくわけには参りません。社員全部から不信任を投ぜられるようになっては、旗をまかざるを得ませんが、それでも、株主全体ならいざ知らず、社員諸君だけだとその不信任も納得できる理由がなければ開き直るつもりです》

 本人は冗談にまぎらわすつもりだったらしい。しかし、実体のない冗談というものもないわけで、ついつい本音の恐怖がにじみ出てしまったのだ。そして、「株主」(資本)側の立場を明らかにし、「社員」(労働者)との対決の姿勢を露わにしてしまったのである。読売新聞では社員用の風呂場までのぞいて、下積みの苦労をねぎらう芝居をしているが、やはり、本性はかくせまい。

 ただし、小林の労組つぶしの目的が、「すべて外れた」といえば、それは、極言の誤まりを犯すことになろう。小林の目標は、労組の弱体化そのものにではなく、やはり経営権の確保、そして読売グループ全体への支配権の足掛りを強化することにあった。いまや、その地位に登りつめたからには、日本テレビでの争議の継続は過去の不始末、厄介事であろう。この長期争議が読売新聞内の労使関係にも影響を及ぼしかねないとして、「もっと早く解決すべきだった。なぜ早く詰めきれなかったのか。ツケをまわされてはかなわない。」、という声も読売新聞社内であがっているようだ。

 だが、日下のところ、小琳地震のバランスシートには、日本テレビでの黒字増大、内部留保激増、ネットワークの強化拡大、多重放送の権益確保、等々のプラス面ばかりが、麗々しく並び立てられていることだろう。そして小林は、足場を固めたのちには、政界へも進出しようと夢を描いているらしいのだ。

《私はよくいっているんです。人間は役人を一度やらんといかん、商売を一度やらんといかん、いまひとつは選挙を一度やらんといかん。この三つをやらなかったら、偉そうなことをいっても、人間社会のほんとうのことがわからない。ここに来て、そう思うようになった》(『大衆とともに二五年』)

 これが、四年前の日本テレビ社史における発言である。似たような発言は他にもあり、これは小林の持論のひとつらしい。しかも、義父の正力松太郎が、役人(警察)、商売(読売新聞から競艇まで、選挙(議員・国務大臣)という経歴だから、現実味はあり過ぎるほどある話だ。

 読売新聞の紙面づくりが、この最後の「選挙」を意識したものになるとすれば、それはまた、新しい段階の問題である。


終章《マスコミ独占集中》 1 「新聞戦争」宣言の“現実主義”路線