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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 第六章-4

第六章《突撃隊長たちの末路》

アカ攻撃もあったドロドロの争議で専務も人事局長も更送

4 組合は征伐などされてはいない

 だが、ともかく暴力団までやとっての組合つぶしである。おまけに、一番老舗のテレビ局であったから、平均年令も四〇歳になっていた。そろそろ肩書きの欲しい年代のベテラン社員の中からは、課長職とは名ばかりの肩書きと手当てで、組合を抜けるものも出てくる。また、そうしないと仕事がやりにくいという事情も、人為的に作られていった。

 しかし、社員の過半数の組合員は、断固として踏み止っている。そして労組は、小林労政反対の旗印を掲げ続け、むしろ闘いを着実に拡げているのだ。木村解雇事件をはじめとする争議も、同様である。

 一昨年の木村解雇八周年にも、日本テレビ本社前で集会が開かれ、『赤旗』にも報道された。

《日本テレビの不当解雇とたたかう木村愛二さん(元民放労連関東地連執行委員)の一日も早い職場復帰をめざし、このほど、日本テレビ本社(東京・千代田区二番町)をとり囲む「木村解雇八日年社前集会」が開かれました。主催は総評、東京地評、千代田区労協、マスコミ共闘などで結成されている日本テレビ労組支援共闘会議(松尾喬議長)で、集会には約五〇団体六百人を超える支援の労働者らが参加しました。民放労連日本テレビ労組(仲築間卓蔵委員長、七百人)は集会が持たれる昼休みをはさんで一時間四十五分の全面ストライキを打ちました。

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 集会で木村さんは「一時は人事当局が私を突きとばしたり、書記局以外への社屋立ち入りを禁じたりしました。しかし、みなさんの激励を背景に、私は社内のどこにでもオルグにはいっていますし、職場で“がんばれよ”といわれることはあっても、いまでは妨害するものはいません」とのべると、参加者は大きな拍手でこたえました。

 また、日本テレビ労組の仲築間委員長が、木村解雇事件が争われている東京地裁民事一一部の裁判長・古館清吾裁判官の忌避申し立てについて、地裁、高裁の不当な却下にめげず、最高裁へ特別抗告する方針であることを報告。同労組は一〇月一日に特別抗告を提出しました》

 これらにつづいて、『赤旗』の「人」欄は、「日本テレビの不当解雇と八年越しでたたかう木村愛二さん」を紹介し、その横顔を伝えた。

《山口県生まれ、一九六一年東大文学部英文科卒、日本テレビ入社、結成された労組の執行委員、書記次長や千代田区労協事務局長などを歴任。現在東京争議団共闘副議長。東京都杉並区宮前に妻、一女一男と四人暮らし。四三歳

 「東京地裁は検事が裁判官になるなど反動化が進み、労働部では労働者側の勝訴率は一割余なんです。ぼくの事件も司法反動化とのたたかいの焦点の一つともなっており、負けられません」

 一時、反米右翼の主張にひかれ、いったん防衛大に入学しました。が、米軍将校や米軍兵器が大手をふる状況に失望、東大に入学して安保闘争に参加した――という異色の経歴の持ち主。

 古代史に造詣(ぞうけい)が深く、「古代アフリカ。エジプト史への疑惑」の著書もあります。

 解雇後、腰痛をわずらい、現在も週二回はり、きゅうに通う身。「ゆっくり休養し治療すればなおるでしょうが、たたかっているとそうもいかない。勝利するまではなんとしてもがんばらなければね」。

 ひきしまった口元、冷静な語り口ながら、きっぱりこういいました》

 また、公労協加盟単産の全支部に配布される「スト権奪還闘争」のための機関誌『生きる権利』(’80・9)も、木村事件を見開きニページの特集で取り上げた。司法反動下の民間労働事件の典型例としてであり、「東京地裁にみる司法反動の実態~なぜ古館裁判官を忌避したのか斜?!~日本テレビ・木村事件」と題するもの。執筆者は、松井繁明弁護士である。

 そして、この古館裁判官の追放運動は、ほかの事件と合わせてだが、総評法対部も全力投球する大運動となり、ついに昨春、古館裁判官は、通常の任期以前に配置換えとなったのである。また、東京地裁の訴訟指揮や判決内容にも、改善の跡が見受けられ、労働者側の勝利とされている。

 だが、この過程で、やはり小林与三次とつながりのある権力側のもうひとつの堅塁を、垣間見ることにもなったのだ。

 いまや「ゴルフ場汚職事件などで有名になった国会の「訴追委員会」。そこに古館裁判官の訴追も申請されたが、簡単に却下された。その訴追委員会の委員長である古井喜実は、元内務次官そして元法相。小林の最初の直属上司で、いまも親しい仲であり、すでに小林を「リベラル」と評して売り込みに一役買っていることも、紹介済みの人物である。そして前法相の奥野は、小林の後輩なのである。法務省と最高裁事務総局の人事交流や癒着が進み、検事と判事が同居していた戦前の司法省復活が、ひそかな話題となっている昨今。そこに「マスコミ界の帝王」などとはやされ始めた小林の人脈が延びているとしたら。これはさらに、ただごとではないのだ。

 だが、もしそうだとしても、たとえば小林が手をまわして古館という反動裁判官を送り込んだり、激励したりしたのだとしても、これまた面白い結果である。つまり、こちらも闘いが長びくという不利はあるが、反動裁判官追放闘争の勝利という、新たな戦線での反撃に成功したことになるからだ。

 昨年の秋、一九八一年一一月二五日には、新任の渡辺裁判長ほかの二人の合議体裁判官の下で木村裁判の本人証言が始まった。それに呼応して、翌日には日本テレビ本社前での決起集会も行なわれた。

《「日本テレゼ争議勝刑めざし」「支援集会に八〇〇人」

 日本テレビ争議の全面勝利をめざす決起集会が二十六日、日本テレビ本社前で開かれ七〇団体、約八百人が参加しました。一〇年目に入った元マスコミ共闘幹事の木村愛二氏の不当解雇撤回闘争や、組合役員処分と組合員の昇格差別についての労働委員会提訴事件などの勝利をもとめておこなわれたもの。

 日本テレビ労組支援共闘会議が主催したこの集会には、民放労連日本テレビ労組がストで、また、東京電力差別撤廃原告団とその支援する会なども参加。民放労連の竹村委員長、千代田区労協の深沢議長、出版労連麹町地協の村田議長らが激励のあいさつをしました》(『赤旗』’81・11・27)

 この日までに、小林の強行路線を代表していた二人の重役が、日本テレビから追われた。すでに紹介ずみの松本専務、上子専務、そして田川労務担当取締役人事局長である。タカ派の一掃と評して安心する向きもある。兎の首をひねったのちには、「走狗」も御用済みで、煮られる運命にある。その典型例でもあろう。しかし、かのヒットラーは、政権を握るやさらに親衛隊を強化し、初期突撃隊長のエルンスト・レームらを血の粛正で始末したのである。まだまだ油断は禁物といわなければなるまい。


5 新政権の「四天王」と小林の野望