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読売グループ新総帥《小林与三次》研究 終章-4

終章《マスコミ独占集中》

新聞の「専売」、電波免許の「独占」、マスコミの系列支配、この巨大グループのおごりを撃つものはだれか

4 ジャーナリストいま立たずんば、いつ?

 小林軍団の新聞界征覇に、ストップを掛ける力について、「相手は朝日」などと考えるのは、その場限りの週刊誌報道の悪影響でしかない。または、当の読売や朝日の自己宣伝に、まんまと引っ掛ってのことである。

 「朝日との大戦争が始まる」というのが、『現代』(’81・10)の最新情報なのだが、すでにこの手口の本質については、前著でも論じたところだ。

 「競争」こそが、資本の支配力の秘密である。無計画な“自由”(資本にとってのみの)競争の結果として累積する過剰生産、不況、恐慌、弱者の敗退。しかし、その恐怖を逆手に取り、さらには既存の社会主義国の未成熟な失敗をあげつらいながら、資本の暴力支配が維持されている。世界のトヨタとニッサンに象徴されるように、日本の企業同士が海外でも死闘をくりひろげるところに、まさにその無法な競争の中にこそ、その足元の労働者をファッショ支配する秘密が隠されているのだ。

 そして、すでに日放労(NHK労組)が全面的にバックアップする市民団体の機関誌にさえ、日本テレビでの労使関係と関連して、つぎのような指摘がなされている。

《小林氏がこれほどまで組合を弱体化しようとした動機としては、読者における労務政策の成功があるのだろう。読売では第二次大戦直後の「読売争議」の影響がいまでも尾をひいているといわれている。「鈴木東民(注・読売争議の時の組合委員長)のようになってはいかん」という声が、組合サイドできかれるという。「読売争議」以後今日に至るまで、読売における労資関係は、会社ベースですすんでいる。「読売争議」のあと、読売が大阪進出を強行したとき、組合は会社提案の「労働時間一時間延長」(拘束七時間、実働六時間を拘束八時間、実働七時間とする)をあっさり呑んでしまった。このときは、朝日、毎日、読売とも、拘束七時間、実働六時間だったが、簡単に脱落してしまったのだ。

 その後も、たとえば新聞界の春闘では読売の回答がちょうど春闘全体における鉄鋼の回答と同様の役割を演じるようになっている。これは経営者からみれば、大変望ましい姿であろうし、小林氏が日本テレビにおいてもその実現をイメージしたことも想像に難くない。しかし、実現はできなかった。なぜなら、組合が要求に結集してたたかったからだ。すなわち、労働面における読売と日本テレビの一体化は失敗した》(『マスマミ市民』’77・1)

 ただし、読売新聞労組には、あの戦後の読売争議以後にも、新たな闘いの歴史があった。新聞労連編『新聞労働運動の歴史』には、こう書かれている。

《大阪読売の大野忠孝活版部員は五六年八月二七日、日本共産党機関誌『アカハタ』を職場に配布、購読を勧誘したかどで会社によって懲戒解雇された。大阪読売労組の強力な支援のもとに解雇撤回の法廷闘争にもちこみ、五六年一二月二日、身分保全の仮処分に勝訴した。会社は抗告したが審理は会社に不利にすすんだ。解雇から二年四カ月後の五八年一二月二五日、労使の自主交渉のなかで会社は解雇を撤回し、賃金補償のうえ原職復帰することに同意せざるを得なかった。この勝利もまた、大読労組の職場闘争をもとにした大衆的なたたかいと、これを包んだ近畿地連を中心とする新聞労働者の支援によってかち取られたものであった。

 『読売』外報部の滝沢正樹記者は、見習社員から社員になる直前の五五年九月三〇日、会社から健康上の理由で突如、解雇通告を受けた。組合の交渉要求に会社は「非組合員」を理由に応ぜず、滝沢と組合は法廷闘争にもちこんだ。不当解雇撤回要求にたいし、会社は学生運動歴を隠したとして「経歴滸称」をもち出し。その意図が思想信条にかかわることが明らかとなった。五六年九月一四日、東京地裁は身分保全の仮処分で解雇無効と賃金支払いを命じたが、就労請求は却下した。滝沢は「自宅待機」を余儀なくされながらも、組合に出勤して地裁への本訴と高裁への就労請求抗告をたたかった「しかし高機は五八年八月二日、就労請求を却下した。この間、地裁による和解がすすめられ、結局、五九年五月一四日、和解によって事態が収拾された。解雇撤回―社員登用―依頼退社―和解金一〇〇万円、という内容であった》(『新聞労働運動の歴史』)

 このうち大阪・読売=大野事件については、判決理由の中に、面白いことが書かれている。

《会社は日共の読売細胞が社内で活動しているとの警察情報並びにアカハタが社内で発見せられたことから、予ねて従業員の動向を注視していた矢先、池下貞次より入手した資料に基いて申請人のアカハタの配布並びに購読勧誘の行為を知るとともにこれを読売細胞の党活動の一環と直観し、前述就業規則にいう社内の政治的活動と断定しているのであるが社内に日共の読売細胞が組織されて活動しているとの点については単に警察の情報というのみでこれを認める適確な証拠がないのみならず、申請人が共産党員であるとか、党細胞活動の一環としてアカハタの配布並びに購読勧誘をなしたものであるとか、或るいは共産党を資金的に援助する目的を有していたとか等共産党勢力を拡張、宣伝する意図をもって右の諸行為をなしたものであるとの点を疎明するに足る資料は全然ない》

 つまり、この事件では大阪読売の会社側証人が、当然のことのように、会社と警察の連絡があった事実を語っていたわけである。まさに語るに落ちたというところだが、ともかく、こういう反共的な職場の中でも、読売新聞労働者の闘いは続いていたのだ。

 これからもまた、新局面を迎えて、読売新聞、そして同グループの中の闘いは、断固として続けられ、やがてはこちらが「世界にのびる」ことであろう。おごれるものは久しからず、という。

 読売新聞グループをめぐる情勢は、大きく動かざるをえないところにきているのではなかろうか。

 大手紙における労働組合運動は、たしかに、ほかよりも困難な条件下にある。読売争議ののちには、労務部が当時の金で何十万円もの札束を切り、労組幹部をキャバレー接待したという「その時の組合幹部が、いまでは経営陣だ。長年の労使癒着、そして次長以下の組合員職制による職場支配が、いわずもがなの日本型企業内組合の典型をきづいている。上部団体の新聞労連すらが、委員長は“朝・毎・読”の輪番制という、大手支配の典型構造である。

 とりわけ読売新聞では、東京、大阪、西部(九州)が別会社であり、組合も別人格という分断支配下にある。だが、たとえば毎日新聞では、やはり別会社だった北海道について、まず組合が統一し、最近には企業も合併させた。読売でも不可能とはいえまい。しかも、組合が別とはいえ、上部団体は同じ新聞労連なのである。一方では全国八百九十万部とかを誇号し、 一方では別会社分轄、それも、西部本社は読売興業新聞部などという、破簾恥なマヤカシは、このまま野放しにしておくわけにはいかない。しかも、新聞本体以外のグループでは、民放労連日本テレビ労組や報知新聞系労組を中心に、読売関連労組連絡会議が結成されており、一九七〇年の報知争議以来、相互支援を続けている。

 読売新聞本体の労働者、もしくはジャーナリストの、自らの闘いの展開が、大いに期待されるところである。


あとがき