伊藤晃
上杉慎吉 天皇機関説論争後期の当事者
上杉慎吉という人は、天皇機関説論争では穂積八束のあとを継いだ敵役、しかも世間的にも研究者間でもまったくの敗北者扱いで、この人の思想は軽蔑されることはあっても、研究されることはまれでした。私はこの上杉の希少な研究者の一人なのですが、それは上杉が、前回からお話ししている1919—20年代の「ウラの世界の大勢」に適応すべく国家と天皇制の革新・高度化を考えた人、この点で北一輝と比較すべき人だ、と考えていたからです。
上杉は一般に言われるような「古い天皇制」のイデオローグではない。彼の「国民の天皇」(このことばは北一輝のものですが)論は、新しい危機の時代における天皇のあり方を自由主義者と争うもの、19世紀世界への対応物であった明治天皇制を20世紀に適応させようとするもの、従ってさらに、第二次大戦後の国民の天皇(象徴天皇)論の先駆として見るべきもの、そういうものであったと思います。だからこの人は、1929年に51歳で死にましたが、いま天皇制の立場に立つものにとって、「生きている正面の敵」の一人なのです。
さて、第1次大戦後、「ウラの世界の大勢」の中心問題の一つは、つぎの戦争の準備、自由主義的国際協調の楽観論を脅かす不安です。その「外患」に、国内のゴタゴタ(「内憂」)にかまけて立ち向かえない国は、存立の危機に面することになろう。上杉は、この危機の時代にそなえて何よりも国家を強めることをやかましく主張した人でした。いま、自由主義的風潮のなかで日本は上から下まで弛緩しきっている。この日本がこんにちの時代に耐えられるか。そして上杉が言ったのは、「本末日本国家はそれに耐えられる」ということでした。
上杉の言うところを聞きますと、国家が危機を克服する上でもっとも大切なことは国家的一致、国民の一体だ。このことで日本には有利な点がある。一方に天皇があり、これは歴史上その本質として、人民の福利という統治目的をもって存在してきた(このことを上杉は、もちろん吉野作造とは少しずれた意味ですが、「民本主義」と表現します)。他方に、その天皇への帰依・合一によって自己を完成する人民、このことに確信をもつ人民がある。この両者がぴたりとかみ合っている。ここに日本という国の本質、「国体」があるのだ。民本主義の天皇とその天皇への万民翼賛、この一体性、ここに万国に卓越する日本の「国体の精華」の存在をわれわれは歴史的に確認できる云々。
ここで、常識的な国体観、万世一系に根拠づけられる国体観と上杉の国体観がかなりずれていることにお気づきでしょう。上杉のそれの成立には国民が不可欠なのです。
上杉の独自の概念に「体制意志」というのがあります。彼は言う。人びとには種々雑多な私的意志が働くが、そのごたごたしたなかにまじって「私はある共同に合一したい」という意志、自分たちを一つの共同社会たらしめようという積極的意志があると。これを彼は「体制意志」と呼ぶのです。そして天皇が多くの意思のなかからこの体制意思を見出し、見分け、主権者としてこれを実現する。これが国家の創造であり、憲法制定はその表現であるという。
この体制意志はJ・J・ルソーのいう一般意志、共通意志と似ています(実際、上杉はルソーに関心をもち、研究したことがある)。そこで上杉の場合、日本国家成立の根底に国民の意志がおかれている。もっともそこにはルソーにおける社会契約の過程がない。重要なのは、体制意志を国民自らが国家に実現するのではないことです。体制意志を見出す存在が必要、これはプラトンの「哲人」あるいはルソーの「立法者」に通ずる。上杉においては天皇がその役を演ずる。
もう一つ、自由主義にもまた国民の意志を議会によって実現するという考えがありますが、上杉はこれを退ける。憲法上、帝国議会は天皇の持つ立法権を協賛するもので、これは本来天皇が国民の体制意志を見出すことを助けるということだが、現実の議会は政党の構成するところであって、それら政党はあくまで私的な利害関係に立って相互闘争に終始するものだ、と見るからです。
そこで上杉によれば日本国家は、天皇が自分たちの意志を実現する、という国民の確信によって成立する。国体の本質は万世一系というよりこの国民的確信にある。万世一系そのことは歴史的事実でないとしても(こういう趣旨に通ずることを上杉は実際言っている)、国民の確信そのことが歴史的事実なのだ。上杉は、「民族の民族である所以は主として主観的な精神の作用にある」というのです。
そういうことになると、この確信は歴史的に国民に生まれるものですから、従ってつねに創りつづけられなければならないもの、そのための努力を要するもの、なのです。大日本帝国憲法第一条は、この国民の信念を書き表わしたもの、これを無条件で守るのは国民が自らの信念を絶えず更新しつづける行為にほかならない(第一条厳守についてのこの論は、師穂積八束ゆずりの法実証主義から来る論と少しずれる。人民は自らの共同意志に従うのが当然というルソー的思考にもつながっている)。
「体制意志」:天皇-国民一体の思想
つまり上杉にあっては、天皇あっての国民、国民あっての天皇なのです。この国体、天皇-国民一体によって、日本は危機の時代の国際的闘争を勝ち抜けるというのです。日本は西洋列強に対してここで優位に立っていると。上杉は、これも常識的な上杉観が見ないことですが、現代西洋社会思想(イギリス・フェビアン主義など)に深い関心をもって研究したことのある人です。そしてこれを頭において日本を考え、次の結論を得る。いま世界の危機の重大要素は深まる階級対立、社会の分裂、これが各国で国民統合の危機を作り出していることだ(世界赤化の遠因)。この危機は、国民の各部分が自らの立場、「私」を国家「公」の上におく西洋のあり方がもたらすもの、西洋の階級国家はそれ自体「私」の表現であるため、「私」を「公」に高める国家的一致を回復することができない。
西洋にも階級国家批判はあり、分裂が深いだけ社会的共同を求める願望(「体制意志」)も生まれるはずだ。しかし結局それらを受け止めるものがなく、階級的共同、こういう「大きな私」で行き止まってしまう。これに対して日本では、天皇-国民の一体がある。ここでもやはり現代の社会として「私」の意志間の分裂、階級対立は深いのだが、同時にそこに生まれる共同への願望、「体制意志」の無数の断片が天皇によって見出され、国民の総意(「国体の精華」)に高められるのだ。
そこでこの国体は、日本の歴史上自然に備わっていてその精華がおのずから発揮される、というものではない。さきほども言ったように、それは創造されつづけられねばならぬ、と上杉は強調するのです。国民のなかにはそれを裏切るものもいるからです。自分たちの「私」的な利害を「公」に先立てるものがいる。この私的集団を、上杉は穂積八束ゆずりで政党に見ていましたが、20年前後から資本家階級を裏切りものの列に数えるようになります。彼はヨーロッパ留学中階級対立に注目したのですが、それが無産階級への敵意より、資本家階級のエゴイズムへの批判に傾いたわけです。やがて彼の批判対象は官僚集団に拡がり、20年代の彼は、総じて支配集団に汚れたエゴイズム、国民を裏切るものを見ることになりました。自然、天皇を支える「国民」は労・農その他無産大衆に求められる。いまや愛国心は無産大衆にこそ存在する、それを彼らは、日露戦争で天皇を信頼して黙って死んでいくことで証明したと。こうして上杉は、「起てよ、無産の愛国者!」と熱っぽく呼びかける一方、支配集団のあれこれを罵倒しつづけます。上杉の天皇主義は、北一輝の「国民の天皇」論を越えて「無産階級の天皇」論と言いたいほど急進化するのです。
しかし上杉は、こうして、天皇という存在の基礎に国民の自発的な愛国心を想定したとはいえ、その大衆にそれ自身の運動の形を与えることができませんでした。だから彼はファシズム思想として未完です。上杉という人は、資質が思想家肌であって、なにか運動を組織・指導することにも、また具体的な政策を提示することにも、能力を欠いていたようです。その上杉に、割合早い時期から普通選挙の提唱ということがあります。これは大衆的要求をもって争う場としての議会というより、国民の愛国心を動員し、直接天皇を支える場として考えていたようで、20年代に普通選挙法が成立し、その実施が迫った時期、彼は全国に大衆相手の遊説をくり返していますが、つまり、既成政党に汚染されない国民の純な尊皇心を議会に向けよ、といった抽象的な精神論を啓蒙していたのでしょう。国民の共同意志を天皇にこたえる信念として直接作り出そうとする。天皇と国民とのエモーショナルな共愛関係を考えるのですが、いささかドン・キホーテ的です。
上杉は、支配集団側の天皇主義者からすればもちろん敬意を持たれているけれども、それはむしろ敬遠に近い。彼の憲法学上の立場は法実証主義、明文として書いてあるとおりやれという。しかしたとえば具体的に「第1条」をどうせよいうのか。天皇親政?結局精神論に止まるほかないでしょう。対立する美濃部達吉の融通無碍の解釈改憲と違って、上杉は変化する社会のなかでの使い勝手など考えないのです。他方では、その精神論で民衆の間になにかの政治運動を作り出すことも困難でしょう。
上杉慎吉の天皇主義は、北一輝のそれも同じですが、議会は利用しても、むしろ人民をエリートを介してではなく直接に天皇によって組織しようとする。これは西洋ファシズムに呼応する、首領による人民投票的独裁の一つの姿といってよいでしょう。しかし人民自体がボディとなる運動体を作る思想は持たない。つまり上杉は、「国民精神はかくあるべし」の理想を、「かくあるはず」の信念で支えているが、それを実際に「かくある」に実現する思考に乏しかった、ということです。
1910から20年代の日本、受動的な権威依存から自立的な共同性へ脱却する道に立ちながら、まだ脱却しきっていない人民諸集団がいる。これに対して、そのまとまりの姿を「国家」に見出させようというのが上杉慎吉の思想でした。新時代の国家の危機切り抜けのためにそのエネルギーを吸収しようとしたからです。そこに、これも明治時代から脱却して機能を一新した天皇が働くべきでした。上杉はこういう新時代の天皇主義者であった、というべきです。
最後に。天皇は国民の意志・確信に存在の根拠を持ち、国民は自分たちの国民としてまとまった姿を天皇によって表現する。ここに上杉の思想があるとすると、これは日本国憲法第1条の示す天皇・国民関係に重なるものではないでしょうか。上杉は、明治維新において国民に上から与えられた天皇を、意識せずして戦後憲法的に働かせることで、危機の時代に応じられる新しいナショナリズムの先頭に立たせようとした、ということになる。そうすると上杉の思想は戦後天皇主義を準備する伏線といってよいもの、その思想要素が和辻哲郎・津田左右吉・金森徳次郎ら戦後天皇主義の先頭者たちに再現していないか、調べてみる必要があります(実際和辻哲郎は、天皇は国民の「全体意志」に支えられているといったが、これは上杉の「体制意志」に近いものでしょう)。最初に私が戦後天皇制と戦うものにとって上杉慎吉は「生きている正面の敵」だといったのは、この意味なのです。
高畠素之:社会主義、国家社会主義、天皇主義の人
「ウラの世界の大勢」のなかで、日本が直面する国際的闘争に国民の積極的エネルギーを向かわせようとする、そのイデオローグとして、北一輝や上杉慎吉を見てきましたが、一方に、必ずしも人民が将来に希望を持てるとはいえない現実から、敗北感・絶望感の面を引き出し、そこに見出される権威依存への回帰傾向を結集することに、この時代の国家を模索する思想家がおりました。高畠素之がそれ。この人は平民社時代からの社会主義者だが、1910年代末に国家社会主義の立場に移った人です。北や上杉は、大衆を「前向きに」国家と天皇で受け止めようとしたが、高畠は大衆の絶望的意識の上に立つ天皇主義というわけだから、どうしても暗い印象、シニシズムを特徴とする思想家です。
ところがこの高畠はまた、マルクス『資本論』の日本初の完訳者でもありました。いったん完訳したのに自ら不満で改訳に着手し、国家社会主義者時代を通じて精根を傾けつくす。改訳なってほどなく死ぬのです。1928年、42才でした。感動を覚えさせるのですが、この熱情はどこから来たものか。世界的大著の初の邦訳者になるという名誉心もあったかもしれないが、しかしそもそも彼の『資本論』、マルクス理論についての考え方は、けして私などの同意しうるものではありませんでした。
といっても、それは当時の「正統」(19世紀的)マルクス主義からそう外れていたのではありません。つまりそれは、マルクスが「資本の論理」として示した、そういうものが資本主義経済にそのとおりに実現されている、という見方です。たとえば労働者はそこで単なる生産要素、自らの労働力を再生産しうる最低限の賃金を得て資本主義再生産構造のバランスを構成しているものだ(労・資の対抗の面が無視される)など。資本主義経済はこの「法則性」が働く自由競争、優勝劣敗の世界、そこで労働者は被搾取者として宿命的に敗者に位置づけられている。彼らに生まれる自己意識は、資本に対して「即自敵」な、バラバラに孤立した個としての怒り、うらみ、絶望、総じてネガティヴな感情、彼らは相互にエゴイスティックに自分の利益を争いあう。だから階級としての共同意識でなく、むしろ相互に斥力が働く。この社会の変革、革命とは、資本の抑圧、自己の宿命への反発としての爆発、破壊の作用である。建設的共同行為ではない。こういうバラバラな個ですから、彼らは、のちにまたふれるように、なにかの権威のもとでなければまとまれないのです。
これが高畠の「資本論の読み方」でした。19世紀マルクス主義、そのリーダー、カウツキー流の思考にこれを導くものがあった(高畠はカウツキーの資本論解説の邦訳者でもある)。19世紀前半の資本主義の現実的構造を理論化することがマルクス『資本論』の目的だった(そこに内在する矛盾・対抗関係の契機をもマルクスは暗示していると思うが)から、高畠のような読み方にも理由はあったのだと思います。20世紀にかかるころ、長年の資本との対抗のなかで階級としての意識性と組織性を育ててきたプロレタリアート、さまざまな社会集団の運動、これらに対して資本主義がその「もともとの論理」を貫けなくなりつつある時代、これをカウツキーや高畠が見そこなっていることが問題なのでしょう。
さて、資本主義の本質が優勝劣敗の自由主義的競争であるとすれば、その世界的展開、世界資本主義も当然そうしたものになるでしょう。高畠がここに見るのは、この競争で敗者たらざるをえない日本資本主義です。ところがその自由主義競争、英・米主導の国際協調経済に日本の資本化階級は追随し、敗北を呼びこみ、日本国民を裏切っている、と高畠は見るのです。ここでプロレタリアートの反資本主義感情と、日本を抑圧する国際的強者への反発とが重なっていくことになるでしょう。プロレタリアートをナショナリズムに導いていく道が開けるわけです。その道は高畠流天皇主義につながっていきます。
高畠の見るバラバラに孤立したプロレタリアートは、なんらかの権威のもとでしか結合できないのでした。高畠はここで、こうした権威として働くべき天皇に到達するのです。20年代の彼ははっきりした天皇主義者です。ところがそれにしては彼の「尊王」は、現に天皇が日本の人民に対して権威として働いているからだ、というに尽きるのであって、天皇自体に何かの尊貴を見るわけでもないらしい。
彼には天皇崇拝のことばが少ない。日本の「国体」などにはむしろ冷笑・毒舌が向けられます。いわく、国体観念など世間に拡がる通俗的見解にすぎない、そこに人民の利福への心配りがあったところで資本主義の冷厳な現実はそんなものを追い払ってしまうだろう、労・資の絶対的対立のもとで一君万民国民一体などありうるわけがない、資本が国民を裏切るかぎり日本国体のもとでも赤化の危険はあるのだなど。ついでにいうと、国粋主義・独自な日本文化など現代の世界で相手にしてくれるものがあるのか、銭を払って買う気にもなれないものだ、とも。
つまり高畠においては、人びとのポジティヴな、積極的建設的意欲・情熱をナショナリズム・天皇主義に結合しようというのではないのです。その点上杉慎吉やあるいは津田左右吉などと違います。20世紀的な社会諸集団の自己主張を見るとしても、人民的共同社会の方向などでなく、集団相互の対立の面でとらえる。世界的対立者・抑圧者への敵意においてのみ彼らは結集し、天皇主義に結びついて民族、国民として凝集する。人びとの、また社会諸集団の敗者としてのうらみ・絶望・復讎心が強いほど、民族の復讎心も強固でしょう。
そういうわけですから、高畠には、大衆をなんらかの自主的主体として形成する考えはありません。さきに述べた彼のプロレタリアート観は、もっと広く、彼の人間観をも特徴づけることになりました。人間のエゴイズム、卑小さの強調。彼は多くの時事エッセイを残しておりますが、そこでは特徴的な人間暴露(しょせん人間なんてこういうものですよ)が一種の切れ味を与えており、当時の知識社会に意外な高畠ファンがいたりしたものなのです。
そこで彼は、最後まである種の社会主義者なのではあるけれども、彼の旧僚友、堺利彦・山川均・荒畑寒村らとは、国家社会主義という点以外に、もう一つの重要な違いがあります。堺らの根本理論はやはり19世紀マルクス主義に特有の経済決定論であり、冷たい事実性を社会の根底に見るものですが、その一方で、人間同士の共同感情、人間愛の暖かさを深く湛えています。つまりものの見方において、事実性と価値性の二元論者なのです(これにつき、20世紀初頭の世界現象として、マルクス主義へのカント主義の混融について以前お話ししたことを思い出してください)。これに対して高畠は徹底した事実性の一元論、意識的に(露悪的なまでに)それに徹した人で、そこで典型的な二元論者河合肇との間に、ちょっと世に知られた論争があったりしました。
しかし私は私なりに彼を「愛読」して、そこになんとはなしに、かつての社会主義者の下地を感じます。「世の中にはこの資本主義の現実しかないのだ。美しいものを夢想したって仕方ないじゃないか」という高畠の言い方には、資本主義的現実世界への呪詛の声がひそんでいるようでもあります。
彼の国家社会主義が国家社会主義ではなく、ただの国家主義だったら、資本主義に対して戦い敗れた人びとの絶望感を引きつけることもむつかしかったのではないか。彼はもともと民族一体の社会などではなく、階級対立社会をこそナショナリズムに導こうとした思想家、彼の『資本論』翻訳への執念は、彼において「生きた情熱」だったのです。
「日本ナショナリズム研究会」第15回(2026.0p.18 於文京区民センター)の、伊藤さんによる書き起こしです。今後も連載でお届けしていく予定です。どうぞお楽しみに。
