中嶋啓明
8月15日、全国戦没者追悼式で高市早苗首相は式辞で大要、次のように語った。
戦後、わが国は一貫して、平和を重んじる国家として歩みを進め、世界の平和と繁栄に貢献するために力を尽くしてきた。戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。(略)今を生きる世代も、未来を生きる世代も、希望を持てる日本を、安全で安心して暮らせる社会を、創り上げていく。
だが、この式辞には、前首相の石破茂が13年ぶりに復活させた「反省」の文言が入ってなかった。これに主流メディアが色めき立った。
例えば『朝日新聞』。翌16日朝刊の一面トップに横5段で「81年 平和誓う 今こそ」と掲げた記事のサブタイトルは、「首相式辞『反省』消える」だ。記事は言う。
首相式辞をめぐっては、1994年に村山富市首相が『深い反省』『不戦の決意』という言葉を使い、その後、歴代首相も『反省』『不戦の誓い』を踏襲してきた。しかし、2013年の安倍晋三首相以降、『反省』『不戦の誓い』を使わなくなった。/石破氏は25年に『あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まねばなりません』などと述べたが、高市氏は自身との近さをアピールする安倍氏のスタイルに戻した形だ。
『朝日』は社説で「危うい『反省』の風化」と題し「歴史に真摯(しんし)に向き合う姿勢が風化していないか。政権全体の姿勢が問われる」と主張した。
その代わりにメディアが強調するのは、例によって天皇の“深慮”だ。
同様に一面トップで「終戦81年 不戦誓う」と掲げた『読売新聞』は「陛下お言葉『深い反省』」とサブタイトルを謳い、「首相『惨禍繰り返させぬ』/『反省』触れず」とサイド記事を併記。社説で「天皇陛下は式典で『過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願います』と述べられた。(略)陛下のお言葉は、歴史の一時期に敵対したとしても、それを乗り越えていく大切さを示されたものと言えるだろう」と、ことさらに「お言葉」を強調して称えた。
昨年の追悼式をめぐるメディアの報道ぶりに関して私は本欄で以下のように書いた。
追悼式は、新たな『国民統合』を創り出すため、責任の所在を曖昧にして被害者の怒りを回収する大掛かりな舞台装置の一つだ。国家の手のひらの上で、口先だけでもてあそばれる『反省』などという文言の使用に、どれほどの意義があるのか。
「メディアはひたすら、安倍時代との違いを強調する。だが、実態が示すのは、変らぬ軍拡路線。安部時代と何ら変わりない。それどころか対米走狗化は進むばかり。そして、そのための中国敵視感情は、メディアの後押しを受けて社会に充満し続けている」と指摘した政治、社会の状況は、「安倍氏のスタイルに戻した」高市によって、さらにその度を強め、混迷を深めている。
『週刊文春』は9月3日号に「核心証言『陛下のお怒り』/天皇と高市首相の『緊迫会談』」との記事を載せた。
両者の「戦争観」「平和を希求する想い」の「隔たり」を強調する記事は、高市による6月29日の「内奏」を紹介。徳仁と高市の「二人だけしかいない」空間での状況を、「高市氏の説明に耳を傾けた天皇は厳しい表情で」などと、見てきたように描写している。
記事は、明仁時代に「内奏」を繰り返した元首相野田佳彦に「陛下は政治的な発言には極めて細心の注意を払っていらっしゃる」と語らせ、「内奏」での天皇の態度について予防線を張っている。だが、6月29日の「内奏」後、皇室典範「改正」案の国会審議をめぐる官房長官木原稔の態度には「変化も見られた」という。記者会見で「内奏以前には『速やかな』法案成立を目指す意向を示し続けてきた」のに、「以降は『国会の審議において丁寧な説明を行い、ご理解頂けるよう努める』などと、丁寧さを強調するようになった」と。
「見てきたよう」な記事だが、事実なら天皇の影響力の大きさがうかがえる。「下問」を通じて影響力を行使し続けた昭和天皇裕仁の戦争指導を想起させる。
東条英機ら軍閥に一切の責任をおっかぶせ、自らは「沖縄」を売り渡すなどしてきのうまでの敵にすり寄り、その懐の下で生き延びることに汲々とした裕仁は、戦後の記者会見で自らの戦争責任について尋ねられた際、「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしてないので、よくわかりません」と言い放った。高市も真っ青の無責任な放言だ。
その“遺徳”を継いだ前天皇明仁は、憲法の縛りを無視して「公務」を拡大し、“権能”強化に精力を注いだ。自らのわがままで政府、国会を動かし、新たに法律を作らせるなど、“力”をひけらかした。
イラクへの自衛隊派遣の是非が“国論”を二分し、日本が唱える“平和国家”の欺瞞性が明らかになりつつあった2004年4月、訪日した当時の米副大統領チェイニーに対し、明仁は「自衛隊は給水や医療活動など、復興支援のために派遣されたもの」と政府のごまかしを追認してその欺瞞性を隠蔽することに力を貸した。
当時皇太子だった現天皇徳仁も、自らの誕生日に合わせた記者会見で「イラク復興支援にあたられる自衛隊の皆さんには厳しい状況の中で、くれぐれも体に気を付けてイラクの国民のためになるお仕事をしていただきたいと思います」と語っている(2004年2月)。
憲法を無力化し続けた明仁の路線は、徳仁にも引き継がれている。
米大統領トランプを即位後最初の「国賓」に迎えた徳仁は、第2期政権時の昨年10月にも会見。「高市新首相の下で日米関係をさらに強化していきたい」と述べるトランプに対し、「今回の訪日が日米の友好関係をさらに強化することを期待している」と応え、白々しくも「世界の各地で紛争が続いていることに心を痛めている」と嘆いて見せた。トランプが、イランへの大規模な侵略戦争を開始したのは、その4か月後だ。
「反省」だけなら猿でもできる!!。
高市は内心、そう嘲り笑っていたのか⁉ まさか!!、単なる役割分担にすぎない。
高市(政権)の厚顔無恥ぶりは批判してもしきれない。だが、それにもまして厚顔無恥なのは天皇(制)なのだ。無責任の象徴である天皇(制)こそが「高市」を生み出したのだ。
