非民主、没論理は男系派の専売特許ではない——「典範改正」騒動で見える女性、女系派のご都合主義

中嶋啓明

政府は6月30日夕、臨時閣議を開き、皇室典範の「改正」案を決定した。

「女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持すること」と「旧11宮家の男系男子が皇族と養子縁組を結ぶことができるようにすること」の2点を柱に、養子の対象は1947年に皇籍離脱した旧11宮家のうち、配偶者と子のいない15歳以上に限定。養子本人は皇位継承資格を持たないが、養子の子孫が男性であれば皇位継承順位を定めた現行典範2条を適用し、継承資格を持つと定めた。また、女性皇族が天皇や皇族以外の男子と結婚する場合も、皇族の身分を離れないことと規定したうえで、現在の女性皇族については経過措置として、本人の意思で「婚姻と同時に皇族の身分を離れることができる」との付則を加えた。ただ、婚姻後に皇室に残る女性皇族の「配偶者と子」の身分については明記されず、「一般国民」のまま扱われることになるという。

「改正」案の元になった「立法府の総意」は6月10日、衆参両院が開いた各党派の代表者による全体会議でまとめられた。

この間の右翼メディアには、男系派の高揚感がよく表れている。

「立法府の総意」が取りまとめられた翌日の6月11日、『産経新聞』は「主張」(社説)に「皇統護る結論を歓迎する/森議長は論理的必然を語った」と、サブタイトルまで付け加え、独善的に先走る衆院議長森英介を持ち上げるなど、通常の倍の量で「総意」を歓迎した。

「主張」はいわく——、

今回の総意は、皇族数確保策であると共に、男系(父系)継承という最重要原則を尊重した安定的な皇位継承につながる内容だ。/国の肇(はじ)まりから現代まで途切れることなく続いてきた皇統を護(まも)る上で、今回の総意は歴史的な重要性を帯びている。

諸手を挙げた肯定。「国の肇まり」だの「皇統を護る」だの、イキった言葉遣いからも、はしゃぎぶりがうかがえる。

森は前々日の8日、「養子の子息は継承権を持つ」と先走り、批判が相次いだ。「主張」はこれについても言及。「森氏の発言がこれまでの積み重ねを崩すとの批判が一部にあったが首をかしげる。経緯を把握しない無責任かつ無知な議論か、総意潰しを狙う、為(ため)にする議論かのどちらかだろう」と、もはやその傲慢さを隠そうともしない。

一方、それ以外のメディアには、追い詰められた側の焦りが色濃く表れた。

例えば『毎日新聞』は11日の社説でストレートに「女性・女系排さず議論を」と掲げた。いわく——、

「安定的な皇位継承に道筋をつけるという根本的な問題が置き去りだ」と述べ、「父方が天皇の血を引く男系男子を養子とする案を容認したことは問題である」と養子案批判に多くのスペースを割いた。自社の世論調査結果などを挙げ、「女性・女系天皇を認めるかどうかも含めて検討しなければ、制度面からも国民の理解の面からも、いずれ行き詰まりかねない。(略)男系継承という伝統を守ろうとするあまり、人々の意識とかけ離れてしまっては、『国民統合の象徴』にそぐわない」と主張した。

お高く留まっているわけにいかなくなったのだろう。

あろうことか『朝日新聞』は、あの「天声人語」(!)で麻生太郎黒幕説にまで言及。麻生が「典範改正」を主導しているとして、「実妹は三笠宮寛仁親王妃信子さまである。もし養子をとれば、麻生家が天皇の外戚になる可能性もある。さすがに、そのためとは思わないが、何とも違和感が拭えない」と、養子案を非難した。

“中立公平”などお構いなし。女性・女系派の “識者” や “専門家” らを相次いで登場させ、そちらに明らかに偏重して紙面、誌面のスペースを提供し、なりふり構わぬキャンペーンに打って出た。

極め付きは天皇の“権威”の利用だ。徳仁、雅子は13日から26日まで2週間の日程で、オランダ、ベルギーへの「公式訪問」に出掛けた。

訪問自体を、主張補強の格好の機会と利用したのは予想通り。

オランダをはじめとした欧州王室は男性継承から長子優先へ変化してきたとして、「男女同権」を謳いあげ、女性、女系容認の使い古されたキャンペーンを、これでもかと繰り返した。

だが今回、メディアはより直接的、積極的に、徳仁の「お言葉」を活用した。

徳仁は日本出発前々日の11日、宮内記者会との会見に応じた。

この中で徳仁は、皇族数確保策をめぐる記者からの質問に「制度に関わる事項については言及することは控えたい」と断ったものの、その舌の根も乾かぬうちに、「国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と言い放った。

メディアはこれに一斉に飛びついた。

『サンデー毎日』で「社会学的皇室ウォッチング!」を連載する成城大教授の森暢平は6月28日号の「皇室に養子はいらない/天皇陛下、覚悟のご発言」で、徳仁の「お言葉」に注目。「旧宮家養子案への懸念を表明した覚悟の発言である」と賛美し、「国民を統合するはずの皇室を違憲リスクにさらす養子特例法は、『悪魔の施策』としか言いようがない」とまで罵倒した。

天皇は「国政に関する権能を有しない」としたり顔で断りを入れる一方で、平然と“権威”にすり寄り、「踏み込んだ」「異例」で「覚悟」の発言だと、自らに都合のいいように解釈する。文字通りの我田引水だ。メディアには、そんな言説が乱舞し続けている。

「天皇陛下の“お気持ち”を察せよ/皇室典範改正に異例の警鐘」(『週刊新潮』6月25日号)、「旧宮家養子案へ『天皇メッセージ』の衝撃/『国民の皆さんの理解が得られるものとなることを望んでおります』——そこに込められた思いとは」(『週刊ポスト』7月10日号)等々等々……。

“リベラル”、“左翼”が右翼を批判する際、好んで使う慣用句の「天皇の政治利用」以外の何モノでもない。ご都合主義にもほどがある。

非民主、没論理は何も、男系派右翼の専売特許ではない。

女性、女系天皇容認を訴える“リベラル”、“左翼”も同類なのだ。この間の「典範改正」騒動では、それがよく見える。

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