「皇室もやりくりが苦しい」? 知るか! 内廷費引き上げ見送り

中嶋啓明

12月18日の『朝日新聞』朝刊に「天皇家の私的費用 引き上げ見送り」と題した記事が載った。サブタイトルは「宮内庁、物価高でも国民生活踏まえ」。リードはこうだ。

天皇家の私的費用である『内廷費』について、1996年度以来の引き上げが宮内庁で検討されたが、物価高に直面する国民生活の現状などを踏まえ、見送られることになった。西村泰彦長官が17日、高市早苗首相に説明した。同庁関係者への取材でわかった。

内廷費は96年度に2億9000万円から3億2400万円に引き上げられて以降、変わっていないが、「物価や公務員給与の上昇幅が30年ぶりに引き上げを検討する基準に達していた」ため、同庁が改定を検討していたという。

内廷費が改定される場合は、それに伴って皇族費も引き上げられるが、今回、同様に見送られるのだという。

年末のこの時期になると、翌年度の予算案の編成が大詰めを迎える。同紙の担当記者は、頃合いを見計らって取材を進めていたのだろう。その後、政府は26日、2026年度の当初予算案を閣議決定した。

26日現在、他紙はまだ報じていない。今のところ、『朝日』だけのようだ。

ところで、記事には、17日に、宮内庁長官西村が高市に説明したとある。

新聞各紙に毎日載る「首相動静」を当たって驚いた。18日付紙面の同欄には、17日に高市が西村に会ったとの記録がないのだ。少しさかのぼっても、西村と面会した様子は、「首相動静」からは見ることはできない。

「首相動静」は、首相の動向を分刻みで細かく記録したもののはずだが、と訝りながら、直近の徳仁への「内奏」はいつだったかと、「首相動静」で探すと、11月14日だった。

この種の話で、政府が天皇本人の意向をまったく無視して進めるとは考えにくい。むろん憲法上、天皇の「意向」に左右されることなど、あってはならない。だが、西村は徳仁と話をしているだろう。ただ、それを確認するすべは私にはない。

『朝日』記事に先立つ11月25日に発売された『サンデー毎日』の12月7日号に、「30年ぶりの皇室のベア?/内廷費の見直しはあるか」とのタイトルの記事が載っていた。筆者は成城大教授・森暢平。リードには、こうある。

物価が上がり、人々の生活は苦しい。やりくりが苦しいのは皇室も同じだろう。天皇家への『給与』ともいうべき内廷費(3億2400万円)は1996年以来、値上げされていないためだ。皇室に30年ぶりの『ベースアップ』はあるのだろうか。

この記事によると、内廷費の見直しには、1968年に「皇室経済に関する懇談会」で定められた基準があるらしい。森は「1割ルール」と呼んでいる。①国家公務員給与改善率と、②消費者物価指数(東京都区部総合)を参照し、これらの増加幅が10%を超えた場合に内廷費を1割増額する、というもののようだ。

記事の中で森は、現段階で利用できる数値を使ってそれぞれ独自に試算。①は「96年を100として、その後の改善率を掛け合わせると、今年は107・43となる」ので「残念ながら」1割を超えておらず、㈪についても同様に96年を100として換算し直すと、(2024年は)108・3」(()内は引用者)となり1割に足りないと“分析”している。

その後、森は、いかに「やりくりが苦しい」かをあれこれと並べ立て、「天皇家の方々の気持ちを考えると、来年、仮に『1割ルール』の基準に達したとしても、宮内庁はすぐに内廷費増額へと動かないだろう。天皇家の『ベースアップ』はまだ少し先になりそうだ」とオベンチャラまみれに結論付けている。

「1割ルール」について森は、自らの著作『天皇家の財布』で「皇室経済に対する国会による統制の原則を制限したと見ることもでき」「内容の審議を経ることなく、増額が可能になった」と評価。「過去の実績額がスライドする仕組みだから、支出削減への動機付けは希薄に」なり、「ルール制定以降、内廷費は『聖域』化し、支出を巡る深い議論は減ってしまっている」と批判する。だが、内廷費の「支出を巡る深い議論」など、「減っ」たどころか、まったくないというのが現状だろう。

「プライバシー」を口実に内廷費の実態は、まったくの闇の中。「公金」とされる宮廷費との間の「線引き」について森は同書で、宮内庁幹部から「ハブラシとヘアブラシほどの微妙さだよ」と説明されたことを明かしている。幹部は「ハブラシは私的なものだから内廷費で購入することに疑いがない。ヘアブラシも私的な物だが、『身だしなみ』という公的な性格を考えれば、宮廷費で支出することも可能だ」とのたまったらしい。屁理屈極まりない!

森は、裕仁の死に際して行われた「大喪の礼」や「大嘗祭」などで、紛れもない神道儀礼に宮廷費が使われたことを挙げて、「新憲法成立から現在への流れを見ると、『公』を広く、『私』を狭く判断する傾向が強まっている」と主張している。恣意的な屁理屈で、自由気ままに公金を流用できるのが「天皇家の財布」なのだ。

戦後すぐのころから衆議院財政金融委員会専門員などを歴任し、その後、東北学院大学の教授を務めた黒田久太の著書に『天皇家の財産』(1966年)がある。黒田はこの中で、当時の天皇家について、上原正吉や松下幸之助、藤山愛一郎、鹿島守之助ら政財界の錚々たる「財産家」に「比して、群を抜いている」と指摘。総理大臣「百人分位の所得」で、「年々の所得に関しては、やはり群を抜いた第一の地位を国から与えられている」と強調していた。

森の著書によると、96年の段階でも「内廷費を天皇一人の給与所得、控除は約三六〇万円との仮の前提条件を置くと、税込み給与は約6億0100万円が必要という国税庁の試算」があり、健康保険や年金などを払う必要がないことを考えると、「7億円以上を稼がないと内廷費と同額の手取りは得られない」という。「群を抜いた」財産状況は変わっていないのだ。

「物価高に直面する国民生活の現状などを踏まえ」? 「やりくりが苦しいのは皇室も同じ」??? ウンザリだ。

衣食住の心配なく毎日を暮らすことができる。コメの値段が、電気・ガス代が、暖房費が云々と頭を悩ますことなど一切、ない。「物価高に直面する国民」とは、まったく無縁の存在なのだ。そんな当たり前の事実を忘れる訳にはいかない。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信 no.222,2026.1.15

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