・6月4〜5日(2025)、天皇徳仁は皇后雅子と娘の愛子とともに、沖縄への「慰霊・追悼」に出かけた。訪問が決まったその日から、天皇および天皇制国家と沖縄に関する歴史や天皇たちの沖縄への「思い」について、報道ラッシュが続いた。それらは、天皇制と国にとって都合のよい情報ばかりで、都合の悪いことにはダンマリを決め込んでいた。
・首都圏の反天皇制運動の実行委は天皇たちが出発する前日の6月3日、東京駅から皇居に向かう「行幸通り」と呼ばれる大きな通りで、抗議のスタンディング行った。雨が降りしきるなか、メディアが語らない天皇の沖縄慰霊の旅の問題について訴えられた4人の発言を紹介します。
・以下は、発言者のお一人である池田恵理子さんのスピーチを、ご本人に文章にしていただいたものです。
「慰安婦」問題と天皇の戦争責任
池田恵理子
私はNHKを定年退職してから15年になりますが、一市民としては1997年から始めた「慰安婦」支援活動とその映像記録運動を今も続けています。番組ディレクターだった時には、「慰安婦」番組を「ETV特集」などで8本ほど制作しましたが、97年以降は何度企画を出しても「慰安婦」の提案が全く通らなくなったためです。
今日はこの問題に取り組んできた中から、天皇の慰霊の旅・沖縄訪問について思うことをお話ししようと思います。
日本の敗戦から80年目の今年は、日本軍による「慰安婦」被害者が名乗り出て日本政府を訴える裁判を始めてから34年になります。高齢となった被害女性たちの大半はすでに亡くなられてしまいましたが、彼女たちの勇気ある告発によって「慰安婦」問題は戦時性暴力を根絶しようとする世界の女性運動の中で高く評価され、「#MeToo運動の元祖」と言われるほどになりました。
一方、日本政府はこの問題に向き合うどころか真相究明を怠り、加害責任を認めることなく、「強制連行の証拠はない」「『慰安婦』は性奴隷ではない」などと言って逃げるばかりでした。中学の歴史教科書から「慰安婦」記述を消させ、「慰安婦」問題を取り上げたNHKに政治介入して番組を改竄させる・・・といったように、「教育」と「報道」を抑え込んで「慰安婦」問題をなきものにしようとしてきたのです。
国家による戦時性暴力の被害回復には、国家がこの犯罪に正面から向き合わなければなりません。日本政府は公式謝罪と賠償を行い、その記録の収集・保存と次世代への継承が不可欠ですが、これらは未だに行われていません。
日本政府がこのような責任逃れを続けてきた中で、大日本帝国の国家元首で、帝国陸海軍の大元帥だった昭和天皇は、自らの戦争責任にはどう向き合ってきたのでしょうか。彼は1975年、初めての訪米から帰国した時の記者会見で記者から、「戦争責任についてどのように考えていますか」と問われた時、こう応えました。
「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないので、よくわかりませんから、そういう問題についてはお答えできかねます」
何ということでしょう!
「言葉のアヤ」とは?「文学方面」とは?驚きと怒りで愕然・呆然とするばかりですが、「天皇は戦争責任については、何も考えてこなかった」ということだけはよくわかりました。
昭和天皇の戦争責任は敗戦後の東京裁判でも問われず、戦後になって戦争責任が議論される時にもほとんど問題になってきませんでした。私が在職中の頃には、「NHKの三大タブー」は「南京大虐殺・『慰安婦』問題・昭和天皇の戦争責任」と言われたほどです。
ですから、日本の女性たちが提案して2000年12月に東京で開催した民衆法廷「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」で「昭和天皇有罪」の判決が下った時は、この法廷に結集したアジア各国の被害女性たち64人は大感激して喜び、世界のメディアがこれをトップニュースで伝えました。
そして沖縄の問題で言えば、ここでも昭和天皇の責任はしっかりと問われるべきだと思いますが、そのような機会はありませんでした。天皇が「国体護持」のためにポツダム宣言の受諾を渋って敗戦までの期間が長引いたため、「棄て石」にされた沖縄では米軍の侵攻で沖縄戦が始まって多くの住民が犠牲となり、広島・長崎には原爆が投下されたのです。沖縄には大小様々な島にまで作られた日本軍の慰安所が140ヵ所以上もありましたが、戦後は沖縄の軍事要塞化が進められて米軍基地が集中する中で、米兵による性暴力事件が多発して未だに後を絶ちません。
昭和天皇は一度も沖縄を訪問しませんでしたが、今の上皇明仁が初めて沖縄へ行った1975年には現地からの反発や複雑な感情もあって、「ひめゆりの塔」で火炎ビンを投げられるような事件も起こりました。沖縄の人々は子や孫の代になっても、近代以降に沖縄がどのように「日本本土」から扱われてきたかを忘れることはできないはずです。
このような歴史を思い起こしてみると、天皇が「慰霊の旅」で沖縄へ行くというのなら、その前に戦中・戦後に沖縄で何が起こったのか、その被害と戦争責任・戦後責任に向き合うことが欠かせないのではないか・・・と思います。
そして私たち自身、沖縄についても「慰安婦」問題についてもその被害実態と加害の責任者を問い、自分たちに課された戦後責任の問題として正面から向き合っていかなければならないと思っています。それこそが、日本とアジアの反戦・平和につながる道ではないでしょうか。