皇室情報の検証——〈象徴天皇教〉と憲法をめぐる問答⑱ 象徴天皇制は民主化(人権化)できるのか?

 天野恵一

--24年の12月23日は「上皇」さんが91歳になって祝賀行事、12月1日は天皇の娘愛子さんが23歳の誕生日、12月20日は秋篠宮の悠仁さんが、東大ではなくて筑波大ヘの入学が決まりました。皇位継承権のある皇族が学習院以外の大学へ進学するのは戦後初めて。アッこれに秋篠宮家の次女佳子さんは、12月29日で30歳の誕生日を迎えましたね。週刊誌中心に、皇室情報はあふれていますが、こうした問題については、天野さん、いろいろコメントしたいことがあると思いますが、愛子女性天皇へキャンペーンと秋篠宮家バッシングという基本トーンは、大きな変化はないようですから、こうした問題については、必要があれば次回以降にふれていただくことにして、今回は予告通り、共産党の皇室典範「違憲」論を論拠にした女性天皇制賛成論への転換という問題について、キチンと具体的に論ずることに、時間をさいてください。

天野 11月25日の秋篠宮の誕生日の記者会見での、バッシングへのストレートな対応発言もありましたね。ネットでの右翼のバッシングマニアの攻撃はエスカレートしているようです。でもこの奇妙によじれた事態をあらためて整理する課題は先に廻して、今回はその点に集中しましょう。
まず、「『新自由主義』とナショナリズム——安倍政権下で加速される改憲策動」(『インパクション』157、2007年4月号)の渡辺治さんと私の対談、読んできましたか。ここでの渡辺発言の確認からいきます。読んできましたか?

--もちろん、司会者は入っているけど、二人の長い長い発言が続く、長い対談、読んできましたよ(笑)。

天野 渡辺さん、大変なもの知りで、鋭い理論家だから、彼がとめどなく話し、私はアタフタ対応しているだけですよ(笑)。でも確かに長いね。読み直してみて、あらためて思った。まず、小泉純一郎政権は女性(女系)天皇は実現ギリギリのところまで一回いっているわけですが、それを安倍政権がストップしてきた。その点をめぐるやりとり。
私の「だけど、女性天皇にした方が安定感という意味では……」の発言を受けて、渡辺さんは「あるんですよ」と答え、私の「イデオロギー的な総合力でも、おそらく国民的な支持というレベルでも、それは小泉の判断通りで……」との発言には「だからそのほうが『怖い』わけですよ。ところが安倍は、やはりタカ派の後ろ盾を持っているので新保守主義的教条主義に縛られてできないわけです」と対応していますよね。
スペースの関係もあるから、ストレートに行きますね。次に2016年8月8日の明仁天皇の「お気持ち」なるメッセージが発せられた「生前退位」という「代替わり」儀式のスタートの時点で刊行された吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編(岩波書店)の『平成の天皇制とは何か——制度と個人のはざまで』〈2017年〉に収められた渡辺の「近年の天皇論議の歪みと皇室典範の再検討」で、いろいろな歴史がよく整理して語られていて、勉強になる点は少なくないけど、そこで結論的にこう主張してます。「女性天皇を認めることは当然である」。自分が象徴天皇制支持を拡大させる「恐い」方針と論じたものへ、アッサリと加担してしまいだしていますね。
憲法解釈をめぐる論議としては、こう主張してます。

「ではどうするか。憲法施行後にすすんだ天皇と憲法の民主主義、人権原則との矛盾拡大を逆転し、改めて憲法の象徴天皇制とそれに対応した皇室制度へ向けての改革を進めなければならない。象徴天皇制の方では肥大化した『公的行為』、皇族の『公務』の見直し削減が第一歩となる。明仁天皇が『全身全霊』をもって取り組んだ被災地訪問も、『公的行為』としてはやめるべきだ」。

--女性天皇路線への変更がおかしいのはわかったけど、こうしたくだりは天野さんたちの、象徴天皇の「公的行為」の拡大は「国事」のみの憲法の原則にすら反している、という批判と同じじゃないの?

天野 ウーン、決定的に違う問題があるんですね。そこが重要な論点だと思います。
渡辺さんには『日本の大国化とネオ・ナショナリズムの形成——天皇制ナショナリズムの模索と溢路』(櫻井書店・2001年)という、戦後の天皇制ナショナリズムと保守(自民党)政権の歴史を、その変化と連続するものを分析した力作があります。そこに収められている「戦後憲法学と天皇制」という論文。その中で、自分の独自の理論的立場を明確に整理しています。
そこで示されている立場から、大きく後退してしまっているんですよ。

--エッ、そうなの。

天野 ハイ、その結論的な問題にいく前に、今回、それを私も読み直してきたんですが、忘れてしまっている問題を再発見しました。少し回り道になりますが、そのことからいきたいと思います。

--いいですよ。どうぞ。私、読んでいませんから、キチンと内容を紹介してください。

天野 あの、戦後の大物政治家で、女性天皇論を言い出した人物は、だれだと思いますか?

--ウーン、わからない、小泉以前にいるの?

天野 ハイ、います。中曽根康弘です。

--エッ、あの自民党の改憲派の大物……。

天野 意外でしょう。渡辺さんのキチンとした整理を引きましょうね。

「五〇年代は復古主義の動きだけが一方的に巻き起こったわけではなかった。日本国憲法の象徴天皇像を前提にして、新しいイギリス型の君主として、戦後の民主主義社会における国民統合のシンボルとして天皇を宣伝しようという動きも保守政治の中から出てきたのである。この動きは、復古主義に対する国民の嫌悪感や戦後民主主義運動の反発をにらみながら、“そうした復古的な天皇制では国民の反発をかうばかりなので、むしろ開かれたマイルドな皇室に転換すべきだ”という判断のもとに、前者の動きとは距離を置いて、天皇制の新しい利用を模索したのである。/その典型が、若い保守の政治家として売り出し中の中曽根康弘が展開した天皇論であった。当時、中曽根康弘は若い保守の政治家として頭角をあらわしつつあった。彼は八〇年代以降、タカ派の復古主義者の代表のようにいわれているが、彼の経歴をながめると決してそう単純に割りきれる人物ではない。彼は、明らかに戦後保守の担い手のひとりであり、日本国憲法の制定にともなう戦後社会の変化の不可逆性を彼なりに摑まえたうえで、日本のナショナリズムをどのように再建していくかを考えた政治家として注目される」。

この後、中曽根が昭和天皇退位論(皇太子による新しい象徴天皇づくり)論者であったことを紹介した後、実は改憲へ向けた「自民党憲法調査会」の中で、中曽根らは、長老たちの天皇「元首化」プランに反対し、「象徴」として定着している新しい天皇像をより強力に浸透させるために、「開かれた皇室」の必要を力説していたのであるということが語られ、こう続く。

「ちなみに、憲法調査会議で中曽根が展開した天皇論は、こうした新しい天皇像、皇室像を鮮明に打ち出していた。中曽根は、開かれた皇室をつくるために皇室典範を改正し、男女平等すなわち法の下の平等に適合するように女帝も認めるべきだと主張し、また、皇室が広く国民に開かれたものとするために、皇太子の『お后』は華族ではなく、国民から迎えるべきことを主張したのである。/『日本は、天皇といいますか、皇族というものは国民大衆の生活の中に染みこむような人間天皇というものを確保しなくちゃいけないと思うのです。そういう点から私は女帝を認めてもいいと思うのです。それから皇族や天皇の取り扱いというものをあまり昔のように華族の藩屏で取り囲むというやり方は感心しない。たとえば皇太子が結婚する場合も、学習院出でなければならぬとか、公爵以上の血縁でなければならぬとか、そういう考え自体が非常に古い考えです。極論を言えば、田舎の百姓の娘・・・・・・・でも、聡明で、健康で、代表的日本人なら、私は結婚の資格があると思うのです。退位・・の自由も認めていい』(傍点引用者)と」。

--ワーッ、「大衆天皇制」の提案をしていたんですね。

天野 ウン、すぐ現実となった宮内庁の小泉信三路線と同じですね。それと、渡辺さんのこのくだりの最後の文章が大切。中曽根のような「こうした考え方」は、「安保闘争を経た六〇年代には、保守政治の天皇論の主流になっていくのである」。
「女性天皇論」へののめりこみは、かつての保守政治の主流であった象徴天皇制活用論への今日的合流以外の意味を持たないことを、渡辺さん自身が歴史的に論証してしまっているわけです。
さて、憲法解釈学の問題の方へ移りますね。
「戦後憲法学と天皇制」で、昭和天皇の重体報道から始まる、人々をそして日本社会全体を巻き込んだ〈自粛〉騒ぎに象徴される、「市民的自由をいとも簡単に広範に侵害しえた」ウルトラな「天皇現象」は、本来の象徴天皇制からの逸脱の結果などではなく、「憲法上に天皇制が存在していることによって生じた」と、渡辺さんはここで力説。私もまったくそうだと思う。
憲法を「一枚岩」として解釈し、天皇制を民主主義や人権原理に引き寄せて解釈する方へ流れ、戦前〈戦中〉の天皇制と戦後の天皇制をスッパリと切断する論理(戦後天皇制はまったく新しく創り出されたとする〈創設規定説〉)が主流となり、なんとなく民主主義や人権主義と親和的な象徴天皇制を「守る」という倒錯したムード的主張が主流になってきた。だからそれは誤認だという強いインパクトを、あの「天皇現象」は私たちに与えたはずである。
渡辺さんのこうした歴史体験の整理は、私には十分に説得的でした。
象徴天皇制は、本来の民主主義・人権原理と調和的に成立してきたのだから、象徴天皇制を政治的・宗教的に逸脱させずに徹底化すべきだという多くの護憲論の「象徴天皇制の徹底論」に「私はまったく反対である・・・・・・・・・・・」(傍点引用者)と、渡辺は、ここではハッキリと明言しています。憲法を対立的な「矛盾体」と捉えているこの時代の彼としては当然の発言ですね。

--ようやく、問題がハッキリ見えてきました。

天野 渡辺さんは、かつて自分が自覚的に論理的に拒否していた立場に転換してしまったわけです。残念ながらそのことをハッキリと明言することなく。

--その事の背景には、共産党自体の路線転換、「女性天皇」による天皇制民主化論(象徴天皇制批判の放棄)ないしは象徴天皇制は民主的天皇制だというイデオロギーヘの合流がある、と言いたいわけですね。

天野 そうです。まだ、共産党自身の公的な主張(こちらの方はそれなりの根拠を明示しながら自分たちの路線転換は明言していますが)、これの批判的検討が残っていますね。

--なんか、ずいぶん読み直して来てくれたようで、どうもクタクタな体に無理を強いたみたいで、ゴメンなさい。でも、天野さん、ニュースに収められた読者の声や、天野さんに直接届けられた手紙など、読者の反響は大きい、好評の連載です。
休まずに、次回も十分準備をしてよろしく。

天野 ハイ、がんばります。最後に、渡辺さんが紹介した論文の中で、ある憲法学者に投げかけた彼の言葉を、渡辺さん自身を問う言葉として紹介して、今回は終わります。
「なぜ……天皇制廃止でなく象徴天皇制にこだわらなくてはならないのかは、了解に苦しむ」。

*初出:『市民の意見』市民の意見30の会・東京発行、no.207, 2025.02.01

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