皇室情報の検証--〈象徴天皇教〉と憲法をめぐる問答⑰ 「世襲」天皇制と女性(女系)天皇制

天野恵一

--美智子さんの骨折と入院の情報から始めますか。

天野 イヤ彼女が90歳になったという話題とひっかけて女性週刊誌や『週刊新潮』などは大きく扱ったけど、大病院を宮内庁の中に持っている超特権的一家の高齢からくる病。なんか、新しい話ではないね。『女性セブン』(2024/11/14号)は「美智子さま昼夜2部制の異例リハビリ『必ず立ち上がる』執念。『仙洞御所バリアフリー工事では足りなかった』―宮内庁の後悔」と、後追い記事が続いているけど、超特権的対応に恵まれている人のエピソードは、ややウンザリですね。
むしろ、皇室典範違憲論を根拠にした女性(女系)天皇制賛美論の問題を、もう少し掘り下げるというテーマの方から。

--わかりました。そうします。私、今回は天野さんの『季刊ピープルズプラン』75(2017年2月6日号)の連載「只今闘病中-読書ノート㉘」(「『萬世一系の研究』を読む」)をチャンと読んで予習してきました。そして最新の「世襲議員(首相)と世襲象徴天皇制の関係―自民党総裁選を通して考える」(『スペース21』第144号2024年10月)の方も読みました。天野さんにとっては、天皇制は世襲制であることが根本問題。だから奥平康弘さんが力説している、それが「本質的・決定的に人間を差異化し差別化するものであれ、それ以外のものではない」という主張に共感しているわけですね。

天野 そうです。女性が天皇になれないのは女性差別で「違憲」だという主張に対して。天皇(制)という世襲原理、それ自体が、とんでもない差別の原理である。ある女性がこの差別の原理にのみこまれ天皇になったからといって、女性差別が解消されるわけではないと、彼は強く主張していますね。王になることこそが決定的な差別だ、と。この点に、共感します。

--でも、女性でも天皇になれるようになることは天皇制の中では女性差別は解消されるわけでしょう。

天野 それは、あまりに上っ面だけの理解だということが主張されているのですよ。一つの大きな差別の原理の中に男女差別の原理がのみこまれるだけ。考えてごらんなさい。世襲制は血の原理でしょう。女性は子供をつくることを強制されるシステムでしょう。男の子でなければいけない、ではなくなっても、とにかく同じ血の子供(世継ぎ)をつくることは制度的に強制されることには何の変化もない。
子供がつくれない女性もいるでしょうし、つくりたくないという強い意思を持った女性がいたって、自由でしょう。なんら非難されるべきことではないじゃないですか。

--アッ、そうか。それは自分で決められることでなくちゃ、おかしいわよね。

天野 と、思います。奥平学説は、この点を鋭く突いている、そんな風に私は理解してます。
この血(世襲)の原理という差別の原理の問題について、少し、また回り道をして説明したいと思います。「女性天皇」をめぐる論議で、以前に、こういう主張を読んで、驚きました。朝日健太郎さんが「『21年有識者会議報告』はゴミ箱へ 皇室典範を改正し、男系天皇から女性天皇・女系天皇へ」(『先駆』2024年4月号)で、こう主張しています。
「皇位継承のルールを定めた皇室典範自体が皇位継承を困難にする構造的欠陥を抱えている。『皇位は世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する』(憲法2条)、そして、現在の皇室典範は明治の皇室典範をそのまま引き継いで、皇位の継承資格を『男系男子』とした。/明治の皇室典範制定の時、皇位継承制度を持続的に可能にする制度を全面的に除外した。つまり、正妻以外の女性から生まれた子孫にも皇位継承資格を認めるという古代から明治に至るまでの制度、側室制度(非嫡出子、非嫡系子孫)を廃止。嫡出系も傍系もその男系の血筋なるものは側室制度を前提とした非嫡出・非嫡系による継承可能性によってかろうじて支えられてきた現実がある。/皇室典範(新・旧)は非嫡出・非嫡系無しの男系男子限定という構造的欠陥のために憲法の要請を裏切る形になっている。現在次世代の皇位継承資格者は悠仁親王殿下唯一人という危機的な状況になっている最大の原因はここにある」。

--エッ、おかしくない。

天野 ウン、「世襲」天皇制には、まったく批判的意識ナシ。

--それ以前に、天野さん、側室制度って、大日本帝国憲法下にはあって、なくなったのは戦後憲法下の「典範」になってからでしょう。

天野 もちろん、そうです。確か、「明治天皇」も「大正天皇」も側室の子供だったと思うから。事実認識がエラく不正確であることも確かだけど。憲法2条を絶対化している心情と論理の方も、ナントモおかしなロジックだと思う。
側室制度が戦後なくなったから、男の世継ぎが少なくてピンチってのは本当の話だけどね。だったら、三島由紀夫のように、「側室制度」の復活を主張するのかと思ったら。だから「女性(女系)天皇制を!」ってのも、ナンノコッチャ。

--憲法の天皇条項も絶対化しているのね。

天野 側室制度はなくなっても血の論理(世襲制)という原理は一貫しているのにね。
この世襲(血の)原理という問題の病理を考えてみるのに、以前から私が紹介し続けている、役に立つ本を一冊、あらためて、ここでも紹介しますね。大宅壮一が戦後初めて“書き下ろし”たとされる『実録・天皇記』(私の持っているのは角川文庫(1997年刊行))です。こんなふうに書き出されています。

「皇室の一番大きな使命は、皇室そのものを存続させることである。その皇室の中核体をなしているのが天皇である。“神代”から伝わっている“血”を後世に伝える生きたバトンである。聖火である。この火はどんなことがあっても消されないよう守り続けねばならぬ。これが皇室の中のすべての組織、制度、施設の中に一貫している思想であることはいうまでもない。/そのためにもっとも大切なものは“血”のにない手である天皇、ついでその“血”を次代に伝える器としての女である。男女間の“愛情”などというものは、“血”を伝えるという至上目的からすれば、まったく第二義的、付随的なものとなる。/将来科学が非常に発達して、受精はもちろんのこと、受精した胎児も特殊装置の中で哺育できるようになれば、“血”のリレーはもっと簡便に、しかも完璧に近い形で行なわれるであろう。だが、今の段階ではどうしても女の肉体を借りねばならないから、ムダが多く、探求旅行に出発する際の自動車のタイヤのように、相当のスペアを必要とするのである。/中国には“後宮三千”という言葉がある。マルタン(回教徒の王)のハレムにも数百人の女を擁しているという例は珍しくなかったが、この場合は“血”を伝えるという実務的な目的を逸脱して、むしろ権力者個人の享楽の対象となっている。そうなれば、その数は権力の増大とともに無限に増大することができる」

この後、大宅は日本の皇室は、「個人の享楽性はより少ない」と分析してみせている。そうした点はどうでもいい。この「血のリレー」の原理は、側室制度がなくなっても、不変で、今でも続いている。〈神代からの血のリレー〉=「国体」は、戦後の象徴天皇制を貫徹している原理でしょう。朝日さんが引いている戦後憲法2条が、そのことを端的に表現しているものですね。

--ハイ、おっしゃりたいことは、それなりに私には伝わりました。天野さんの、こだわりの根拠が。

天野 この大宅の本、グループの力で調べつくすという大宅方式の産物だと思うから、とにかく細かく詳細に調べあげてあります。この天皇は側室何人、子供何人とかいうデータ。そしてこの血の原理の支配する世界では、早死にしている子供が、とっても多い事実なんかも。“血の論理”というグロテスクな支配というのは、「出身」や「家柄」で差別扱いすることを禁じている戦後憲法の基本理念(原則)とバッティングしているでしょう。
憲法自体の自己矛盾を正面に見すえなければおかしい。

--大宅さんの本、私も探してみます。天野さんが『スペース21』のニュースに書いた、世襲議員(首相)と世襲天皇制の関係を論じた文章(世襲議員(首相)と世襲象徴天皇制の関係--自民党総裁選を通して考える)も、石破新首相も含めて、小選挙区制になって、保守政治家としての力量すらナイ自民党世襲議員の大量生産の悲劇的状況と天皇制が残っている問題を関連づけて考えよ。こういう主張ですよね。

天野 そのつもりです。とにかく、憲法2条の理念(世襲天皇制)を実現するために「皇室典範」を女性でも天皇になれる方向へ変えて(「民主化」して)なんて主張は〈反差別〉という視点からいっても恐ろしくトンチンカンな主張だというしかないですね。これが言いたい。

--ハイ、天野さん、事務所に来ていただくだけで、ずいぶんお疲れという状態が、まだ続いているので、少し、お話を手助けしたいと思って、実は、私、もう一つ、天野さんの論文を読み直して予習してきたのです。
今までの話って、真子さんの婚約と前の天皇の「生前退位」が話題になっている時の論文。2018年に堀内哲編の、たくさんの人の文章を収めた『天皇制と共和制の狭間で』(第三書館)に収められている論文、「性生活が、天皇制にとっては『国家的公務』である」の中の、こういう主張と重なるわけですね。この状況の中で「新たな発見」をしたのはこの問題であるとして、以下のように書いていますね。
「憲法は『世襲』(第二条)の象徴天皇制を宣言している。とすると、憲法上許されている『公務』は、天皇自身が主張し、拡大し続けてきた被災地回りなどの『象徴としての公務』などでは、まったくない(これはハッキリ禁止されている)。それでも明言されている国事行為以外にも一つだけあるようなのだ。おそらく、それは、内閣の助言と承認を前提としなくてよい、唯一の公務(「国事行為」)といえるものではないか。それは『世襲制』維持のための子づくり活動(性活動)である。これは、間違いなく憲法上の『公務』である。/世襲君主の最重要な国事(公務)はセックスであるとは、ヨーロッパの王権に即してよく語られてきたことであり、今更、新発見などでは全くない。しかし、私は『象徴君主』制憲法の中に、この『生前退位』をめぐる議論を通して、そのことをあらためて発見したのである。普通の人間にとっては私事中の私事である性生活が、天皇家にとっては国家的公務と位置づけられている。/『世襲』の象徴君主一族の、マスコミを舞台にした婚約(結納)騒ぎのグロテスクさの根拠は、間違いなくここにあるだろう。絶対の血のつながり(「世襲」)政治神話が、そこから生まれ続け、タブーを張りめぐらし、これをヨイショするのが任務の、権力の公報と化したマスコミの皇室報道は、違憲性を隠蔽し人権を無視した、下劣なグロテスクなトーンにならざるを得ない訳である」

天野 アッ、そこの「違憲」(人格侵害)という批判は、主に「マコ」とお相手の異性に対する「人格非難」の大合唱に向けての言葉です。
「世襲の超特権的奴隷制度」こそが天皇制だと規定した私の文章ですね。よく覚えています。
天皇制の差別性を言うのなら、「世襲制」原則の差別性を中心に置いて考えなければならないと、強く思いだしたわけですね。
アッ、ついでにもう一点、大日本帝国憲法下で、天皇だったヒロヒトという男が、戦後の「主権在民」原則の憲法下でも天皇になるというのは、誰が、どういう手続きを踏んで決めたのでしょうね。一度、ここまで戻って象徴天皇制問題を考えてみる必要があると思います。

--エッ、天皇制を残したいと思った日本の支配者とアメリカのトップの占領政策の産物だと、天野さん、くりかえし論じているじゃない。

天野 イヤ、そういう政治状況の一般論ではなくて、まったく新しい憲法の新しい天皇制という制度づくりだったら、「万世一系」の世襲天皇ヒロヒトでなければならない、ということではないはずではないか、という点にもこだわりたいのです。

--そうか、第2条の世襲制原則は裕仁さんが天皇になることで、はじめて憲法の条文通りに実現したわけですね。
何が何だかよくわからないうちに、「神代」から続く「世襲」天皇制の継続としての象徴天皇制が作り出されてしまったわけですね。それは裕仁天皇が天皇となることで決定的な事だった、ということ。

天野 ウン、「世襲原理」の中に「神代」から連続する「万世一系」(「国体」)のイデオロギーが生き続けている。そのためには世襲の天皇ヒロヒトが象徴天皇でなければならない。ヒロヒトが天皇になった時、決定的な敗北が私たちにあった。
これが切断されなければ、まったく別の象徴天皇制(君主制)なんてものが生まれるわけがないという点が重大な問題。
「代替わり」の時に、隠されてきた神道(「現人神」)儀礼とイデオロギーが全面露出する必然性は、ここにあるわけですね。
こうした点にこそ着目して考えるべし、というのは、やっぱり奥平さんの仕事で、強く教えられてきた問題意識ですね。
戦後憲法学者では、他にほぼいないですよね。なんでそうなっちゃったのかが、もっと歴史的かつ批判的に整理されるべきなんでしょうね。

--なんかドンドン難しい話になりそうですね。今日の話は、何とかついてこれましたけど、「違憲論」批判というムード的な主張は、「国連」からも発せられる状況になってきていますし、何故かよくわからないけど、共産党の主張については、今回も具体的に検証されなかった。天野さんのバサッと言い放しだけではまずいですよ。私なんかにもよくわかるように、ゆっくり説明してください。もちろん、今回のお話も、同じ問題だという点は、それなりに理解していますが、批判対象の具体的主張に即して、丁寧にお願いします。

天野 ウン、今回のように予習して準備してきてくれれば助かります。次回は、渡辺治さんの仕事を素材にキチンとやってみたいと思います。渡辺さんの一連の天皇論、読んできてね。まちがいなく勉強になりますから。

--ハイ、努力します。でも、批判の素材なんでしょう。

天野 そうなんだけど、それでも教えられることが多かった人の仕事ですから。

―ハイ、ハイ、(笑)

*初出:『市民の意見』市民の意見30の会・東京発行、no.206, 2024.12.01

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