表現規制を後押しする眞子結婚スキャンダル

中嶋啓明

鬱陶しい以外の言葉が見つからない。

眞子の結婚をめぐる〝報道〟だ。前日の10月25日から、否、何日も前から、週刊誌等だけでなく、〝主流〟メディアの一般紙上でも、「最後の宮中祭祀に参列した」、「最後の公務に参加した」などと眞子の一挙手一投足をこと細かに追いかけ、徳仁、雅子に挨拶した、明仁、美智子のもとを訪れたと言っては、写真付きで大きなスペースを割いた。この間、結婚相手の言動も並行して伝えながら。

当日の10月26日は、「きょう結婚」「午後、記者会見」等々と、朝から何度もテレビで聞かされた。耳が腐るようだった。

午後の〝会見〟の時間には特番を組むテレビもあり、新聞の番組表には「眞子さまと小室圭さん結婚そろって会見!何語る?」、「きょうから『小室眞子さん』に…夫婦で笑顔と感謝の結婚会見」などのタイトルが躍った。

新聞各紙の夕刊は、みな一様に結婚の記事が一面トップだ。「眞子さま 新たな道/小室さんと婚姻届 皇室離れる」と掲げた『朝日新聞』の一面は、紙面の上段半分を関連記事で埋めた。ほかは、「文化勲章」や原油高を伝える「NEWSダイジェスト」欄用の短い記事3本だけ。

『東京新聞』も変わりない。トップの記事に付いているのは、眞子が同日午前、秋篠宮邸を出る際に見送った妹の佳子と抱き合う瞬間の写真。写真だけで縦横3段ものスペースを取っている。

翌日も結婚〝報道〟一色。テレビ朝日の朝の「羽鳥慎一モーニングショー」は、いわゆる〝リベラル〟層に人気が高いらしいが、結婚をトップで伝え始めたかと思ったら、その後、40分間にもわたって、ああだこうだと埒もない井戸端会議を繰り広げた。衆院選は選挙戦さなか、週末には投開票日を迎える。伝えなければならない題材はヤマとあるだろうに。

時間のムダだと苛立ちながら聞き流していたら、歯に衣着せぬ物言いだと一部で評価されているらしいコメンテーターの一人が、「皇族は、誹謗中傷に対して反論できない」「一般人は裁判で訴えることができるが、皇族らには対抗するすべがない」などと声高に言い募っていた。

ウンザリだ! いったいどれほどの人が、SNSだけではない、マスメディアの餌食になり、泣き寝入りしてきたことか。在日を含む数多くの被差別者が、誹謗中傷を含む脅迫に対抗できているか。どれだけ多くの人が、警察、検察の尻馬に乗ったメディアの犯人視に苦しんでいるか。「一般人」にとって、裁判の壁は想像以上に高い。たとえ裁判を起こすことができても、権力や、その後ろに隠れたメディアを相手にすることは並大抵の労苦ではない。

対して天皇、皇族は基本的に非難、批判の対象外で、絶対的な聖域に置かれている。天皇制批判は、常に権力による弾圧に脅かされ、社会的な排除の視線にさらされ続けてきている。
 確かに今回のスキャンダルを契機にした眞子ら秋篠宮「家」の面々に対するさまざまな言説には、質的にもこれまでと若干の違いを感じないわけではない。だが、それでも彼らが、多額の税金で守られている実態に変わりない。彼らの存在が脅かされることなど、現状では絶対に起こりえない。

かつては美智子に対する揶揄をめぐり、美智子本人や宮内庁・権力の犬笛を合図に、相手のメディアに対して銃弾が放たれたこともあった。雅子に対しても同様だ。眞子の件でも、宮内庁という、まぎれもない政府の一機関が節目ごとに助け舟を出し続けている。結婚が既定路線であると社会的に認知されてからは、メディアの論調も一転し、誹謗中傷を含む多くの非難、批判を押し流す称賛、オベンチャラの言説が、文字通り豪流となって吐き出されるようになった。

眞子の結婚スキャンダルは、より容易に、言論、表現に対する規制を容認する社会的雰囲気を醸成するのに役立った。眞子の精神的な体調悪化が、宮内庁によって〝錦の御旗〟に掲げられ、途端にメディアは委縮した。

眞子の結婚〝会見〟では、事前に提出された質問に文書での回答が配られたのみで、記者との質疑は禁じられた。それでもメディアは、この儀式を「会見」と呼んだ。結婚絡みのいくつかのニュースでは、Yahooのコメント欄が閉鎖された。「違反コメント」の数が基準を超えた場合、AIの判断でコメント欄を非表示にするとの新機能が適用されたためだという。

天皇制批判に対する規制、弾圧が今後、さらに強まることを危惧せざるを得ない。

今回のスキャンダルが一つのきっかけになって、天皇制の基盤に無視できない〝亀裂〟が生じたのも、見逃すことのできない事実ではあろう。〝亀裂〟は従来から存在していたが、それが社会的により見えるようになった。だがそれは基本的に、あくまで天皇制の存続を前提にして、男系維持を金科玉条に掲げる神道主義右翼と、女系もやむなしとヨーロッパ王室型の天皇制を追求する、より幅広い〝大衆〟との間の〝矛盾〟でしかない。

そんなコップの中の争いに囚われることなく、〝亀裂〟の可視化という現実にも介入しながら、天皇制などいらないとの声を強めていきたい。

*初出:「今月の天皇報道」『月刊靖国・天皇制問題情報センター通信」no. 204, 2021. 11

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