「歴史否定」を市民力で克服を——竹内康人『朝鮮人強制労働の歴史否定を問う 軍艦島・佐渡・追悼碑・徴用工』

志水博子

はじめに
2025年を迎えた。本年は1945年アジア太平洋戦争敗戦から80年、また1965年、当時の佐藤栄作内閣が韓国の朴正煕大統領との間で締結した日韓基本条約から60年目の年にあたる。となれば、日本の植民地主義について振り返る絶好の年になりそうだが、実は政府は、それどころかその反転を図るべき年として本年を考えているようだ。そのことを知ったのは『反天ジャーナル』からの原稿依頼メールだった。そこには以下のようにあった。

「『昭和100年』ということで、政府は再来年にその記念式典を考えているようです。来年からそのキャンペーンが始まるのではないかと思ったりしています。そこで、『反天ジャーナル』では、「昭和」として括られた時代に日本国家が何をしてきたのか、といったことを読めるようなページ作りを考えています。/論文や講演録など、これまでも少しずつ紹介していますが、単行本や報告集として出されているまとまった言論の紹介も必要ではないかと考えています」

竹内康人『朝鮮人強制労働の歴史否定を問う 軍艦島・佐渡・追悼碑・徴用工』(社会評論社、2024年)

なるほど、調べてみると、昨年12月24日、政府は、「昭和改元から100年の節目を迎える2026年に向け、関係府省による連絡会議の初会合を首相官邸で開いた。政府主催の記念式典を行うなどの基本方針案を提示。昭和の日(4月29日)や改元の日(12月25日)を軸に調整する。議長の橘慶一郎官房副長官は会合で、『昭和を知らない平成以降生まれも含めて国民各層が参加できる関連施策の実現に取り組む』と語った」とある。有事を煽り大軍拡に余念のない政府にしてみれば、この機会にニッポンジン精神的支柱を是非とも打ち立てたいというところか。

反天ジャーナルからは、紹介すべき言論の最初の1冊として竹内康人著『朝鮮人強制労働の歴史否定を問う 軍艦島・佐渡・追悼碑・徴用工』(社会評論社、2024年6月)が挙げられた。私にそれを紹介するだけの技量があるのかどうかは別として、これはいい機会だと思い、無謀にも「昭和」(元号による区切りは使いたくない気持ちはあるものの)について考えてみることにした。それに、引き受けた理由はもうひとつある。私の母は1930年すなわち昭和5年生まれ、今年95歳になる。ほぼ昭和を生きたことになる。母の個人史を昭和という時代を背景に考えてみたい気持ちもあった。ということで、どのような展開になるか心許ないところもあるがお付き合いいただければうれしい。

『朝鮮人強制労働の歴史否定を問う 軍艦島・佐渡・追悼碑・徴用工』(竹内康人著)

著者は、タイトルを“歴史否定を問う”としている。今、私たちが問題にしなければならないことは、少し前まで言われていた歴史修正主義の次元ではないということだろう。歴史の事実そのものが「否定」されてしまっている現状に対し、私たち市民が、歴史をどう取り戻すかが問われているのかもしれない。

第1章では、明治産業革命遺産の登録が、安倍政権の下において、強制連行・強制労働はなかったとする主張がいかに「政治的」に行われたか、詳細な事実をもとに立証している。歴史の否定が何より安倍政権下で行われたことを忘れるわけにはいかない。また、2018年韓国大法院判決が出た時の日本政府・マスメディの動きを覚えておられるだろうか。一斉に韓国の大法院判決を批判した。著者は、「日本政府は強制動員被害の認定・救済を不法・不当とし、……経済報復をおこないました。韓国側の基金設立による問題解決の提案を拒否し、2019年6月末に輸出規制を発動したわけです。それは植民地主義の継続を示すものでした。さらに安倍政権を継承した菅義偉内閣は2021年4月に強制連行や強制労働の用語は適切ではないと閣議決定し、教科書からそれらの用語を排除しました」と批判する。いわば日本が克服すべき植民地主義を「政治」が握り潰すだけではなく、さらなる植民地主義の継続を示すことになったわけだから歴史への裏切りといってもよい。

第2章で取り上げられている長崎県高島炭鉱(高島・端島)、特に軍艦島と呼ばれる端島炭鉱は、先日TVドラマ『海に眠るダイヤモンド』でも舞台となったところだ。ドラマでは、2つの時間軸、現代の東京と60年代後半の端島が交差しながら進んでいくのであるが、ある意味「家族の復権」の物語といってよい。それはドラマの中で端島に暮らす人々が叫ぶ「一島一家」ということばに端的に表れている。そこには本書で史料を駆使して明らかにされている朝鮮人・中国人労働者や「酌婦」と呼ばれ日常的に性被害にあった女性たちの姿は片りんも描かれていない。不可視のまま無視し続けることによって日本の植民地主義は今も受け継がれていくだけではなく、あの頃すなわち昭和は良かったというノスタルジアがいつの間にか「日本ファースト」の物語になって行きはしないかというのは杞憂であろうか。

第3章「佐渡鉱山での朝鮮人強制労働」は、Q &Aの形式になっていて読みやすい。中でも今後の課題として、著者は、「現在の動きを歴史修正主義とみなすのではなく、歴史否定論としてとらえ、克服すべきです。戦争に参加するのではなく、殺人の誤りを示し、戦争そのものを止めさせるという活動が重要であるように、『歴史戦』に参加するのではなく、その偽りを示し、『歴史戦』自体を終わらせることが大切です」と記す。

そして、「歴史を学ぶとは、その未解明の部分を照射することです。植民地主義の克服をめざすことでもあるのです。佐渡鉱山を世界遺産としたいならば、鉱山都市としての歴史全体を示し、歴史否定論とは手を切るべきです。強制労働否定論を克服し、朝鮮人強制労働の歴史事実を認知することによって、世界遺産への道が開くと考えます。強制労働を認めることによって、佐渡鉱山の評価は高まるとみるべきでしょう」とも記している。

第4章「朝鮮人追悼碑・強制連行説明板」は現在進行形の問題の数々が描かれている。また、ここではドイツや国際人道法、国際人権法の現在の地平も紹介されている。著者は、「最近のパレスチナをめぐる動きからは、ドイツではナチの戦争犯罪批判はあっても、シオニズムという植民地主義への批判は弱かったように見えますが、戦争の反省、過去の克服については日本と比べれば大きな差があります。君主制の存在は奴隷根性を再生産し、主権者の認識、人間の尊厳への認識を妨げるものです。戦争責任、植民地責任への追及の弱さは天皇制の存続と一体の関係でしょう」と、日本において戦争責任・植民地支配の責任が追及されて来なかったことと天皇制の存続の関係をあげている。

そして、政治の場において南京大虐殺、「慰安婦」、強制連行、沖縄戦集団強制死などをめぐり歴史否定をさらに喧伝したのが安倍晋三政治である。ここまで来ると問題の根の深さに愕然ともするが、しかし、それらの歴史否定のまやかしを史実によって明らかにしたのが著者をはじめ多くの市民の力であることを思うと、逆に励まされる。市民力によってこそ歴史否定は克服されるべき問題であるのだと。

最終章にあたる第5章「強制動員問題(徴用工訴訟)の解決へ」は再び韓国大法院判決のその後が描かれている。

「2001年のダーバン会議(人種主義に反対する世界会議)では、植民地支配が人道に対する罪に当たるかが議論されました。その宣言は、奴隷制と奴隷貿易を人道に対する罪と認め、植民地主義については、植民地主義が起きたところはどこであれ、いつであれ、批難され、その再発は防止されねばならないとされました。人道に対する罪と明記することはできなかったものの、人種差別と植民地主義の克服は国際社会の歴史的課題となったのです」と。昭和100年を課題とするなら何より植民地主義の克服こそが私たちの取り組むべき問題であろう。

「現在、日本政府は過去の植民地支配での強制労働を認知せず、日本国憲法を無視して『敵基地攻撃』を語っています。日本の責任を肩代わりしようとする韓国政府案は、韓国憲法を規範とする韓国司法の判決を否認するものです。共に被害者の尊厳回復を無視する対応です。憲法と被害者の尊厳の無視は、あらたな派兵、戦争の導火線となりかねません。それは人権と平和の形成に反するものであると思います。朝鮮の分断線や台湾海峡をめぐって同じ民族どうしを、アジアの民族どうしを殺し合わせることで、利益を得る者がいるのです。戦争被害者の救済、尊厳の回復がなされないということは、戦争により、再びあらたな被害者が生まれるということです。戦争被害者の尊厳回復は、戦争抑止の力でもあると考えます」。

そう考えると、今を生きる私たちの責任は大きい。母が生き、加害者となり被害者となった「昭和」という時代を私たち市民はどのように捉えるべきか。歴史否定のまやかしを市民力によって明らかした本書は、その第1冊目として実にふさわしい。

 

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