天野恵一
天野 アノネ、この間テレビで、「ローマの休日」やってたので、子供の頃見たそれをキチンと観なおせた。1953年にアメリカ(ハリウッド)でつくられて、1954年に日本で上映、あのオードリー・ヘップバーンが主役の、たった一日だけの「王女さま」の甘く切ない恋物語。観てるでしょう?
--もちろん。グレゴリー・ペックがイタリアにいるアメリカ人記者役のあれでしょう。
天野 ええ、最もポピュラーな王女様のロマンス映画。演出はウィリアム・ワイラー。せっかくだから、これを素材に少し話すことから始めたい。
--ストップ。その前に、愛子「女帝」の可能性をめぐる週刊誌報道。首相の交替がハッキリしてきている中で、これがどうなりつつあるのかを、前回の流れに即して、まず検証してください。
天野さん、映画の話になると、どこまで脱線してしまうかわからないから(笑)、まず、そちらの方から。
天野 ハイ、ハイ、わかりました(笑)。まず、『女性セブン』(9/1号)「愛子さまを天皇に 進次郎が挑む20年因縁」からいきましょうね。
父純一郎が首相の時、女性(系)天皇を可能にするコースを進めていたが、秋篠宮家の男子誕生でストップされた、それを、息子の進次郎が首相になれば実現するのではないか、との記事ですね。
「純一郎氏が皇室制度改革に着手したのは、04年末のことだった。当時、皇室は男性皇族が40年誕生しない状況にあり、お世継ぎ問題に直面していた。純一郎氏は、64年12月に皇室典範に関する有識者会議を設置。05年11月に最終報告書が取りまとめられた。/『最終報告書の中では、女性天皇、及びその子供となる女系天皇を認めること、また、皇位継承順位については男女を区別せずに直系の第一子を優先させることが盛り込まれました。つまり、国会で法案が成立すれば、皇室典範が変更され、『愛子天皇』が将来的に実現する運びだったのです。当時も反対意見はありましたが、純一郎氏は粛々と議論を進め、皇室制度改革を果たそうとしていました』(前出・宮内庁関係者)/有識者会議の設置から最終報告の取りまとめまで約1年間というスムーズな進行の背景には、純一郎氏と当時皇太子ご一家だった天皇ご一家、とりわけ雅子さまとの奇縁ともいえるつながりがあったとされる 」。
--小泉家と、小和田家の外交官の父を持つ雅子さんの一家との、数十年来の長い関係ってのがあったのね。
天野 そうらしいね。だから、父のコースも子が走るだろうという期待をもこめた記事ですね。
--それなりのリアリティがあるんじゃないの。
天野 ウーン。それなりの根拠はあるけど、もう一つ紹介しておくね。『東京新聞』の週1回(日曜日)の「週刊誌を読む」(8月25日)のコラムにも紹介されている記事。
「『女性セブン』9月5日号は、総裁候補の中に『女系天皇』容認派が多いとして、『愛子さま「女性天皇」実現へ!』」と謳っている。一方『女性自身』9月3日号は、進次郎氏の背後に菅前首相など保守派が控えているため、進次郎新首相なら『愛子天皇』消滅と、逆の予測をしている」。
--エッ、なんで。
天野 『女性セブン』の方は、そういう内容です。「女性天皇制」に消極的だった菅前首相は、小泉とは横須賀での地域でつながりが深くて、菅がバックアップしているのは事実です。
でも、首相交代状況は、間違いなく〈愛子天皇〉のチャンスというキャンペーンと、政治的可能性を拡大していくことだけは、間違いないと思いますよ。
--ハイ、映画「ローマの休日」の方にいっていいですよ(笑)。
天野 いや、たいして関係ないのに論じたい、なんてわけじゃないのよ(笑)。
この間、何度もここで論じてきた奥平さんの学説の説明のわかりやすい素材として使おうと、思いたったのですよ。
--それなりに、わかってますよ。ハイ、始めてください。
天野 奥平さんの『「萬世一系」の研究--皇室典範なるものへの視座』に示された主張を、私が天皇制とは「超特権的奴隷制」という奇妙に矛盾した制度であると規定していると理解する、という話は、ここでも語ったことはあると思います。
「ローマの休日」の王女は、たった一日だけ、自分が持ったことのない、ごくフツーの人が持っている様々な自由(人権)を行使する。移動・居住・恋愛・それこそ人のために料理する自由などの……。その後、国家と王室の責務のために決意して、それらすべてを失う世界に決意して帰っていくのですね。ガキのころ観た時は、この王女の悲劇にひたすら「生まれ」という「宿命」を生きざるを得ない、主体的にそれを選択する彼女の悲劇に、多くの人々と同様に深い同情を抱いて劇場を出てきたと思う。
でも、今度は、「国家と王室」の責務なんて放り出して、サッサと逃げ出してしまえばよかったんじゃないかと、考えた。男(グレゴリー・ペック)の方にも、女王への思いやりはあっても、解放してやろうという強烈な情熱がないのは、つまらないナー、などと考えたのです。
--なにを話したいのか、少しわかったわ。あの映画、ある小国の、次に王になることが決まっている王女という設定だったでしょう。
天野 らしいけど、ヨーロッパ訪問(イタリア)に来て、記者会見が新聞各紙一面トップに載る(記者はそれで彼女が王女だと知る)っていう話でしょう。現実にはイギリス王室クラスでないとおかしい物語の設定になっていますよ。
--でも、現実の国家の話ではない設定でしょう、やはり。
天野 でも、イギリス王室の誰がモデルだ、などといううわさ話には、事欠かないらしいよ。
--でも、イギリスという設定ではナイ。
天野 まあ、そうですね。
奥平さんの学説の輪郭を、まずまとめて整理してみるね。繰り返しになる部分も多いかもしれないけど、お許しください。アッ、その前に、奥平さんのこの理論も、自分たちの学説の不十分というか決定的に「失敗」した認識への強い反省をバネにうみだされたものです。彼が「ほんの少しの天皇制」・「ちょっとだけ天皇制」論と名付けた、戦後の憲法解釈学の大主流の、もちろん自分もそうであった解釈への反省から、自分の理論を作り直します。この学説のボスは、美濃部達吉の弟子だった宮沢俊義さんですね。
私の言葉に置きなおすと、天皇主権から国民主権に原理が転換した戦後憲法に「象徴=人間」として残された天皇制は、その政治性・宗教性は極端に弱体化した。だからその政治性・宗教性が強化されることに、ブレーキをかける解釈のコントロールで危険性はなくなる。「ほんの少し」の「ちょっとだけ」天皇制という奥平さんの認識の前提はこういうものです。
--それを、いつ、どう反省したの。
天野 昭和天皇ヒロヒトの「Xデー」の状況下での人々の大騒ぎの状況と、その渦中での政府の動きを眼前にして、ハッと気がついた、これではダメだと。そんなふうに発言してますね。具体的に引きますね。1989年、1月号の『世界』に書かれた「日本国憲法と『内なる天皇制』」は、このように書き出されています。「西ベルリン」にいて、外から日本の状況を視て、書いたものですね。
「1989年9月30日以降、日本を襲った天皇『ご容体』報道の洪水およびそれに呼応して広範に国民の間に展開した『自粛』騒ぎ、総じて『天皇フィーバー』と称しうる状況は、その激しさにおいて、まず私を驚かせた。私は、天皇『ご容体』情報がそんなに強い需要価値を持つとは、じつは思ってもみなかったし、その情報がバネになって、こんなに全国津々浦々の人びとが同一歩調をとることになるとも、考えていなかったからである。/この点において私は『見込み』違いをしていたのであるが、なぜ、こうした『見込み』違いを私はおかしたのであろうか。このことの説明が私自身に要請されている。/同じ現象に関して私の注意を惹いたのは、マスコミの大騒ぎといい、民間の『自粛』動向といい、ともに、一方では『なんとなく』ムードに支配されたものと捉えることができるものではあるとしても、所詮は『自由意思』の所産ともいうべき実質を具えていたという点である。強い言葉で言えば、国民大衆は『自主的』に、好んで大騒ぎしたといえる気配がうかがえるのである。これが私には深刻に響いた」。
この「自主性」を支える感情と理論を、彼は「内なる天皇制」と名付けたわけです。
--天野さん、どこかで言っていたと思うけど、「内なる天皇制」という言い方に批判的だったんじゃないの。
天野 ウン、別に奥平さんの主張じゃなくて、そういう言い方で、具体的に検証させないで天皇制の力を神秘化してしまう言い方が一部に、はやっていたからね。奥平さんの論理は、そうしたものとは逆ベクトルの主張ですね。
政治(法律)的には、よく見えない〈文化〉的な力といったものですね。それを論理的に正面から対象化するための概念ですね。こちらの方から考えれば、天皇制は「ちょっとだけ」どころではなかった。
--岩波新書『昭和の終焉』(1990年)に収められている、この論文で宣言された作業の大きな成果が『「萬世一系」の研究』としてまとめられたというわけですね。
天野 ハイ、大急ぎで、結論的なところだけいきますね。国費で特権的生活をまるがかえ、国がその権威を保障する天皇〈皇族〉という特権身分は、普通の人間が持つ、自由(人権)をまるごと奪われることで手にすることができる「世襲」制に支えられた身分である。それが戦後憲法によってつくられた象徴天皇制の身分秩序です。
ただ、奥平さんは、私が〈超特権的奴隷制〉と名付けたこの制度から、特権を自発的に放棄して「脱出」する権利をも憲法が保障しているという点に、大きく着目するわけです。
〈第十八条〖奴隷的拘束及び苦役からの自由〗〉の「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない、又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服せられない」。
この条文ですね。
普遍的な人権をかかげる憲法の中に入りこんでしまっている〈世襲の特権身分〉制度の原理ですから、この敵対矛盾した原理を排除していく力が、戦後憲法には内在している。それが〈十八条〉である。天皇ら皇室の個々人が自発的に特権を放棄さえすれば人間的自由は手にできるはずだという戦後憲法理解ですね。
--憲法十四条は、こういう規定ですからね。
「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分、又は門地によって、差別されない。
華族その他の貴族の制度はこれを認めない。
栄誉、勲章その他栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。
栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者一代に限り、その効力を有する」。
天野 そもそも「主権在民」原則の憲法で、あの第一条ですら、天皇の「地位」は「国民の意思」で変えられる、なくすことだって可能だと書かれているわけですから。
奥平さん的な解釈は、十分、論理的に可能だと言えると思いますよ。
--ヘエー、ずいぶん戦後憲法に、天野さんらしからぬ、肯定的評価ですね。
天野 イヤ、奥平さんの学説に則せばという条件付きだけどね。
--よくわかりました。「ローマの休日」のオードリー・ヘップバーン演ずるステキな王女様には、国家と王家の責任という「奴隷」の世界に帰るのではなくて、人間的自由(人権)の世界へ向けて、「脱出」してもらいたかったわけね。
その点はよく理解できます。
天野 昭和Xデー状況で露呈したことがらを踏まえた、奥平さんの反省のプロセスを、もっとキチンと理論的にたどる作業を持続したいと思うけど、イージーな「皇室典範」違憲論を彼がとらないのは「内なる天皇制」の力をあなどることで成立する憲法学説から離脱しようという彼なりの努力の結果であることを、まず確認しておきたかった。象徴天皇制という支配のシステムは、戦前(中)から生き残った「内なる天皇制」という文化とセットで存在している。この重大な問題を無視し、非政治・非宗教(人間)というタテマエで成立している象徴天皇制を、まるごと共産党のように肯定していってしまえば、世襲の身分制度の国家原理であることを無視して、民主戦後憲法に「典範」の女性差別規定を正しく合わせる、「女性(女系)天皇制」の実現へという「違憲論」で、象徴天皇制の「民主化」を、という主張になってしまうのは、わかりやすい話ではないですか。
--共産党の「違憲論」の問題や護憲派の女性天皇なら天皇制OKという主張の問題は、奥平さんの学説の内実の紹介とともに、次回以降、もう少し、ゆっくりやりましょう。だいぶお疲れのようですから、今回は、このへんで。
天野 ヘイ、クタクタです。
*初出:『市民の意見』市民の意見30の会・東京発行、no.205, 2024.10.01