大嘗祭に国費を支出したことの問題性--京都・主基田抜穂の儀参列等違憲訴訟を題材に

加島 宏(京都・主基田抜穂の儀違憲訴訟弁護団・代表)

第一部 京都府での住民監査請求から住民訴訟提起まで

現天皇徳仁(なるひと)は、2019(令和元)年5月1日に即位した。その年の秋に行われた中心儀式・大嘗祭、およびその準備のため、約半年間にわたって、諸行事と儀式が行われた。まず、主基田という、大嘗祭用の米を作る田の選定、主基田抜穂の儀という収穫行事、収穫した米を皇居に届ける新穀供納の儀等である。これらの皇室神道諸儀式に、地元の京都府知事や農林水産部長等の部下たち公務員が公費を使って出張・参列した。

これに対し、翌2020(令和2)年8月、本誌(「反天皇制市民1700」)事務局長の菱木政晴氏を含む12人の京都府住民が「住民監査請求」を京都府監査委員会に提出した。出張・参列に要した「府の公金の支出は、憲法の政教分離原則違反だ」「けしからん!」、として、その是正・返還請求をせよというのだ。

2か月後の10月に、監査結果が出た。知事らの出張参列には何ら違憲・違法な点はないとして、「棄却」であった。

そこで、1か月後の11月、12人は全員結束して原告となり、住民訴訟を京都地裁に起こした。府知事を被告に、「違憲・違法な公金支出を命じた西脇隆俊個人」に対し、失わせた約39万円の返還請求をするよう求めたのだ。

その一審判決が、2月7日、京都地裁民事第三部であった。請求は、全面棄却だった。判決結果は新聞やテレビの報道があったが、内容の乏しい判決理由だった所為か、訴訟でのやり取りや判決内容の詳細はほとんど報道されなかった。

そこで、この誌面をかりて、その公金支出がどういう点で憲法に違反すると原告たちは主張したのか、それを紹介したい。

前提になるのは、一つ目は、憲法上の天皇の地位・性格。二つ目は、国家や地方公共団体側はいかなる宗教行事をしても、また宗教団体を援助してもいけないとする憲法の規定「政教分離原則」だ。

敗戦後まもなく、この問題を考える上で参考になる事件が起きた。そこから話を始めよう。

第二部 1951(昭和26)年、京都大学に天皇が来た

1 京都大学同学会から天皇への公開質問状
1951(昭和26)年のことだった。その年の11月初め、京都大学は当時の天皇裕仁(第二次世界大戦時日本の元首だった人物)が同月12日午後に大学を訪問することを発表した。学生自治会はちょうどその訪問日を挟んで文化祭の予定を組んでいたが、大学発表より数か月前、大学側から理由を明かされずに、文化祭の中止を指示されていた。中止指示の理由は、天皇の訪問が大学側に伝えられていたからだった。

学生たちは、多くの先輩たちを戦争で失っていた。激しい抗議活動が起きてもおかしくなかった時代だった。しかし、学生たちは、「天皇を歓迎もしなければ拒否もしない。天皇にはありのままの京大を見てもらいたい」との方針を決めた。そして、天皇宛てに「公開質問状」を作成し、発表した。学長から直接天皇にこれを渡すよう大学側に要求したが、大学側はこれを拒否した。

公開質問状を文末に、資料①として付けておいた。

さて、この公開質問状に表れている「天皇」像はどういうものかをみて見る。

①天皇を「人間」としてとらえ、その立場で呼びかけている。
②「あなたは・・・、民衆支配のために自己の人間性を犠牲にした犠牲者」と評価 している。
③「しかしながら同時に、あなたが軍国主義の支柱となっていたこと考えると、もはやあなたに同情していることはできないのです。」と、人間としての統一性・連続性を当然の前提にしている。
④「名前だけは人間天皇であるけれど・・・かつての神様天皇のデモクラシー版にすぎない」と見抜いている。
⑤「私達の質問に人間として答えていただくことを希望する・・・。」として、五項目の質問を掲げている。

「人間としての天皇」という観点からのこの京大生の問いかけは、実は今回の主基田抜穂の儀等違憲訴訟と深く関わっている。現在の憲法学や裁判所は、天皇を当時の京大生のようには見ていない。

2 「ヤマザキ、天皇を撃て!」奥崎謙三のパチンコ玉発射事件
京大事件から18年後、もう一つの事件が起きた。天皇を一人の人間とみて、その責任を裁判所、公開の法廷で問うために、劇的な方法を選んだ日本陸軍の元上等兵がいたのだ。ニューギニア戦線からの数少ない生き残り兵、奥崎謙三だ。彼は天皇を相手に、わざと犯罪を犯した。

敗戦後24年目の1969年1月2日、皇居では一般参賀が6年ぶりに行われた。奥崎はそこで、バルコニーの昭和天皇に向かって手製のゴムパチンコでパチンコ玉三個を一度に発射。誰も気づいてくれなかったので、今度は、「ヤマザキ、天皇をピストルで撃て!」と大声を挙げ、パチンコ玉をもう一個、手で投げた。パチンコ玉はどれも昭和天皇の足元付近のバルコニーのすそ隠しに当っただけだった。奥崎はしばらくして、やっと私服警官にその場で逮捕され、暴行罪で刑事裁判にかけられた。

以下は、彼の著書「ユキユキて、神軍」等からの引用だ。

「私は、多くの戦友を餓死させ、無数の敵味方の人間を殺戮した太平洋戦争は、天皇の名を使わなかったならば絶対に行えなかったと思いました。今でさえ、日本人には天皇が大きな影響力を持っておりますが、天皇の名は敗戦までの日本人にとって、神以上の恐ろしい強制力を持っていたからであります。

9時半ごろにバルコニー前に着いてから30分程経って、数年間考えつづけた天皇の姿が、バルコニーに現れました。天皇をはじめて近くで見た私は、舞台の役者のように思いました。天皇の姿がバルコニーに現れると、群衆の視線と関心は、一斉に天皇に集中しました。私は、オーバーのポケットの中で右手で握っていたパチンコとパチンコ玉を取り出し、群衆の頭越しに、20数メートル離れた天皇に向けて、パチンコ玉を1回に3個発射しました。やっぱり思っていたとおり、天皇にパチンコ玉が当たらず、天皇は素知らぬ顔をしていました。

私がパチンコ玉を一回発射しても、私の行為を知って騒ぐ人は誰もなく、私は肩すかしを食ったようなもの足りない気がしました。私は・・・周囲の人を騒がす為に、大声をはりあげて、「おい、山崎!天皇をピストルで撃て!」と4、5回繰り返し叫びました。・・・(そして)群衆の注目を浴びて、自ら警官に『行きましょう』と連行してもらうように頼んだ。」

裕仁は1989年1月7日に死亡した。裕仁の生涯において、彼が侵した戦争の責任を面と向かって直接叱責し糾弾した人物は、奥崎謙三しかいない。その奥崎自身は、その後もあれこれ糾弾を続ける中、入院先の病院で、裕仁より遅れること6年の2005年、85歳で亡くなった。

第三部 日本国憲法上の天皇

1 憲法規定
現在の憲法学説や裁判所は、天皇をどういう存在と見ているのか。

前提として、日本国憲法上、天皇はどういう存在として規定されているか。天皇に関する日本国憲法の規定の全部を資料に書き出し、資料②として添付した。

要点は、次のとおりだ。

①天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である。
②そのことは、主権者国民の総意で決めた。
③天皇の地位は世襲(その子孫が代々受け継ぐもの)である。
④天皇は、国政に関する権能を有しない。ただ、内閣の助言と承認により、憲法に書いてある十個の「国事行為」のみを行い、その責任は内閣が負う。
⑤天皇は、国会の指名により内閣総理大臣を、内閣の指名により最高裁判所長官を任命する。
⑥天皇も、憲法を尊重擁護する義務がある

ここには大嘗祭の「だ」の字も出てこない。大嘗祭は、憲法上必要な儀式でないことははっきりしている。

憲法上このように位置づけられた天皇をどう見るか。人間なのか、人形なのか、国民なのか、そうではないのか、人権はあるのか、ないのか・・・?

2 学者と裁判所の憲法解釈
裁判所はまだ、天皇とはどういう存在かについて、一般的な解釈を示したことはない。

長谷部恭男やすお早稲田大学教授は、「日本国憲法の作りだした政治体制は、平等な個人の創出を貫徹せず、世襲の天皇制(憲法二条)という身分制の『飛び地』を残した。・・・『飛び地』の中の天皇に人類普遍の人権が認められず、その身分に即した特権と義務のみがあるのも、当然のことである。」と主張している。分かったようで分からない、正体不明の議論だ。しかし、広く通用している。

これに対し、学者出身の元最高裁判事園部逸夫(現在弁護士)は、「人権との関係における皇室の方々に対する特例は、天皇の象徴という地位、あるいは世襲による地位を維持するためのものであって、そうした特例は特例を設ける趣旨目的との関係で必要最小限とすべきと私は考えている。」と説く。

学説は、この両説のどちらかに属するか、その間にあって並立している。

3 象徴というマジックワード
では、主権者である我々自身は、どう考えればいいのか。
大日本帝国憲法には、実はこうあった。

第一章 天皇
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
(以下、省略)

旧憲法の第一条と第二条は、「統治す」という点を除けば、日本国憲法の第二条の皇位の世襲及び皇室典範に引き継がれている。第三条を引き継いでいるのが、実は日本国憲法の第一条「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」だと言ってよい。なぜか。言葉は全く異なるが、機能的には同じ働き、効果を発揮しているからだ。

鳩は平和の象徴だといわれるが、だからと言って鳩を敬う人や追い払うことを避ける人はいない。日の丸は日本国の象徴だと考える人は多いが、それでも、記者会見に登壇する首相や官房長官がまず国旗に礼をするのをおかしく思う人も多いだろう。公共の場に掲揚されている日の丸(1999年に国旗国歌法により、初めて国旗とされた)の旗を下ろして焼いても、国家に対する何らかの罪になることはない(器物損壊罪になるだけだろう)。同じ象徴と言っても、鳩や国旗と天皇の決定的な違いは、天皇が生きていて色んな活動をする人間であることだ。

日本国憲法の定める「象徴天皇」に対する「国民の現実の態度」は、どのようなものか。大日本帝国憲法の「第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」そのままではないか。そのような国民の態度を引き出している責任の半分は政府にある。数十億円の国費を支出してまで、大嘗祭執行を「可能にする」ことを責務だと言い切って行った政府が、天皇の神聖化の半分の責任を負っている。

第四部 大嘗祭への国費支出は、政教分離原則違反

1 大嘗祭は、皇室神道儀式
天皇の退位等に関する皇室典範特例法(以下では、譲位特例法と略称する。成立:1017年6月9日、公布:同年6月16日)は、2019年5月1日に施行された。その日、平成天皇は生前退位し、令和天皇が直ちに即位した。生前退位は、明治維新以来では初めてのことだった。

現天皇への生前譲位を可能とする「譲位特例法」成立後約半年になった2018年11月30日、53歳の誕生日記者会見に臨んだ秋篠宮が、兄である天皇が翌年に行うことになるだろう大嘗祭について次のように発言し、話題を呼んだ。当時の報道は次のように伝えた。

秋篠宮は、「大嘗祭のように『宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか』と述べ、政府は公費を支出するべきではないとの考えを示した。この考えを宮内庁長官らに伝えたが『聞く耳を持たなかった』といい、『非常に残念なことだった』と述べた。

法律家である私から見れば、天皇家の肩を持つ訳ではないが、秋篠宮の意見は至極当たり前だ。国費で皇室の神道儀式を行えば、法的には、国自身が神道儀式を行ったに等しい。国及びその機関のいかなる宗教的活動も禁止している憲法20条第3項に真っ向から背くことだ。また、皇室は神道を奉じ年間を通じて神道儀式を行っているから、「憲法上の宗教組織または団体」ともいえる。その観点からは、公金を宗教上の組織・団体のために支出することを禁じている憲法89条にも違反する(これらの禁止が政教分離原則のかなめである)。

憲法の象徴天皇制と政教分離原則とを整合的にとらえた上で大嘗祭をするのであれば、皇室の費用(内廷費)の範囲内で、皇室がその内輪の行事としてやるしかない。ところが、その真っ当な意見を伝えられた宮内庁長官ら(国家公務員)が『聞く耳を持たなかった』というのも、驚きである。公務員の憲法尊重擁護義務(憲法99条)に反する態度だ。

記者会見での発言全体を注意深く読めば、秋篠宮は少なくともこの重大な問題については、天皇一家の中で意見交換してきたことが分かる。両親である平成天皇夫婦も、現天皇の夫婦も、秋篠宮の上記考えの内容も、それを発言することも、承知で任せたのだと思われる。政治的態度表明や行動を憲法上禁じられている天皇はもちろん、その一家にとって、秋篠宮発言はギリギリの決断・国民への問題提起だったと推測できる。

2 大嘗祭に関する「閣議口頭了解」の正体
一方政府は、すでに秋篠宮発言から半年以上前の同年4月3日、今回の大嘗祭も、先の平成代替わり時の方針(1989年12月21日閣議口頭了解)を踏襲して行うと決定していた。その後、天皇家の意向も、発せられた問題提起も、改めて真剣に受け止めた気配はまったくなかった。

平成から令和への代替わりでも政府が繰り返し言及する「閣議口頭了解」とは、要旨次のような内容の「申し合わせ」あるいは「合意」にすぎない。法律でも何でもない。結局、これをそのまま踏襲し、押し通して大嘗祭を国費で実施したのだ。

①大嘗祭が宗教上の儀式であることは否定できないから、国事行為として行うことは困難。
②しかし、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然。
③その意味において、大嘗祭には公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費(国費)から支出することが相当。

司法試験の憲法でこんな答案を書いたら、確実に不合格だ。法案として国会に出せるような代物ではない。だから、閣議の口頭了解で胡麻化した。

「国事行為として行うことは困難」は、当然だ。というより違憲で不可能だ。しかも、政教分離原則を国家と天皇の行為に当てはめるとき、禁じられているのは「国事行為としてさせる」ことだけではない。何であろうと皇室の宗教行為に関わることだ。その意味で、①は目くらまし、リップサービスにすぎない。

次に、②からどうして③の結論が導けるのか、そこには論理の飛躍、最大の誤魔化しがある。憲法解釈に一貫性がない。国事行為としてはできないが、国の公的行事としてするのは相当(できる)なんて、支離滅裂で何の論理性もない。

3 国費執行は政教分離原則違反の疑いあり、とした大阪高裁判決
このお粗末な理屈に依りかかって、政教分離原則を無視して行われた「平成の大嘗祭」に対しては、外国籍者を含め約1700人の納税者が大阪地方裁判所に結集し、「我々が支払った税金を、憲法違反の即位の礼・大嘗祭に使うな。」「使った国費は賠償せよ。返せないなら損害賠償せよ。」と訴訟を起こした(即位礼・大嘗祭国費支出差止等請求事件)。

一審は門前払いの敗訴判決だったが、1995年3月9日の大阪高等裁判所判決は、一転、判決の理由中で次のように述べて大嘗祭への国費支出を違憲と判断し、原告納税者の異議申立に軍配を上げた。納税者が実質勝訴したのだ(ただ、納税者の権利侵害による慰謝料請求は認めなかった)。

「大嘗祭が神道儀式としての性格を有することは明白であり、これを公的な皇室行事として宮廷費をもって執行したことは、前記最高裁大法廷昭和52年7月13日(津地鎮祭事件ー加島註)判決が示したいわゆる目的効果基準に照らしても、少なくとも国家神道に対する助長、促進になるような行為として、政教分離規定に違反するのではないかとの疑義は一概には否定できない。」

この大阪高裁判決は、「即位の礼」そのものについても、現実に実施された諸儀式・行事の多くが、「神道儀式である大嘗祭諸儀式・行事と関連づけて行われたこと・・・等、宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」と、憲法違反を指摘した。

同訴訟の原告納税者らは、もともと慰謝料が目的で訴訟を起こしたわけではなかった。訴訟のルール上慰謝料請求を掲げただけであったから、即位礼・大嘗祭への国費支出は政教分離原則違反、との判断を獲得したので、当てにならない最高裁への上告は避けた。それで、この大阪高裁判決は確定した。

日本の裁判史上、大嘗祭への国費支出について、その趣旨や実態に立ち入って判断した判決は、裁判史上唯一この大阪高裁の違憲判決のみだ。国費支出を合憲とした判決は当然存在しない。にもかかわらず、政府は大阪高裁判決を無視し、支離滅裂な先の閣議口頭了解を踏襲して、令和の代替わりの際の大嘗祭を上回る約二七億円もの国費を支出した。

4 大嘗祭国費執行への政府のこだわりは、天皇の政治利用が目的
なぜ、政府は27億円(今回の総額見積もり)の費用をかけてまで、大嘗祭の国費執行にそこまでこだわるのか。秋篠宮が代弁したと推測できる天皇家の意見に「聞く耳を持たず」今回もゴリ押ししたのか。

それは、自分たちの都合による。納税者が税金の形で拠出した「国費」を支出することによって、「大嘗祭は単なる皇室の私的神道儀式ではなく、国家の重要な儀式である。」との意識を、知らず知らずのうちに国民に植え付けることを意図したからだ。憲法の象徴天皇制とはまったく無関係な、神話に基づく「象徴天皇」像(=タブー)を温存し、その象徴権威を国民の統合と政権の安定に利用しようとしているのだ。それは政府の勝手な都合でしかない。

実は、天皇の政治的利用は、尊王攘夷を唱えて幕府を倒し、政権を奪った明治維新政府にまで遡る。

それまで千年以上も政治的権力を幕府に奪われ、何らの世俗的権力も持たなかった天皇を、幕末になって、下級武士が実権を握った薩摩・長州等の藩が担ぎ出して、幕府を倒した。それが明治維新政府の実態だ。そのいわばクーデター政府は、伊藤博文を中心に、西欧におけるキリスト教に匹敵する日本の基軸に、天皇と皇室を仕立て上げる明確な絵を描いた。

5 「我國に在りて基軸とすべきは、獨り皇室あるのみ」
伊藤博文は、大日本帝国憲法制定のための枢密院第一回会議(1888・明治21年)で、資料にあるとおり、極めて明確・具体的にその意図を述べている。それが資料③の議事録だ。

様々な皇室儀式が整備・新設され、国家的行事と位置付けられたのは、実際のところ明治維新以降のことでしかない。江戸時代の数百年間いわば文化的存在でしかなかった天皇と皇室は、維新政府によって意図的・人為的に神格化され、国民国家の象徴として徹底的に利用された。

日本国憲法の規定する天皇像は、大日本帝国憲法時代とはもちろん、江戸時代とも、それ以前とも全く異なる。これを一連のものとみなして、大嘗祭に国費を支出すること等により介入し、そのことによって天皇を政治的に利用することは厳しく排除されなければならない。

第五部 その大嘗祭の執行を援助、助長、促進した京都府の行為もアウト

12人の原告は、京都府知事の主基田抜穂の儀への関与・参列、新穀供納の儀への東京事務所長派遣、大嘗祭参列、大饗の儀出席等、大嘗祭への参列、大饗の儀への出席等約半年間に及ぶ一連の関与行為は「慣習化した社会的儀礼」とはいえないと主張した。

これらの関与は、すべて天皇からではなく、国家機関である宮内庁から京都府知事宛の案内や要請に基づいている。府知事は裁判では、自分がしたことは、普通の人の目で見れば単なる「社会的儀礼」、つまり「単なる形式的なお付き合い」だと答弁した。つまり、神式のお葬式やお祭りに自治体の長として招かれていくのと同じだ、と言い訳したのだ。

裁判所がいつも判例として持ち出す津地鎮祭事件最高裁判決(1977年)というものがある。三重県の津市が神主を呼んで謝礼を払って執行した体育館の神式の地鎮祭を合憲としたものだ。詳しいことは省略するが、「地鎮祭はもともとは土地の神を鎮め祭るという宗教的儀式であつたが、時代の推移とともに、その宗教的な意義が次第に稀薄化し、今日においては、もはや宗教的意義がほとんど認められなくなつた建築上の儀礼と化し」ているから、建築着工に際しての慣習化した社会的儀礼にすぎず、世俗的な行事である、とした。

被告の京都府知事は今回の訴訟では徹頭徹尾、この判決と同じ理屈で、京都府の関与も社会的儀礼だから問題はないとの主張で、貫き通した。

しかし、地鎮祭と異なり、大嘗祭の一連の儀式が宗教的意義がほとんど認められなくなった天皇の代替わりでの儀礼と化したということはできない。大嘗祭が「皇室の宗教行為」であることは明白であり、約半年間に及ぶ関与行為もまたその「皇室の宗教行為」を「援助、助長、促進」したという意味で、宗教的意義を有することは明らかである。
大嘗祭への京都府知事らの関与行為は、地方公共団体に対する宮内庁という国家機関の案内や要請に応じた行為であり、大嘗祭の執行を援助、助長、促進したことは間違いなく、したがって政教分離原則に違反して違憲である。

違憲なことに京都府の公金を支出させたのだから、府知事はその立場で、公金支出をさせた当時の府知事西脇隆俊個人に損害賠償請求をすべきは、当然である。

この主張に対する京都地裁の判決が、2月7日の判決だが、徹頭徹尾「社会儀礼」、つまりご挨拶で逃げた。呆れてものが言えない。

以上

*本稿は、2024年2月11日の「天皇制の強化を許さない京都実行委員会」での講演録に手を加えたものです。

*  *  *

資料 ①

公開質問状

私たちは一個の人間として貴方を見る時、同情に耐えません。例えば、貴方は本部の美しい廊下を歩きながら、その白い壁の裏側は、法経教室のひびわれた壁であることを知ろうとされない。貴方の行路は数週間も前から何時何分にどこ、それから何分後にはどこときっちりと定められていて、貴方は何等の自主性もなく、定まった時間に定まった場所を通らねばなりません。

貴方は一種の機械的人間であり、民衆支配のため自己の人間性を犠牲にした犠牲者であります。私たちはそのことを人間としての貴方のために気の毒に思います。
しかし貴方がかつて平和な宮殿の中にいて、その宮殿の外で多くの若者達がわだつみの叫びをあげ、うらみをのんで死んでいる事を知ろうともされなかったこと、又今と同じようにすぢがきに従って歩きながら太平洋戦争のために、軍国主義の支柱となられたことを考える時、私たちはもはや貴方に同情していることはできないのです。

しかし貴方は今も変わってはいません。名前だけは人間天皇であるけれどそれはかつての神様天皇のデモクラシー版にすぎないことを私たちは考えざるを得ず、貴方が今又、単独講和と再軍備の日本でかつてと同じやうな戦争イデオロギーの一つの支柱として役割を果たそうとしていることを認めざるを得ないのです。我々は勿論かつての貴方の責任を許しはしないけれど、それよりもなお一層貴方が同じあやまりをくり返さないことを望みます。

その為に私たちは貴方が退位され天皇制が廃止されることを望むのですが、貴方自身それを望まれぬとしても、少なくとも一人の人間として憲法によって貴方に象徴されている人間達の叫びに耳をかたむけ、私達の質問に人間として答えていただくことを希望するのです。

質  問

一 もし、日本が戦争に巻き込まれそうな事態が起るならば、かつて終戦の証書において万世に平和の道を開くことを宣言された貴方は個人としてでもそれを拒否されるように、世界に訴えられる用意があるでしようか。

二  貴方は日本に再軍備が強要される様な事態が起った時、憲法に於て武装放棄を宣言した日本国の天皇としてこれを拒否する様呼びかけられる用意があるでしようか。

三  貴方の行幸を理由として京都では多くの自由の制限が行われ、又準備のために貧しい市民に迴るべき数百万円が空費されています。貴方は民衆のためにこれらの不自由と、空費を希望されるのでしようか。

四  貴方が京大に来られて最も必要なことは教授の進講ではなくて、大学の研究の現状を知り、学生の勉学、生活の実態を知られることであると思いますが、その点について学生に会って話し合っていただきたいと思うのですが不可能でしょうか。

五  広島、長崎の原爆の悲惨は貴方も終戦の詔書で強調されていました。その事は、私たちはまったく同意見で、それを世界に徹底させるために原爆展を製作しましたが、その開催が貴方の来学を理由として妨害されています。貴方はそれを希望されるでしようか。又、私たちはとくに貴方にそれを見ていただきたいと思いますが、見ていただけるでしようか。

私たちはいまだ日本において貴方のもっている影響力が大であることを認めます。それ故にこそ、貴方が民衆支配の道具として使われないで、平和な世界のために、意見をもった個人として、 努力されることに希望をつなぐものです。一国の象徴が民衆の幸福について、世界の平和について何らの意見ももたない方であるとすれば、それは日本の悲劇とあるといわねばなりません。私たちは貴方がこれらの質問に寄せられる回答を心から期待します。

昭和二十六年十一月十二日
天皇裕仁殿
京都大学同学会

大原社会問題研究所雑誌No.653/2013.

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資料 ②

天皇に関する憲法の規定(全部)

憲法前文第一段
日本国民は、・・・ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。
(後略)

第一章 天皇
〔天皇の地位と主権在民〕
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
〔皇位の世襲〕
第二条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。
〔内閣の助言と承認及び責任〕
第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ。
〔天皇の権能と権能行使の委任〕
第四条 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。
2 天皇は、法律の定めるところにより、その国事に関する行為を委任することができる。
〔摂政〕
第五条 皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは、摂政は、天皇の名でその国事に関する行為を行ふ。この場合には、前条第一項の規定を準用する。
〔天皇の任命行為〕
第六条 天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する。
2 天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する。
〔天皇の国事行為〕
第七条 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。
一 憲法改正、法律、政令及び条約を公布すること。
二 国会を召集すること。
三 衆議院を解散すること。
四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
六 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を認証すること。
七 栄典を授与すること。
八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
九 外国の大使及び公使を接受すること。
十 儀式を行ふこと。
〔財産授受の制限〕
第八条 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が、財産を譲り受け、若しくは賜与することは、国会の議決に基かなければならない。
〔憲法尊重擁護の義務〕
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

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資料 ③

衆憲資第27号
明治憲法と日本国憲法に関する基礎的資料(明治憲法の制定過程について)

最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会
(平成 15 年 5 月 8 日の参考資料)
平 成 15 年 5 月 衆議院憲法調査会事務局

【伊藤博文による憲法起草の大意についての説明】
…歐洲ニ於テハ當世紀ニ及ンデ憲法政治ヲ行ハザルモノアラズト雖、是レ即チ歴史上ノ沿革ニ成立スルモノニシテ、其萌芽遠ク往昔ニ發カサルハナシ。反之我國ニ在テハ事全ク新面目ニ屬ス。故ニ今憲法ノ制定セラルヽニ方テハ先ツ我國ノ機軸ヲ求メ、我國ノ機軸ハ何ナリヤト云フ事ヲ確定セサルヘカラス。機軸ナクシテ政治ヲ人民ノ妄議ニ任ス時ハ、政其統紀ヲ失ヒ、國家亦タ随テ廢亡ス。苟モ國家カ國家トシテ生存シ、人民ヲ統治 セントセハ、宜ク深ク慮リテ以テ統治ノ効用ヲ失ハサラン事ヲ期スヘキナリ。抑、歐洲 ニ於テハ憲法政治ノ萌セル事千餘年、獨リ人民ノ此制度ニ習熟セルノミナラス、又タ宗敎ナル者アリテ之カ機軸ヲ爲シ、深ク人心ニ浸潤シテ、人心此ニ歸一セリ。然ルニ我國 ニ在テハ宗敎ナル者其力微弱ニシテ、一モ國家ノ機軸タルヘキモノナシ。佛敎ハ一タヒ 隆盛ノ勢ヲ張リ、上下ノ人心ヲ繋キタルモ、今日ニ至テハ巳ニ衰替ニ傾キタリ。神道ハ 祖宗ノ遺訓ニ基キ之ヲ祖述スト雖、宗敎トシテ人心ヲ歸向セシムルノ力ニ乏シ。我國ニ 在テ機軸トスヘキハ、獨リ皇室アルノミ。是ヲ以テ此憲法草案ニ於テハ專ラ意ヲ此點ニ用ヒ、君憲ヲ尊重シテ成ルヘク之ヲ束縛セサラン事ヲ勉メリ。或ハ君權甚タ強大ナルトキハ濫用ノ虞ナキニアラスト云フモノアリ。一應其理ナキニアラスト雖モ、若シ果シテ之アルトキハ、宰相其責ニ任スヘシ。或ハ其他其濫用ヲ防クノ道ナキニアラス。徒ニ濫用ヲ恐レテ君權ノ區域ヲ狭縮セントスルカ如キハ、道理ナキノ説ト云ハサルヘカラス。乃チ此草案ニ於テハ、君權ヲ機軸トシ、偏ニ之ヲ毀損セサランコトヲ期シ、敢テ彼ノ歐洲ノ主權分割ノ精神ニ據ラス。固ヨリ歐洲數國ノ制度ニ於テ君權民權共同スルト其揆ヲ異ニセリ。是レ起案ノ大綱トス・・・・。

初出:『反天皇制市民1700』56号2024年8月刊行

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