世論無視の議会と「女性・女系天皇」支持率90パーセント社会

桜井大子

「皇位継承問題」はどうなっているのか

「皇位継承問題」は今年(2024年)に入り、政府によって「皇族数確保策」に取って代えられた。政府案①「女性皇族の結婚後も皇族身分保持する」、②「旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する」として出され、5月17日より与野党協議が始まったが、その1週間後の23日の2回目で頓挫状況となった。結局その与野党協議は、報道によれば以下のような方針へと転換が図られた。

「当初の想定より各党の意見の隔たりが大きく、週1回の開催としていた方針を転換し、今後は衆参両院議長が各党・会派から個別に意見を聞いて集約を目指す方向となった」。
*各党の意見等については本サイト5月更新号の「『皇族確保策』は新たな身分差別をつくりだす」を参照。

しかし国会会期中の集約・調整はできず、6月11日には「皇族確保策、今国会断念、自・立に溝、集約進まず」との報道が流れ、「23日の国会閉会後も議論を続ける方針で一致」と続いた。その後も事態は変わらず現在に至っている。細切れの方針変更やら集約できずなどの報道はなされたものの、その流れの詳細は見えづらい。

この男系男子主義と血の論理、徹底した女性差別に凝り固まった呆れた政府案「皇族数確保策」が、本当に国会議員たちによって大真面目に論議されているのかはよくわからない。それぞれの立場を「配慮」する議員たちが、なんとかうまく取り繕わねばとアタフタしているにすぎないのではないか、と思ったりもする。しかし、その結果がこの呆れた政府案を通してしまうのであれば、これまた呆れた話である。

こういった状態そのものが大きな問題であることに違いはないが、そもそもこの「皇族数確保」なるものは、どのように「皇位継承問題」につがなっていくというのか。少なくともこの政府2案はかなりズレたところにあるとしか言いようがない。

実際のところ「皇位継承問題」はいま、政府2案とその動きを見る限り、国会での動きはほとんどないに等しい。しかしメディア上では動いている。世論調査や「識者」の見解を紹介してはそれらをもとに書き連ねている。ここではこの国会の外の流れと国会のありようについて少し考えてみたい。

その流れとは、いうまでもなく「女性・女系天皇」容認論だ。これまでの世論の推移を見ても、おおむね80%前後を維持してきたし、一番新しい『共同通信』調査(4月27日)によれば、90%が女性天皇に賛成、84%が女系天皇に賛成という(「賛成」「どちらかというと賛成」を合わせた数字)。世論調査の項目には上がっていないのでその数字は読めないが、週刊誌報道を見る限り「愛子天皇」熱も高い。

今年1月になされた『朝日新聞』による世論調査では、男系男子支持30.5%、女性天皇支持68.6%だった。この3ヶ月で女性天皇支持率が約20%以上上がったということになる。政府が提示した「血の論理」剥き出しの女性差別に基づく2案への反動とも言えるかもしれない。

ちなみに、政府案である「旧宮家の男系男子」の「皇族復帰」による男系男子継承ついては、今回の世論調査では74%が反対している。一方、議会レベルでは女系天皇は論外扱いで、女性天皇についても現在のところ俎上にはあがっていない。国会の内と外ではその流れのベクトルはまるで逆向きなのだ。

「女性・女系天皇」支持率90%は事態を動かすのか?

こんなこと予想しても仕方ないし、予想しようもないが、80〜90%が支持する女性・女系天皇容認論は国会で返り咲くのか。違憲であるとの指摘があり、かつ世論の74%が反対する政府2案を、政府はむりやり法案としてまとめ上げていくのだろうか。

今回の、衆参両院議長による個別聴取への変更は、言い換えれば「各党の意見の隔たり」をなくしていくための強硬手段に切り替えたものと言える。2017年に成立した「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」(特例法)を「意見の隔たりなく」満場一致で国会を通過させたあの時のやり方を思いだす。法案を作り出す際に取られた方法で、衆参両院議長による「意見調整」という名の暗躍であった。今回もあの時と同じように法案が作られ国会を通過していくのだろうか。

ただ、当時と今回では明らかに条件が違っている。あの時は世論の大半が天皇主導で作られた「天皇の退位」法案に賛成していたことだ。政府も「国民」の大半も「高齢の天皇を退位させてあげたらどうだ」と大真面目に考えていた。天皇の意思で法律が作られていく過程、憲法で禁止されている天皇の政治的行為を問題であるとして反対の声を上げる私たちが、まるで人権を無視した人非人であるかのような勢いだった。

出来上がった条文には「趣旨」として「……国民は、御高齢に至るまでこれらの御活動に精励されている天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感していること」云々とあり、私を含め、天皇制に反対している10%弱の人たちにとっては不本意なことであった。また、敬語が羅列する法令が成立したことに、当時、多くの人が驚いた。

だが今回は、その世論の90%が政府の反対側にいる。議会内でも、立憲民主党や共産党など、いまだ反対意見は強固にあるようだ。それでも、なんでもありの国会は、こういった状況を「乗り切らなければならないハードル」としてしか考えていない可能性は強い。

女性差別と女性・女系天皇支持率90%社会

私はこれまでに何度も女性・女系天皇容認論に反対する立場から意見を述べてきた。ここでは詳細については省略し、2020年に書いたもので新しいとは言い難いが、「皇位継承(あとつぎ)問題ーー女性天皇をなぜ支持しないのか」(『終わりにしよう天皇制 2016→2020「代替わり」反対行動の記録、おわてんねっと、2021年)を転載して代えることにしたい(来月予定)。

いまここで考えたいのは、90%の女性天皇支持、84%の女系天皇支持の世論を無視しきっている議会の問題と、身分差別・女性差別・民族差別等々を指摘し「天皇制は差別の根源」というお決まりのようなフレーズがあるが、その差別制度(天皇制)を、女性天皇ならば90%が支持するといった社会現象についてだ。

この90%の人たちの回答は、おそらく深く考えた結果でもないだろうしその必要もなかっただろう。そもそも日常的に天皇制について考えている人など少ないのだ。しかし、それが世論として社会的影響を持ち始めるかもしれないし、議会に影響をあたえるかもしれない。女性天皇が容認されれば、女性への差別も「少しはマシになるだろう」的な選択が、差別社会を支える天皇制を維持することにつながるかもしれないので、少しだけ言及しておきたい。

「少しはマシになる」というのは、差別社会全体が平等社会に向かって少し底上げされ、被差別者という位置に立たされている人たち全体の状況が「少しはマシ」になるという話ではまったくないし、むしろある領域の女性たちの、ある領域が少しマシになり、そのことによって天皇制は「安定的」に維持される可能性が高まり、それまであった差別構造は変わらず温存される。天皇を権威とする社会の差別構造に組み込まれているのは女性だけではないのだ。

さらに、すでに何度も述べてきていることであるが、未だ清算されていない日本の侵略・植民地主義政策の歴史や、それに対する天皇制国家の責任問題、天皇制が社会に浸透させている女性に対してだけあるのではない差別意識や実際にあるさまざまな差別、天皇制の世襲原則がもたらす「産む」ことを強要する価値観や、非民主的で基本的人権を無視した主権在民規定不在の状況、天皇制に関わるところでの信教の自由、思想・良心の自由、そしてそれらを表現する自由を侵害し続けていること。こういった多々ある問題が、女性天皇が誕生することで解決するはずもなく、むしろこの制度を維持することに貢献するだけである。そして、被差別者としてあった女性のひとりが差別社会の権威の頂点に立つ。これを喜ぶべきなのか?これでいいのか?ということだ。

こういった、いたってシンプルで当たり前とも思える問題にたどりつかない世論、その世論に大きな影響を与えるメディアが流し続ける言説、そこに介入できない10%以下の天皇制廃止を訴える側の言説。女性天皇支持率90%社会はかなり深刻な事態であるように思うのだった。

世論も憲法も無視する国会と、世論が支える天皇制

90%の民意を国会が無視して議会運営をしていることの問題は大きいと思う。たとえば、仮に天皇制廃止に90%の人たちが賛成したとしても、それを無視する国会を許すことにつながる。90%も支持する世論の無視は、そもそも憲法1条の「この(天皇の)地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」規定に反しているではないか。

いま調整に苦慮している「旧宮家の男系男子の皇族復帰」という政府案についても、憲法14条にある「門地による差別禁止」に反しているとの批判が議会内でも出されているが、政府は無視を決め込んでいる。これはかなりおかしな事態である。

このずさんな国会運営の問題と、「皇位継承問題」に関する国会の内外における議論や、女性・女系天皇問題は次元が異なる問題であり、個別に論じる必要があるのかもしれない。しかし同時に、この国会や国のありようを変えていくことと、天皇制の問題を考えていくことは、実は地続きの問題でもあると思う。

いま意見調整がなされている政府案が法案としてまとまるのかどうか、国会における審議が始まるのかどうかは、天皇制の今後に直結しているし、この社会のありように直結している。この国に生きなければならない私たち、多くの人々にとっては民主主義の問題でもある。

私は、世論や多くの反対意見をまったく無視し、あのひどい政府案を推し進めようとする議会のありようには意義を申し立てるが、しかし世論が90%を占めようとも、女性・女系天皇には反対意見を表明する。したがって、世論無視の議会を批判しながらも、政府が世論を方針に反映し、女性・女系天皇を容認する方向にカジをとれば、私(たち)は、その政府案、世論、およびメディアとも言論を持ってたたかうことになる。

女性差別の問題は私にとっても大きな課題だ。とはいえ、前述した通り、女性天皇を作り出すことでその差別構造を解消できるとは思えないし、そんなことで解決したいとも思わない。皇位継承者が必要だから女性皇族にも皇位を認めろという論に対しては、皇位継承者はいらない、という結論しかない。そして、女性天皇誕生によって皇室における女性の地位向上につながったとしても、そして、そのことがこの女性差別社会に少しの変化を作り出したとしても、世襲原則は残るし、結婚・セックス・出産に関するその価値観は崩れない。たとえば職場等での女性の地位向上につながる可能性があったとしても、その職場における身分や国籍、学歴等々による差別は残り続ける。天皇制の平等化や民主化によって、そこを基準にこの社会の平等化や民主化が模索されるとしたら、その方法を民主化と言っていいのかといった疑問も大きく残る。まずもって与えられた民主化や平等化は、それを与えた同じ力によって奪われる可能性だって大きいのではないか。古めかしい考えかもしれないが、社会を変えるのはその社会に住む人々によってなされ、その過程を経ることでその大事さも実感でき、だから奪われないように頑張るのだ、と思うのである。

声も上げられず、憲法の平等原理も適用されない、基本的人権無視の男尊女卑制度に苦しむ皇族女性のために闘ってあげたいと言う人がいたら、だからこそ、そういう制度はなくす方が正しいのではないのか、と言うだけである。むしろ、天皇制は皇族女性に不自由や不平等を強いながら、「民間」社会の不平等、身分差別や門地差別、民族差別、男女差別を思想的に支えていることを問題にしたい。その思想は私たちには害であり、この国に必要なものとしてある。女性・女系天皇が出てきても、その思想性がなくなるとはとても考えられないのだ。

少数派として切り捨てられるだろう意見も含め、少しずつでも国会の外での議論を深め、その声を議会に反映できるような力に変換していく努力を多くの人と続けていきたいと思う。話し合うことで、力は倍増するに違いない。それが今の状況を変える可能性の一つであると考える。

カテゴリー: 天皇制問題のいま, 状況批評, 皇位継承問題 パーマリンク